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 クロードからリーラ宛に手紙が届いた。


 その時点で彼が王都に立って、半月が経過していた。


 リーラは読まずに引き出しの奥へとしまった。なにが書いてあったところで意思は変わらない。


 それとも、誤解が解けず、さっさと出て行けという内容だったのだろうか。


 だとしても同じく手紙を受け取ったマーティンがなにも言って来ないので、今のところ、急いで出て行く必要はなさそうだった。


 ひと月経った頃、今度は手紙とともに、リボンのついた長方形のアクセサリーケースが届いた。その紫紺のケースの隅には、王室御用達のブランドのロゴがついていた。


 今回も手紙は前回のと同様、重ねて引き出しの最奥へとしまい込んだ。


 アクセサリーケースは一度、揺すってみただけで、中身の確認もすることなく手紙の横へと滑らせた。こんなものでご機嫌取りをするなんて、自分も不貞しましたごめんなさいと白状しているようなものではないか。これではリーラの気持ちは離れて行くばかりだ。


 そしてひと月半が過ぎ、また手紙がひとつ届けられた。今度一緒に送ってきたのは、リーラの身の丈よりも大きなくまのぬいぐるみ。つぶらな瞳に、赤い蝶ネクタイをつけていた。


 こりない男だと思いながら、手紙はまた引き出しへ。


 しかしぬいぐるみには罪はなく、なによりかわいかったので、ダイニングのクロードの席に座らせておいた。あつらえたようにぴったりだ。


(今日からあなたがわたしの旦那様だわ)


 なんて無垢で愛らしい夫なのだろうか。こんな夫がよかったと思いながら、リーラはぬいぐるみの彼に贈り主と同じ、クロードと名づけた。


 そうこうするうちに、ふた月。


 ようやく、クロード本人が一時帰宅を果たした。


 その日は朝から使用人たちが慌ただしく、ロロも本能的になにかを察知したのか、そわそわと庭を行ったり来たり。


 ねずみのマーティンたちは、生ゴミが増えるぞと活気ついている。


 リーラはというと……。


「あんた、毎日飽きずに顔を出して、暇なのかい?」


 引かれるくらいには皆勤賞だったリーラに、セトの一言が突き刺さる。


「旦那が帰ってるんじゃなかったのかい」


「帰ってると、思います……たぶん」


 リーラはロロが騒ぎ出したのと入れ違うように、屋敷から逃げて来た。


 今さらどんな顔をして会えばいいのかわからないし、二度と顔を見たくないと言われたことを少し引きずっている。


 それに顔を見て、真摯な態度で謝られでもしたら、気持ちが揺らいでしまうかもしれない。


 すでに離縁の届出の書類も書いてしまっているのに、もう少しだけ機会をあげてもいいかなと、決断が鈍る可能性がある。


(反対にさらに幻滅する可能性もあるけど)


「今日は特に仕事もないよ。さっさと帰って、妻をないがしろにする夫に文句のひとつでも言ってやりな」


 しっしっと追い払われて、リーラはとぼとぼ帰路につく。


 ロロは屋敷の中に入れてもらったのか姿はなく、広大な庭には歯型のついたボールがぽつんと落ちているだけだった。


 リーラが肩を落として裏口の取っ手に手をかけたとき、クロードの叫び声が屋敷全体に轟いた。



「なんなんだこれはっ……!!」



 窓の外まで、風向き次第では周辺の森や林にまで響くほどの怒声だった。握っていた取っ手からは、びりびりとした振動が伝わる。クロードは腹の根底から発声したようだった。


 リーラは一旦ノブから手を離して、クロードの書斎の窓の方へと回ってみた。


 つま先立ちで窓からそっと室内をのぞくと、マーティン相手にクロードがわめき散らしているのが見えた。


「どうして離縁申請書なんか……!」


 どうもこうもない。自業自得の極みだ。


 なぜ俺の代わりに引きとめないだとか、なぜ請われるがままに渡すのだとか、果ては、偽物を与えてごまかせばよかったのだとか、とんでもない発言まで飛び交っている。


「クロード様、奥様はそこまで能なしではないと思います」


 よく言ったマーティン。リーラはマーティンの見方を少しだけ改めることに決めた。


「ゆえに、完璧な偽装書類を作成するのに、一週間もかかってしまいました」


 前言撤回だ。ねずみ以下の裏切り者。


「マーティン、おまえ……」


 さすがにクロードの声もやや引いていた。


「こんなもの、ただ当てつけでしょう。どこの誰がこんな優良物件をみすみす手放すと言うのです。扱い方さえ押さえておけば、将来安泰じゃありませんか! 多少傲慢で意地が悪く意気地なしで女心に疎いくらいのこと、我慢すればよいのです!」


「おまえ……そんな風に思ってたのか?」


 マーティンは、はて? と耳の遠いふりをする。卑怯な男だ。


「それにクロード様が誠心誠意想いを伝えれば、きっと絆されてくれるでしょう。なにせ奥様は、クロード様が送ってらしたくまのぬいぐるみに、クロードと名づけ、たいそうかわいがっておいでのようですから」


(そういう意味でつけたんじゃないんだけど)


「……本当か?」


 疑わしげなクロードに、マーティンは根拠のない太鼓判を押した。


「ええ、ええ、それはもう! 夕食はいつも、くまのクロードと一緒に取っておられます!」


 それはクロード(くま)の指定席が、あそこだからだ。


 使用人たちへのちょっとした嫌がらせに、くまのクロードのご飯も出せと命じて、はちみつを壺ごと出されて閉口したのは記憶に新しい。


 クロードがなにかもごもごと言ったが、聞き取れずに、リーラは見つかる前にそそくさとその場から離れた。


 ふた月も時間を置くと、なにをそこまで怒っていたのかわからなくなる。思考に冷静さが加わり、記憶自体も曖昧になる。マーティンの言うように絆されこそしないが、不貞を疑われたことに関してはどうでもよくなっている感も否めない。


 幻滅は、現在進行形でしっぱなしではあるが。


 だけどきっとまた似たようなことが起きる。二度あることは、三度あるのだから。


 そうなったとき、また性懲りもなく傷つくのだ。


 リーラは踵を返した。


 背中にリーラを探す使用人たちの声が届いていたが、振り返りはしなかった。









 クロードはロロにただいまの抱擁をしてからすぐにリーラを探したが、見つからず、マーティンにとりあえず書斎の机の上を見るよう促されて渋々従って来たのだが、そこにぺらっと置かれた紙を目にした瞬間、渾身の力で叫んでいた。


 わなわなしながらそれを手にしてわめき散らしたが、マーティンが偽物だと言ったので手の震えだけは治った。クロードでも騙されるほどの精巧な偽物だ。どんな裏技を使ったのかは、恐ろしくて聞けなかった。


 とりあえずマーティンの叱咤激励を聞く限り、彼はクロードのことを、非常に扱いやすい主人と思って侮っていることだけは理解した。


 リーラがクロードに絆されることなど、あるはずがないのだ。


 ぬいぐるみに名前をつけるという点はかわいいが、どうせ当てつけのためだけに同じ名前をつけたに決まっている。ぬいぐるみを、クロード本人の前でクロードと名を呼びながら猫かわいがりするくらいの嫌がらせはするはずだ。そして本物のクロードは、永遠に無視され続ける……。


 それこそ、本物の離縁申請書を書くまでは。


 言い訳にしかならないが、クロードだって、本心ではすぐに帰って謝りたかった。だが社交も仕事の一部なのだ。だから手紙を何度も書いたのに、返事は一度だってなく、読んですらもいないという話だった。


 奮発してアクセサリーを送っても響かず、方向を変えて貴族の子供たちの間で流行っているぬいぐるみのことを耳にして、それを送ったのだ。


(気に入っているのなら、それはいい。いいが……)


 クロードは離縁申請書の偽物へと目を落とした。完膚なきまでに嫌われたという証を、くしゃりと握り潰す。


「離縁されたら……俺はどうなる?」


「離縁されましたら、すぐに次の奥方探しにお励みください」


 なんて薄情な男だ。クロードは力なくソファへかけ、目元に腕を乗せて天井を仰いだ。


「それは……無理だ」


「なぜです?」


「……どんな女を見ても、ときめかない……」


 そう、ときめかない。かわいい子だなとか、胸が大きいなとか、そういう男が持つ普遍的な感想は出てくるが、それだけなのだ。


「クロード様。子作りにときめきなど、不要です」


 マーティンは年を経て、人の心を失ってしまったのだろうか。


 確かに貴族同士の結婚なんて、そんな殺伐としたものだが。


 クロードはソファの背もたれからむくりと体を起こした。


「だとしてもだ! 家のためだけに生まれてくる子が憐れだろう!」


「……」


 長い長いにらみ合いと沈黙の末、マーティンは厳かに最後通牒を告げた。


「一度医者に診てもらいましょう」


「違う。そういうことじゃない」


「加えて薬師のセトに、そちらの薬も煎じてもらわなくては」


「いや、待て。だからそうじゃ」


「街中の同じ悩みを持つ者たちに話を聞いて、最良の薬を探さなくてはならないので、私はこれで失礼しますぞ! ああっ、忙しい忙しい!」


 待てというクロードの制止も聞かず、後継一直線なマーティンは慌ただしく出て行ってしまった。


 このまま放置すれば、明日には屋敷中、いや、領地中の笑い者にされるだろう。


 クロードは人の心を失った老ヤギを捕獲するために、全速力で追いかけた。





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