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番外編2 王都に持ち込まれた生物兵器 

※感想欄で書いていたジーンの設定は一部変更してあります、ご了承ください。


※もしジーンがヒーローの『復讐の紅い小鳥は囀らない』をお読みの場合は、5話を先に読んでからの方が楽しめるかなと思います。

時系列的には6話の真ん中あたりくらいです。


【ジーン視点】



 とある晴れた日の朝、ジーンは足取り軽く王都にあるロシェット伯爵邸へと訪れた。手土産の小さなバスケットを抱え、クロードの喜ぶ顔を想像しながら使用人に来訪を伝える。


 このところ仕事でしばらく辺境に滞在していたので、久しぶりの再会だ。積もる話も、まぁ、なくはない。中へと案内されながら、顔を綻ばせる。


 とはいえたった数ヶ月、さほど様変わりはしていないだろうと気楽に構えていたジーンはしかし、予想外にくたびれたボロ雑巾のような様子のクロードに出迎えられて目を瞬いた。


 普段身だしなみはきっちりとしているはずの友人のシャツは薄汚れ、ボタンもどこかに飛んでいる。髪にはどうしたらそうなるのか、枯葉をいくつもつけて、全体的によれっとした印象になっていた。


「一体なにが……」


 ジーンのつぶやきをかき消すようにソファへとどさりと腰を下ろしたクロードは、この世の終わりだ嘆くように、絶望感に満ちた溢れた顔を両手で覆った。よく見るとその手は汚れ、穴掘りをした後のロロのように爪の間には土がこびりついている。ますますわけがわからずジーンは小首を捻る。


(夫婦喧嘩でもしたのか?)


 と、軽く考えていたジーンだったが、クロードの口からこぼれ落ちたのは予想の斜め上を行く言葉だった。


「この王都に、生物兵器が持ち込まれた……もうこの国は、終わりだ……」


 あまりにも物騒な話が出て来たのだが。


 なにがどうなって、生物兵器。


 深刻に真に受けかけたが、すぐに思い直す。クロードのことなので、きっとそこまで深刻な話でもないだろうと話半分で聞き流して、椅子を勧める余裕もない友人の向いへと気ままにかけた。そして持参したバスケットを、ひとまずガラスのローテーブルへとそっと滑らすように置く。


「よくわからないが……国のことを考えるのは、もっと上の責任ある立場の人間に任せておけばいいよ。そんなことよりも、ほら。今日はクロードが喜びそうな手土産を持ってきたんだ」


 手土産のバスケットを示すも、彼は顔を上げる気力もないのか、汚れた指の間から悲観に暮れた嘆息を漏らすだけ。


「……今の俺に必要なのは、猫科の本能だ」


「ごめん。ちょっとなにを言っているのかわからない」


 それにしてもだ。


(しばらく見ない間に、残念具合に磨きがかかったなぁ……)


 貴族としての振る舞いや領地経営は完璧なのに、変なところでジーンが思いもしない思考をし、摩訶不思議な結論に達して、驚きの行動をするところがあったが、今日も安定の意味不明さだ。


 こうと思ったら周りが見えなくなるタイプで、視野狭窄になっているときはだいたいろくでもない結果を招く。周囲が注意深く見守りフォローしなければ、取り返しのつかないことになりかねないのだ。


 ジーンとしては変に警戒したり取り繕ったりしなくてもいい相手なので、友人としては好ましくもあるが。


(リーラちゃんも大変だ)


 この手綱を握らなくてはならない妻は、さぞ大変なことだろう。


「そういえば、リーラちゃんは?」


 クロードはようやく顔から手を退けてくれたが、そのままがっくりと肩を落としてうなだれた。


「言い争いになって……出て行った」


「出て行った!?」


「いや、正確には、俺を置いて出かけて行った、だ」


「ああ、なんだ……。びっくりするじゃないか」


 ほっと胸を撫で下ろす。さすがのクロードも、溺愛する妻に出て行かれていたら、こうしておとなしく屋敷にこもってはいないだろう。ロロの鼻を頼りに、妻を探して国中駆けずり回るくらいのことはするはずだ。おもしろいくらいに想像できた。


 となると、行き先もわかっており、人もつけてあるのだろう。せっかくなので顔を見てあいさつくらいしたかったのだが、残念だ。


「……それで、今日はなんの用だったんだ?」


 少しだけ気を持ち直したクロードに水を向けられたジーンだが、生物兵器の破壊力が強すぎたせいなのか、話題が一から十まですべて吹き飛んでしまっていた。


 まあ自分の話など、またの機会でも構わない。


 自らの近況を語るよりも、聞き手に徹する方が性に合っているのだ。


「気まぐれに友人の顔を見に来ただけだよ」


 そう言って微笑むと、クロードが胡散臭げな顔になったが、別にそこに嘘はない。


 クロードのようにわかりやすい人間の側は、ジーンのような特殊な環境に身を置いていた人間には非常に居心地がいい場所なのだ。


 少々アレなところもあるが、歴史あるロシェット伯爵家の唯一の血筋であり、現当主。ジーンが多少親しくしたところで簡単に消されないだろう存在はわりと貴重だった。


 身分のない人間は簡単に消されてしまう。だから迂闊に親しくはできない。それに加えてジーンは、家族以外の大多数の貴族を信用していなかった。


 なので根っからの貴族的思考を持たないクロードやリーラは、彼らが思っているよりもずっと、ジーンにとって価値がある存在だ。


 クロードがいわゆる普通のご令嬢を娶っていたら、これまでのように気軽に屋敷へと足を運ぶことはできなかっただろう。


 リーラには申し訳ないが、ジーンとしても最良の形に収まったと思う。そうなるように裏で奔走したのはジーン自身だが、終わってみたらすべては誰かの手のひらの上で筋書き通りだったのではと、思わなくもない。


 ジーンはちらりとクロードを窺う。誰にも知らされていなかったクロードの結婚の情報をいち早く掴んだのはジーンの実家であり、それとなく教えてくれたのは姉だった。


 内情こそ口にしなかったが、その時点でおそらくすべての情報を掴んでいたに違いない。クロードの復讐心、リーラへの仕打ち、ヴェルデの思惑、そのすべてを。


 そうでなければあの姉が、直接お祝いしてきたらどうかと軽く勧めたりはしなかっただろう。


 ジーンが後悔しないように動く機会を与えてくれたのだと気づいたのは、クロードの元へと足を運んだ後のことだった。


 ジーンはすぐに屋敷内の妙な空気に気がついた。箝口令が敷かれていたのだろうが、わかりやすいクロードや、爪弾きにされていたリーラの様子をつぶさに観察しながら、会話から少し探りを入れたら、だいたいのことは読めてきてひとり頭を抱えた覚えがある。


 クロードの良心を信じたくて試すようなことをしたりもした。真実を詳らかにして後悔と反省を促すと、単純なクロードは思った通りに心を動かしてくれたので、ひとまず安堵して伯爵邸を後にし、その足で姉の元へと飛んだ。情報を得るために。そして今度はキンブリー子爵領へと、慌ただしく。


 ヴェルデがすでにクロードの暗殺計画を練り終えていると知ったときにはさすがに肝が冷えたが、クロードの改心とリーラの待遇が改善されたことを伝え、どうにか殺意だけは抑えてもらった。殺意だけは。


 クロードに真実を教えてリーラとの関係を修復するきっかけを作り、姉のつてでヴェルデと面会したりと、意気揚々と結婚祝いに行ったはずなのに、結果あちこちの復讐心の鎮火のために奔走したことを思い出して遠い目をする。

 

 知らないということは幸せだよなぁ、と、ジーンはクロードへと生ぬるい目を向けた。


「なんだ、その妙な目は」


「気のせいだろう?」


 もちろんジーンはなにも言うつもりはないし、クロードが知る必要もない。すべてはジーンの自己満足であり、とうに終わった話だ。


「それにしても、めずらしいな? おまえが王都にいるなんて」


「……たまには家に顔を見せないとと思って」


 できることなら王都になど来たくはないし、用もないのに長期間滞在などもってのほかだ。


 それでも、年に一度くらいは安否を知らせないと。ジーンが肩をすくめると、クロードが苦笑いをした。


「そうだな。おまえの家族はおまえに対して、ちょっと異常なくらい、過保護だからな」


 クロードにちょっと異常と言われるのは心外だが、その通りなので反論はない。もはや恥ずかしさや面はゆさを感じることのないくらいに、揺るぎない事実だった。


 ジーンの実家は元は王女が降嫁してできた由緒ある公爵家なのだが、近年は王族の横暴によって辛酸を舐めさせられ続けていた。その殺伐とした関係は、一定年齢以上の貴族ならば誰もが知ることだ。

 

 数年前に新しく王位を継いだ現国王と、実家との間に、公にはならない利害関係による密約が結ばれたことで、恨みはまだまだ根深いものの、冷戦状態にまではどうにか関係を持ち直したというところだ。


 とはいえ友好関係を結べるようになるのは、まだまだ数代は先の話になることだろう。


「こっちに来て改めて思ったが、陛下が歩み寄りを見せた今、公爵家との繋がりを求めるやつは少しずつだが間違いなく増えてきているな。俺もさりげなくジーンに婚約者や恋人がいないかどうか聞かれたし……。まぁ、あれだけ王家と水面下でやり合いながら、結局生き残ったのは公爵家の方だ。どこにつくのが正解か、周りもようやく気づきはじめたんだろう」


 これまで散々王家に睨まれないよう公爵家から距離を置いていた貴族たちに、今さら媚びられても困る。


「あいにく、うちに擦り寄ってきてもこれといった旨味はないよ。都合よく利用されて消されるか、目障りだから消されるかの、どちらかだ」


「それは二択ではなく、消される一択と言うんだ」


 身内にはあまいが他人に非情な一族なのだ。


「娘を公爵夫人にと野心を持つのは自由だが、残念ながら僕はうちを継がない。できれば姉上に爵位を継いでほしくはあるけど、たぶん妹にお鉢が回るかな。いい婿が見つかればいいが」


「妹って、まだちっちゃな子供だろうに」


「だからこそ、だ。小さいからこそ……過去を知らないからこそ、王家ともうまくやっていけるという希望がある」


 長い目で見れば、それが一番穏便な代替わりとなるだろう。妹は素直ないい子に育っていると聞いている。このまま純真無垢に育っていってほしい。


 そんなことを考えていると、クロードが思いのほか真剣な目でこちらを見ていて肩をすくめた。その眼差しだけで、言いたいことのほとんどが察せられる。


「……本気で一生結婚しない気か?」


「さあ?」


 おどけてみるとクロードが不満そうに睨んできた。


「ごまかすなよ」


「……別にごまかしているわけではないよ」


 ただ、恐れているだけだ。


 結婚して家族を作ることを、自分はなによりも恐れている。


 怯えていると表現すべきかもしれない。


 クロードたちを見ていて、結婚や、新しい家族を作ることへの憧れのようなものが自分の中に生じてはいるが、結婚などするべきではないと、冷静な自分がそう諭す。


 新しく家族を作らなくても、自分には大切な家族がいる。それで充分だ。


 そう言い切るも、少し寂しさがあるのも事実だった。


「そんなに僕に結婚してほしいのかい?」


「友人に幸せになってほしいと思うのは当然のことだろう」


 復讐のための手段でしかなかった結婚を、今は幸せなものなのだと思えているクロードを見ていると、自分の努力が報われたようで嬉しい。


「そのときはきみに一番に知らせに来るよ」


「手土産なんか持って来たから、てっきりそういう話が聞けると思ったんだが」


「聞いてほしい話はあったけど、そういうのではないよ」


「だったらどういうのだ?」


 呆れたように問われて、すでに思い出していた当初の目的を口にしていた。


「捨てられた子を拾ったから、ロロを拾ったときのことを参考に聞かせてもらおうと思って来たんだ」


 なるほど、とうなずくクロードが、親身になって聞く姿勢となり、わずかに身を乗り出した。


「犬か? それとも猫?」


「いや、人」


「……ひと?」


 たったひと言が理解できなかったらしいクロードのために、ジーンはもう少し伝わるように言い換えた。


「人間」


「ひと……人? 人間? 人間を、拾った……?」


「そう」


「そう、って……あっ、ああ! 迷子か。名前は?」


「さあ? 貴族街をうろうろしていたから、どこかの令嬢だとは思う」


「は……? 令嬢……?」


 いよいよクロードが混乱してきたのか、こめかみを押さえて唸る。


「生物兵器を野放しにしている現状ですでに頭が痛いのに、俺にこれ以上悩めと? おまえ、警戒心が強いくせに、その辺をうろうろしていた名前も知らない女をよく拾えるな」


「復讐のために名前しか知らない女と結婚した人とは思えない発言だね」


 ああ、名前も違ったのだっけ? とつけ加えると、うぐっ、とクロードがうめいて胸元を掴んだ。致命傷を負ったらしいが自業自得だ。


「俺のことは今はいいだろう! とりあえず……見た目は? 名前がわからなくても、容姿でどこの誰かわかるかもしれない」


「見た目……。紅い髪の美少女?」


 クロードが目を丸くして首を傾げた。少しロロっぽい。飼い主に似るのか飼い主が似るのか。久しぶりにロロと戯れたくなってきた。


「うん? 美女?」


「いや、美少女」


「美……少女? 少女?」


「だから、美少女。将来美人になりそうな年若い女の子」


「美少女の説明がほしかったわけじゃない!! 少女って、いくつなんだ!?」


「デビュタント手前くらい?」


 感情が大暴れしていたクロードだが、急に冷静になって乗り出していた身をすっと引いた。姿勢を正し、真面目な顔で一言。


「犯罪では?」


「デビュー前の女の子を拐って来た点に関しては、確かにきみと同類と言えなくもない。つまりきみと僕は犯罪者仲間だ。お揃いで嬉しいよ」


 くっ、とクロードは打ち出した弾を綺麗に跳ね返されて二撃目を食らった。詰めがあまいと言われるだけのことはある。


「ただきみと違って、妻にするために拐って来たんじゃない。保護しただけ」


「下心もなく?」


 ジーンはしばし考えた。


「今のところは、特に」


 今後そういう感情が生まれることもないとは言い切れないが、今は違う。傷ついた犬や猫を拾う感覚と似ている。だいたい、保護してからまだ一日も経っていない。正直自分でもどうしてこうなったのか、よくわからないのだ。


 拾ってしまったからには、責任を持たなくてはならない。それだけだ。


「責任? 責任って、まさかおまえ……!」


 クロードがなにを考えたのか手に取るようにわかり、呆れ果てて天を仰ぐ。妻を寝取った間男だと勘違いされたことはまだ記憶に新しいが、本当に、友人をなんだと思っているのか。


「妄想するのは勝手だが、あいにく僕はきみほど手は早くない」


「なっ、俺だって我慢した……方、だと……思う」


 尻すぼみになるクロードに目を細める。断言できないところが彼らしい。正直で大変結構。


「……つまり、なんらかの事情でその辺をうろついていた少女、もとい美少女を、ついうっかり保護してしまった、という解釈で合ってるか?」


「そんなところかな」


「お人好しは相変わらずだな」


 ジーンは苦笑する。自分がお人好しだと思ったことはない。後先考えずに動物を拾って来るクロードとは違う。


 それに、普通の貴族令嬢ならば拾っていない。家に送り届けておしまいだ。


「実家に預けるのではだめなのか?」


「うーん……どうだろう。しばらくは手元に置いて休ませてあげたいから、考えるのならそれからかな……」


「休ませる? 怪我でもしているのか?」


「怪我というか……まぁ、そんなところ。なんか、巣から落ちた雛鳥みたいな子だから」


 巣から落ちた雛鳥は、自力で巣に戻ることはできず、親鳥にも見放され、死を待つだけの悲しい存在だ。かわいそうな動物を放置しておけないたちのクロードは、雛鳥も保護したことがあるのか神妙な顔をしている。


「おまえに保護されて命拾いしたな、その子。飛べない雛は飢えた獣のかっこうの獲物だ」


「僕がその飢えた獣だったら?」


 冗談めかして言うとクロードが鼻で笑った。


「人の心配ばかりしているやつがなにを言っているんだか」


「確かにクロードのことは心配で心配で仕方ないな」


「俺のことは心配しなくてもそれなりにやっているから、自分の心配をしてくれ……! それで、どういう経緯で知り合ったんだ?」


 そこでジーンは表情を明るくして、よくぞ聞いてくれましたとばかりに膝を打った。


「ああ、そうそう! それが不思議なことに、マーティンがきっかけなんだよ。驚くだろう?」


「マーティン? マーティンは領地で再発したぎっくり腰の療養中だが?」


「いや、そっちじゃない」


「そっちじゃない? そっちじゃない…………って、まさか!?」


「うん。そのまさかだ。ねずみのマーティン」


 ジーンがそう言うと、カッと目を見開いたクロードが急に立ち上がった。驚いていると、クロードがローテーブルに膝をかけて乗り上げ、ジーンの肩をがしっと掴んで顔を寄せてきた。目が血走っていてすごい形相だ。


「あの生物兵器をどこで見かけた!? 今、どこにいるんだ!?」


 ジーンはそこでようやく、再会から今までの謎がすべて解けた。確かにその名にふさわしい、繁殖力と知性を持った生物兵器だ。


 ということはこのクロードのくたびれた感は、一晩中マーティンを探し回った結果ということか。いろいろ腑に落ちたジーンは、笑いをこらえつつ、ゆっくりと手土産のバスケットの蓋を開いた。


「その生物兵器って、もしかしてこれのことかい?」


 バスケットの中には、至れり尽くせり、敷き詰められたやわらかなクッションと穴あきチーズに囲まれた真っ白なはつかねずみが、一匹。


 状況が理解できているのかいないのか、クッションにもたれて優雅に穴あきチーズを抱えていたマーティンは、ジーンを見て、クロードを見て、視線を外さないまま、なにを思ったのかチーズを齧った。食欲を優先した。


「……」


 妙な間のあと、クロードが叫んだ。


「少しは遠慮しろッ!!」


 チーズを口にくわえたマーティンが素早くバスケットから逃げ出す。


 人とねずみの追いかけっこを眺めながら、ジーンはしみじみとつぶやいた。


「うん。ロシェット伯爵家は今日も平和だな」



ロシェット伯爵邸が手狭になってきたので、セカンドハウスを求めてはるばる王都進出してきたマーティン

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