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 リーラは焦っていた。


 夕食の前、一旦部屋に戻ると、そこにはマーティン(ねずみ)の長男であるベンの姿があった。


 普段ならば、リーラと直接情報交換に来るのは、長のマーティンだ。ベンがいたこと、そして、そのただごとではない様子から、マーティンの身になにか起きたのだと察した。


 しかしベンとの会話では要領を得ない。どこか人間くさいマーティンだからこそ会話が成立しているだけで、リーラは本来動物と会話できるわけではないのだ。


 もどかしく思いながらもなんとかベンをなだめて、食事のために部屋を後にし、なにか情報が落ちていないかと周囲に意識を走らせた。あちこちで聞き耳を立てていると、おしゃべりなメイドたちの会話からとんでもない事実を知ってしまった。


 その内容は恐ろしくも、マーティン(人間)がマーティン(ねずみ)を捕らえたというものだった。


 マーティン(人間)がしかけた罠にかかった子ねずみを助けるために、マーティン(ねずみ)がマーティン(人間)と一対一の格闘の末、マーティン(人間)がマーティン(ねずみ)を僅差で破り、マーティン(人間)がマーティン(ねずみ)に辛くも勝利したというものだった。


(ああ、もう! ややこしい!)


 同じ名前をつけるのではなかった。


(そんなことを後悔している場合じゃないわ!)


 マーティン(ねずみ)を助けなくては!


 メイドたちの話では、マーティン(ねずみ)は処遇が決まるまでクロードの部屋にいるらしい。


 食事どころではなかったが、クロードの様子を知るために、そして最悪媚を売ってでも友達を救うために、リーラは夕食の席へとなに食わぬ顔で出席した。


 クロードはリーラを目にとめると、なにか物言いたげに口を開いたが、すぐに思いとどまったように結び直した。それからはリーラがいくら見つめても目を合わせようとしない。


 ねずみたちと繋がっていたことがバレたのだ。冷や汗が背筋を伝う。


 妙な沈黙の中、遅れてやってきたジーンはいつもと違うクロードの様子を訝り、リーラへと目で問う。なにも知らないし、わからないと首を振ってみれば、テーブルクロスの上に置かれていたクロードの拳が小刻みに震えた。


 クロードの顔色をうかがおうにも、すぐにそらされてしまい、そのくせ、ジーンと話すと射殺さんばかりににらんでくる。


 ジーンと会話するときだけのこの反応。大事な友達を、ぽっと出のリーラに取られることを危惧しているに違いない。


(人の友達は檻の中に閉じ込めておきながら……)


 リーラはわなわなと震えたが、墓穴を掘らないように極力無駄話をせず食事を進めた。鉛を飲み込んでいるような重たい空気にまるで食べた気がしなかった。しかし今は空腹と戦っている余裕はない。


 リーラの頭の中は、真っ白なはつかねずみの友達のことでいっぱいだった。


 食後、普段ならさっさと先に席を立つリーラだったが、今日ばかりはクロードの動向を知るために長々と居座っていた。


 リーラからなにか感じ取ったのか、ジーンはおやすみと言って先に部屋へと戻って行く。


 そしてクロードは、客人である彼を見送るやいなや、間髪を入れずに立ち上がった。まるでリーラから逃げるようなその素早い行動に、一瞬あっけに取られたが、慌てて後を追いかけた。


「待ってください!」


 クロードは振り返りもせず、一目散に私室へと飛び込んだ。リーラは閉ざされたドアを、力いっぱいドンドン叩く。


「ちょっと、開けてください! 話があるんです!」


「……っ、やめろ、聞きたくない! 三十年後ぐらいにしてくれ!」


(三十年後じゃ遅いわよ!)


 はつかねずみの寿命がどれくらいだと思っているのか。


「お願いがあるんです!」


「そんな願い、絶対に聞き入れるか!」


 クロードはリーラがなにを望んでいるのか、やはり察しているのだ。マーティンをどこか遠くへやってしまうつもりなのか。それとも……?


 最悪の想像にリーラは身震いし、涙声になりながらも必死にドアの向こうへと懇願した。


「一生のお願いです! わたしがつらいときに励ましてくれた彼は、本当に大切な存在なんです!!」


 ロロとマーティンがいなければ、リーラはとうにくじけていたはずだ。彼らの存在がなければ、クロードのことも、この家のことも、恨んだまま死んでいたに違いない。なぜ自分が冷遇されるのか。その本当の理由も知らずに、失意のまま……。


 その友達が今、命に危機に瀕しているのだ。もし殺処分などと無慈悲なことを言われたら……。リーラが涙を拭って鼻をすすっていると、内側からゆっくりとドアが開いた。


 うつむきがちなクロードが、静かに中へと言うので、リーラはうなずいて後に続いた。


 そして、チェストの上に置かれた鉄製の籠を目にして、駆け寄りたい気持ちを必死で押さえ込んだ。


 ただで助けてもらうなど、都合のいいことは考えていない。もしもの場合、マーティン一家と共に出奔することも想定に入れながら、リーラは背を向けたままのクロードに改めて請う。


「お願いします。どうか……ここから、出してください」


 出して、と、マーティンも憐れっぽく、ちゅうと鳴く。


(今助けてあげるからね……)


「そんなに……好きなのか」


「好きです」


 リーラははっきりとねずみへの好意を認めた。苦楽を共にしたマーティン(ねずみ)のことを嫌うはずがない。


「……だったら俺は? どうすればいいんだ?」


 クロードが絞り出すような声でそう言った。やはりせっかく捕えたねずみを解放はしたくないのだろう。なにか交換条件となり得るものはないか考えを巡らせていると、それまで頑なに背を向けていたクロードが、ゆっくりとこちらへと振り返る。


 彼は、予想外に憂いを帯びた表情だった。


「許してくれなくていい。あいつのことを好きなままでも……構わない」


 一歩近づいて来たと思ったら、次の瞬間にはクロードの腕に閉じ込められていた。


 大混乱のリーラをよそに、彼は頭上で苦々しくささやく。


「あいつとは、決して結ばれない」


「え? ……ええ」


 彼はいきなり、なにを言い出したのだろう。好きと言うのはあくまで友達としてであって、ねずみ相手にどうこう思ったりは、さすがにない。


 それにだ。


 リーラの心は、ここにある。


 初夜に嫌がらせでほかの女をはべらせた男に、惹かれている。


 自分でも驚くほどに。


 アイビーのことさえなければ女っ気のないクロードだが、それは今、領地に引っ込んでいるからだ。一旦社交界に出れば、その容姿に惹かれて蟻のように女性たちが群がって来るに違いない。


(腹立たしいことにね)


 ほかごとを考えてうつむいていると、ぎゅ、と腕の力が強まった。苦しさに現実に引き戻されたリーラは、もはや息をするので精一杯だった。


「わかっているのなら、お願いだ……置いて行かないでくれ」


 ますますわけがわからない。マーティンをこの部屋に置いていかないでほしい、ということなのだろうか。


(実はものすごくねずみ嫌いだった、とか……?)


 それならリーラが引き取るので、ひとまず、体を離してほしい。このままだと全身に熱がたまって、ゆでだこ状態で失神するという恥をさらしてしまいそうだった。


「それは、あなた次第で……」


「わかった。今朝言っていた使用人の件、善処する。新しい使用人を雇えば、出て行かないな?」


「え? 使用人?」


 なぜだろう。この段階に至ってはじめて、少し話が噛み合っていないことに気づきはじめた。


 リーラはやんわりとクロードの胸を押した。


「新しい使用人のことなんて今の今まで忘れていたし、その件はもうどうでもいいの」


 そんなことより、マーティンだ。


「どうでもいい、か。確かに出て行くのなら、使用人も必要ないな……」


(この人一体、なんの話をしているの?)


「出て行くとか出て行かないとか、よくわからないけど……このまま彼を追い出すのなら、わたしも一緒に出て行くわ」


 それくらいの覚悟を持って挑んだリーラだったが、その腕から逃れて見上げた先のクロードの、見たこともないような切なげな顔に、あっけにとられて動けなくなった。その潤んだ濃青の瞳には、薄く透明な膜まで張っている。


(なんでそんな、泣きそうな顔を……?)


 つい、手を伸ばした。まるで泣いているようで、彼の頰へと触れてみる。しかしそこは乾いて、少しだけ、熱を帯びていた。


 リーラの手に手のひらを重ねて、彼は覇気のない微笑みを作る。


「行くな」


「だけど……」


「ここにいろ。このままふたりだけで行って、この先どうするんだ?」


 リーラはきょとんとした。


「ふたり? ふたりだけじゃないわ。子供も連れて行くわよ」


 ベンたちも。一族丸ごと。


 しかしリーラがそう言った途端、それまでしんみりとしていたクロードの表情が、ぴしりと凍りつくのを見た。そのまま視線だけが下がり、リーラの腹のあたりを鋭い光を帯びた目で凝視している。


「子供、だと……?」


 こぼれ落ちたそのたった一言から凄まじい怒りを感じ取って、逃げ腰になったリーラだったが、素早く手首を掴まれ捕らえられた。そのまま力任せに引き寄せられる。


「痛っ」


「いつだ? いつ!」


「え、なに? わ、わからな……」


「言え!! いつそういう仲になったんだ!」


 いつからねずみたちと繋がっていたか、と言うことだろうか。


「それなら、はじめに……」


「くそっ!」


 最初から順を追って説明しようとしたのに、もういいとばかりに掴まれていた腕を振り払われた。痛い。リーラは怯えながら、うっすら赤く指の跡が残る手首をさする。


 クロードは苛立ちを抑えようと、室内を歩き回っては、髪をかきむしっている。そうしなければリーラに危害を加えてしまうというように。それでも抑え切れなかった感情の矛先をテーブルへと向け、握りしめた拳を力いっぱい振り下ろす。その鈍い音に、リーラは身をすくめた。


「なんで、怒っているの……?」


 そうは思っても、このタイミングで聞くべきことではなかったのだろう、ますますクロードを怒らせる結果となった。


「なんで、だって? それがおまえの復讐なのか! そうとは知らず、俺が必死に許しを請う姿は、さぞ滑稽だっただろうな! 自分は人の友人と関係を持ちながら、俺のことをばかな男だと腹の中で笑ってたんだろう!!」


 クロードに親の仇のようににらみつけられたリーラだったが、その内容が頭に染み渡ると、恐怖よりも驚きが優り思わず目をぱちくりとさせてしまった。


(友人と、関係……?)


 クロードの友人と言えば、ジーンしかいない。ほかにもいるのかもしれないが、リーラが知っているのは、彼しかいない。


 ということは、だ。


(……まさか、嘘でしょう?)


「もういい! 好きにしろ! おまえの顔なんか二度と見たくない!!」


 クロードが力なく椅子に座ると、顔を覆ってしまった。リーラは現時点でかなり厄介な誤解が生じていることは理解していたし、自分の不貞が疑われていることも重々承知で怒鳴り返すこともできたのだが、まず、マーティンを閉じ込める鉄製の籠のフックを外すことを優先した。


 マーティンが、ちゅう、と感謝の言葉を告げると、素早く身を翻した。


 ほっと安堵の息をついていると、クロードが再度怒鳴った。


「さっさと出て行け!」


 その鋭い拒絶に、リーラは反論する気力をなくしてしまった。


 どうせ今はなにを言ったところで聞く耳を持たない。


「……わかりました」


 本来の目的は遂げたのだ。その代わりに、自分のなにかが失われた。それだけのこと。リーラは唇を噛んで耐え、部屋を辞した。


 やっぱりこうなる。近づいたかと思えば、すぐに離れて行く。どうしたっていつも、ケンカばかり。


 今はクロードの頭が冷えるのを待とう。


 明日になればジーンが誤解を解いてくれる。



 そう短絡的に、考えていた。



 まさかクロードが、ひとり王都に行ってしまうなんて、思いもしなかったのだから。





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