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わがまま娘はやんごとない!~夢幻の暗殺者と虚空の双姫~  作者: 八山たかを
第2章「堕つ双月、啼くは絶花の狂い咲き」
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第33話「仮初の朝とひっつき虫」

──


 平間が目覚めると、そこには忌部省の双子の片割れの顔があった。

 これはどっちだったか……(おもね)か?

 そんなことを考えていると、片割れはパッと立ち上がって何処かに行ってしまった。


 しばしの間。

 周囲を見回し、平間は自分がカビ臭い布団に寝ていたことに気付く。

 部屋の広さは四畳半ほど。

 (おもね)の存在と、このジメジメした雰囲気から察するに、ここは忌部省の中か。


 そう一人で納得していた平間だったが、唐突にある疑問が脳裏に浮かぶ。


──何があった?


 記憶は薄ぼんやりとしていたが、次第に思い出してゆく。


 確か平間は、壱子と共に松月に会いに行っていたはずだ。

 待ち合わせ場所の抜け穴に入るため、花街の貸部屋に入った。

 そして、抜け穴の入り口を開けて、壱子が何かを言っていて、そして──。


「平間ぁぁぁあああ!!!」

「ぐはっ」


 その叫び声が聞こえるやいなや、平間の首に軽くも鋭い衝撃が走る。


「平間、生きているか!? 死んでないか? ああ良かった、生きてる!」

「今の攻撃で死にそうになったんだけど」

「ふふ、面白い冗談じゃな」

「全く冗談じゃないんだけど……」


 かなり真面目に抗議する平間だったが、壱子は楽しそうに平間に抱きついていた。

 対応に困る平間に、壱子は目と鼻の先で言う。


「ああ、まだ気が動転しておるのじゃな。ここは忌部省じゃ。ひどく驚いたのじゃぞ。お主が急に倒れるから」

「倒れた? どうして?」


 そう尋ねる平間には、まるで心当たりが無い。

 殴られたわけでもないし、極端な栄養不良でもなかった。

 倒れる理由など思いつかない。


 すると壱子は神妙な面持ちで言う。


「庭先で、鼠が死んでいたじゃろう。あの時に気付けばよかった」

「どういうことだ? 僕が知らない間に、毒でも盛られていたのか?」

「毒と言われれば、確かにそれに近いじゃろう。しかし毒は毒でも、見えぬし、触れられぬし、嗅ぐことも出来ぬ(たぐい)の毒じゃ」

「……そんなものがあるなら、暗殺が大流行するんじゃないか」

「いや、扱いが非常に難しいのじゃ。なにせ触れることが出来ぬし、見えぬから」


 壱子は「どう説明したものか」と迷っているようだった。

 実際、壱子の行っていることは平間にはピンと来ていない。


 壱子は続ける。


「その毒はいわゆる瘴気(しょうき)の一つじゃ」

「瘴気って……つまり『毒の風』ってことか」

「分かりやすく言えばな。よく温泉などで、鼻に触る”つん”とした臭いをかぐことがあるじゃろう? それも瘴気の一種なのじゃが、今回のは少し違う」

「というと?」

「先程も行った通り、お主が触れた瘴気には臭いが無い。また、扱いは難しいが、発生させることは容易じゃ」

「え、どうやって?」

「火を燃やせばいい。特に木炭などは、良く瘴気(しょうき)が出る」


 平然と言う壱子だが、平間は納得しない。


「それはおかしい。だったら、あちこちで瘴気に(さら)されているってことになるじゃないか」

「その通りじゃ。ただ、瘴気は広い場所では薄まる。だから風通しを良くしておけば何の影響も無い。しかし──」


 そう言って、壱子は遠くを見るような目をする。


「こと、閉ざされた場所ではその限りではない。例えば、地中の穴とか……」

「ということは、僕は抜け穴に溜まっていた濃い瘴気を吸って、気を失ったっていうのか?」

「まさしくその通りじゃ」


 うなずく壱子に、平間は倒れる直前の状況を思い出した。

 確か、抜け穴の入り口の戸を開いたことは覚えている。

 そして瘴気が原因ならば、状況と矛盾しない。


「なあ壱子」

「何じゃ?」

「その瘴気って、一瞬で気絶するようなものなのか?」

「うむ。薄い瘴気ならば徐々に気分が悪くなって気絶するのじゃが、濃いものなら一息で意識を失う」


 無表情に言う壱子に、平間は身震いした。

 そんな毒、避けようが無いじゃないか。


 平間が恐々としていると、壱子は明るい調子で言う。


「しかし幸運だったのは、私たちが二人でいたということじゃな」

「……なんで?」

「だって、あの場に一人でいたら、気絶して瘴気にさらされ続け、終いには死んでおったぞ」

「……本当に言ってる?」

「当たり前じゃ。入り口に覆いかぶさるようにして倒れたお主を、決死の思いで引きずり出したのはこの私じゃ」


 そう言って、自慢気に腰に手をあてる壱子。

 いつもならば苦笑を返すところだが、今回ばかりは素直に感心した。

 壱子の細腕で平間の身体を道上げるのには、相当な苦労があっただろう。


 その時ふと、平間の脳裏に一つの疑問が浮かぶ。


「そう言えば壱子、松月は?」


 平間の問いに、壱子の表情がサッと変わる。

 そして伏目がちに、壱子は言った。


「松月は……所在不明じゃ」

「ということは、やっぱり罠だったか」


 納得した平間だったが、壱子は釈然としない。


「とは、言い切れぬのじゃ」

「どうしてだ?」

「何と言うか、殺意が無いのじゃ……私たちに対して」


 表情を曇らせて、壱子は続ける。


「私や平間を亡き者にしたいのならば、瘴気の仕掛けだけでなく、私兵を配置するべきじゃ。しかしそうしなかったのは、なにか別の目的があったからではないか、と思う」

「それって……」

「考えられる可能性は二つある。すなわち、瘴気が偶発的に発生した場合。そして、狙われたのは私たちではなく、松月であった場合」

「なら、いずれにせよ手紙は本当に松月が書いたってことか?」

「私はそう思っている。ただ、この仮定が正しければ……」


 言葉を濁す壱子に、平間は瞬時に思考を巡らせる。

 仮に、瘴気を使った人物が松月を狙っていた場合、その理由は何だ?


 いや、そんなことより重要なことがあるのではないか。


 平間はハッとして、壱子に言う。


「もしかして、松月はまだ抜け穴の中にいるのか!?」


 その問いかけに、壱子は重々しくうなずいた。


「今、脛折に頼んで忌部省の人間が抜け穴を調べてもらっている」

「結果はいつ分かるんだ」

「お主が気絶してから三刻あまりで、そろそろ結果が出てもおかしくはない。しかし、敵の警戒も瘴気もある中では──」

「よお、お姫さん。愛しの少年の具合はどうだ?」


 軽妙な口調で部屋に入って来たのは、噂をすれば影、脛折である。

 突然の闖入者に、壱子は慌てて平間から離れた。

 もう完全に遅いのだが、それを言うのは無粋だろうか。


 取り繕うように、壱子は言う。


「これは脛折どの、何か進展があったかな?」

「一応な。我が優秀な部下は、例の洞穴の調査を終了した。感謝して欲しいもんだ」

「とっくに感謝してもし切れぬじゃろう? それで、結果は?」

「ありきたりな言い方で申し訳ないが、『吉報と凶報、どちらから聞きたい?』」


 両手を広げてみせる脛折に、壱子は明確に苛立つ。


「どちらでも良いが、まあ、吉報から聞こうか」

「お気に召すままに、お姫さん」

「前から気になっていたが、その呼び方は止めてもらえぬか。既に父の生死すら分からぬ状態じゃ。屋敷にも帰れぬでは、貴族の姫とは言えぬじゃろう」

「まあそう言うな。さて吉報だが、お姫さん、アンタの予想は的中した」

「……こうも嬉しくない吉報は初めてじゃな」


 苦々しい表情で言って、壱子は続ける。


「つまり、松月は死んだのじゃな」


 その言葉に、脛折は小さく息を吐く。

 そして、うなずいた。


──

 今回、壱子が口にした「瘴気」は、現代で言う一酸化炭素に相当します。

 壱子の世界では「空気」という概念が無いため、このような曖昧な表現になりました。

 しかし、換気をせずに火を使えば、当然一酸化炭素中毒になり得ます。

 そのため、皇国でも「どうも火からは悪いものが出ているらしい」ということは経験的に知られていました。


 ちなみに、効率よく一酸化炭素を発生させるには練炭を使うべきですが、壱子たちの時代には練炭が存在しません。

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