第23話「いたずらうさぎと白ごはん」
──
紬は待ち構えていた衛士たちに向かって、間延びした声で言う。
「もしもーし、命令通り、壱子さまをお連れしましたよ〜」
それに応えたのは、衛士の集団の奥から出てきた男だった。
「ご苦労。やはり正確な仕事ぶりだな」
よく見知った顔。
田々等だ。
──つまり、紬は田々等と共謀して壱子を捕らえようとしているのか。
とっさに平間はそう判断する。
それからの平間の行動は迅かった。
敵は紬と衛士たち。
最大の懸念は壱子の安全である。
しかし敵の性質から、彼らが壱子に危害を加えることは無いと判断する。
つまり、多少の武力行使は許される。
大きく紬に踏み込み、同時に抜刀。
狙うは紬の顔面。
そうすれば、壱子が巻き添えを食わない高さになる。
「待て平間!」
壱子の声。
だが今この状況で、待つ理由は一切ない。
左、立ちはだかる衛士が突き出した槍を、穂先を払って躱す。
衛士が体勢を崩し、それを平間は身体を当てて弾き飛ばした。
──
平間は、決して才能に恵まれた人間ではない。
かと言って、取り立てて器用であったり、飲み込みが早いわけでもない。
近衛府に入り、隊長格になったのも、壱子の肝煎りがあったが故だ。
しかし、平間はどこまでも生真面目で愚直だった。
他人に謗られる何倍も、実力不足を自覚していた。
陰で指差される回数の何倍も、何も持たぬ自分を恥じて眠れぬ夜を過ごした。
そんな彼であるがゆえに、平間は誰よりも努力を怠らなかった。
時間があれば練武場に足を運び、徹底的に自分を苛め抜いた。
そして気付けば、平間を笑うものはいなくなっていた。
──
次いで、右から二人。
雑に振り下ろされた槍を掻い潜り、一人目の鼻っ柱に柄を叩きこむ。
飛び散る血を頬に浴びながら、平間は二人目を一瞥する。
その衛士は顔を青くして、見るからに恐怖していた。
「邪魔だ!!」
平間が一喝すると、相手は身動ぎして一歩下がる。
衛士たちには、戦意などなどもとより無いのだ。
その隙に、平間は紬との距離を詰める。
間合いに入ると同時に、平間は紬の頭部めがけて刀を薙ぐ。
が、手応えはない。
間一髪で紬が躱したのだ。
そう気づくと同時に、平間の眼前に槍の鋒が現れる。
とっさに後退した平間だったが、紬は壱子を連れて衛士の中に下がってしまった。
引きつった笑みで、紬が振り向く。
「あーあ、傷つくなあ。アタシ、結構京作さまと仲良くやってきたつもりだったんですけど。何の迷いもなく刃を向けられちゃうなんて」
「ふざけろ! どっちが──」
「あ、動かないでくださいね。定型文ですけど、壱子さまがどうなっても良いんですか?」
そう言って、紬は短刀を抜いて壱子につきつける。
その短刀は、壱子が紬に贈った守刀だった。
「上手く使うではないか。贈った甲斐があったというものじゃな」
ぎこちない笑い、軽口を叩く壱子、
しかし、紬は言葉を返さない。
平間は迷った。
この状況では、壱子の奪還は不可能だろう。
……仕方がない。
ほんの一瞬の逡巡を挟んで、平間は撤退の決断を下す。
その刹那、平間の後頭部に鈍い衝撃が走る。
反射的に振り向く平間の額に、もう一撃。
背後にいた衛士が、とっさに攻撃を加えてきたのだ。。
平衡覚が失われ、平間の顔に地面が衝突してくる。
うつ伏せに倒れたのだと理解した時には、さらに頭部にもう一撃。
ぐわりと視界が歪み、意識が遠くなる。
「本当、京作さまって人が良くて、鈍いんですね。おかげで助かりました」
遠くに、紬の声が聞こえた。
「でもまあ、悪く思わないでください。そういうところも大好きでしたよ。もちろん、壱子さまも」
皇国広しと言えど、これほど信用できない言葉は無い。
そう思いながら、平間は意識を手放した。
──
湿ったものが頬に触れる感覚と、不快な湿気。
それが、平間が最初に取り戻した感覚だった。
次いで、後頭部の鈍痛に、手首と肩の違和感。
いくつもの不快感に顔を歪めながら、平間はゆっくりと目を開ける。
暗い。
……が、やがて目が慣れてくると、錆びた鉄格子が目に入ってきた。
平間は、その鉄格子に見覚えがあった。
ただし、”こちら側”の景色ではなかったが。
「近衛府の……地下牢か」
「せいかーい。流石ですね」
不意に聞こえてきた耳慣れた声。
その持ち主を一瞬で特定した平間は、怒りに身を任せて跳ね起きる。
「紬……!!」
「そんなに睨まないでくださいよ。怖いじゃないですか」
いつもと全く変わらぬ調子で紬は言い、手に持った握り飯を一口頬張った。
檻の中で、平間は今の状況を確認する。
ここは近衛府の地下牢で、自分は閉じ込められている。
貧者の森で気絶した後、ここに運び込まれてきたらしい。
手首は後ろ手に縛られている。
足首も動かないから、そこも縛られているのだろう。
檻の広さは一間四方くらい。
ぬかるんだ床に、申し訳程度のゴザが敷いているだけで、居心地はひどく悪い。
檻の外で木箱に腰掛け、紬はのんびりと口を開いた。
「ところで京作さま、お腹すきません?」
「そんなことはどうでも良い。壱子はどこだ」
「……はぁ、こんな状況になっても壱子さまですか。少しはご自分の心配でもしたらどうです?」
「ごちゃごちゃ言うな、裏切り者め!」
湧き上がる怒気を、平間はそのまま言葉にしてぶつける。
すると紬は一瞬だけ、泣きそうな顔になった。
しかしすぐに、不敵な笑みを作って言う。
「だから言ったじゃないですか、アタシは裏切ってなどいないって」
「詭弁だ」
「認識の相違、と言って欲しいですね」
そう言って握り飯をかじる紬は、悪びれる素振りすら見せない。
「アタシに言わせれば、今回の出来事でそんなに怒られる筋合いはありません」
「何を言っている?」
「だから、裏切ると言うのは、味方だった者が背くことをいうんです。でもアタシの場合は違います」
「始めからそのつもりだったってことか?」
「というより、アタシは京作さまと違って、ずっと左近衛府に籍を置いていました。『クビになる』とは言いましたけど、『クビになった』とは言わなかったでしょう? 嘘は吐いていません」
平然と言ってのける紬に、平間は押し殺すように言った。
「そうだとしても、僕や壱子にとっては裏切りだった」
「あっそうですか。それは失礼しました」
「それで、壱子はどこにいる?」
「教えられません。ですが、黄泉の国ではありませんよ。二重の意味でね」
二重の意味、というのは、忌部省のことを指しているのだろう。
淡々と話す紬は、嘘を言っているようには見えなかった。
それに仮に嘘だとしても、今は確かめる術がない。
平間は話題を変えることにした。
「…… 刀の血糊も、紬、君がやったんだろう」
「正解! ちなみにあの血は、お屋敷の裏で飼っていた鶏のものです。京作さまの刀はあらかじめ隠しておいて、侍女の方々含めて全員が避難した後、ばっさりと。亡骸は適当に処理しちゃいましたけど、勿体無かったですかね?」
「北の貧民街に誘い込んだのも、君か」
「そうですね。あ、でもさすがに爆発と人殺しまではアタシじゃありません」
「誰がやった?」
「知りませんよそんなの。火薬の扱いなんて教われば誰だって習得できそうですし、衛士を二人斬るのだって、少し腕があって隙を突けば可能なんじゃないですか。それこそ、京作さまにだって出来ると思いますよ」
明るい調子で、紬はよく喋った。
その態度に、平間は何か引っかかるものを感じる。
「……いやに饒舌じゃないか」
「あー、そうですかね? まあ、もとからお喋りが好きなんで。特に京作さまとは」
「それも嘘だろ」
「ヤですね、アタシ、京作さまに嘘を吐いたことなんてありませんよ?」
「それが嘘だろ」
「……そうかも知れません。自信なくなってきました」
そう言って、紬はけらけらと笑う。
彼女がいつものように話すので、妙に緊迫感がない。
「誰に言われた?」
「何がです?」
「とぼけるな。君が勝手に裏切ったわけじゃないだろ」
「だから、裏切ってませんってば……いくら京作さまでも、それは教えられません」
紬は困ったように肩をすくめる。
しかし、平間としても引き下がるわけにはいかない。
いま居る場所と紬の口振りからして、恐らく紬は近衛府の命令を受けて動いていた。
となれば、選択肢はかなり絞られる。
「田々等か?」
「冗談にしては面白すぎますよ、京作さま。アタシが言うのも変な話ですが、あれは小物です」
「なら──」
「ご想像にお任せします。ところで京作さま、お腹すきませんか?」
「さっきから何なんだ?」
「おにぎり持ってきたんですよ。食べます?」
言いつつ、紬は竹の皮の包みを差し出す。
正直なところ、平間は空腹だった。
しかし、素直にうなずくのは癪でもある。
「そこに置いておいてくれ。後で食べる」
「いいですけど、どうやって?」
「何?」
「手足が縛られている状況で、どうやって食べるんです? 置いておくにしたって、地面は濡れてべしょべしょですけど」
「……」
「……お腹すいてるんですね。はい、あーん」
紬は自分で包みを開けると、握り飯を取り出し、格子越しに平間に差し出した。
「何のつもりだ」
「こうするしか無いでしょう? 嫌なら持って帰りますけど」
「……縄を解いてくれ」
「駄目です。元近衛府小隊長だったら、格子の開け方を知っているかも知れませんから」
紬の主張は、悔しいが理にかなっていた。
事実、平間は格子を枠から外す方法を知っている。
屈辱的だが、食べられるときに食べておくべきだろう。
紬の差し出した握り飯に、平間はかじりついた。
「美味しいですか?」
「……握り飯は何個ある?」
「五個ですけど。いくつ食べますか?」
「全部だ」
無心に握り飯を咀嚼し、嚥下する。
一刻も早く、壱子のもとに行かなくてはならない。
そのためには、今できることをしなければ。
そう決意した平間は、紬の指に付いた米粒まで舐めとる勢いだ。
結局、紬は自分に命令した人間を言わなかった。
しかし、近衛府を私物化して動かせる人物は限られている。
近衛府の上位にいる貴族としては、弥勒間、室朽、笹谷歌の武門御三家が挙げられる。
ただ状況から判断して、おそらく黒幕は──。
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「やはりお主か」
平間よりも何段も上等な牢──座敷牢の中で、壱子は格子の向こう側に立つ相手を睥睨した。
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