第22話「青き茨と仕込み針」
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裾が擦り切れ、垢の浮いた衣服と、そこから覗く骨ばった身体。
それらから察するに、女はこの辺りに住む貧しい民なのだろう。
うつ伏せに倒れる彼女の背中には、肩から脇腹にかけて、大きく斬られた痕があった。
恐らく、逃げようとした女を、背後から斬りつけたのだろう。
平間はとっさに周囲を見回す。
が、やはり人影は無い。
目撃者を得ることは出来なさそうだ。
単なる通り魔か、それとも爆発事件の犯人が口封じのために女を殺したのか。
平間にはその判断がつかなかった。
しかし。
「壱子さま、あれ……」
おもむろに口を開いた紬。
彼女の指差す先には、なおも点々と続く火薬の跡と、それに並行して滴り落ちた血痕がある。
そうやら、後者だったらしい。
「口封じか。罪に罪を重ね、あまつさえ無辜の民を手に掛けるとは……許せぬ」
明確な怒気をにじませて、壱子は吐き捨てるように言う。
何処までも根が純粋な壱子は、弱いものを虐げる邪悪が大嫌いだった。
そして、それは平間とて同じである。
壱子は平間の顔を見上げて言う。
「平間、弔いは後回しとする。このままでは、さらに多くの死者が出るかも知れぬ」
「同感だ」
「良し。紬もそれで良いか」
「もちろんです。壱子さまの向かわれる場所が、私の行先ですから」
そう言って、紬は明朗にうなずく。
すると壱子はニヤリと笑う。
「なんじゃ、らしくないではないか、紬」
「……何がです?」
紬の問いかけを、壱子は微笑んで無言で流した。
「では行こう。二人とも、敵は武器を持っておる。気を抜くな」
言うが早いか、壱子は血痕と火薬の示す方へ駆けて行く。
その後を追う平間だったが、やはり妙なざわつきは残ったままだ。
何と表現すればいいだろう。
まるで、何者かにゆるく心臓を掴まれているような、そんな気持ちの悪さだ。
三人が更に進むと、開けた広場に出た。
ここまで来て、未だ生きた人間と出会っていない。
今まで平間がここに来た回数はそう多くないが、こうも閑散としている場所では無かったはずだ。
やはり、何かがおかしい。
平間が訝しんでいると、壱子が右の袖を引いた。
「平間、またじゃ……」
震える声で言う壱子。
その視線の先には、建物にもたれるようにして動かない二人の男がいる。
服装からみて、彼らは衛士(※)のようだった。
そして地面にはやはり、生存を絶望させるほどの血だまりが出来ていた。
その中には、彼らの持っていたらしい槍が、無造作に転がっている。
(※衛士:戦闘から労役まで幅広い雑務を行う、皇国の下級兵士。多くは平民の出身。自発的に衛士となる者の他に、税である労役の一環で職務に当たる者もいる。)
壱子は息を荒くして、二人の衛士に近づいていく、
そしてそっと彼らの首筋に手を触れると、まもなく首を横に振った。
「やはり駄目か……。それにこの鮮やかな斬撃、只者ではない」
壱子の言う通り、二人の衛士はそれぞれ腹と喉を斬り裂かれていた。
創口からあふれる血液は、まだ耐えていない。
平間たちが到着する直前に、二人は殺害されたとみるのが妥当だろう。
その時、平間の視界の隅に、割れた小さな壺が入った。
壺の中には黒い粉が入っている。
それが今まで追っていた火薬と同じものだと気付くのに、そう長い時間はかからなかった。
しかしこれでは、まるで平間たちが火薬を持って逃げ、遭遇した衛士たちを殺したように見えるのではないか──。
そう思った矢先。
「お前たち、ここで何をしている!」
その声に振り向くと、四人の衛士が平間達に向けて槍を構えていた。
彼らの表情は緊迫していて、完全にこちらを警戒している。
その誤解を解こうと、平間は明るい調子で切り出す。
「良かった、実は──」
「おい、動くな! その男たちは……お前たちが殺したのか!?」
「まさか!」
平間は無実である証拠を見せようと、自分の腰に差した刀を抜いてみせる。
曇り一つ無い刀身を見れば、衛士たちも納得してくれるだろう。
と、思ったのだが。
「貴様、やはり──!!」
「は? え、何だこれ……!?」
平間の刀には、ぬらりと光る赤黒い血が付着していた。
べったりと刀身にまとわり付くそれは、糸引くほど生々しい。
想定外の出来事に、平間の頭は真っ白になる。
「ちょっと待ってください、これは……」
平間は弁明しようとする。
が、衛士たちは警戒を緩めようとはしない。
それどころか、仲間同士で口々に囁き合っている。
「なあ、あれって命令にあった火薬じゃないか?」
「だったら、例の爆発も……」
「間違いない、あいつらだ」
衛士たちは、平間たちが人殺しだと判断したらしい。
槍の穂先をこちらに向け、じわりじわりと平間たちを取り囲むようにして近づいてくる。
何が起きているのか、平間にはサッパリ分からなかった。
なぜ、刀に血が付いている?
日頃から、刀の手入れは欠かせていない。
そして平間は、もう随分と人を斬ってなどいない。
ゆえに、刀に血が付いているはずはなかった。
衛士たちの反応は、至極当然のものだ。
どうすれば彼らに自分の無実を理解させられる?
いや、それよりもまず、壱子の身の安全を優先しなければ──。
「京作さま、何を呆けているんですか!」
紬の一喝で、平間はハッと我に返る。
まずは冷静にならなければ。
分からないことだらけが、ならば確実なことを整理しよう。
一つ目。おそらく今、衛士たちの誤解を解くのは無理だ。
次に二つ目。平間の刀に血液を付着させた者がいる。
そして三つ目。おそらく、平間たちは今、何者かに罠にはめられようとしている。
となれば、結論は一つしか無い。
「二人とも、一刻も早くここから離れるぞ!」
「分かりました!」
勢いよく紬はうなずく。
が、壱子はジッと死んだ衛士を眺めていた。
不測の事態に、固まってしまったのだろう。
だが無理もない。
そもそも、壱子は死体を見慣れてすらいないのだ。
平間はとっさに壱子を抱え上げる。
運動音痴の壱子ならば、こうしたほうが速いだろう。
「京作さま、付いて来てください! 多少の土地勘ならあります!」
「ああ、頼む!!」
紬に続いて、平間は駆け出す。
「逃げたぞ、追え!」
背後からは、衛士たちの足音が響く。
彼らの一人、小隊長らしき衛士が言った。
「本部に伝令だ。佐田の姫と貴族の従者が逃走している。屋敷の爆破のみならず、二名の衛士を殺害した。非常に危険だ。屋敷に逃げ込んで手が付けられなくなる前に、捕らえるんだ!!」
──
平間、壱子、紬の三人は、打ち捨てられた廃屋の中で静かに息を潜めていた。
すぐ近くを、複数の足音がせわしなく通り過ぎていく。
それらが聞こえなくなってから、平間はそっと口を開いた。
「撒けたか……?」
「おそらくは。しかし京作さま、急がねばなりません」
「というと?」
「アタシたちが採れる現時点での最善策は、壱子様のお屋敷に戻ることです。そうすれば、さすがに近衛府もやすやすとは手出しが出来ません。その間に玄風さまに動いていただき、アタシたちの無実を証明してもらうのです」
「時間稼ぎ、ってことか」
「ええ。玄風様という武器がある以上、今回ばかりは『逃げるが勝ち』です」
紬が緊張した面持ちで言う。
平間が壱子に視線を向けると、壱子は黙ってうなずいた。
それを見て、紬が切り出す。
「では、善は急げです……と、言いたいところですが、急がば廻れという言葉もあります。そして経験上、どちらの言葉も真実です」
「だったら、どうするんだ?」
「決まっています。両方です」
聞き返した平間に、紬はくいっと口角を上げる。
「恐らく、向こうもこちらがお屋敷に戻ることを想定してます。なので、今から南に向かうのは危険でしょう。衛士が多く配置されているでしょうから」
「だったら、北か」
「そうです。幸い、北には貧者の森があり、アタシには土地勘があります。衛士たちも、有象無象うごめく貧者の森には、手を出しにくい」
「こちらに有利で、相手に不利な土地、ということか」
「まさしくその通りです。ですので、アタシたちはまず貧者の森に入り、その後迂回してお屋敷に戻ります。時間が経つにつれて配備される衛士も増えるでしょうから、可能な限り素早く行動しなければなりません。よろしいですか、壱子さま?」
「無論じゃ。そうと決まれば、さっそく出発しよう」
短く答えて、壱子は腰を浮かす。
その顔にはうっすらと疲労の色が滲んでいた。
平間は廃屋を出て、周囲を見回す。
やはり近くに衛士はいないようだ。
後に続いて、壱子と紬が出てくる。
「では壱子さまは私のそばに。京作さまは何が起きても対処できるよう、利き手は空けておいてください」
「分かった」
平間がうなずくと紬は壱子の手を取って歩き始める。
道を知っているのは紬だ。
故に彼女が先導するのは当然だが、それに壱子がくっついているのは少々芳しくない。
が、壱子がそばにいては平間が自由に動けないのもまた事実だ。
次善の策としては、許容範囲だろう。
だがそれ以上に、やはり何かが引っかかる。
「紬、壱子を恨んでいる貴族に心当たりはあるか?」
「どうしてそんなことを聞くんです?」
「爆発と言い、女の人や衛士の死体と言い、出来過ぎている。まるで、誰かが壱子を罠に嵌めようとしているように見える」
「なるほど……ですが、壱子様を恨んでいる人物となると、あまり見当がつきませんね」
「なんだ、紬なら知っていると思ったのに」
「そうではなく、いくらでもいる、という意味です」
言葉を切り、紬は路地を一つ右に曲がった。
傾きかけた陽を背にしているから、ちゃんと北に向かっているのだろう。
「恵まれた人間というのは、それだけで人の恨みを買ってしまうものです。そう言う意味では、壱子様ほど妬まれている方はいないかも知れません」
「言われてみれば、そうか」
「それに、そんな漠然とした話でなくても、壱子様の下にはひっきりなしに縁談が来ていて、それらをことごとく断っているじゃないですか。向こうが勝手に傷ついて、勝手に恨んでいても不思議ではないでしょう」
「……自分勝手な話だな」
「そうですとも。人は誰しもが自分勝手です。自分の利益のためなら、他人をどうしようが構わない。そんなふうに思っている人は、案外少なくないんですよ」
紬はさらに一つ、路地を曲がる。
その時ふと、平間の脳裏にある仮説が浮かんだ。
ことの始まりは、壱子の保管していた火薬が盗まれたこと。
その火薬の存在は、壱子と侍女の紫、それに火薬を売った商人のみが知っていた。
しかし、”皇国に持ち主不明の火薬があること”ならば、近衛府の田々等も知っていた。
と、平間は思い込んでいた。
仮に、田々等が”壱子が火薬を持っていること”を知っていたのだとしたら。
田々等が壱子に火薬の話題を出したことが、ほんの気まぐれではなく、意図したものだとしたら。
……どうやって田々等はその情報を得たのか?
『そこの紬さんが貴女にお仕えしたことで、近衛府の情報収集力はほとんど変化していません』
田々等のあの言葉を、平間は”近衛府が強力な情報収集能力を持っていて、紬が抜けただけでは影響がない”という意味だと思っていた。
しかし、そうでは無かったら?
もしかすると、あれは”紬が現在も近衛府に情報を提供している”という意味なのではないか。
その場合、そもそもの前提が崩れるかも知れない。
壱子に仕えれば、壱子の屋敷に入ることは非常に容易だ。
そして、敷地内の蔵の中身を見ることも、現実的に可能だろう。
つまり、紬は十分に知りえたのだ。
壱子が火薬を保管していることを。
同時に、これまでの違和感の数々が稲妻のように繋がる。
平間の刀が血塗られていたのも、ゆく先々で死体が見つかるのも、これで全て説明がつく。
となれば、黒幕は……。
いや、そんなことより──!
先行する紬は、また曲がり角を折れる。
「紬、壱子から手を離せ!!」
平間が叫ぶと同時に、紬は足を止める。
曲がり角の先には、貧者の森へと続く開けた道。
と、百名余りの衛士の姿があった。
「危なかった……なんとか間に合いました」
紬は平間に背を向けたまま、ホッとしたように言う。
衛士たちが槍を構える。
「ごめんなさい、京作さま。こうするしか無かったんです」
平間の背後からも、数人の衛士が現れる。
退路が経たれた。
「紬、裏切ったのか?」
「まさか」
「だったら──!」
「その言葉遣いは正確ではありません。裏切るとは言わないじゃないですか」
そう言って振り返った紬は、薄く冷たい笑みを浮かべていた。
「だって、初めからアタシは味方じゃないんですもの」
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