第4話 「秋の桜と褒め言葉」
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前回のあらすじ
壱子と別行動をとった平間は、宴に潜入していた紬と遭遇する。
紬は息をするように平間をからかうが、一つ意味深な情報を提供する。
いわく、今回の宴は左大臣の水臥小路惟人が壱子と婚姻を結ぶための布石であるらしい。
平間は猛烈な不快感に襲われたので、とりあえず壱子の元へ戻ることにした。
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平間が壱子の元に戻ると、壱子はまだ依織と一緒に席に着いていた。
依織のかたわらには菓子が山盛りにされた皿が置かれ、依織はそのてっぺんから菓子を一つ、壱子に差し出す。
柔らかそうな、桜色の四角い菓子だ。
「いちこ、これも食べてみよ!」
「う、うむ」
「さあさあ、遠慮するな。今日は皇国中の美味い菓子を取り寄せたのだ」
「依織……いつもこれくらい食べるのか?」
「食べる」
「それはおかしい。こんなに食べたらさすがに太るじゃろ」
「何を言う、菓子を食べて太るはずが無かろう」
「菓子は太るものなのじゃが……あっ」
壱子は何かに気付いたように小さく声を上げると、途端に苦虫を噛み潰したように顔をしかめた。
そして依織の胸元に目を落とすと、小さくため息をつく。
「なるほど、行先はそこか」
「なんの話だ?」
「何でもない。貰おう」
壱子は諦めたように鼻を鳴らすと、依織に向かって目を閉じて口を開く。
その仕草に、依織は驚いたように「おお」と声を漏らし、目を輝かせながら菓子を壱子の口に運んだ。
「ふむ。ふむふむ」
もごもごと咀嚼してから、壱子はゆっくりと嚥下した。
そしてお茶を一杯のんで一言。
「なるほど、美味じゃな」
「そうだろう、そうだろう! いちこなら間違いなく気に入ると思ったのだ!」
依織は屈託なく顔をほころばせると、壱子に笑いかけた。
それを眩しそうに眺めて、壱子は思い出したように言う。
「そう言えば、母上殿は今日はおられないようじゃな」
「母上なら、今日は気分がすぐれないそうだ。会いたいのか?」
「いや、先日までの依織殿は母上殿にベッタリであったゆえ、不思議に思っただけじゃ」
「確かにそうだったかも知れぬ。しかし、私も嫁入りが見えてくる歳、いつまでも母上に甘えてはいられない」
「なんと、まるで見違えたようじゃな」
壱子が素直に感心してみせると、依織は自慢げに胸を張る。
が、すぐに照れくさそうに顔を赤らめて、おずおずと依織は言った。
「本当はな、いちこ。そちのおかげだ」
「私?」
「そう。私を悩ませる事件を瞬く間に解決したお主を見て、こちは己を恥じたのだ。このままでは駄目だ、もっと大人にならねばならぬ、と」
「随分と大袈裟じゃな。私など――」
「大袈裟ではない! いちこは今より自信を持つべきだと私は思うぞ。見た目は威張っているように見えるが、それは不安な心の裏返しだ。私には分かる」
「そうなのじゃろうか……」
そう言うと、壱子は難しい顔をして考え込んだ。
遠目で見ていた平間も、依織はなかなか鋭いところを突いていると思う。
思い返してみれば、壱子は自分を誇ることが多かったが、平間から壱子を褒めることは少なかったように感じる。
「わ、分かった。依織、ありがとう」
「うむ。私はいちこより年上だから、どんどん頼っても良いぞ」
「ははは……まあ、おいおいじゃな」
壱子は苦笑いと照れ笑いで返すが、ふと何かに気付いたように目を瞬かせた。
「そう言えばさきほど、嫁入りが……と言っておったが、依織殿にはあてでもあるのか?」
「私にはまだだ。しかし姉が第二皇子どのに嫁ぐと言う話が……あっ」
言いかけて、依織は慌てて口を押える。
どうやら、言ってはいけない話だったらしい。
「いちこ、今の話は忘れてくれ。私は朝霧から聞いたのだが、誰にも言ってはいけないと口を酸っぱくして言いつけられておったのだ」
「分かった。しかしまあ、その様子だと公然の秘密に近いものを感じるな」
「どういう意味だ?」
「人の口に戸は立てられぬ、そして刺激的な噂ほど早く広まる話は無い、ということじゃ(※)」
「なるほど……?」
(※:「侍女の朝霧が知っているなら、その話が皇都中に広まるのは時間の問題じゃろ」ということ。)
壱子の言葉に、依織は釈然としないそぶりを見せつつも頷く。
すると壱子は独り言のようにつぶやく。
「そう言えば、春宮殿下の婚姻の話は聞かぬな。紬なら、何か知っているじゃろうか」
春宮とは皇太子のことで、つまり、未来の帝である。
壱子の言葉に、依織は思い出したように言った。
「改めて考えてみれば、弟の第二皇子の方が先に結婚を決めるのも変な話だ。何か原因があるのだろうか……そうだ、例えばとてつもなく変な人で、宮中の娘らが誰も寄り付かない、とか」
「不敬じゃぞ。というか、春宮殿下は才気溌剌を絵に描いたような方ともっぱらの噂じゃ。恐らく別の理由があるはずじゃ」
「別の理由と言うと?」
「そう聞かれても分からぬが……例えば、有力な貴族たちが『己が娘を殿下に嫁がせよう』と水面下でしのぎを削っているとか、実は既に心に決めた相手がいるとか、そんなところでは無いか」
「二つ目ならば、素敵な恋物語になるな」
「分かるか」
「分かる」
「素晴らしい。今度、我が屋敷の蔵に眠る秘蔵本を読んでみるか。きっと気に入るぞ」
「是非に。今度、遊びに来た時に持って来てくれ」
「分かった。選りすぐりを持って行こう」
壱子は充実した笑みを浮かべて、依織と手を取り合った。
対する依織も嬉しそうに頷いた。
と、そこへ。
「お嬢さん方、よろしいかな」
現れたのは、顔に多くのしわを作って微笑む、中年の男だった。
男の衣装は仕立ての良い黒の礼服で、見るからに身分が高そうだ。
平間は男の姿を一目見て、漠然とした不快感を覚える。
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「父上!」
目を輝かせて叫んだのは、菓子を片手に持った依織である。
そんな依織の頭に手を置いて、男は柔らかい笑みを浮かべた。
「依織、勝手に出歩いてはダメであろう? 席は決まっているのだから」
「し、しかし父上――」
「侍女どもも困っているでしょう。早く戻ってやりなさい」
「……はい」
丁寧な言葉遣いとは裏腹に、男の声には有無をいわさぬ威圧感があった。
あれだけ喜んでいた依織は、いまや小さくしゅんとしていて、見ていた平間も思わず同情してしまう。
男は相変わらず顔に笑みを浮かべていたが、その奥に何か冷たいものがあるように感じられた。
依織は男を父親だと言っていたが、となると彼が時の左大臣なのだろうか。
名は確か、水臥小路惟人と言ったか。
見たところ、歳は五十をとうに越しているだろう。
依織の年齢を併せて考えてみると、「高齢だが女好き」という噂に説得力が増してくる。
水臥小路は、視線を依織から外し、壱子へ向けた。
何となく平間も前に出て、壱子との距離を縮める。
「これは佐田の姫君ではありませんか。娘たちが世話になったと聞いています。お礼を言わせてください」
「こちらこそ、お招き感謝する。しかしまさか左大臣殿御自ら足を運んでくださるとは」
「娘の恩人に挨拶をするのは当然のことです。それに……」
「それに?」
「滅多に表に出てこない佐田の姫君が出てきたとあって、周囲の者らも視線を向けています。チラチラ、チラチラと……。あなたは注目されているのですよ。斯様に美しく、しかも聡明とあっては、目を逸らすことなど出来なくて当然です」
「ならば、たまには外を出歩くとしよう。さすれば数日でこの顔にも飽きるはずじゃ」
「それはどうかな。春の桜や秋の紅葉は、毎年いつまで見ていても飽きることはありません。真に美しいものは、いつ見ても美しい」
「褒め過ぎじゃろう。むしろ、過分な巧言は礼を失するものじゃ」
冷たい声音で壱子が返すと、水臥小路は眉を片方、ピクリと動かした。
周囲の空気が一気に緊張感を帯びる。
「……と父は申しておったが、例外もあるらしい」
そう続けて、壱子はニヤリと笑う。
が、平間は頬を引きつらせる。
時の最高権力者に面白半分で喧嘩を売るほど、壱子は愚かではない。
また、無知ゆえに相手を怒らせるほど物を知らないわけでもない。
しかし事実、彼女が諍いの手前まで踏み込んだということは、よほど水臥小路のことが気に入らなかったらしい。
あるいは単に、頭ごなしに依織をしかりつけたことを怒っているのかも知れない。
ただいずれにせよ、壱子らしくない言動だと平間は感じた。
一方の水臥小路は、さぞや不愉快だろう。
彼の立場から見れば、小娘相手に下手に出たにもかかわらず一蹴され、それらしく誤魔化されたのだから。
平間は恐る恐る、水臥小路の表情をうかがった。
しかし。
「これは失礼しました。過ぎたるは及ばざるが如し、肝に銘じておきましょう」
水臥小路は相変わらずの笑顔で、壱子の発言をさらりと流す。
これで安心するほど平間は呑気ではないが、とりあえずはこの場で何かが起きることは無いらしい。
その時、処刑台に動きがあった。
刑部省の役人らしき男が処刑台に立ち、手にした木簡(※)を広げて読み上げる。
(※:木材を薄く細く切り、紐で綴じて巻物状にしたもの。かさばるものの紙より安価であるため、皇国では官庁を中心に広く用いられている。)
「これより、陛下の名の下で罪人の処刑を行う! この者たちは徒党を組んで賊となり、皇都の安全を脅かした。これを陛下は、近衛府をして勅命をもって討伐せしめたものである」
役人が宣言すると、ぼろを纏った男たちが現れる。
男たちは腕を縛られた状態で次々と処刑台の上へ歩かされ、梁から吊るされた縄の前に立たされていく。
その名中の何人かの顔に、平間は見覚えがあった。
ハッとした平間は、壱子の傍らに近付いて耳打ちする。
「壱子」
「平間か。おかえり。どうした?」
「あの罪人たち、僕が近衛府にいたころに捕らえた野盗だ」
「毒酒のか。弱い毒を使ったが……意味が無かったようじゃな」
そう独り言ちて、壱子は処刑台から目を背けた。
処刑台の上では、罪人たちが高さ二尺あまりの小さな台に乗り、首に縄をかけられるところだった。
立たされた罪人の数は五人。
処刑台の裾には、まだ多くの罪人が自分の番を待っていた。
「悪趣味な」
ぽつりと壱子が漏らすのと同時に、罪人たちの足元の台が蹴り倒される。
つま先が虚空に浮いた罪人たちは、しばらく身じろぎする者もあったが、やがて動かなくなった。
足元からしたたり落ちる汚滴が、妙に生命感を伴っているように見えた。
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