第36話「小熊の涙と夜明け前」
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動き出した牛車に続いて、平間たちは歩き出す。
そして、平間は壱子に尋ねた。
「壱子、どうして伊織さまはあそこまで松月に固執するんだ?」
「……あ?」
平間の問いに、壱子は「信じられない」と言いたげな目をする。
「そんな目で見るなよ。だって、松月は詩織さまの従者だろ? 伊織様とは接点がなかったはずだ」
「……あのな、お主は大馬鹿者か?」
心底あきれ果てたという風に、壱子は大きく溜息をつく。
平間はムッとして、壱子に言い返した。
「そこまで言わなくたっていいじゃないか」
「いいや、大馬鹿者じゃ。全く、ニブいのもいい加減にせよ」
「ニブい? っていうと、まさか……」
「そうじゃ、伊織と松月は恋仲だったのじゃろう。おそらくな」
特に感慨もなく、淡々と壱子は言う。
しかし、平間はにわかには信じられない。
「待ってくれ、松月は詩織さまが好きなんじゃないのか? だから従者として近くにいるんじゃ……?」
「松月がそう言ったのか?」
「言ってないけど……。でも、松月と伊織さまは接点なんて無いだろ」
平間がそう言うと、壱子はさらに顔を渋くする。
「あのな、伊織と松月に接点があったのは明白じゃろう」
「なんで?」
「貴種病で伊織が倒れた時、あやつは何をしていた? 蹴鞠じゃろ? 普通、姫がするか?」
「いや、あまり……」
「そうじゃろ。それに、伊織は碁が強かった。松月も碁が得意だったという。おそらく、伊織に碁や蹴鞠を教えたのは松月じゃろうな」
確かに、壱子の言うことは可能性としてはあり得る。
ただ、今ひとつ平間は納得できなかった。
「でもさ壱子、趣味が同じだからって、その……親しい間柄だってことにはならないんじゃないか?」
「それは一理ある。実際。お主と私の趣味嗜好は似ておらんしな」
そう言って、勝手に納得する壱子。
平間としては色々と突っ込みたいことが多くあったが、なんと言えばいいか分からなかったのと、野暮なことを言ってまた怒られるのが嫌なので、黙っておいた。
すると、壱子は再び口を開く。
「しかし、証拠はまだある。松月が私に送った手紙を見て、伊織はすぐにそれが松月の字だと分かったじゃろう?」
「ああ。だから?」
「それだけ、普段からやりとりをしていたということじゃ。身分の違いもあるし、伊織は詩織と仲が悪い。堂々と語らうわけにも行かなかったのじゃろう」
「……そうか」
「そして何よりの証拠が、こんな時間に、こんな大人数を連れて松月を探しに出ている事じゃ」
壱子がそこまで言って、ようやく平間は理解した。
なぜ、伊織が壱子を嘘つきだと断じたのか。
それは、松月を思うあまり、彼の死を受け入れられなかったからだろう。
しかしだとすると、壱子が伊織の誤解を解くのは、なおさら難しいように思えた。
平間の心配を察したのか、壱子は平間に言う。
「そう暗い顔をするな。状況は決して悪くない」
「悪くないというのは、ちょっと無理があると思うんだけど。見ての通り縛られているし、味方もいない」
「しかし、水臥小路の屋敷には向かっている。おおむね予定通りじゃ」
あっけらかんと壱子は言うが、平間の不安は尽きない。
実のところ、平間と壱子では、見ているものが違う。
壱子が目指すのは水臥小路惟人を打ち破ることだが、平間の至上命題は壱子の身を守ることだ。
裏を返せば、もし水臥小路を打倒したとしても、壱子が怪我をしたり、命を落としたりしてしまえば、平間にとっては最悪の事態になる。
この場を無事に切り抜けられるのか。
平間が表情を険しくすると、間もなく、水臥小路家の屋敷が近づいてきた。
──
「忌部省に使いを送ってくれ」
水臥小路家の屋敷に入り、壱子は開口一番そう言った。
連れて来られたのは、屋敷の中庭である。
そこに敷かれた粗末なゴザに座らされて、壱子は伊織の目を見つめる。
中庭にいるのは伊織とその母親と数人の侍女で、詩織の姿は無い。
壱子の要求に口を開いたのは、伊織だった。
「なぜだ? 時間稼ぎのつもりか?」
「違う! 忌部省には、確かに松月の遺体が安置されている。確かめに行けば、私の言っていることが確かに事実だと分かるはずじゃ」
「……では明朝、忌部に人をやろう。そして、そちらは父上に引き渡す。私はもう寝る」
「待て伊織!」
「なんだ、まだ用があるのか?」
「ある。私はこれから、松月の死の真相を話す。それだけではなく、何故射月が死んだのか、誰に殺されたのかも話す」
「そちが嘘を言っていないことを、まだ証明していない。明日にしてくれ」
「であれば、私は話さない。永遠にじゃ」
「……何?」
壱子の言葉に、伊織はピクリと眉を動かす。
すると、平間にしか分からないほどわずかに、壱子が口角を上げる。
「言った通りじゃ。私は既に、射月と松月の死の真相に至っておる。そしてその真相は、私以外の口から明らかになることはない」
「なぜそう言い切れる? うぬぼれか?」
「うぬぼれは多分に含まれているが、それだけではない。まず第一に、この事件の真相は水臥小路家の禁忌に触れる。故に、水臥小路家と同格の者しか真相を語ることが出来ぬ。第二に、私がいま語らなければ、証拠は隠滅されてしまう。故に、後世の者は真相に至ることが出来ぬ」
「大した自身だな、壱子」
「お褒めに預かり光栄じゃ。で、どうする? この機会を逃せば、松月がなぜ死んだのかを知る機会は、未来永劫訪れぬぞ」
「脅しのつもりか?」
「そうとも。まさしく脅しじゃ。生きるか死ぬかが掛かっておるし、なりふり構っておられぬじゃろう?」
自嘲気味に言う壱子に、伊織は表情を固くして黙りこむ。
伊織の心境は揺れている。
それを目ざとく察知して、壱子はさらに追撃を始めた。
「伊織、私には時間が無い。姉はおそらく屋敷にとどまっているだろうが、いつ火が掛けられてもおかしくはない。父は生死すら分からぬ。一刻も早く、この状況から抜け出したいのじゃ」
「その気持ちは分かるが……」
「であれば、私に誤解を解く機会をくれ。可能な限り早く」
「……父上のお気持ちも聞かねば」
「伊織、私はお主と話しておる」
「しかし、私の一存で決めるわけには……」
「私と平間を捕らえたのは、誰の一存じゃ?」
ぴしゃりと言って、壱子は伊織を見据える。
地べたに縛られている壱子が有利に立っているのは、奇妙な光景だと平間は思った、
たじろぐ伊織に、壱子は容赦なく続ける。
「本当は、うすうす分かっておるのじゃろう? 私が嘘など言っておらぬことを」
「そっ、それは……!」
「松月の死を認められぬ気持ちは痛いほど分かる。しかし、お主は知っているはずじゃ。私が松月を手にかける理由など一つもないことを。そして、私がそのような酷い仕打ちをする人間でも無いということを。違うか?」
「……違わない」
「であれば、改めて頼む。私の話を聞いてくれ。これは友としての願いじゃ」
伊織をまっすぐに見て、壱子は何度目かの懇願をする。
不安げに目を泳がせる伊織は、おずおずと口を開いた。
「壱子、そちを信じていいのか?」
「それを聞くのは無粋じゃろう」
「何を言って……?」
「友を信じるのは難しいことじゃ。しかし、だからこそ価値がある。わざわざ友情を確認することに、意味があるとは思えぬ」
「……なるほど。確かにな」
壱子の言葉に、伊織はうなずく。
そしてゆっくりと壱子に近づいて、彼女を後ろ手に縛る縄に手を掛けた。
「結構、固いのだな……っと」
壱子を縛っていた縄が解け、するりと落ちた。
すると突然、待ち構えていたかのように壱子が動く。
「伊織っ」
平間は慌てた。
まさか伊織を人質に取るつもりではないか、と思ったのだ。
だが、ここで迂闊に動けば、全てが水の泡になってしまう。
……しかし、平間の懸念は当たらなかった。
「辛い決断をさせてしまったな……許してくれ」
壱子は、伊織を強く抱きしめていた。
そしてその眼には、涙さえ浮かんでいる。
「親しい者を亡くした痛みは凄まじい。私も、母を亡くした時を思い出した」
「壱子……」
「母の死を受け入れるのに、私は何ヶ月もかかった。いや、まだ受け入れられているか分からぬ。しかしお主は、私を開放して、受け入れた。大したものじゃ。強いな。驚いた」
「う、うぅ……」
「私の胸で良ければ貸そう。お主よりは薄いがな」
「ひぐっ、ううっ、うわあぁぁあああ!!」
屋敷中に響く大声で、伊織は泣き始める。
溢れ出る涙が壱子の服に染みを作るのには、そう長い時間は必要なかったようだ。
伊織にしてみれば、松月の死を否定するために壱子を「嘘つき」だと断じたのだろう。
それをやめて、壱子を信じると言うことは……つまり、伊織は松月の死を受け入れたのだ。
それがいかに重大な決断だったのか、想像するに難くない。
ただ、平間は「自分の縄も解いてくれないか」とも思っていたが。
その時だった。
「あらあら、随分とみっともない泣き顔ですこと」
酷薄な声が、平間たちの耳に入る。
その主は、美しくも邪なる娘――水臥小路詩織である。
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