第30話「小さき友と紅化粧」
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荒い息を抑えながら、平間は壱子のあとを追う。
幸いにして、壱子の残した目印は分かりやすかった。
分岐のたびに、どちらかの道の端に石が積んであったのだ。
初めこそ「どちらが正解か」迷ったが、次の分岐でまた石積みがあったために迷わずに済んだ。
しかし一番の幸運は、すれ違う人が一人もいなかったことだ。
山道を抜けたところで、岩に腰掛けて休む壱子の姿があった。
壱子は平間を見咎めるや否や、サッと顔を青ざめさせる。
「お主、その血は……!」
そう言って、壱子は慌てて駆け寄る。
壱子が焦るのも無理はなかった。
平間は全身が血みどろだったのである。
「何があった!? あの衛士たちにやられたのか?」
「大丈夫、歩ける程度の軽い怪我だよ」
「馬鹿なことを言うな! その血の量で軽傷なはずがあるか!」
今にも泣き出しそうな声で言う壱子は、平間の身体を何度も触り始めた。
まるで平間が死んでしまうとすら思っているような壱子の表情に、平間は少し大袈裟なものを感じる。
ひとしきり調べ終えて、壱子はホッと息を吐いた。
すぐに命の危険に直結するような傷は、今のところ無かったらしい、
「うう、無理をしおって……とにかく、まずは傷口を洗わねば。それと、着替えを……しかし、ああ、持ちあわせておらぬ。どこかで買えぬかな」
「心配しなくて良いよ。今は先を急ごう」
「ふざけるな! 傷口が膿んで死ぬこともあるのじゃぞ! よいか、まず民家を探して水をもらおう。無ければ川や井戸でも構わぬ」
「でも、この格好を見たら怪しまれないかな」
「怪しまれるじゃろうな。まあ、適当に『イノシシに襲われた』とでも言っておけば良かろう。とにかく早いほうが良い。でないと、悪いものが入って来てしまう」
そう言って、壱子は平間の手を取って歩き始める。
落ち着きなく、そわそわと周囲を見回す壱子。
その姿を見て、平間は壱子が深く尋ねてこないことに感謝した。
おそらく、言わずとも察してくれたのだろう。
追ってきた八人の衛士たちのうち、平間は五人を斬った。
可能であれば一人とて逃したくなかったが、三人が逃げてくれなければ、平間は命を落としていただろう。
追手が来る可能性が高く、また敵の態度を硬化させてしまうだろうが、今の平間にはこれが限界だった。
壱子のそばに立つには、どこまでも役不足だ。
そう、平間は痛感した。
「時に平間、どこか行き先にアテはあるのか? 北に行くと言っていたが……?」
「アテならある」
「どこじゃ? 北に縁のある者などあったじゃろうか」
「黄泉の国だ。悪い賭けじゃないだろ」
「……なるほど、縁起でもないな」
疲れ混じりながらも、壱子はニヤリと笑った。
「では、主街道を避けて進もう。水と寝床も探さねばな」
──
早朝。
小屋を出て、平間は深々と頭を下げた。
「本当に、お世話になりました!」
「おう、ミチコちゃんにもよろしくな!」
「もちろんです! ですがすみません、とんだ寝ぼすけで……」
「良いってことよ、子供は眠るのが仕事だ」
そう言って、無精髭を生やした壮年の男は笑った。
昨晩、街道を避けて進んだ平間たちの足取りは遅かった。
そしてそこには、当然二人のすさまじい疲労の影響もあっただろう。
そんな中で、猟師の小屋を見つけられたのは、奇跡的というべき幸運だった。
山のふもとに建てられた小屋は、帰りの遅くなった猟師が共同で使っているらしい。
戸を叩いた平間に応対した猟師は、非常に上機嫌だった。
聞けば、今日はまれに見る大猟だったのだという。
大いに嘘を交えて平間が事情を説明すると、猟師は同情して小屋に寝泊まりすることを許してくれた。
それどころか、手に入れたばかりの鹿肉を振る舞ってくれたのである。
ただ、壱子は「平間の妹・ミチコ」という偽名を名乗っていた。
猟師の親切心を裏切るような気がしたが、まあ、許容範囲だろう。
ほんの少しの後ろめたさを覚えながら、平間は歩き始める。
その平間の背中で、壱子はまだ寝息を立てていた。
まるで目を覚ます気配がなかったので、平間が背負ってゆくことにしたのである。
──
数刻の後。
陽が最も高くなりつつある頃合いに、平間と壱子は目的地に到着した。
平間がここを訪れるのは、二度目だった。
現世でありながら黄泉の国と謗られる、多くの人は名を呼ぶことも避ける。
「よく来たな、我が友よ」
忌部省の主・脛折臣は、ずんぐりとした顔で歓待の笑みを浮かべた。
どう反応すればよいか迷う平間に、脛折は門をくぐるように促す。
「そう遠慮するなよ。俺にとって、二回も会いに来てくれる奴はすべからく友達なんだ。それがたとえ、お尋ね者であってもな」
「知っていたんですか」
「そりゃ皇都中に手配されているからな。おい、そんなに警戒するなよ。こんな小男がお前さんたちをとっ捕まえても、礼の一つだって出やしないんだ」
「……言っても意味がないかも知れませんが、僕にはもう頼れる人がいません。あなたを信じています」
「藁は藁でも、随分短い藁を選んじまったな。まあ……、とにかく入れ。何か話したいことがあるんだろ」
冗談を交えつつ、忌部省の奥に脛折は歩を進めていく。
平間と壱子は互いに顔を見合わせてから、脛折の後に続いた。
忌部省の中に入り、門が閉まった。
──
忌部省の庁舎は、あまり掃除が行き届いていないようだった。
木の柱はたっぷり湿気を吸っているようで、また畳は何となく濡れているような感触さえある。
「まあ、気にせず座れよ」
阿と吽が置いた座布団を指して、脛折は平間たちに促した。
そうそうに腰を下ろした壱子に対して、平間は脛折と唖の双子に会釈してから座布団に座った。
部屋の奥にある低い机に腰掛けて、脛折が切り出す。
「で、何が望みだ? 友人よ。俺と一緒に、人の体のお勉強でもするかね」
おどけた調子で尋ねながら、脛折は平間と壱子の顔を交互に見る。
すると、壱子が口を開いた。
「単刀直入にお願いしたい。要求は三つじゃ」
「話が早くて良いな。聞こう」
「一つ、私と平間をしばらくこの場所にかくまってくれ」
「ほうほう。次は?」
「二つ、阿か吽のどちらか、あるいは両者を貸して欲しい。皇都の情勢を知るために、少し動いて貰いたい」
「ふむふむ、それで?」
「三つ、私達がここにいるということは、出来れば口外しないで頂きたい」
「なるほど。で、見返りは何を期待すればいいのかな?」
「見返りは一切無い。気が向いた時に肩くらいは揉むが、その程度じゃ」
「そうかそうか、よく分かった」
相変わらず軽妙に言うと、脛折は自分の顎の髭を撫で始める。
沈黙。
そしてしばらく後に、脛折はぴんと人差し指を立ててみせる。
「よし、お答えしよう。友人が相手だからな、真摯に検討させてもらった」
「感謝する」
「だが、まず一つだけ聞かせてくれ。お姫さん、アンタの頭の中には医事方(※)の蓄えている情報が全て詰まっているというのは本当か?」
「本当も何も、イジカタとは何じゃ? 人の名か?」
「とぼけなくて良い。質問と言ったが、これはどちらかというと確認だ」
「……確かに事実じゃ。が、最新ではないし、私が嘘をつく可能性もあるのではないか?」
「最新でなくても構わないし、お姫さんが嘘をつくことは絶対に無いと断言できる」
「む、なぜじゃ?」
「アンタは嘘がヘタだからだ」
(※医事方:皇国の部署の一つで、医学・薬学の情報を管理している。その存在意義が「帝の長寿を支えるため」であることから、極端な秘密主義であり、有益な情報であっても外部にはほとんど知られることはない。)
小さく口角を上げる脛折の言葉に、壱子は苦笑する。
「それを、何処で聞いたのかの?」
「じきに分かる。さて、本題に入ろう」
脛折は机から立ち上がると、平間と壱子のすぐ傍に、どかりと座る。
「まず見返りについてだ。俺が今まで死んだ人間に触れてきて、どうしても一人では調べきれないことがいくつもあった。それをお姫さんが知っているのなら、教えて欲しい。期限は特に設けない」
「というと?」
「全てが元通りになった後で、その都度聞きたいことを聞く。そして、その都度教えてくれ。可能か?」
随分と控えめな要求だ、と平間は思った。
それをよそに、壱子は間を置かずに承諾する。
「分かった。しかし驚いたな、私の知ることを全て教えろ、とでも言うのかと思っておったが」
「俺はアンタみたいに馬鹿げた記憶力は持っていないんだよ。それに、興味のないことには興味が無いしな」
そう言って、脛折は阿に何やら目で合図を送る。
阿は頷き、部屋から出ていった。
もしや、と思い、平間の身体に緊張が走る。
が、脛折は変わらぬ調子で続けた。
「では報酬の折り合いがついたところで、お姫さんの要求について答えよう。要求は三つ、アンタ方を匿うこと、双子を貸すこと、そしてアンタらの居場所を誰にも言わないこと、だったな」
三本指を立てる脛折に、壱子はうなずく。
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