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第1話 毒妻の気づき

短編が好評だったので、連載をしていきます!

よろしくお願いします!




「――あなたの婚約者となります、セドリック・ギルベルトです」


 柔らかな、しかしどこか掠れた少年の声だった。


 顔を上げた私の視界に、淡い金髪と、氷湖の底みたいに澄んだ青が差し込む。

 長い睫毛の陰に隠れて、その青は少し暗い。

 表情も、光を閉じ込めたまま固まっている。


 十五歳。

 病弱で、痩せていて、礼儀だけが完璧な、孤独な美少年。


 ――その言葉、その姿で、私は全部、思い出した。


 ここはゲームの世界。


 目の前の少年、セドリック・ギルベルトは、かつて私が夢中で遊んだ恋愛ゲーム『マジカル・クロニクル!』の攻略キャラのひとりだ。


 前世の私は日本人で、仕事帰りに甘いお菓子とパッケージの可愛いゲームを買っては、夜更かししていた。


 恋愛ゲームも小説も、現実の疲れに効く最良の魔法だ。


 中でも『マジカル・クロニクル!』はお気に入りで、魔法学園で女主人公が成長しながら恋をする――王道の、でも刺さる、あの感じ。


 いまもゲームのオープニング曲が頭のどこかで鳴っている。


 攻略キャラの中で一番刺さったのが、この子。

 セドリック・ギルベルト。


 淡い金髪、氷の湖のように澄んだ青い瞳。

 儚げで、触れたら壊れてしまいそうな、美。


 ――けれど今は、目が暗い。顔が暗い。


 当たり前だ。

 彼には、友達も家族もいないのだから。


「あの、アメリア様……?」

「っ……申し訳ありません、少しボーっとしておりまして」


 いきなり前世の記憶を取り戻して、呆然としてしまった。

 目の前の推し……そう、前世の「マジクロ」の推しキャラのセドリックが、訝し気に首を傾げている。


 そんな姿も愛らしい……じゃない。

 彼は今の私の態度に驚いている。


 なんていったって私は、あのアメリア・ファビール。

 ――作中で最悪の毒妻キャラだったから。



「ふぅ……」


 私はセドリックとの初対面を終えて、屋敷の部屋に通された。


 そこで私は一人、ゲームのセドリックの設定を思い出す。


 十歳まで孤児院。病弱で走れず、遊べず、いつも窓辺の椅子。


 十歳のある日、魔法の才に目覚めたことで血が判明した。

 ギルベルト公爵が若い平民の娼婦を買った時に孕ませた子――つまり、貴族だった。


 公爵は『役に立つなら』というたった一言で、彼を引き取った。


 でも、公爵家でも、セドリックは一人だった。

 孤児院で平民として暮らしていた少年が、貴族の家に急に馴染めるわけがない。


 公爵たる父は忙しく、公爵夫人は彼を見ない。

 正嫡の兄は有能で、しかし――有能さと人格は別物で、彼はセドリックを露骨に蔑んだ。


 母と兄は、時に邪魔者と罵り、時に手を上げた。


 その時に――セドリックは、魔力暴走をさせた。


 『あ、ああ、ああああぁぁぁ……!』


 公爵家に来て一番仲良くしてくれた使用人の血を被り、セドリックは酷く後悔した。


 母と兄は軽傷で、幸いにも使用人も一命は取り留めた。


 それから、セドリックは「隔離」の名目で離れへ。


 以後、わずかな使用人と暮らす。

 使用人は彼に情が移らないようにと、頻繁に交代させられた。


 交代制度がなくても、情が移ることはほぼなかっただろう。


 セドリックの近くにいれば、前の使用人のように魔力暴走させて怪我を負うかもしれないから。

 名前を覚える間もなく、別の顔。


 ――十五歳の今に至るまで、彼はずっと、ひとりだった。


 そして十五歳の今。


 セドリックは婚約する。相手はアメリア・ファビール。

 初対面、年上、二十歳。


 よりによって、そのアメリアが、まともじゃなかった。


 容姿は派手で人目を引く。

 だが勉強も花嫁修業もせず、社交と遊興に明け暮れ、金遣いも荒く、男遊びも激しい――そんな噂で持ちきりの、厄介な令嬢。


 家柄だけは文句のつけようがなく、公爵家と繋ぎたい辺境伯家の思惑で、アメリアとセドリックは政略婚約となった。


 アメリアは「公爵家の次男の妻」という箔に浮かれ、会う前は上機嫌だった。


 だが当日、目の前の少年が「平民の娼婦の子」と知るや否や、『そんな話は聞いてないわ!』と声を荒らげる。


 ――離婚? できるはずがない。

 これは辺境伯家と公爵家の取り引きだ。


 その日以降、アメリアはセドリックと同じ離れの屋敷で暮らす。

 そして言葉で、態度で、日々を削る。


『娼婦の子どもだなんて汚らわしい』

『病弱だなんて最悪ね。そのまま死んじゃえばいいのに』


 ふらつく彼の肩にわざとぶつかり、転ばせる。

 公爵家の金に手を付けて浪費し、さらに彼に与えられている資金の横領までして遊び歩く。


 最悪の妻。毒妻。


 ――それが、アメリア・ファビール。


 (そして、私は今、そのアメリア・ファビールだ)


 心臓がどくん、と鳴り響く。

 私はセドリックと対面して通された部屋で、自分の姿を改めて鏡で確認した。


 燃えるような赤髪。琥珀色の瞳。

 華やかで、人目を引く美貌――間違いなく、アメリア。


 最悪。いや、ほんとうに、最悪。


 まさか、好きだったゲームの世界に転生して、推しのセドリックの妻。

 しかも毒妻キャラ。


 嬉しいのか、悲しいのかわからない。


 ――でも、今、思い出せてよかった。

 このまま原作通りに「毒妻」を続けていたら、私は破滅する。


 原作のルートでは、セドリックが十八歳で公爵位を継ぐ少し前、彼の両親と兄は王都へ戻る途中に魔物に襲われて死ぬ。


 若くして当主となった彼は、冷たい正義で家を再編し、そして――私を、横領の罪で告発する。


 牢に入れられ、裁判。

 判決は当然、処刑。


 『公爵は自らの妻を断罪した』という残酷なレッテルは、彼のトラウマと噂を育て、攻略キャラとしての陰影を強くする。

 そんな冷たいキャラとして人気だった彼だが、そんなルートになったら私は死んでしまう。


 死なないためにも、私はそのルートを避けるように動かないと。


 でも私は推しのセドリックを虐めるなんて、できるわけがない。

 さっきも一目会ったけど、本当に可愛かった……抱きしめていい子いい子したいくらいだった。


 でも我慢した、うん、ノータッチ、ショタ。

 これがヲタクの心構え。


「――処刑ルートは避けられるはず。でも油断したら死ぬ」


 私は小声でそう呟いた。


 なんだか死亡フラグを自分で立ててる気もするけど、気合い入れの呪文みたいなものだ。

 ……うん、死にたくない。推しを虐めるとかもってのほか。


 だからもう決めた。


 私は毒妻にはならない。

 推しを守る。


 今は妻という立場だけど、その立場に胡坐をかかない。


 どうせ私はモブキャラで、彼はメインの攻略キャラ。

 私が処刑ルートを避けても、別れる可能性が高いと考えたほうがいい。


 だから、できればお姉さんポジションくらいの立ち位置で、彼に安心をあげたい。

 そのための最初の作戦は――一緒に夕食を食べること。


 うん、ただの食事。だけど、されど食事だ。


 そう思って食堂に足を踏み入れた瞬間、私は口をぽかんと開けてしまった。


 ……広い。いや、知ってた。

 貴族の屋敷なんだから広いのは当たり前。


 けど、離れの屋敷の食堂でこれ?

 私の実家の辺境伯家の食堂より広いんですけど?


 高い天井からは煌々とシャンデリアが下がっていて、長すぎるテーブルの上には白布と銀の燭台。

 真ん中には花瓶。


 私とセドリック、二人で座るには明らかに間延びした配置だ。

 前世のことを思い出した私に、まるで「緊張してください」と言わんばかりの空間演出。


 私が席に着くと、対面にセドリックが静かに座った。

 背筋は一直線。動作は完璧。


 けれど……彼はまだ十五歳の少年。


 身体も細くて華奢。

 けど礼儀だけは大人顔負けで、隙がない。


 まあ、ここまで完璧だと逆に庇護欲がわくんだけど。

 というか、私はセドリックという存在だけで庇護欲がわくけど。


 運ばれてきた皿を見て、私は目を丸くした。

 あれ、量が……私より明らかに彼のほうが少ない。


「……セドリック様、量が少ないようですが、大丈夫ですか?」


 私は恐る恐る口を開いた。

 セドリックは伏し目がちに、短く答える。


「いつも、これくらいです。問題ありません」


 そっけない。でも予想通り。

 彼が誰かと打ち解けて、にこにこ話すなんて原作ではほぼ見なかったし。


「そうですか。でも、いっぱい食べることは大事ですよ? 栄養のバランスも……あ、無理にってわけじゃなくて」


 慌ててフォローを入れる。

 推しに管理されてる感、を与えるわけにはいかない。


 けど言いたい。だって彼は病弱なんだから。


「お野菜も良いですが、お肉も少しは……」

「脂っこいものは得意ではありません」


 ぴしゃり。食い気味に遮られた。


「そう、なんですね。じゃあ、お魚とかどうです? 消化もいいですし、栄養も――」

「どうでもいいです」


 ……会話が終了。

 糸電話がぷつんと切れたみたいに会話が途切れる。


 ここまで嫌がられるとは思わなかった。

 いや、嫌がられるのは覚悟してたけど、こうも冷たいとさすがに堪える。


 けど……それでも「無関心」って態度がまた可愛く見えてしまう私はやっぱり末期オタクだ。


 可愛いは正義。推しの無関心も尊い。

 私が必死に笑顔を保っていると、セドリックがぽつりと口を開いた。


「……あなたの話は、聞いております」

「え?」

「公爵家に迷惑をかけない程度なら、遊んでいただいて構いません。ただ、夜遊びはほどほどにしてください」


 ……私の噂、知ってたか。

 まあ、原作アメリアは確かに社交と遊びに明け暮れていたし。


 実際に、婚約前は遊んでたけど……それは主に賭け事とかお酒とか、そういう類で。

 前世のことを思い出した私としては、それ以前の自分は原作アメリアの記憶を見ているような感覚だ。


 でもだからこそ、噂であるような男遊びなんてしていないことがわかっている。


 公爵家も私が遊んでいることは知っているが、「婚前交渉」をしていないことは絶対に確認しているはず。


 そういう行為をしていたら、アメリアが公爵家に嫁ぐことは絶対になかっただろう。

 まあ、原作のアメリアは彼と結婚してから、他の男とそういうことはしていたけど……。


 でも今は違う。

 私はもう思い出してしまった。


 推しの妻ポジションを放棄する気はないし、破滅ルートもごめんだ。


「ありがとうございます。でも、もうセドリック様と婚約しましたから……遊びは卒業いたします」


 にっこり笑顔を添えて言った。


 しかし。

 セドリックの青い瞳が見開かれ、次の瞬間には鋭く細められた。


「……何が目的ですか?」

「えっ?」

「私に媚びを売っても無駄ですよ。私が公爵家で権力を持つことはありえませんから」


 ちょ、待って。何その誤解。

 媚びてなんかないんだけど。


 私はただ、推しに健康でいてほしいだけで……。


「そ、そんなことは考えてません!」


 慌てて否定する。

 だけど彼は冷たい目を崩さなかった。


「……そうですか。ご馳走様です」


 すっと立ち上がる。

 皿の上にはパンが半分、スープもまだ残っているのに。


「セドリック様、もう食べないのですか?」

「いいです」


 短くそう言って、彼は出て行った。

 足音まで静かに、影みたいに。


 ……ふぅ。


 残された私は、スープの湯気を見つめながら溜息をついた。

 まだ緊張で心臓はばくばくしている。


 推しと向かい合って食事するなんて、それだけで手汗がやばいのに、あの拒絶の圧。

 想像以上に手強い。


 だけど大きな壁だからって諦めるわけにはいかない。

 私はここで死にたくないし、何より……推しを泣かせたくない。


「……長期戦、だね」


 ぽつりと呟いた声は、スープの湯気にかき消された。




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