番外編 クロード(くま)の恋人探し
王都に来てしばらく、ようやく人の多さに目が慣れて来た頃。
リーラは目当ての店の前に到着した馬車から、はやる気持ちを抑えきれずに飛び降りようとすると、すかさずクロードが先に降りて、うやうやしく手を差し出す。ほんの束の間目的を忘れて、くすぐったく思いながらその手に手を重ねかけた――が。
「やだ、見て! ぬいぐるみがこんなにたくさん!」
リーラははしゃいだ声を上げて、クロードの腕を引っ掴むと、ぬいぐるみ専門店へと一直線に駆け込んだ。
「おいっ、急いだところでぬいぐるみは逃げないぞ」
クロードの小言を聞き流して、リーラはものめずらしさに目を輝かせながら、ぬいぐるみであふれる店内を歩き回る。
まず最初に目に飛び込んできたのは、店の中央にある三段の陳列棚。どの角度から見てもいいように、ぐるりと一周、ぬいぐるみたちがいい子で整列して並んでいる。
窓辺ではぬいぐるみたちのティーパーティーが催され、ぬいぐるみサイズのテーブルの上には、これまた小さなティーカップやスプーンなどが置かれ、細部に至るまで世界観へのこだわりっぷりがうかがえる。
店の最奥には大ぶりのぬいぐるみ。でん、と丸い腹を突き出して、その存在感を発揮していた。
カウンターの奥の壁に埋め込まれたガラスのショーケースの中には、高価そうなぬいぐるみがちょこんと、アンティークの椅子に座っている。
右を見ても左を見てもぬいぐるみ。多種多様なぬいぐるみ。まるでぬいぐるみの国に来てしまったかのようだ。リーラは陶然としながら朱に染まる頰に両手を当てた。
「まあ……クロードがこんなにいっぱい……」
「ややこしいから今だけはやめられないのか、それ」
さらりと聞き流して、リーラは手近なぬいぐるみの観察をはじめた。
「こうして触ってみると、ひとつひとつ毛色や材質が微妙に違うのね」
「一応高級店だからな、たぶん一点ものが多いんだろう」
「だからあんまりお客さんがいないのね」
失礼なことに流行っていないのかと思っていた。ぬいぐるみしか見ていなかったが、店内には身なりのよい親子が二組いる。
「子供への誕生日プレゼントかしら」
リーラがぬいぐるみを抱きしめる小さな女の子を見ながらつぶやくと、掴んだままだったクロードの腕が不自然な具合に硬直した。
「どうかした?」
見上げたクロードはどことなく顔色が悪くなっている気がする。彼は沈痛な面持ちのままうめいた。
「誕生日……」
「誕生日?」
「いつ、だったんだ……?」
「わたし? わたしの誕生日は……」そこでクロードの具合の悪さに思い至った。「そうね、だいぶ前ね。次の誕生日の方が近いくらい」
あなたに冷遇されていたときよ、とは言わない親切心は持ち合わせていた。今ここでそれを突きつけても仕方のないことだ。
「すまない……次はちゃんと祝う」
「次があればね」
リーラがぼそりと言うと、クロードは完全に黙り込んでしまい、慌ててつけ足した。
「わたしだってあなたの誕生日をお祝いしていないんだから、お互い様じゃない?」
リーラだって、彼の誕生日がいつかも知らないのだから。
「俺のはいいんだ。うちの人間にも、言葉以外不要と伝えてあるから」
「わたしだって、毎年兄さんにおでこにキスしてもらうくらいだったのよ?」
「おでこに、キス……か」
クロードが不穏な空気を漂わせて近づいて来たので、手近なぬいぐるみで盾とした。
「外でなにを考えてるの!?」
「いや、つい……」
公衆の面前でおでこにキスをしようとする恥知らずとは少し距離を取らなければならない。
「違う、邪な気持ちじゃなく! 単に遅れた誕生日プレゼントのつもりで」
「クロード(くま)をもらったからいいってば! ――って、クロード(くま)の恋人探しに来たのに。遊んでいる場合じゃないわ。ほら、あなたも真剣に探してください」
肩をすくめていたクロードは、にやりと口の端を上げた。
「〝リーラ〟をな」
「あら。もしかしたら、〝ジーン〟かもしれないわよ?」
もし気に入ったものが男の子だった場合、先にクロード(くま)の友達を増やすことになる。
クロードは嫌そうに顔をしかめた。
「それだと、俺とジーンが妙な関係みたいじゃないか」
「あら……。それはそれで?」
どこか背徳的な感じでいいかもしれない。
「よく、ない!! ほら、これなんかどうだ?」
リーラが新たな扉を開く前に、クロードがそばにあったぬいぐるみの首を鷲掴んで押しつけて来た。首から下がぶらんと揺れているのは、まつげが長めで耳にリボンがついている、くまの女の子のぬいぐるみだ。
(ぬいぐるみの扱いに問題があるわね)
それは置いておくとしてもだ。
「わたしのクロードは身長があなたくらいあるのよ? 子供の腕に抱けるそんな大きさの子じゃ、釣り合いが取れないじゃない」
それではよく言って親子、下手をしたら別種族くらいの違いがあるのではないだろうか。友情は生まれるかもしれないが、恋人と呼ぶには無理がある。
一理あると思ったのか、クロードは黙ってぬいぐるみを返却した。やはり並べたときに違和感のないサイズというのは重要だ。
「それならいっそのこと、オーダーメイドで作ってもらってもいいんじゃないか?」
「そうね……うーん」
ひと目見てビビッと来る子がいたらよいのだが、リーラはどの子もいまいちピンと来ず、クロードの提案に乗るかどうか考えていると、突然出入り口のベルが妙に潰れた音で鳴った。ドアを乱暴に押し開けたせいだ。
来店したのは壮年の男性と若い女性。男性の腕には大ぶりのぬいぐるみが抱えられていた。クロード(くま)よりひとまわり小さいくらいだろうか。そのぬいぐるみの背中からは、綿がはみ出ているのが見えた。
どうやら彼らはクレームをつけに来たらしい。店員たちがほかの客に気遣い奥へと促すも、頑なにその場から動かず、返金を要求している。
クロードは眉をひそめながら、さりげなくリーラを自分の陰に隠す。
「単なるほつれ程度であれほど綿は出ないだろうに。大方乱暴に扱って、破損したんだろうな。店側ももう少し客を選ぶべきだ」
「そうね、ぬいぐるみが持ち主を選べたらいいのにね」
リーラが真面目にそう答えると、なぜかクロードの険は緩んだ。優しげに見つめられるとどうしていいかわからなくなるから困る。
リーラとクロードの間にほわほわした空気が漂う間も、店員と客との押し問答はエスカレートしていく。クロードと同様の感想を抱いた店員は、客側の返金要求を丁寧な口調ながら真っ向からはねつけているからだ。
言い合いがヒートアップし、綿の出たぬいぐるみがカウンターへと叩きつけられる。
それを見たリーラが悲鳴を上げると、クロードがとうとう我慢ならずに彼らの間へと割って入った。
「妻が怯えるので、話し合いなら見えないところでしていただけないか」
「大変申し訳ございません!」
店員が平謝りするが、客の方は納得しない。
「どこの誰だか知らないが、こんな雑な縫製をする店はやめた方がいい。よそへ行くことをお勧めしますよ」
クロードはわずかに眦を上げた。本当はかなり苛立っているが、外なので抑えているのがよくわかる。
クレームをつけている女性の方はこんなときだというのに、クロードの容姿に見惚れており、それを男性の方が快く思っていないのも見て取れた。
彼の介入でますます混沌となっただけだ。
カウンターの上でぐったりと綿を出したくまのぬいぐるみがかわいそうだった。
リーラはそばに行って、そのぬいぐるみの茶色い瞳に問いかけた。
(うちの子になる?)
すると不思議なことに、瞳に生気が宿ったような気がしたのだ。
「この子にするわ」
宣言すると、言い合いをしていた人たちの視線がリーラへと集まった。
「リーラ?」
「わたしはこの子がいいわ。あなたたちはこの子がいらないんでしょう? 店側も返品に応じる気はない。だったらうちで買い取るから、包んでくれる?」
いくらなのかは知らないが、クロードがそれなりの予算を用意してあるだろう。
「ですがこちらは……」
「ぐだぐだ言ってないで、これ以上店の評判を落としたくなければさっさと包みなさい! さっきから子供たちが怯えているのがわからないの? いい大人が揃いも揃って! あなたたちも、金返せ金返せって借金取りじゃあるまいし、子供の前で恥ずかしくないの?」
彼らはようやく店内に子供がいることに気づいたようで、勢いをなくしてリーラの要求に応じることで一段落ついた。
「本当にいいのか? 綿、出ているが」
「〝リーラ〟にはそれくらいがちょうどいいわよ」
リーラは愚鈍な役立たずではない。掃除に洗濯などの家事もできれば繕いものだってお手のもの。これまで散々やらされてきたのだ。
「かわいい服を作ってあげるわ」
そうしたら傷跡なんてわからない。
お金のやり取りをする横で、リーラは包まれていくぬいぐるみの瞳ににっこりと微笑んだ。
*
自分と同じクロードの名を持つくまのぬいぐるみは、恋人と寄り添い幸せそうだ。
まさしく同じ気持ちのクロードは、隣に座るリーラを引き寄せ頭頂に口づけると、さりげなく距離を取られた。
使用人たちの目が気になるのか、リーラは人前での過度なスキンシップを嫌う。
ふたりは正式に結婚し直してまだ数ヶ月。いわゆる新婚だというのに、つれない妻だ。今はぬいぐるみのクロードに夢中で、人間のクロードを構うのは後回しにされている。
「恋人ができたから、今度は子供よね」
リーラはまだ満足していないのか、ぬいぐるみを増やすことに余念がない。クロード(くま)の子供まで想定に入れているようだった。
ほかに物欲のない彼女に唯一喜んでもらえるプレゼントなので、クロード自身も、最新のぬいぐるみ情報をわざわざ王都から取り寄せる徹底ぶりを発揮している。
広い屋敷だからいいが、あと何体増えることやら。
しかし家族は多いに越したことはない。
ぬいぐるみもいいが、それよりも……と。クロードはお揃いの指輪をはめたリーラの手を握った。
「ぬいぐるみの家族を増やす前に、次は俺たちの家族を増やさないか?」
するとリーラは焦ったように視線を彷徨わせ、緊張した面持ちでごくりと喉を鳴らした。
「あの、ね……? 実は、次はもう……」
彼女が言い切る前に、クロードは椅子を倒す勢いで立ち上がった。
「まさか……!」
二回目の初夜を迎えて以降、ふたりは一緒の寝台で眠っている。一般的な新婚夫婦並みに励んでいると自負している。ということはその努力が結実していてもおかしくないわけで。
「いつ! いつ生まれる予定なんだ!」
「……もうすぐ」
にやけながらリーラの薄い腹を凝視していたクロードは、そのよくわからない台詞に目を瞬いた。
「もう、すぐ?」
リーラの顔を見て、また腹を見る。どう見ても今すぐ生まれるような状態ではない。
話が噛み合っていない。なにかおかしい。クロードは、決してこちらと目を合わせようとしないリーラの視線の先を追った。
テーブルの上、リーラのために用意したナッツ入りクッキーの皿の横に、まるで置物のようにちょこんと立っていたのは、真っ白のはつかねずみ。歯型のついたクッキーを両手で抱え持ち、ヒゲをゆらゆらと揺らしてこちらを見上げていた。
しばし言葉もなく、はつかねずみと見つめ合う。
「……。なにがもうすぐ、生まれるって?」
頭が真っ白になったクロードは、はつかねずみから目を離さずに確認すると、リーラは気まずそうに目を伏せて白状した。
「その……はつかねずみの、子供が」
ちゅう。ちゅう、ちゅう。
それを合図とばかりに、次々とねずみが姿を現し、皿の中のクッキーを一斉に漁っていく。紅茶を用意して来たマーティンがトレーごと茶器をひっくり返して絶叫するのを横目に、クロードは青筋を立て、体の脇で握り締めた拳をわなわなと震わせた。
「ふざけるなっ……! 少しは気を遣え、このっ、ねずみども!!」
クロードの怒声が屋敷中に響き渡った。魂からの痛烈な叫びだった。
人の屋敷に勝手に住み着くだけでは飽き足らず、屋敷の主人である自分を差し置きこの上さらに増殖しようというのか。
クロードの叫びを聞きつけ、箒を持った使用人たちが飛び出してきた。はつかねずみたちはすばやく四方八方へと散る。逃げそびれたリーラを、犠牲にして。
クロードは裏切り者の妻の腕を離すまいと掴んだ。生贄にされたリーラはねずみたちへと地団駄を踏む。
「卑怯者!」
「リーラ!!」
「だってマーティンが!」
「マーティンですって!?」
マーティンが卒倒した。ねずみに同じ名前をつけられたことがよほどこたえたらしい。クロードは瀕死の状態の老家令へと慌てて駆け寄った。
「マーティン!?」
「ちゅう」
「おまえじゃない!!」
マーティン(人間)を介抱するクロードを嘲笑うかのように、マーティン(ねずみ)はリーラの肩へと駆け乗った。
ロシェット伯爵家は今日も変わらず、にぎやかだ。
リーラはマーティンと顔を見合わせ、くすくすと笑う。その手が大事そうにお腹に置かれていた理由にクロードが気づくのは、たぶんもう少し後の話。
最後まで読んでいただき本当にありがとうございました!




