第40話「欠けた玉枝と黒華弁(解決編・弐)」
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客間は、静寂に包まれていた。
――水臥小路詩織は、父親と目合っていた。
壱子の言葉が、あまりに常識からかけ離れていたからである。
最高位の貴族が、実の娘に手を出すなどあり得ない。
しかも、その娘は皇子との婚姻が決まっている。
まともな思考を持った者からすれば、壱子の言うことは一笑に付されるべき馬鹿げたものだった。
しかし皮肉なことに、さきほどの必死な詩織の態度によって、その”馬鹿げたこと”が真実であることを物語ってしまっていた。
客間に居合わせた者達の反応は、三者三様だった。
一番反応が薄かったのは、双子姫の母親で、これは父子の交合をあらかじめ知っていたためだろう。
次いで、平間と伊織。
驚いてはいたが、取り乱す様子はなかった。
その理由は恐らく、”命の危険を感じていない”ためだろう。
最も顕著に反応したのは、名も無き侍女や兵士たちである。
彼らは壱子の言葉を聞いた直後は、それをまるで信じていなかった。
しかし詩織やその母親の表情を見て、間もなくそれが真実であると悟った。
次に彼らが想定したことは、自分が口封じに殺されるかも知れないということだった。
言わば、最上位の貴族の秘密を知ってしまったのである。
彼らはただ、死の予感に震えて立ち尽くすしか無かった。
そんな哀れな人々を、壱子は舐めるようにジッと見つめていた。
「……だったら、なんだと言うのかしら」
押し殺すような声が、沈黙を破る。
詩織だ。
「そんな話、私の侍女や従者が死んだことと、何の関係も無いじゃない。人の秘密を暴き立てて、良い気になったつもり?」
「違う。これは射月・松月姉弟に関係があるから話しただけじゃ」
「よくもまあ、そんな出鱈目を」
辛うじて平静を取り戻したものの、壱子を血走った目で睨む詩織は、見ていて痛々しかった。
壱子もそう感じたのか、目をそらせて言う。
「であれば、話の続きをしよう。松月の殺害現場となったのは、この屋敷と花街とを結ぶ抜け穴じゃ。となると必然的に、松月を殺害した人物は”抜け穴の存在を知っていた”人物に限られる」
「それはどうでしょう。松月さんが尾行されていた可能性はありませんか?」
そう疑問を投げかけたのは、朝霧である。
確かに、松月が尾行されていたのなら、抜け穴があることを知らなくても犯行は可能だ。
壱子は朝霧が口を出してきたことに驚いたようだったが、冷静に反論する。
「その可能性は無いじゃろう」
「なぜそう言い切れるのです?」
「知っての通り、抜け穴には屋敷側と花街側、二つの入り口がある。そしておそらく、松月は屋敷側から入ったと思われる。その根拠は、松月にとって私との接触は公にしたくないことだったからじゃ。そう仮定すると、より目につきにくいのは人通りの無い屋敷側になる」
「とは言え、尾行が不可能ということはないでしょう?」
その朝霧の問いかけには、平間が壱子に代わって答えた。
「いや……それでもかなり難しいと思います」
「なぜです?」
「だって、裏口から抜け穴までは、見晴らしの良い河原になっているんです。恐らく松月も尾行には最大限警戒していたでしょうし……裏口の戸を閉めて気をつけてさえいれば、まず不可能ではないでしょうか。必要であれば、日が昇るのを待って、検証してみるのも手かと」
贔屓目なしに答える平間に、朝霧は納得したようだった。
それにしても、恐々とする兵士や侍女たちと比べて、随分と朝霧は冷静だ。
年の功がそうさせるのだろうか。
平間の言葉を、さらに壱子が引き継ぐ。
「犯人が抜け穴の存在を知っていた人物であると言う根拠は、もう一つある。
それは、凶器である瘴気の特性じゃ。
燃焼によって生じる瘴気は、空間の中を満遍なく広がっていく。
裏を返せば、瘴気で人を殺そうとする場合、現場が閉鎖的であると知っている必要がある。
となるとやはり、犯人は抜け穴の構造まで知っていたと見るべきじゃろう」
「なるほど、納得しました。続けてください」
何でも無いことのように言って礼をする朝霧は、微笑すらたたえていた。
その余裕に、壱子は引きつった笑みで続ける。
「では、ここからはもう一本道になる。松月を殺した人物は、抜け穴の存在を知っていた。そして、抜け穴を知っていたのはお母上殿と詩織、水臥小路惟人……あとは、朝霧かな」
壱子が言うと、朝霧は小さく驚いてみせる。
「なぜ、分かったのです?」
「詩織殿の秘密を知っても驚かなかったからじゃ。おそらく、お母上殿はお主に抜け穴をくぐらせ、その先の光景を報告させたのじゃろう」
「ご明察です。では、私が松月さんを殺した犯人かも知れませんね」
どこか冗談めかした風に、朝霧は笑う。
が、壱子は素っ気なく首を振った。
「いいや、それは違うな」
「それはなぜ?」
「単に確率の問題じゃ」
そう前置きして、壱子は言った。
「これは推測じゃが、松月は泳がされた末に殺されたのじゃろう。
私が水臥小路惟人に囚われた際、松月は軽率に私の世話を買って出た。
その結果、松月は裏切りを疑われたはずじゃ。
そこで、水臥小路か詩織のいずれかが、一計を案じた。
松月の真意を確かめる一計を。
それは松月に、私を閉じ込めた牢の鍵の在処を教えることじゃった。
すると松月はまんまと計略に嵌まり、鍵を使って私を開放した」
壱子がそう言うと、伊織が口を開く。
「それはおかしくないか、壱子?」
「ほう、なぜじゃ?」
「せっかく壱子を捕まえたのなら、それをみすみす逃すのは損だ。たとえ、松月が裏切ると分かっても、もう少し良い方法とは言えぬ。不自然だ。実際、そのあと壱子はまんまと逃げおおせたのだろう?」
「確かにそうかも知れぬが、私が逃げた先で鳴峰寺が崩落したのじゃ。最初からその罪を私に着せるつもりだったのなら、私を逃がすことは損にはならぬ」
「……ああ、だから『泳がされていた』のか」
「そうじゃ。松月だけでなく、私もじゃが」
自嘲気味に言って、壱子は続ける。
「その後、松月は紬を介して私に手紙を送った。
しかし、紬は水臥小路家の支配する近衛府の一員ゆえ、松月の手紙を盗み見て、密告したのじゃろう
あとは松月が抜け穴で私を待つ間に、密かに大きな火鉢でも置いておけば、瘴気が充満して松月は死ぬ。
臭いも無いから、気付いた時には体は動かなくなり、逃げられない」
「ならば、松月を殺したのは……お姉ちゃんと父上の二人か」
絞りだすように伊織は言うが、壱子は首を横に振る。
「いや、恐らくお主の父は関与していない」
「なぜそう言い切れる?」
「私に追手が来なかったからじゃ。水臥小路惟人の立てた計画ならば、私を泳がせることはしない。そんなことをしても、もう何の利益も無いじゃろう?」
「ならば……」
伊織は立ち上がり、座り込む姉の元へゆっくりと歩み寄った。
「どうしても、殺さねばならなかったのか? 何か他の方法は──」
「無いに決まっているでしょう。私から離れようとしたんだから」
「しかし──」
「むしろ、どうしてお前はまだ生きているわけ? 私が誰よりも死んで欲しいのは、お前なのだけれど」
「……ッ」
絶句する伊織に、壱子が言う。
「何を言っても無駄じゃ、伊織」
「では、大人しく黙っていろというのか!?」
「ああ。その通りじゃ。どんな言葉で尋ねても、より深く傷つくだけと分かっているじゃろう?」
「……」
黙りこむ伊織に代わって、壱子は詩織に声をかける。
「詩織殿、私からも一つ聞かせて貰っても良いか」
「……ご勝手に」
「感謝する。では伊織殿、松月を瘴気で殺した理由を教えてくれぬか」
「どうして、そんなことを聞くのかしら」
「不自然だと思うのじゃ。単に命を奪うのなら、もっと簡単な方法がいくらでもある。それなのになぜ、瘴気という不確実で手間のかかる方法を選んだのじゃ?」
「……」
壱子は尋ねるが、詩織は何も答えない。
沈黙が破られることはないと悟ったのか、壱子は小さく息をついて言った。
「そうか。では、これは私の願望でもあるのじゃが……詩織殿、お主は松月を『なるべく美しい姿のまま死なせてやりたかった』のではないか?
火によって生じた瘴気は人を殺すが、死んだ者はまるで生きているかのように永遠の眠りにつく。
つまり、わざわざこの方法を選んだのは、松月を美しい姿のまま眠らせてやろう、という最後の心遣いだったのではないか?」
「……」
「詩織殿?」
眉根を寄せて、壱子は詩織の言葉を待つ。
いくら詩織が酷薄な人物でも、いくら伊織を憎んでいても、それくらいの良心は残っているのではないか。
そうでなくとも、美意識の高い詩織であれば、美しさにこだわる方法を選ぶことがあるのかも知れない。
壱子はそう考えたのだろう。
しかし。
「……何を的外れなことを」
詩織は、壱子の願望を鼻で笑った。
「瘴気は、まず体が動かなくなるのです。意識はあるのにね。きっと、すごく怖かったはず。そして、私を裏切ったことを、死ぬまで後悔してほしかった」
詩織は、けらけらと笑う。
まるで楽しい思い出を語っているかのように、詩織は笑う。
その様は、まるで智子の夢に囚われてしまったかのようだった。
「だから、面倒だったけど……手間をかけてあげたの」
平間は身震いする。
自分とはまるで違う価値観を持つ人間は、こうも恐ろしいのか。
おぼろげな詩織の眼差しは、おそらく像を結んでいないだろう。
平間は体の奥を掴まれるような感覚に陥った。
そうして、水臥小路詩織という名前の少女は、ひとしきり笑い続けた。
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