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第10話「迷える仔猫と跳ね兎」

 前回のあらすじ。


 毒殺事件を四半刻で解決すると豪語した壱子。

 付き合わされる平間はたまったものでは無いが、仕方なく壱子に協力して事件を調査することになる。

 平間は早速使用人たちに話を聞くが、依織について尋ねると皆逃げてしまった。

 しかし一人の侍女から「母親は姉の詩織を疑っている」という情報を得ることに平間は成功する。

 十分に情報を集めたと考えた平間は、帰り際、怪しげな紙束を大量に持った紬と遭遇する。

 紬はそれを平間に押し付けると、「この事件は長引きますよ」と不敵に笑った。

 そしてその言葉を裏付けるかのように、依織が倒れたという悲鳴があがる。

 平間は急ぎ、声のした方へ向かうのだった。


――


 依織の居室にたどり着いた平間は、目の前の光景に思わず思考を停止させた。

 まず目に入ったのは、喉を押さえて苦しそうにもがく依織の姿。

 その横でまき散らされた砂糖菓子と、口を押さえて震えている侍女――朝霧だ。

 そして朝霧の傍らには、一匹の仔猫の姿があった。


「……猫?」


 平間がぽつりと呟くと、呆けた彼を壱子の声が一喝した。


「たわけ、手当てをするから手を貸せ!」

「ああ、分かった!」

「よし。(つむぎ)、お主もじゃ!」

「え、アタシもですか?」

「大たわけめ、当たり前じゃ! 平間、紬、お主らは依織どのを布団へ運んでくれ。そこな侍女どの、お主は目隠しになるような衝立(ついたて)を持って来てくれるか」


 てきぱきと指示を飛ばす壱子に、平間と紬は気圧(けお)されながらも(うなず)いた。

 衝立(ついたて)などを何に使うのか、平間には全く見当が付かなかったが、壱子の例の悪癖(あくへき)が出たと文句を言える状態でもない。


 平間は壱子の指示通り、倒れた依織を運ぼうと彼女に近づいた。

 依織の顔は火照ったように赤く、苦し気に表情をゆがめている。

 かろうじて意識はあるようだ。


「これは……これは何事ですか!?」


 と、そこへ鉢合わせたのは、無表情に立ち尽くす母親の姿だった。

 最愛の娘である依織が倒れたと聞いて駆けつけてきたのだろう彼女は、その声音とは裏腹に、表情は乏しかった。


――あまり驚いていないのか?


 平間は妙な違和感にとらわれたが、今はそれどころでは無いと思いなおした。


「いったい何があったのです? 依織が、私の依織がまた毒を……ああ、なんてこと! 犯人は朝霧、あなたですか!?」

「そんな! 私は何も!」

「いいえ、分かっているのです。あなたが姉姫(しおり)の命令で妹姫(いおり)に毒を盛ったのです!」

「違います、断じて!!」


 半狂乱になって叫ぶ母親に、朝霧は必死になって否定する。

 しかしその声が聞こえていないのか、母親は怒気を込めて言う。


「許せません、依織まで私から奪おうとするなんて――」

「静かに。その者は関係ないぞ」


 凛麗とした壱子の声が、母親の言葉をぴしゃりと遮った。

 一瞬の静寂と風の音が騒がしかった部屋に降りる。


「依織殿は、そこな仔猫を捕まえようと追いかけていたら、急に苦しみだしたのじゃ。砂糖菓子にはまだ手を付けていなかった」


 言いつつ、壱子は横たえられた依織のもとに近付くと、その口元に耳を寄せる。

 そして突然、依織の胸元を大きく肌蹴(はだけ)させた。

 平間は慌てて目を背け……ようとするも、視線は意に反して動いてくれなかった。


 壱子は緊張気味に腕をまくると、依織の鎖骨の間を指先でなぞる。

 そして意を決したように目を見開いて、胸骨(※)の上縁辺りを親指で押し込んだ。

 あわせて、依織の身体がかすかに揺れる。


(※:胸の真ん中にある、平たい板のような骨。)


「よし」


 壱子がうなずくと、心なしか依織の表情が和らいだように見える。


「平間、もう良いじゃろう。お主は衝立(ついたて)の向こう側におれ」

「どういうことだ?」

「依織殿を脱がす。万に一つでも毒針に刺された(あと)でもあれば一大事ゆえな」


 そう言って、壱子は「しっしっ」と手のひらを振って見せる。

 さすがに平間もこれには首をすくめて、大人しく指示に従った。


――


 結論から言えば、そして紬の言葉を借りれば、「依織さまの身体はうっとりするほど綺麗で、傷ひとつ無い」状態だった。

 これはつまり、依織が倒れたのは「傷害によって外部から毒を注入されたことが原因ではない」ということになる。

 要するに、毒針なんかが使われたわけでは無いのだ。


「となると、やっぱり毒を飲まされたってことなんですよね。あるいは、もともと失神しやすい体質だった、とか」


 能天気に言う紬の声は、すぐ隣にいる平間にかろうじて聞こえるくらいの大きさだ。


「でも、あのお姫様(いちこさま)だって同じことを考えていると思うんですよね」

「……何が言いたい?」

「アタシの考えが正しければ、壱子さまの推理は間違っていますよ」


 その言葉に、平間は思わず紬へ視線を向ける。

 紬の表情は何ともスッキリとしないもので、彼女自身もこの推測をどう扱えば良いか、判断しかねているようだった。


「いえ、間違っているはずがないと思いたいんですが……間違っているとしか思えないんですよね」


――


 日が傾きかけたころ。

 壱子の的確な指示の甲斐があってか、依織は無事に回復した。

 母親は愛しの娘が目を覚ますまで、詩織や侍女がどうだとブツブツと呟いていたが、壱子が「毒の正体が分かった」と言うと、すんなりと静かになった。


 いま、平間たちは壱子の指示のもと、依織の居室に集まっている。

 部屋にいるのは壱子、平間、紬のほか、依織とその母親、侍女が複数名。

 反対に、詩織の姿は無かった。


「さて、早々に解決してしまおう。夕餉(ゆうげ)に間に合うようにな」


 壱子は大勢の人間が集まったことで緊張しているのか、どこかぎごちない表情で切り出した。

 彼女が立っているのは部屋の中央で、それをぐるりと囲むように“聴衆”が座していた。


「さて、まずは情報の整理からじゃ。

事の始まりは今月の十日、この日に一回目の事件が起きた。

幸いにして依織殿が命を落とすことは無かったが、その恐怖は計り知れぬ。

そしてこの日から、毒見が行われるようになった。

のう、お母上殿?」


 壱子の問いかけに、母親は無言でうなずいた。

 それを確認してから、壱子は続ける。


「しかし今月十三日、再び依織殿の食事に毒が盛られる。

もちろん毒見役は付いていたが、事件を防ぐことは出来なかった。

そこで今度は、侍女に任せていた毒見をお母上殿、あなた自身が行うようにした。

……まあ、気持ちは分かる」


 おそらく「意味があるとは思えないが」とは言わず、壱子は語尾を濁らせた。


「結局、その後も事件は続いてしまった。

一週間後の二十日、三度目の事件が起こる。

これを機に近衛府も動き出し、天才たる私に乞い願って協力を仰いだというわけじゃな」


 平然と事実をねつ造しながら、壱子は得意げに胸を張った。

 実際は取り調べに来た近衛府の役人に恐々としながら対応したというのに。

 呆れた平間は苦笑しつつ、しかし何も言わずに壱子の言葉を待った。


 壱子は興が乗って来たのか、芝居がかった身振りで両手を広げて見せる。


「そして第四の事件。これはつい先ほど起こったのじゃが、目撃者も少なかったゆえ、ことの顛末(てんまつ)を改めて話そう」


 言いつつ、壱子はちらりと依織に目をやった。

 依織の膝の上には、いつの間にか先ほどの仔猫が居座っている。


「私は今日ここにきて、事件の詳細を聞いた後、依織殿と共にこの屋敷を散策していた。

散策と言っても庭を歩いたくらいで、特別に変わったことはしなかったのじゃが、そこの――」


 壱子は言いかけて、依織……ではなく、その膝の上に鎮座する仔猫を指さした。


「にゃんこ……もとい、猫が外から迷い込んできた」

大黒丸(だいこくまる)だ、いちこ」

「なに?」

「こやつの名は大黒丸。(こち)がそう名付けた」

「依織殿、その猫を飼うのか?」

「うむ」

「大きくも黒くもないが……まあいい、分かった」


 笑顔でうなずいた依織に対し、壱子は何故か残念そうに、眉をひそめつつ肩をすくめた。

 後から話を聞いたところ、どうやら壱子も大黒丸を屋敷に連れて帰りたかったらしい。

 ちなみに壱子は、彼女の姉に「猫を飼いたい」と何度も頼んでいるが、毛が抜けない猫でないとダメだと却下されている。

 それを聞いた壱子は、「まるで海月(くらげ)の骨じゃ(※)」と憤慨していたが、どうやらまだ諦めていなかったらしい。


(※:存在しないものの例え。)


「話を戻すぞ。依織殿は猫と遭遇して」

「いちこ、大黒丸」

「……大黒丸と遭遇して、これを追いかけた。しかし追われたら逃げるのが世の常じゃ、大黒丸は逃げた。脱兎のごとく」

「猫だ、いちこ」

「言葉の(あや)じゃ。ま、いずれにせよ大黒丸は屋敷のあちこちを逃げ回った挙句、この部屋に入り込んだ。そのあとを追ってきた依織殿は、障子をすべて閉めると、大黒丸を追い詰めた。その後は非常にうまく大黒丸を手なずけて、朝霧が砂糖菓子をもって入ってきて、依織殿が手を伸ばしたら、倒れた。あとは皆の知っての通りじゃ」


 壱子は長台詞を終えて一息つくと、ぐるり、と周囲を見回した。

 そして特に反論が怒らないのを確認すると、小さくうなずいて続ける。


「ふむ。では早速、事件の解決に入ろう。この事件には奇妙なところがいくつかある。まず一つ目は、毒見が利かない事じゃ」


 そう切り出して、壱子は心底楽しそうに笑った。

 本当に、楽しそうに。


 しかし、平間の脳裏には一抹の不安がよぎる。


『アタシの考えが正しければ、壱子さまの推理は間違っていますよ』


 その紬の言葉が、妙に重々しいものに平間には感じられた。


――

―――

――――

―――

――


 解決編前の登場人物おさらい。

 記憶がおぼろげなら役に立つだろうが、あるいは不要かもしれない。


佐田壱子(さだの いちこ):わがまま娘。「こんな事件、四半刻で解決してみせる」と豪語したが、展開的には彼女が犯人だと一番意外だし、辻褄も合うし、あらゆる登場人物の中で最も毒を用意しやすい立場にある。


平間京作(ひらま きょうさく):主人公であり、読者の目だ。彼は犯人ではないし、嘘をついてもいない。しかし彼の観察眼がどこまで正確なのかは疑問が残る。


巻向紬(まきむく つむぎ):今までのところ、最も胡散臭い人物。だが終始ヘラヘラしているし動機も無く、何より謎が多すぎるので、今回ばかりは一周回って怪しくない。


水臥小路依織(すがのこうじ いおり):わがまま娘その二。壱子は賢いが、彼女はあまり頭が回るタイプではなさそうだ。今回の事件は彼女の狂言だったという可能性もあるが、オチとしては一番微妙だろう。


水臥小路詩織(すがのこうじ しおり):依織の双子の姉で、確執があるらしいが未登場。そして未登場の人物を犯人にするのがいかにマズイことかは、さすがに作者も分かっている。しかし往々にして、ルールを破るのは楽しいことでもある。


水臥小路未途(すがのこうじ みと):詩織・詩織姉妹の実母。ヒステリックな三十五歳。この歳ではさすがにヒロインではないし、となると犯人かも知れない。本文では名前が出ていない。依織のことを溺愛しているが、その愛情がどこから出てきているのかは現時点で不明。


朝霧(あさぎり):水臥小路家の屋敷で働いている侍女。苦労人のように見える。今回も間が悪く、母親に犯人だと疑われてしまった。しかし、こういう一見怪しくない人間が犯人だったりするのが世の常だ。


依織に毒を盛ったとされる侍女:母親が目撃しているが、信憑性はあまりない。しかし実在しているかも知れないし、しないかも知れない。誰かの変装かも知れないし、そうでないかも知れない。


大黒丸(だいこくまる):ねこです。


――

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