八十四個目
商人組合の本部へ俺たちは到着する。
まさかこの短い間に、三回も来ることになるとは思わなかった。
だが、ぶつぶつ言ってもしょうがない。エーオさんに会わないといけないね。
受付に向かおうとしたのだが、ぱたぱたと走って近づいてくる人がいる。
赤いリボンの尻尾をふりふりしながら近づいてきたのは、ダリナさんだった。
「ナガレ様! どうかされたのですか?」
「えぇ、ちょっとマヘヴィンさんを探していまして……。エーオさんは、いらっしゃいますか?」
「今、確認をしてきます。少々お待ち下さい」
彼女は嬉しそうに走り去って行く。
そしてすぐにエーオさんを連れて戻ってきた。わざわざ呼び出したみたいで、申し訳ない気持ちになる。
「ナガレさん、お待たせしました。マヘヴィンが来ていないということですが……」
「はい。倉庫の方で待っていたのですが、まだ来られていないので、もしかしたら早く行き過ぎたのかと思いまして」
「昨日帰られた後に、心を入れ替えるように厳しく言っておいたのですが……。こちらで捜索をし、すぐに向かわせます。いえ、もう王都を追い出すべきでは……」
本部長ともあろう方が、俺なんかへ頭を下げるその姿は見ていて心が痛い。
エーオさんが悪いわけではないのだが、甥のことで頭を悩ませているという理由もあるのだろう。
自分のために頭を下げさせていると知ったら、マヘヴィンさんはどう思うのだろうか? こういうところは、ちゃんと見せてやったほうがいい。
「エーオさん。追い出すのはまだ待ってあげてください。もしかしたら体調が悪いなどの事情がある可能性もあります。自分は倉庫の方に戻り、昼までは待たせて頂こうと思います。それで来られないようでしたら、また明日向かいます。指導をすると約束をしたのですから、当然のことです」
「……ありがとうございます。こちらでも迅速に対応をいたします」
エーオさんは俺たちに何度も頭を下げ、奥へと戻って行く。もうその顔色の悪さが見ていられなかった。俺のことじゃないのにつらいです。
そして俺たちも馬車へ戻ろうと商人組合の本部を出たのだが、ダリナさんがわざわざ馬車に乗るまで見送ってくれた。
そして彼女はなにも悪くないのに、なんとなく申し訳なさそうにしながら謝ってくる。
「ナガレ様、こちらの不手際で申し訳ありません」
「いえ、最初はこんなものですよ。気にしないでください。……そうだ、一つお願いをしてもいいですか?」
「お願い、ですか? わたしにできることでしょうか?」
うん、ずっと引っかかっていたんだよね。
ダリナさんの俺への呼び方。こうなんというか、背中がむず痒いというか。
「ナガレ『様』、というのはやめてください」
「え……。あの、なにか失礼をしてしまったでしょうか?」
「いえ、そういうことではありません。自分はナガレ様と呼ばれるような人間ではありません。その、少しこうむず痒くなってしまいます。ですので、もう少しフレンドリーに呼んで頂けると嬉しいです」
ダリナさんは、ほっとした顔をしている。
俺の言い方が悪かったかな?とも思ったのだが、すぐに彼女が笑顔に戻って良かった。
「ではこれからは、ナガレさんとお呼びさせて頂きますね」
「ありがとうございます。それでは、これで失礼します」
「はい、またいつでもいらしてください」
馬車に乗り込み、移動しながら思ったのだが……。
ダリナさんはすごく丁寧な感じがいいね。本部長付きの秘書さんかなにかだと思うのだが、とても好感がもてる。
っと、なぜかフーさんが俺の服を引っ張っている。なにか用事かな?
「わ、私もあんな風になるわぁ!」
「え? うん、いいんじゃないかな。彼女は見本として、理想的だと思うよ」
「女性として理想的……」
「いや、仕事の話だよ?」
「頑張るわぁ……」
「キュンキューン(フーさん聞いてないッスね)」
フーさんは、後半の話をあまり聞いてくれていなかった気がする。
セレネナルさんにもその後つつかれて「ほどほどにしておきなよ?」とまで言われた。
一体どういうことだろう。さっぱり分からない……。
俺たちが倉庫へと戻ると、先ほどと全く変わらない状況だった。残っていた三人がイライラしているのが見てとれる。
やっぱり来ていなかったか。はぁ……。
「今、戻りました。マヘヴィンさんはいらっしゃっていませんか?」
「来ていませんわ」
「来てねぇよ」
「ですよね。もう少し待って来なかったら、引き上げましょうか」
二人は返事もなく頷いていた。無言の圧力を感じて怖い。
それにしても朝から来るよう、エーオさんから言われたのに来ていないのか。
彼が管理人を辞めたいというのは、本音なのかもしれない。そこまで無理をしてやらせることもないし、辞めさせてあげた方がいいんじゃないか? 俺も休暇に戻れるし。
……いや、駄目だ。
仕事なんていうのは、大体最初は辛くて辞めたくて泣きたくなる。そこを越えてしまえば、慣れてきて楽になるものだ。
きっと彼はそういう心境なのだと思う。……そうだと信じたい。
まぁ一概に全てがそうとは言えないけどね。明らかに辞めたほうがいい仕事も多いことは、間違いない。
俺の元の世界での職場とかね!
少し待ったのだが、結局マヘヴィンさんは来ない。
時間は昼前となり、俺たちが引き上げるか悩んでいたときだった。
飄々とした様子で、俺たちへ近づいて来る人物がいる。その姿を確認し、俺は正直なところ「うわぁ……」と思ってしまう。
どうせなら今日は来ないでほしかった。今はみんなイライラしていてタイミングが悪い。明日仕切り直したかったのに……。
「あれ? 皆さん早いですね」
「おいボスいいよな? なぁ? いいよな?」
「大丈夫大丈夫、死なない程度に抑えておくよ」
ヴァーマさんはそのでかい拳を握り、腕をぐるぐる回す。
そしてセレネナルさんは、手から炎を出していた。
一触即発であるにも関わらず、当人は気づいておらず、へらへらと笑っている。火に油だ。
「二人とも落ち着いてくだいますか?」
おぉ……。さすがハーデトリさんだ。イライラしているように見えたが、西倉庫のトップだけある。
まずは冷静に話を聞こうと言うのだろう。俺ですら、少し殴ってもいいかな?とか思っていたのに、さすがだ。
「私の分も残しておいてくださいます?」
全然冷静じゃなかった。むしろシャドーを始めている。まずい、このままではここが殺害現場になってしまう! 証拠隠滅の方法を考えねば……。
違う、止めないといけないんだった。俺の思考もかなりやばい方向へいっているな。
「ねぇボス……」
「セトトル! 止めるのを手伝って」
「オレも一発か二発……五発くらいはいいんじゃないかなって思うよ?」
そう言ったセトトルの目は、どんよりと暗くなっていた。
普段のセトトルならこんなことは言わないはずだが……。はっ! しまった! まさか、ハーデトリさんを押し付けた影響がこんなところに出ているのか!?
後、頼れそうな人は二人だけだ! 助けて!
「フーさん!」
「これは無理よねぇ。だって、ボスが同じ状況ならならどうするかしらぁ?」
「え? そりゃ謝るよね」
「それを知っているからこそ、絶対止められないわぁ」
基準が俺になっているのか。そりゃいつも一緒にいるのだからしょうがないかもしれない。
でも、フーさんまで諦めてしまっている。
こういうときに頼りになるのは……。
「キューン?」
「キュン? キューン? キュンキューン(証拠隠滅ッスか? 場所だけは変えた方がよくないッスか? 人目がつかないところがいいと思うッス)」
「そっちじゃねぇよ!」
いつ俺の心の声を読んだんだ? いや、もしかして声に出していた? いや、それはとりあえず置いておこう。このスライムもどきが只者じゃないことは、すでに分かり切っていることだ。
問題は……この殺伐とした空気の中、頼れる人が誰もいないこと。
え? 俺がなんとかするしかないの? 俺にマヘヴィンさんの生殺与奪が握られちゃっているってこと?
そういえば全然関係ないのですが、事前に飲んでおいた胃薬の効果は絶大でした。
こんな状況でも、全然平気だよ! ……はぁ。




