第20話「不穏の狼煙と板挟み」
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田々等は借りてきた猫のように縮こまって、見るからに落ち着かない様子だ。
その姿に平間が少し同情していると、田々等はおずおずと壱子に言う。
「ええ、それは認めます。しかし方法が良くなかったのです」
「毒酒のことか?」
「ええまあ、はい。近衛府内部には『そのような姑息な手を使うなど、近衛府の品位を下げる』という意見もあり……」
「意見、か」
壱子は不服そうに顎を撫でる。
「しかしじゃ。貧者の森の野盗は、今まで他の隊では手が負えなかったのじゃろう? 単なる僻みだとは思わぬか?」
「そう言われましても……」
田々等の態度は、一貫して曖昧なものだった。
状況から察するに、どうやら壱子が田々等を屋敷に呼んだらしい。
以前「口利きをしておく」と言っていたが、それが功を奏さなかったようだ。
「つまり、お主にはどうすることも出来ぬというわけか?」
一度は語気を強めた壱子だったが、早くも諦めの色が混じっていた。
それをいち早く感知したらしく、田々等は少し元気になる。
「そうなのです! なので、今日はこの辺で失礼を──」
「まあ待て」
そそくさと腰を浮かそうとした田々等を、壱子が短く制した。
田々等は大人しくもとの位置に戻る。
「まだ何か」
「水臥小路か?」
「何の話です?」
「とぼけるでない。平間の再仕官を妨げているのは、水臥小路かと聞いておる」
「なぜ、そう思うのですか」
「平間に佐田の息がかかっているのは、もはや周知の事実じゃ。そして近衛府を牛耳っているのは水臥小路で、佐田と水臥小路は仲が悪い」
「確かに、最低限の説得力はありますね。ですが、『ご想像にお任せする』としか申し上げられません」
「お主の立場のためか」
「ご理解が早くて助かります」
田々等がうやうやしく頭を下げると、壱子はふん、と鼻を鳴らした。
つまり、水臥小路惟人が平間の再仕官の障壁となっているというわけだ。
壱子はつまらなそうにため息をつくと、今度は田々等が壱子に切り出した。
「ところで、壱子さまは噂にはお詳しいですか?」
「さあ? 特に耳聡い方ではないとは思うが」
「ご謙遜を。右大臣さま(※)の二の姫さまは大変聡明だと、この皇都に住むものは皆、知っております」
「それこそ『お主の想像に任せる』。おだてても何も出ないぞ」
(※:壱子の父・玄風のこと。)
壱子はつまらなさそうに言う。
が、それを気にする素振りを田々等は見せない。
「では肯定の意と受け取らせていただきます。実は、陽樂の港(※)に、まとまった量の火薬が荷揚げされました。その一部は近衛府やいくつかの国府に運び込まれましたが、中には所在が掴めないものもあるのです」
「ほう?」
「その量は、大きな壺で二十、ないし三十ほど。どこにあるか、ご存知ありませんか?」
「……私が知りたいくらいじゃな」
(※:陽樂港は皇都の東部にあり、皇国最大級の港町である。)
それはまさしく、壱子の本意だろう。
壱子の眉間に、うっすらとシワが刻まれる。
「確かに私は火薬を購入した。しかし、そんな大量の火薬は保管しておらぬ」
その台詞は嘘ではないが、真実を伝えてはいない。
後ろめたいのか、壱子はさっさと話を続ける。
「しかし、火薬の購入は私も細心の注意を払って表面化しないようにしたのじゃが、近衛府はどのようにしてその情報を得たのかな?」
「それはお伝え出来ません。いくら相手が右大臣様のご息女であってもです」
「機密ということか?」
「そのとおりです。ただ、火薬の情報は皇都の治安維持のために至極重要であるとは言えます」
「ならば、そこの巻向紬が私に仕えるようになったのは痛手だったのではないか?」
「と、申されますと?」
「あやつの情報収集力は群を抜いておる。この前など、|貴族の情報(※)を十把一絡げにして持って来おったぞ。おかげでこれからの折衝の材料が増えた。まあ、それがどんな内容なのかは聞いておらぬが……」
(※:花街の貸部屋を使っていると思われる貴族の名前、およびその密通相手の情報。平間が抜け穴を見つけたことで相対的にその価値は下がったものの、これらの情報はなお高い価値を持つと思われる。)
そう言って、壱子は得意げに笑う。
しかし、田々等の反応は冷めたものだった。
「左様でございますか」
「なんじゃ、興味が無いのか」
「見ての通り、私は貴族の方々の権力争いにはうんざりしているのですよ。貴方の従者が優秀だということは、私も認めています。あれ以来、私の睡眠時間もごっそり削られるようになりましたしね」
「であれば、平間と紬を戻せばよかろう?」
「ですから何度も申し上げているではないですか。それができれば苦労しません」
田々等は肩をすくめて苦笑する。
壱子と少し話して安心したのか、随分と緊張がほぐれてきたらしい。
「ともかく、そういうわけなのです。私も最大限貴女や平間くんのお力になりたいし、それが正しい道であるとも思います。が、正しいというだけでは物事は動かないのです」
「……そのようじゃな」
「いずれにせよ、『そこの紬さんが貴女にお仕えしたことで、近衛府の情報収集力はほとんど変化していません』。私がお教え出来るのは、これが精一杯です」
「む、それほど近衛府には人材が集まっているのか?」
「まさか。近衛府はいつだって人手不足ですよ」
さらりと言って田々等は立ち上がる。
今度は、壱子も止めなかった。
田々等は紬を一瞥し、短く「では、またいずれ」と声をかける。
紬も軽く会釈を返すが、平間は妙に紬が表情に乏しいのが気になった。
部屋を出ようとする田々等に、壱子も立ち上がって声をかける。
「田々等殿、足労をかけた。忙しい中、申し訳ない」
「いえ。こう言っては失礼かも知れませんが、良い気分転換になりました。私にも遠方の郷に妻と娘がおります」
「なんと、そうだったのか」
「とは言っても、もう半年あまり顔を見ておりません」
「そうか……」
「しかしお陰様で、貴女と同じ年頃の娘を思い出すことが出来ました。何より大切な存在であっても、時は記憶を薄めてしまいます」
困ったように笑って、田々等は小さく頭を下げる。
その時、部屋の障子が開いて、若い侍女が飛び込んできた。
「壱子さま、壱子さま! 一大事でございます!」
「いったい何事じゃ、客人の前で」
「申し訳ありません……ですが!」
「とりあえず落ち着け。要件は何じゃ」
壱子が諭すと、若い侍女は口をぱくぱくさせて大きく呼吸する。
そして、ようやく次の言葉を続けた。
「近所の、枕草さまのお屋敷から、火の手が!」
「……は?」
「一部始終を見ていた門番さんによると、突如として激しい炎と火花が上がった、とのことです! 危険ですから、壱子様もお逃げください!」
「なるほど、相分かった。お主らも逃げる手はずを整えよ」
「は、はい、分かりました!」
若い侍女は何度もコクコクとうなずいて、大きな足音と共に部屋を後にした。
壱子は田々等の方を見て、引きつった笑みを浮かべる。
「朗報じゃな田々等殿、火薬の在処が見つかったかも知れぬぞ」
「そのようですな。大変喜ばしい」
そう言う田々等の表情も、やはり引きつった笑みだった。
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