第12話「夢幻の蟲毒と風の洞(解決編・下)」
「壱子さまに言われた通り、持ってきましたよ。“献立表”を」
申し訳なさそうに眉をひそめる紬に対し、壱子は豆鉄砲を喰らった鳩のように目を丸くしていた。
そして恐る恐る紬に歩み寄ると、ゆっくりと口を開いた。
「つまりは紬、お主は私の考えが分かったと、そういうわけか?」
「ええ」
「ならば、私の考えが分かった上で、先回りしてその献立表に目を通したのじゃな?」
「ええ、そうですけど……」
うつむきがちに尋ねる壱子に、只ならぬものを感じたのだろう。
紬は表情を次第に硬くし始めた。
そこからは戸惑いと緊張が読み取れる。
それもそうだろう、紬は真正面から壱子の考えを間違っていると言ったのだから、壱子が良い気分になるはずが無いのだ。
しかし。
紬の瞳に、一抹の不安の光が宿った。
その正体は「よもや何か見当違いをしているのではないか」という根拠のない予感。
そしてその予感は果たして、見事に的中した。
「……た」
「壱子さま、いま何と?」
「でかした、でかしたぞ紬! やはり私の目に狂いは無かった!!」
「え? ええ……??」
急に顔を上げた壱子は、その瞳を喜びでキラキラと輝かせていた。
しかし、戸惑ったのは紬である。
思っていたのとは真逆の壱子の反応に、紬は目をぱちくりさせ、明らかに混乱していた。
そんな紬に、壱子は抱き着かんばかりに身体を寄せると、上目遣いでまくしたてる。
「ああ、やはり素晴らしい。持つべきは友じゃ、亡き母上が申しておったが、うふふ、こんなに良いものだとは!」
「あ、あの、壱子さま?」
「つまり無かったのじゃな?」
「なな、何がです?」
「アレに決まっておる。お主も疑ったのじゃろう、貴種病を?」
壱子の問いかけに、紬はぎこちなくうなずいた。
貴種病は、その名の通り高位の貴族の子女に多い病のことだ。
栄養状態が悪い貧しい者にはあまり見られず、一般的な病気とは真逆の性質を持つことから、この名前が付いた。
異国の言葉ではAllergieという。
この病の特徴は、おもに経口摂取した食物が、何らかの理由で毒に転化することだ。
何が毒になるのかは人それぞれだが、エビやカニなどの甲殻類、卵、蕎麦、果物などが一般的で、食すと皮膚の紅潮や膨満、かゆみのほか、腹痛や下痢などの多彩な症状を示す。
そして重篤な場合は気道の閉塞から呼吸困難になったり、あるいは著しく血圧が下がったりして、死に至ることもある。
しかし、この病を持っていなければ当然、“毒”はただの食物に過ぎない。
ゆえにもし依織が貴種病を患っていたならば、彼女にのみ毒が効き、かつ毒見役に何の影響も出ないのも納得がいく。
つまり現状、「依織は貴種病を患っている」は、いずれの条件にも矛盾しない完璧な答えのように思える。
しかし紬は、どこか苛立ったように壱子に言う。
「確かにアタシも貴種病を疑いました。そして壱子さまが『依織さまの献立表を持ってくるように』と命じたことからも、アタシは壱子さまが同じ考えだと判断したんです」
「その通りじゃ。完璧と言って良い」
「ですから、アタシは壱子さまにお見せするより先に――」
「先に献立表を確認したが、その原因らしき食物は見つからなかった、と?」
「ええ……あの、どうしてそんなに嬉しそうなんですか?」
いぶかしむ紬の言う通り、壱子の態度は明らかに状況と不相応なものだった。
紬の言葉と思考力を信じるのならば、依織は間違いなく“貴種病ではない”。
なぜならこの病は、原因となる食物を摂取したのならば、間違いなく症状が出ると言って良いからだ。
だが、壱子の口ぶりから判断するに、彼女は依織が“確実に貴種病だ”と考えている。
つまり、壱子の推理は紬によって前提条件が崩されたにもかかわらず、当の本人はけろりと、むしろ嬉しそうにしているわけだ。
「紬、すまぬが献立表の詳細を教えてくれるか。私もまだ見てはいないのじゃ」
「それは良いですけど……」
質問を無視された紬は、壱子に言われるがままに紙束を手に取った。
そして、それをぱらぱらとめくりながら、紬は平坦に言った。
「九月十日、朝に梅粥、昼食は鴨肉の入ったうどんと柿が出され、夕刻、砂糖菓子を食べた際に“毒”が盛られました。間食は煎餅が四枚です。
九月十三日、朝食はこの日も梅粥で、昼食は白米とカブの漬物と枇杷、それに山菜の煮つけが出ています。が、これはほとんど手を付けられなかったようですね。この日はミカンの果汁を水で薄めたものを口にしたとき、毒の症状が出ています。間食に煎餅が六枚です。
九月二十日、この日は朝食を召し上がっていません。昼食は白米と豚肉に、こんにゃくと芋の煮物。毒を盛られたのはお饅頭を食べたとき。間食に煎餅二枚と、羊羹です。良いなあ。
っと、そして九月二十四日、つまり今日ですね。今朝は例のごとく梅粥、昼にうどんで、ご存知のとおり先ほど昼下がりに“毒が盛られ”ました。状況としては砂糖菓子を食べる……前ですね」
「間食は?」
「壱子さまも見ていらしたと思いますが、やはり煎餅です」
紬の返答に、壱子は大きくうなずく。
「よろしい。さて平間、何か気付いたことはあるかの?」
――
――
突然名指しされた平間は、驚きと緊張で身を固めた。
紬の言っていることをまとめると、“毒”を盛られた四日間に共通する食材は無い。
無論、米などは毎日食べているだろうが、毎日食べているものが原因だということは無いだろう。
となると……。
平間は少し考え込んでから、おずおずと口を開いた。
「えっと……毒を盛られた日は、すべて煎餅を食べている、とか?」
「素直で良い! 私はお主のそういう所が好きじゃ。しかし紬、何か言う事があるな?」
「ええ、依織さまは『毒を盛られた日』以外の日にも、煎餅を召し上がっています。というか……毎日です」
そう言って紬が依織の方に目をやると、依織は照れくさそうに笑った。
煎餅がよほどの好物らしい。
それをごまかすかのように、依織は壱子に尋ねる。
「私が煎餅を好んで食する話はどうでも良くだろう。まどろっこしい話はいいから、早く毒の正体を教えてくれ」
「そう急くこともないぞ依織殿。そろそろ届く頃合いじゃ」
「届く? 何がだ?」
「じき分かる」
そう言って壱子が微笑むと同時に、部屋の居室が開かれた。
現れたのは、平間が見覚えのある女性だった。
確か、壱子に仕える侍女の一人だったはずだ。
彼女の姿を見るや、壱子は顔をほころばせた。
「紫、よく戻った。結果は?」
「壱子さまの見立て通りでした。あれならば“混ざり”そうです。また、調理場は毎朝丁寧に洗っているとのことです」
「よし。日付はどうであった?」
「今月では、七日、十日、十一日、十三日、十五日、二十日、そして今日です」
「毒が盛られたのが十日、十三日、二十日、そして今日……ふふ、完璧とはこのことじゃな」
「ひとえに壱子さまの慧眼ゆえですわ」
侍女――紫の世辞に、壱子はニヤリと笑う。
すると、依織が口を開いた。
「壱子、今のがその“届け物”か? いったい何の話じゃ?」
「海老煎餅が店に並んだ日付じゃ。依織殿が普段食している煎餅はどこで買っているか、そちらの侍女に尋ねておいた。すると私の屋敷でもよく菓子を購入している店の名が出てな」
「……それが、どうかしたのか?」
「その店の海老煎餅が、これまた絶品でな。しかし材料の入荷が不定期で、限られた日にしか店に並ばぬのじゃ」
「だから、それがどうかしたのか?」
そう言って、壱子は微笑む。
「毒の正体は、この海老煎餅じゃ」
壱子の口調は自信たっぷりだが、依織の反応は釈然としない。
「しかしな、私は海老煎餅を食べたことは無いぞ。そちの話では、貴種病は毒となる食べ物を食べなければ害を為さぬのではなかったか?」
「その点は問題ない。紫には菓子屋の厨房を覗いておいてもらった。するとやはり、海老煎餅と依織殿が普段食べている煎餅は同じ調理場で作られているという。つまり、海老煎餅の材料……おそらく海老じゃろうが、それが依織殿の煎餅にも混入していたと考えられる。個人差はあるが、貴種病では食べた原因食物がどんなに少量であっても、害を為すことがある」
「むむ、そうか……では、私が毒を呑んだ日以外にも、海老煎餅が売られていたのだろう? それはどう説明する?」
「そこが難しかった。が、依織殿の話を聞いていたらすぐに分かった」
「私の話をか?」
きょとんと首を傾げる依織に、壱子は大きくうなずいてみせる。
「私が依織殿にこの屋敷を案内してもらっている時、『毒を盛られた直前に何をしていたか』尋ねたじゃろう?」
「え? ああ、確かに聞かれたな」
「その質問には二つの目的がある。一つ目は毒の症状が急激に起こったのか、それともゆっくりと起こったのか確かめるため。もう一つは、直前に身体を動かしていないか確かめるためじゃ」
そう言って、壱子はくるりと身をひるがえし、再び部屋の中をぐるぐると歩き回り始めた。
「一般的に貴種病は食物のみで引き起こされるが、実は貴種病には亜型があるのじゃ。
その亜型には、“特定の食物を摂取する”以外にもう一つ、発症の条件がある。
さて、ここで依織殿の直前の行動を確認してみよう」
壱子は胸元から小さく折りたたんだ紙を取り出した。
それを広げて、書いてある文字列を読み上げる。
「九月十日、蹴鞠をした後で、菓子を食べたら倒れた。
九月十三日、舞踏の稽古の折に、果実水を飲んだら倒れた。
九月二十日、蹴鞠の休憩中に饅頭を食べたら、倒れた。
そして今日、九月二十四日。仔猫を追いかけ、倒れた。
これら四回の発症事例に共通するのは即ち、『海老の混じった煎餅を食べ』、『その後、身体を動かした』ということ。
つまり、じゃ」
言葉を切り、壱子は依織とその母親に向き直る。
「この事件に犯人はおらぬ。以降は海老や蟹などの甲殻類をきちんと避け、信用に足る身内をむやみに疑わぬことじゃな。姉も悪いものでは無いし、話せば分かることもある……かも知れぬ、うん、多分」
最後だけは自信なさげに壱子は言い、恥ずかしそうにはにかんだ。
依織も素直にうなずく。
「確かにそれも悪くないな。この機会に話す場を設けてみよう。時にいちこよ、一つ聞いても良いか?」
「うむ、なんじゃ?」
「そちの推理でつじつまが合うのは分かった。しかし、それが真実だという確証はまだ無いのではないか?」
「鋭いのう。しかしそれは、後日試してみれば良い。基本的に危険なことじゃが、食べる煎餅の量も少なくして、しばらく時間をおいてから身体を動かしてみると良い。喘息のように息が苦しくなったのなら、それで確かめられる(※)」
「なるほど、分かった。しかし残念じゃな」
「何がじゃ?」
(※:壱子は簡単に言っていますが、本当に危険なので、独断で実際に試すのはやめてください。もし試したいのなら、お医者さんにご相談を。)
壱子が聞き返すと、依織は肩を落として言う。
「いちこ、そちとは気が合うと思ったのだが、これでもう会うことも無いのか」
「あー、まあ、そういう事にはなるかな」
壱子は曖昧にうなずいて、目を泳がせた。
と、そこへ紬が口をはさんだ。
「お言葉ですが依織さま、アタシの知る限り、壱子さまには友達がいません」
「な! つつつ紬、お主は何を適当なことを!!」
「適当じゃありません。京作さまだって、壱子さまに友達がいるなんて話は聞いたことありませんよね?」
「言われてみれば確かに……いつも一人で本を読んでいるか、たまに侍女の人と碁を打っているくらいで、友達らしき人は聞いたことが無いな」
「平間! お主まで私を裏切るのか!?」
涙目でわめく壱子を制止しつつ、紬は依織に向けて言う。
「そういうわけで、壱子さまには友達がいないんですよ。なのでもし依織さまさえ良ければ、壱子さまと友達になってあげてください」
「そういうわけなら、やぶさかでは無いな! いちこ、そちと友達になってやろう!」
満面の笑みで言う依織に、壱子はしばらく口をぱくぱくさせていた。
しかし。
「仕方ない、依織殿がそう言うのなら、まあ……。今度は私の屋敷にも来てくれ」
「行こう。楽しみにしているぞ!」
「わ、わわ私も、その、楽しみにしておる……煎餅もたくさん用意して、おく。あと、できれば|大黒丸も連れて来てくれ」
「分かった分かった。ふふ、楽しいものだな、いちこ?」
笑みを向ける依織に、壱子は顔を真っ赤にしてうつむくばかりだ。
依織の膝で寝そべる大黒丸が、あくびをしながら「にゃあ」と鳴いた。
――
後日、壱子の言った方法を依織が試したという報せが届いた。
それによると、壱子の推理は全て正しかったという。
これを聞いた壱子は、この年一番の得意げな顔をしてみせ、平間を大いに苦笑させた。
――
――
蛇足の補足。
依織に現れた疾患は、食物依存性運動誘発アナフィラキシーというものです。
食物依存性運動誘発アナフィラキシーとは、その名の通り、運動で誘発され、食物によっておこるアナフィラキシー、すなわちアレルギーのことです。
もうそれ以上でも以下でもないのですが、ざっくり言えば
「小麦やエビ、カニなどのアレルゲンを食べる」→「数時間後に運動をするor入浴する」
というプロセスを踏むとアレルギー症状が出ます。
最悪の場合、酷い喘息になって呼吸が出来なくなったり、血圧が著しく低下したりして死亡します。
他のアレルギーと同様にどの年齢にも起こりうるのですが、初めて見つかるのは小中学生くらいのことが多いといいます。
これは部活を始める時期と一致していて、「昼食→部活(運動)」というプロセスでアレルギーが表面化するから、と言われています。
一番の予防法は、もちろん原因となる食材をとらないことです。
お次は第二章、本題に入っていきます。よろしくおねがいします。
――
以上、第1章でした。
いかがでしたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたのなら、とても嬉しいです。
さて、引き続き第2章が始まりますが、次回はもう少しシリアスな内容になります。
あと長いです。ごめんなさい。20万字くらいあります。
ですが内容には自信があるので、良ければお付き合いくださいませ!
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それでは引き続き、壱子たちの活躍をお楽しみくださいませ……!




