幕間之話「羊廻しと玉藻髪」
お遊び回です。
――
依織の屋敷で終始緊張しきりだった平間は、無事に事件が解決したとはいえ、どっと疲れていた。
それを見た壱子は、訳ありげに笑うと平間に一日の休みを与えた。
というわけで、平間は今日、休日である。
しかしこれまで無趣味に生きてきた平間は、したいことが特に無い。
そんなわけで、彼は急に降って湧いた休日を完全に持て余していて、ささくれ立った畳の上で仰向けに寝そべっていた。
近衛府に所属していたときであれば、そもそも休みなど無かったから、こんなことで気を病むことも無かっただろうに。
平間は今さらながら、無趣味な自分を恥じた。
「しかし、ヒマだ……」
そう平間がぼやいた時、きしんだ音を立てて家の戸が開いた。
さては、また隣人が金を無心しに来たのだろうか。
「お金ならありませんよ。もう僕は無位無官なんですから」
「なに、数日後には違うはずじゃ」
「その声は……壱子!?」
驚いた平間が跳ね起きれば、壱子は小さく片手を上げて「やあ」と笑う。
「平間、お主の復職の話は着々と進んでおる。お主の元上役である田々等とかいう男にも口利きをしておいたし、早ければ明日にでも戻れるじゃろう」
「ずいぶん早いな」
「私の話術と家格と美貌にかかれば、この程度は造作も無いことじゃ。好きなだけ崇め奉って良いぞ?」
「謙虚さを一切持ち合わせていないことが、君の唯一の欠点だと思うよ。でも、それを伝えるためだけにここへ?」
「まさか。ここへは遊びに来たのじゃ」
壱子は悪戯っぽく目を細めると、土間でそそくさと履物を脱ぎ始める。
桜色の着物に身を包んだ壱子は、可愛らしい花飾りのついた簪で長い髪を一つにまとめていた。
着物を幾重にも纏うという普段の貴族らしい服装とは違い、こざっぱりとした町娘風の装いだった。
普段の壱子も威厳があって平間は好きだったが、今の壱子も歳相応の魅力というべきものがあった。
しかも背景があばら家ときたものだから、華やかさが一層増すというものだ。
「あまり見惚れられると、さすがの私も照れるのじゃが……平間?」
目を伏せて頬を赤らめ、壱子は照れくさそうに言う。
平間は慌てて目を逸らし、話題を変えた。
「見惚れてなんか……驚いただけだ。でも、遊びに来たって言っても、ここには釜と布団くらいしか無いけど」
「確かに碁盤も書物も菓子も無いが、お主がおる」
「失礼な。って、それって僕で遊ぶって意味?」
「歩いてきて足が疲れたな。上がるぞ」
平間の言葉を無視して、壱子はそそくさと上がり込む。
そして手に持っていた若草色の風呂敷を開くと、中の分厚い書物を取り出した。
「こんな天気のいい日は、屋内で本を読むに限る。平間、そうは思わぬか?」
「残念ながら同意しかねる」
「そうか。まあ良い、お主はそこに座って……そうそう、胡坐をかくのが良いな」
壱子の言う通りに平間が座ると、その膝の間に壱子がすとん、と腰を下ろす。
眼前にある壱子の艶やかな髪から、少女特有の柔らかな香りが漂った。
「壱子」
「ん?」
平間の問いかけに、壱子は書物を開きながら答える。
こちらをうかがう様子が無い壱子に、平間はため息交じりに尋ねた。
「あのさ、何をしているの?」
「本を読んでおる」
「それは知ってる。そうじゃなくて」
「なんじゃ、お主が禅問答を好むとは知らなかった。覚えておこう」
「だからそうじゃなくて、どうして僕の膝の上に座っているのか聞いているんだけど」
「この家には布団があるが、座布団は無い。こうするより仕方が無かろう」
開いた書物から目を上げないまま、壱子は平然と言った。
それどころか、壱子は平間が背もたれであるかのように寄りかかってくる。
「壱子、おも――」
「重くない。軽いと言え」
針山のように刺々しい壱子の声に、平間は嘆息して言葉を変えた。
「……軽いです」
「よろしい。褒美に私の頭をなでる権利をやろう」
「座布団扱いされた挙句、貰えるのがそんな権利なんて」
「ちなみに私の髪に触れたことがある男はお主が初めてじゃ」
「玄風様は?」
「あの父上が、妾腹の娘に愛情を持つはずが無かろう。現にほれ、このように一人で外を出歩いても誰も咎めぬ」
つまらなさそうに言う壱子に、平間はどう返すべきか迷った。
「とはいえ、じゃ。父上が私に関心を持っていないからこそ、このように平間で遊ぶことが出来るとも言える」
「言わんとすることは分かったけど、そもそも僕で遊ぶな」
「なんと! 人をおちょくって遊ぶのはいけない事じゃ。まったく、不届きな輩もいたものじゃな」
「急に記憶力が悪くなるの、やめない?」
「やめない。何故なら楽しいからじゃ」
細い肩を揺らしながら、壱子は笑い声を漏らす。
その嬉しそうな様子を見ていると、平間としても壱子のわがままに起こる気力が失せてしまう。
……しかし。
「壱子、君がそこでそうしていると、僕は何も出来なくて暇なんだけど」
「そうは言うが、お主はもともと暇そうにしていたではないか」
「返す言葉も無いけど、釈然としないな……。ところで壱子、その本は?」
壱子の肩越しに書物を覗き込みながら、平間が尋ねる。
「獣と病の関係について書かれた本じゃ。医事方の図書室から拝借してきた」
「へえ、そういう本も借りられるものなんだね」
「まさか。帯出厳禁に決まっておるじゃろ」
「……」
平間は何も聞かなかったことにした。
家柄の良い壱子ならともかく、吹けば飛ぶような平間にとって、危うきに近づくことは死に等しい。
「そう硬くなるな。要はバレなければ良いのじゃ」
「貴族の姫君がする発言とは思えないんだけど」
「固定観念は瞳を曇らせるぞ。ん、アレは一体……?」
何かを見つけたらしい壱子は、手にしていた書物を閉じて敷きっぱなしになっていた布団に近寄る。
そして何か細いものを摘み上げると、思いっきり顔をしかめた。
「この栗色の長髪は……あの女狐め、他人のものに手を出しおって」
「何か言った?」
「何も? どうすればこの世から飢えと貧困がなくなるか考えていただけじゃ」
「絶対嘘でしょ……」
「そんなことより、平間」
言いつつ、壱子はごろんと布団の上に横になる。
そして何も言わず、平間に向けて両手を突き出した。
「……何しているの?」
「これを見て何か感じることは無いか?」
「人の布団で勝手に寝るな、とか?」
「そうではなく、こう、内側から込み上げるような熱情と言うか……」
「よく分からないけど、眠いの?」
「……分かった。もういい」
壱子は反動をつけて起き上がると、唇を突き出しながら平間に近寄る。
「壱子、何を……」
「黙っておれ」
ぴしゃりと言って、壱子は自分の顔を平間の顔に近づける。
そして。
「この……、この大たわけ者が~ッ!!!」
壱子は思いっきり平間の両頬を掴み、つねり上げた。
「いだだだだ、何するんだ!!」
「うるさい、たわけ者! 鈍感! 木偶の坊!!」
「さっきから何なんだ!? 様子がおかしいぞ!」
「自分の胸に手を当てて考えてみれば良かろう! もう知らん!」
涙目でわめいた壱子は、平間の頬に興味を失くしたのか、その手を離した。
平間はヒリヒリと痛む頬をさすりながら、壱子に言う。
「何か嫌なことでもあったのか?」
「別に何もない」
そう言いつつ、壱子は小さく息をつく。
「はぁ。お主が雰囲気や身分の差や後先を無視して私を襲うような男であったら、私だってこうも苦労はしていないのに」
「……どういう意味?」
「しかしまあ、全てを捨てて海を渡り、新たな土地で暮らすのも悪くないな」
「だから、どういう意味?」
「その時に備え、料理くらいは出来るようになっておくか。平間、お主の好きな料理は何じゃ?」
「無視しないで。肉料理全般」
「いや待て。それよりも、あの手この手で暗躍して、平間を近衛府の大将にしてしまおう。それなら父上も姉上も文句はあるまい。そして私も皇都で自由気ままに暮らせる。うむ、名案じゃな」
「何が???」
「そうと決まれば……ふふ、これは楽しくなりそうじゃな」
壱子は勝手に話を進め、勝手に納得してほくそ笑む。
そのあまりの身勝手ぶりに、さすがの平間もだんだん苛立ってくる。
平間は意を決し、壱子が自分に背を向けた瞬間を見計らって、彼女の腕の下に手を入れ、その腋をくすぐった。
「ちょ、平間やめっ……いひひひ、本当にやめてうひ……ひひひ平間ぁ」
「いつも勝手なことばかり言って、いい加減に――」
「あはは、すまぬすまぬ、からかい過ぎた! 謝るから許してくれ!」
壱子が布団の上を転げまわりながら詫びると、平間もその手を止めた。
「ふふ、お主も中々大胆なところがあるではないか」
「なんの話だ?」
「いたいけな娘を家に連れ込み、こうして押し倒していることじゃ」
「それは事実とは異なるだろ。この瞬間を誰かに見られでもしない限り――」
「こんにちはー。京作さまいますー?」
狙いすましたかのように、紬が平間の家の戸を開けた。
「……あ」
布団に寝そべる壱子と、その上に覆いかぶさるようにしている平間を見て、紬は小さく声を漏らす。
焦った平間が壱子に目をやると、彼女は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
平間はさらに焦って、紬に向けて言う。
「これは違うんだ、その、事故と言うか……」
「事故ですか。なるほど分かりましたごゆっくりそれではお邪魔虫は退散しますね~」
「待て待て待て! 絶対分かってない!!」
そそくさと踵を返す紬を、平間は必死で呼び止める。
が、紬は行ってしまった。
「現れる瞬間が完璧じゃな。やはり紬は素質がある」
「確実に面倒くさいことになると思うんだけど」
「そう気を落とすでない。こうなってしまった以上は仕方が無かろう」
「誰のせいだと思っているんだ……」
平間は抗議するが、壱子はどこ吹く風で笑う。
「これから楽しくなるのう。平間?」
結局その日、壱子は夕暮れまで平間の家に居座ってから、満足げに帰っていった。




