最終回
昼過ぎに降り始めた霙は、夜になると雪に変わった。
吹きすさぶ風は身を切るほど冷たいはずだったが、ふかふかの外套と帽子のおかげで、寒さに震えることはない。
ラーニャはマドイに続いて、王城で一番眺めのいい塔の屋上に足を踏み出した。
塔から見える聖夜の王都には、無数のキャンドルによる明りが灯っている。
橙色の灯火は暖かで、ラーニャをますます幸せな気分にさせてくれた。
ラーニャはマフラーに顔をうずめながら、隣に並んでいるマドイに言う。
「なんだか、今年は一年あっという間だったな」
「そうですね。今年は色々なことがありましたから」
去年に引き続き、今年は本当に様々な出来事があった。
英雄グスタフを倒したり。
小麦騒動があったり。
どれも思い出深かったが、一番の事件はやはりマドイからの求婚だろう。
まさかあのマドイと、このマドイと結婚することになるなんて、今年の始まりには予想もつかなかったことだ。
「まさかお前と結婚することになるとはな~」
求婚されて驚くあまり、彼に背負い投げを食らわせたこともあったが、今となってはいい思い出だ。
考えをまとめるために住んだ貧民街も今ではすっかり取り壊され、元の住民は全員仮設住宅に移っている。
そこでは職業訓練や就職斡旋も行っているとのことだし、今は貧しいマオ族も段々と豊かになっていくことだろう。
マオ族狩りは全員捕まったし、刺されたマドイの傷も治ったし、万々歳である。
ラーニャが夜景を見ながら思い出に浸っていると、マドイが小さく呟いた。
「いよいよですね」
「何が?」
「貴女の花嫁修業ですよ。新年になったらすぐ始まるんでしょう?」
(……そうだった)
すっかり忘れていたが、ラーニャは年明けにマドイと仮婚約し、花嫁修業に専念する身となる。
精霊の守護と公爵家の後見があるとはいえ、ラーニャは紛れもない庶民の出だ。
王族に嫁ぐには、相応の礼儀作法と教養を身に付けなければならない。
「本当に大丈夫ですか?」
マドイは彼女の花嫁修業を、ことさら心配しているようだった。
顔をのぞきこんでくる彼に、ラーニャは明るく笑って胸を叩く。
「大丈夫だよ! どんなに厳しかろうが、あの工場に比べたらマシなもんよ」
「そうですかねぇ」
「そんなに信用できねーのか? オレを何だと思ってんだよ」
「そういうわけではないんですけど……。ご家族も心配されているでしょう?」
「ご家族」という単語に、ラーニャはうっと詰まった。
「どうかしたんですか?」
「……スマン。お前のこと家族に何も言ってねーわ」
マドイは彼女の台詞を聞いて、しばらく硬直していた。
しかしやがて、涙目になりながら詰め寄って来る。
「それはつまり、私はご家族に紹介するに値しない人間だということですか!?」
「ち、ちげーよ。手紙にお前のこと書いても信じてもらえないから」
今まで男っ気の無い娘がいきなり、「王子様と結婚するの」なんて書いてよこしたら、頭の中身を心配されてしまう。
だから母親には「結婚を考えている人が出来た」と伝えておいた。
「そのうち、家族をこっちに招待して紹介するよ。まだ仮婚約もしてないしな」
ラーニャの説明に、マドイは安心したようだった。
そう、あくまでもマドイとラーニャは、これから仮婚約する身である。
仮婚約をし、約一年の花嫁修業を経た後、正式な婚約者同士となるが、それまではロクに会うことも出来ない。
庶民出のラーニャには覚えることがたくさんありすぎるからだ。
(なかなか会えなくなるんだよな……)
ラーニャは町並みを見つめるマドイの横顔を眺めた。
どの角度から見ても美形なのが、何となく腹が立つ。
「おい、マドイ。こっち向けよ。んで、少ししゃがめ」
「どうしたんですか?」
「いいから。初心に帰るんだよ!」
マドイは戸惑っていたが、結局は愛しい彼女の言うとおりにした。
相手が腰をかがめたのを確認すると、ラーニャはにやりと笑って、思い切り彼の顔に頭突きをする。
「――!」
いきなりされて驚いたマドイは、思わず後ろに尻餅を付いた。
顔を真っ赤にしながら目を見開いている彼の顔が滑稽で、ラーニャは大声を上げて笑う。
「ラーニャ! 今貴女……」
「何だよ。文句あるのか?」
「だって、今ブチュって――。これって頭突きじゃなくてせっぷ……」
「ちげーよ。当たり所が悪かったんだよ!」
ラーニャは尻餅を付いたままのマドイの頭を軽くはたいた。
彼にくるりと背を向けて、赤くなった顔を隠す。
「バッチリ修行して来てやるから、覚悟しろよ?」
ラーニャはマドイに聞こえるか聞こえないかという声で、そう宣言したのだった。
これにて「激烈出稼ぎ娘」の本編は全て終了になります。
今までこの作品を読んでくださった方、ほんとうに有難うございました!
7月下旬辺りに番外編をUPする予定なので、もしよろしければご覧になってください。




