第12話「おとぼけ貴族とはたらき蟻」
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前回のあらすじ。
脛折のによる腑分けの結果、射月は首を絞められたことによる窒息で死亡した……のではなく、溺死であると判明した。
それだけでなく、射月の身体には度重なる暴行の痕があった。
壱子はさらなる情報収集が必要だと考え、向かう先は……。
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「……で、私のところにやってきたわけですか」
「そうじゃ。射月の身体に残された無数の傷跡と、射月の死は無関係と思えぬ」
「と、申されましても、困りましたね……」
壱子に迫られ、困り顔で目を泳がせるのは、朝霧である。
射月の腑分けが行われた翌日、壱子は水臥小路家の屋敷に足を運んでいた。
水臥小路家の双姫・依織と詩織に仕える朝霧は、同僚のなかでも最も古株の一人だ。
真面目そうな仕事ぶりの彼女であれば、射月のことを何か知っているかも知れない。
そう、壱子は踏んだのだ。
壱子は依織とその母親に許可を取り、朝霧を水臥小路家の客間に呼び出した。
同席するのは朝霧のほか、壱子、平間、松月の三人。
松月がいるのは、壱子や依織が犯人だと疑っている詩織とその母親に配慮した形だ。
とはいえ、壱子はすでに松月を懐柔しつつあるのだが……。
部屋の奥に座った壱子は、下座に腰を下ろした朝霧に持参してきた菓子を出し、あくまで気軽な雰囲気で尋ねる。
「で、どうなのじゃ。知っていることは何でもいい、教えてくれ」
「そうですねえ……いえ、本当に素敵な方でしたよ。真面目で優しくて。ただ……」
「ただ?」
壱子の目に鋭い光が宿る。
と同時に、朝霧が明確に身構えた。
「その前に、腑分の結果をお聞かせ頂いても良いですか?」
「無論構わぬが、概要は先程申した通りじゃ。射月の死因は溺死で、首の索状痕(※)は偽装じゃ。そして体中には多様で執拗な暴行の形跡が残されていた。それも服を着ていれば見えぬ場所に」
(※:紐や縄などの細長いものによって付けられた痕のこと。)
それを聞いて、朝霧はにわかに不快感をあらわにした。
壱子は目聡くその変化を感じ取り、前のめりに尋ねる。
「やはり気になるか、それが」
「そうですね、どうしても……。やはり貴族の方にお仕えする者は虐げられることが多く、かりに命を落としたり大怪我したりしても、素知らぬ顔をされることがほとんどです。貴族の方々は、私達平民を人間扱いしては──あ、これは失礼を! お許しください」
「よい、お主の言うことはもっともじゃ。では逆に問おう。射月の身体に残された傷跡に、何か心当たりはないか?」
「残念ながら……」
「そうか。では朝霧、お主ら侍女の一人、あるいは複数人が、射月を陰で虐めていた可能性は無いか」
「ありません。と、言いたいところですが、無いとは言えません」
顔をこわばらせる朝霧に、壱子は努めて柔らかい表情を作り、身振りで菓子を勧めた。
おそるおそる菓子を一口含んだ朝霧に、壱子は黙って次の言葉を待つ。
朝霧は言う。
「以前にも、詩織さま付きの侍女が辞めてしまったことがありました。理由は話してくれませんでしたが、侍女の間で何かがあった可能性は否定できません」
「しかし朝霧、お主はこの屋敷に勤めてから長く、侍女を取りまとめる立場にあるのじゃろう?」
「ええ、ですが監督できる範囲にも限界があります。私自身、非番の日はお屋敷を離れることもございますし、私一人の目は、あまり信用できるものではありません」
「なるほど、正直じゃな」
「平民は正直でなくてはならない、と、亡くなった母が申しておりました。それが生き延びる上で、最も単純で大切なことだとも」
単調に朝霧が言うと、壱子はなんとも困ったように笑った。
貴族の壱子からすれば、朝霧の言うことが事実なだけに、耳が痛いのだろう。
しかし同時に、それがある種の当てつけのように聞こえて、平間は小さく怒りを覚えた。
ひとときの間をおいて、壱子が再び口を開く。
「では、この屋敷の侍女が射月への暴行の加害者である可能性もある、ということで良いかな。それは無論、お主も含めてじゃが」
「はい。もとより、そのつもりでございます」
「……はぁ、そこまでさらりと答えられてしまうと、揺さぶり甲斐が無いな」
言いつつ、壱子が芝居がかった仕草で嘆息すると、朝霧は顔をほころばせる。
それを見て、壱子もホッとしたような表情を見せた。
壱子としても、本気で朝霧を疑っているわけではないらしい。
「して、先ほどの話に戻るが」
「射月さんについて気になること、でございますね」
「そうじゃ。話してくれるか」
「もちろんです。しかし、これから私が言うことは、ややもすれば死者を貶めることになるやも知れません」
そう言って、朝霧はちらと松月の方を見る。
彼ら姉弟の仲が良いことを知っているのだろう、松月に遠慮しているのだ。
しかし壱子が松月に視線を向けると、松月は無言でうなずいた。
それを見て、朝霧は口ごもりつつも、言葉を選んで拾っていく。
「射月さんは、その……花街に出入りしていたのを見たという噂があります」
「花街というと、遊女のいるあの花街か」
「そうです。何をしていたのかまでは分かりませんが、どうも殿方と一緒にいたとか」
「……なるほど」
そう言って、壱子は平間を手招きする。
平間が首を傾げつつ近寄れば、壱子はこっそり耳打ちした。
「つまり、どういうことじゃ」
「貸部屋を使っていたんじゃないか」
「貸部屋? 住むのか?」
「一晩だけ泊まるんだ。お忍びで」
「なんのために?」
「……あのさ、嫌がらせか何か?」
「は? 何を言っておる。知らぬことを聞いて何が悪い。良いか平間、訊くは一時の、訊かぬは一生の恥と言って、長い目で見れば知らぬことを正直に尋ねるのが──」
滔々と説教を並べる壱子に、平間はどうしたものかと頬を掻く。
そして壱子の言葉が途切れたところで、すかさず耳打ちした。
「あー、うむ、そういうことか。なるほど? なるほど……うん」
「もういい?」
「う、うむ、下がって良いぞ」
ぎこちなく壱子は頷き、ふたたび朝霧に向き直る。
「つまり……射月には親しい男がいた、ということか」
「そうなりますね」
「輿入れの話が出ていた、という噂も聞いたが、それとは別の男なのかな」
「おそらくは。輿入れのお話は、射月さん本人が話していたので事実でしょう。ただ、顔も知らない相手だともおっしゃっていたので、花街にいた殿方とは別人だと思います」
「ううむ……怪しい。怪しいな」
「あやふやな情報しかございませんが、めぼしいものでお話できることは、これくらいです」
「いや、よく分かった。感謝する」
壱子は礼をすると、思い出したように言った。
「ああ、朝霧、すまぬが、射月の真の死因が溺死だったことは他言無用で頼む。無意味な噂を呼び、調査に支障をきたすと困るゆえな」
「そういうことでしたら、承知いたしました」
「他言無用というのは、依織や詩織殿、それにお母上殿や左大臣殿も含むが、異存ないか」
「それは難しいかも知れません。私達侍女は、正直でなくてはなりませんから」
「……なるほど、そのようじゃな」
壱子は苦笑し、朝霧への聞き取りは終了した。
屋敷を出る折、平間たちは依織らの母親とすれ違った。
平間は思わず身構えたが、彼女は特に敵対的な素振りを見せず、むしろ礼に則って見送ってくれた。
その行動に、平間と壱子は大いに首を傾げた。
──
一旦佐田氏の屋敷に戻ると、案の定、壱子は「花街に行きたい」と言い出した。
知らないことになら何にでも興味を持つのは素晴らしいことだが、今回ばかりは話が違ってくる。
そう言うと壱子は憤慨して突っかかってくるが、平間も引くわけには行かない。
「どうして私が花街に行ってはならぬのじゃ!」
「どうしてもこうしても無い! 当たり前じゃないか」
「その『当たり前』を説明せよと言っておるのじゃ!」
「知っての通りだよ! 朝霧さんの口ぶりを見ただろ、花街っていうのは出入りしただけで如何わしい噂が立つ場所なんだ。そんな場所に壱子を向かわせるわけに行かない」
平間が言うと、壱子は頬をふくらませてむくれる。
「むぅ……ではこうしよう、私は覆面をして行く。それで構わぬじゃろ」
「構うよ」
「なぜじゃ?」
「怪しすぎるだろ! タダでさえ治安が良くない場所なんだ、自警の荒くれ者の目を引くに決まっている」
「では顔を出して行こう。よもや佐田の娘が花街に足を向けるとは誰も思うまい」
「なおさらダメだ」
「どうしてじゃ!?」
「自分が目を引く容姿をしている自覚はあるだろ!? 一瞬で噂が広まる!」
「うぅむ、確かに、私は限りなく可愛いからな……」
「自分で言うことじゃないけどね。とにかく、花街には僕が行く」
平間がきっぱりと言うと、壱子は難しい顔をして考え込む。
さすがに反論できないだろう、と平間が高をくくっていると、壱子は眉根を寄せたまま言った。
「……浮気か?」
「何が?」
「そのままの意味じゃが」
「……僕と壱子の関係を振り返って、仮に花街でそういうことをしたとしても、浮気という言葉が出てくるとは思えないんだけど」
「するのか!?」
「しないってば」
「ならば問題ないではないか!」
「だからそう言っているだろ」
次第にわけのわからないことを口走り始めた壱子に、平間はあきれて顔をしかめる。
しかし壱子も引き下がらない。
「では百歩譲って、私が花街に行くのは諦めよう」
「英断だね。歓迎するよ」
「しかしお主が一人で行くのは許さぬ」
「なんで?」
「だってズルいじゃろ……あっ。もとい、心配だからじゃ」
「ズルいって言っだだろ。『あっ』って言ったぞ」
「言ってない。聞けば、花街は治安の悪い場所だと言うではないか。それに、お主も土地勘があるわけではあるまい。あるのか? あるのならタダでは置かぬが」
「無いよ」
「良かった。母上は生前、『男の浮気グセは一生治らない。治すには切り落とすしか無い』と話していた」
「壱子のお母さん、怖くない?」
「大丈夫じゃ、その時はひと思いに切り落としてやる」
「何が大丈夫なのか、まるで分からないんだけど」
「というわけで、危険な場所に、ぼんやりとしたお主を一人で花街に生かせることは出来ぬ」
「ぼんやりしていて悪かったね。で、『だから自分を連れて行け』と?」
「たわけ、私が行っても足手まといになるだけじゃろう」
「自覚はあるのか……」
苦笑しつつ、平間の脳裏に一つ考えが浮かんだ。
「じゃあ、紬に来てもらうのはどうだ。紬なら、近衛府の副官をしていたくらいだから、最低限自分の身は自分で守れる」
紬は今日は姿を見せないが、彼女のことだ、呼べば何処からともなく来るだろう。
我ながら妥当な意見だ、と思ったが、壱子の反応は違った。
「なお悪い、それはなお悪いぞ、平間!」
「どうしてさ」
「あやつからは、こう、お主と二人きりにしたら危険な匂いがするのじゃ……。や、嫉妬ではないぞ。嫉妬ではない」
「嫉妬なのか」
「ちがわい! とにかく、紬はダメじゃ。ましてや花街など、うすらぼんやりしたお主が一緒なら何が起こるか……」
「うすらぼんやり……突っ込みたいことは山ほどあるけど、とにかく紬はダメなのね」
「うむ、ダメじゃ」
「分かったよ。でも、だったらどうするんだ。射月さんのことを調べないわけにも行かないだろ」
「そ、それは……」
「あの、俺が行きましょうか?」
おっかなびっくり、という形容がふさわしいその声に振り向けば、そこには松月の姿があった。
予想外の人物の登場に、壱子は目を丸くする。
「お主、おったのか」
「いました」
「一体いつから……?」
「詩織様のお屋敷からです。このあと花街に向かうだろうと思ってついてきたのですが、お気付きにならなかったのですか」
「すまぬ。全く気が付かなかった」
「結構傷つきますね……でもいいです、慣れているので」
「あの、本当にすまぬ……そうじゃ、お菓子食べるか? 今なら、私みずから持ってきてやるぞ!」
「いえ結構です」
「あ、そ、そうか……」
しゅんとした壱子に代わって、平間が口を開く。
「松月、くん」
「呼び捨てでいいですよ、年下なので」
「じゃあ、松月。どうして一緒に行きたいんだ。やっぱり詩織さんの命令で?」
「いえ、詩織様は俺がどう動くか、特に関心を示していません。これは俺個人の意志です。姉がなぜ死ななくてはならなかったのか、納得のいく答えを出したいので」
「確かに、その言い分はもっともだ。壱子、どうする?」
平間が壱子に尋ねると、彼女は意外にもすんなり首を縦に振った。
「私としても異論はない。男同士であれば怪しまれずに色々と訊いて回れるじゃろ」
「壱子がそう言うなら、良いけど」
「ん、何か不満でもあるのか? ……ははぁ、さてはお主、ああだこうだと言いつつも、やっぱり私がおらぬでは寂しいのじゃな?」
「違う。もっとごねると思っただけだ。それじゃ行ってくる」
「え、ちょ、平間!? そんなけんもほろろに……」
焦る壱子の声を背に受けながら、平間はさっさと屋敷の外へ歩を進めていく。
日は傾きかけている。
あまり時間は無いのだから、無駄な会話は早々に切り上げなければならない。
この調子で行けば、日が暮れるまで壱子と駄弁ってしまいかねない。
そのことを、平間は経験的に知っていた。
「平間さん、良いんですか。一応は主なのでは?」
「一応はね。でも、一応だから」
「……折檻されたりしないんですか?」
「見ての通り、としか」
言いつつ、平間が振り返れば、壱子が思いっきり舌を出していた。
そして平間が自分に視線を向けていることに気づくと、壱子は満面の笑みでぶんぶんと手を振ってくる。
「ああ、なるほど」
松月も納得したようで、小さく鼻を鳴らした。
「良くも悪くも、貴族らしくないですね、壱子様は」
「それを直接言ってあげれば喜ぶ」
平間が言うと、松月はどこか悲しげに笑う。
その理由は平間には分からなかったが、なんとなく聞いてはいけない気がして、つい辺りの景色を眺めてしまった。
佐田邸前の通りは日常そのもので、変わってきたことといえば道行く人の衣服が少し厚くなったことくらいだ。
そして若干の人見知りを自覚している平間は、これからしばらく松月と二人きりでいなければいけないことに、少しだけ気が重くなった。
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