18
「孤児院?」
クロードがめずらしく外出着を着ていたので思わずどこに行くのか訊いた答えが、それだった。
「孤児院になにか持っていくの?」
だったらリーラの部屋にある服やら服やら服やらを、寄付として持って行ってくれないだろうか。ありすぎて無駄だから。
などと考えている横で、クロードが無言でロロを馬車へと乗せるのを目の当たりにして、リーラは驚愕にわなないた。
「……ま、まさか、ロロを……」
「そんなわけないだろう!」ようやく返事をしたクロードは、大きくため息をついてから、顔をのぞかせたロロの頭をなでながら言った。「ロロは癒し担当大臣だ。毎回孤児院への慰問には必ず連れて行くようにしている。みんなロロが大好きだから。な?」
重責を担うロロは己の役割を理解しているのか、ふさふさの胸を張って誇らしげにしている。
「……わたしは?」
なにも聞かされず、なんの役職も与えられず、役立たずのように置いて行かれようとしていることに無性に腹が立ったリーラは、馬車のステップに足をかけて乗り込んだ。
「おい!」
「わたしも行きます」
素知らぬ顔で着席した。幸いこのまま外出してもよさそうな服を着ている。いわくつきの濃青のワンピースだ。
長いにらみ合いの末、先に折れたのはクロードだった。
「余計なことを言ったり、邪魔したりしないか?」
「しません」
リーラをいくつだと思っているのだろうか。邪魔していいことと悪いことの分別くらいつく。
懐疑的な目は諦めの色に取って代わられた。
「さあ行きましょう、ロロ」
わふ、とロロは返事をすると、クロードの足元へとリラックスした様子で伏せた。
クロードはもうなにも言わなかった。
朝早く出発したので、昼前には目的地へと到着した。
馬車の来訪と同時に数十人の子供たちが一斉に駆けて来る。もちろん彼らのお目当てはロロだ。
子供たちに大人気のロロは、もみくちゃにされても文句を言わずにお腹を見せていた。
職員の人たちが慌てた様子で伯爵様にごあいさつはと言うと、彼らは大きな声であいさつをしたが、やはりすぐにロロに夢中になってしまった。
(どう見てもロロの方が子供受けするわよね)
一定の年齢を超えた少女ならばまた変わってくるだろうが……と、クロードを盗み見る。相変わらず見た目だけは非の打ち所がない完璧さだ。
「伯爵様、いつも申し訳ありません」
「いや、構わない。ロロの魅力に抗える者などこの世にいないだろうから」
園長らしき品のよさそうな年配の女性は、クロードのロロ愛になんとも言えない表情を浮かべていたが、彼の横に控えていたリーラに気づき、穏やかに微笑んだ。
「はじめまして、奥様」
奥様でいいのだろうかとクロードをうかがい見ると、彼は肯定するようにリーラの肩を抱き寄せた。
このまま仲のいい夫婦を演じなければならないのだろうか。やはり留守番をしていればよかったと思ってうんざりとしていると、子供たちがリーラへと寄ってきた。見たことのない顔だったから気になったのだろう。
「おねえちゃん、だあれ?」
リーラは目線を合わせて、にこりとした。
「リーラよ」
「俺の妻だよ」
クロードがすかさず余計なことをつけ加える。
「はくしゃくさまの、およめさん?」
お嫁さん、とクロードは感慨深く噛みしめる横で、リーラは話をどうにか変えようと試みる。
「そうだ。中を案内してもらえる?」
子供たちは喜んで、我先にとリーラの手を引き先導する。
築年数は古いが、よく手入れされた清潔な孤児院だった。
ダイニングは広く、大きな机がふたつ鎮座しており、年長の子から年少の子にまで合うようにか、座高や座面の大きさの異なる椅子がいくつも並んでいる。部屋も個室でこそないにしても、それぞれのスペースがきちんと確保されていて、子供たちが勉強できるように小さいが図書室まであるのには驚かされた。
外に出るとすぐ、青々とした野菜畑があり、苗の横には名前の書かれた木製の立て札が刺さっているので、それぞれ担当が決まっているのだろう。
その近くには、まだどことなく真新しさを残す井戸がある。わざわざ川まで水を汲みに行かなくていいだけでも、子供たちの無駄な労働はかなり減ったはずだ。
使い込まれているが清潔そうなシーツがはためくのを眺めて、リーラは少しだけ感心する。
孤児院で育ったというクロードだからこそ、なにが必要で、どうしたらより子供たちが住みやすくなるのか、お金だけをぽんと寄付するのではなく、しっかりと目をかけて工夫されているように感じたのだ。
案内を終えた子供たちがまたロロのところへと駆けていくのを見送ってからまた室内へと戻り、壁にずらりと貼られた絵をひとつひとつ順番に興味深く見つめていく。先生たちや友達の絵から、風景画、ロロの絵まである。
微笑ましく思いながら、ふと、ある一枚でリーラは足を止めた。後ろから黙ってついてきていたクロードを振り返る。
「ここを出た子をうちで雇ってたりするの?」
「……まあ」
歯切れの悪さに隠されたことに気づいた上で、あえて追求した。
「そうなの。誰?」
「……別に誰でもいいだろう」
リーラは壁の絵へと視線を戻す。風景画だ。小さな子供が描いたような絵ではなく、なかなかうまい。その左隅にアイビーというサインが確固たる証拠として残っているが、あくまでしらばっくれる気らしい。
「……最低ね。孤児院の子に手を出すなんて」
「だから、出してない!!」
「アイビーは孤児だったの?」
「……ああ」
「いつからここに?」
「……それ、は……」
「なに?」
はっきりとしないクロードに苛立ちながら、また絵へと目を戻し、気づいてしまった。知らなければよかったことを。クロードが言い澱んだ、理由を。
「あなたと同じところにいたのね?」
クロードは口を閉ざしたままだったが、それが答えだった。
ヴェルデが跡を継いでからはきちんと孤児院にまで目を配っているはずだ。しかしそれ以前となると、わからない。なにせリーラも兄も、自分たちが生きることに精一杯だったからだ。
彼女はクロードに助けられたのだろう。ならばほかの使用人の中にも、アイビーと同じ人がいるのだろうか。
彼女たちがクロードを慕い、リーラを嫌って憎むわけだ。リーラに怒りの矛先が向かうのは、わからなくはない。
(だからって、許したりはしないけど)
それとこれとは別の話。どんな理由があったとしても、娘というだけでリーラを攻撃するのは、やはり復讐として間違っている。それはクロードにも言えることだ。
リーラはごく小さく嘆息をもらして気持ちを鎮めると、問いかけた。
「これからうちに来る子はいるの?」
リーラの反応をつぶさにうかがっていたクロードは、話がそれたことにほっとしたのか、いつもの調子に戻った。
「どうかな。就職先進学先がどうしても見つからないようだったら手を貸すかもしれないが、うちは今人手が足りているから」
「へぇ? 人手が足りてる、ね」
「ああ、充分過ぎるくらいだ」
「あら、そう。人手が足りているわりには、わたしは自分のことは自分でしていたけどね」
クロードにちくりと嫌味を言ったリーラは、賑やかな声が聞こえてきた窓の外へと目を向けた。庭でロロと子供たちが楽しそうに走り回っている。
微笑ましく眺めていると、裏庭の方角から園長の困ったような声が聞こえてきた。
「また逃げ出してきたのですか!」
なにごとかとひょこりと顔をのぞかせると、園長と十歳くらいの男の子がにらみ合うように対峙していた。ふたりの間には七、八歳くらいの女の子がいて、所在なさげに目を彷徨わせている。
「何度言えばわかるのですか、新しいご両親はとてもいい方たちなのに、このままでは心象が悪くなるばかりですよ」
男の子は怒っていた。
「メグも一緒じゃなきゃどこにも行かないって言っただろ!? どうして、なんで俺だけ……!」
男の子は妹らしい女の子を自分の背に隠して園長を威嚇している。
話から推察するに、お兄さんの方だけが縁があって里親の元へと行ったのだろう。だけど小さな妹が心配で、度々ここへと戻ってきてしまうようだ。
「どうかしたのか?」
気づくと背後にクロードが立っていて、彼にもやり取りが見えるようにとリーラは少し位置をずれた。
その間も、帰りなさい、帰らない、の押し問答は続いている。妹はどうすればいいのかわからず涙目で、いくら園長が男の子を諭しても頑なになるばかり。
兄が妹を思う気持ちはよくわかる。大人になにを言われたところで引くことはないだろう。
どうにもならないと諦めに沈んだとき、隣にいたクロードが動いた。
「ちょっといいか」
恐縮する園長に断りを入れて、クロードは男の子と向き合った。
「きみは確か、エバンだったか。子供のいない商家に養子に行った子だね」
リーラは少しだけ瞠目したが、クロードならば孤児院のひとりひとりを記憶していてもおかしくはないかと思い直した。
エバンと言われた男の子は、クロード相手にも臆せず立ち向かっている。なかなか気概のある子だ。
クロードはしゃがんで目線を合わせると、彼の目をまっすぐ見て穏やかに問いかけた。
「新しい両親が嫌いか?」
それは思いがけない質問だったのか、エバンは虚をつかれたように答えに窮した。
「暴力を振るうか?」
これにはエバンはすぐに首を振って否定した。リーラは内心ほっとしながらクロードの背中を黙って見つめる。
「そうか。だけど帰りたくないくらいには、嫌いなんだな?」
「きら、きらいじゃ……」
「だったらいい人たちか?」
エバンはなにも言わずにうつむいたが、園長が言っていた通り、いい人たちなのだろう。本気でここに戻りたいと思うのならば、彼らのことを悪く言えばいいのに、それをしない。ただ妹が心配なのだ。そしてふたり一緒でないことを不満に思っている。だけど一方でわかってもいる気がした。子供の力ではどうにもならないということを。
「妹が大切なのはわかる。一緒にいたい気持ちも。だけどそれが本当に妹のためになるのか、よく考えることだ。きついことを言うようだけど、このまま孤児院へ戻ってきたら、次にいい里親さんに出会える可能性は低いと思った方がいい。前の親元でうまくやれなかった問題のある子を、わざわざ引き取ろうという奇特な人はいない」
子供に対して明け透けに言い過ぎじゃないかとリーラは諌めるためにクロードの肩に手を置いたが、彼は止まらなかった。
「きみは良縁に恵まれた。裕福な家庭だ。学校にも通わせてもらえる。こうは考えられないか? 今は離れ離れでも、これからのきみの努力次第では将来妹と暮らすことができるのだと。この孤児院は、妹を置いておくには心配な場所か?」
エバンは黙っていたが、否定はしなかった。
「確かに今は寂しいかもしれない。だけどそれがメグのためになるのかどうか、今はよく考えなさい。依存し合うばかりではお互いのためにならないんだ。それではきみが、妹の成長の機会を奪うことにもなりかねない」
エバンは自分の服の裾を握る妹を見た。決して弱い子ではない。この状態でも涙をためてこぼさないだけの強さがある子だ。
リーラはちょこんと彼女の近くにしゃがみ、話しかけた。
「わたしにもお兄さんがいるの。お兄さんが妹を思うように、妹だってお兄さんのことを思っている。そうでしょう? 寂しくったって、お兄さんががんばっているなら、自分だってがんばれるのよね?」
メグはうなずいた。思った通り、芯の強い子だ。これまでふたりだけの家族としてお互い支え合って生きてきたのだろう。……リーラとヴェルデのように。
「そうだ。後でかわいい便箋をあげるわ。寂しくなったらお手紙を書けばいいのよ。みんな違う柄よ。ロロみたいなわんちゃんの便箋もあるわ。それだと手紙を書くのも届くも、もっと楽しみになるでしょう?」
メグもロロが大好きなのか目を輝かせて大きくうなずいた。
色柄つきの便箋は、一般的なくすんだ白の便箋よりもかなり値が張る。それでもヴェルデがリーラに寂しくないようにとたくさん持たせてくれた。兄とはそういうものなのだ。
リーラはメグの頭をなでた。
「メグは強くていい子ね。エバン、あなたも強い子よね?」
エバンはむっつりと唇を結んでいたが、かすかにうなずいた。
「どうしても寂しくなったら会いに行ってもいいの。園長先生だって、なにも意地悪して面会を拒否しているわけじゃないんだから」
「……うん」
「だけど黙って出てきてはだめ。子供のひとり歩きは本当に危険だから。素直に妹に会いたいって言えば、みんなきっと許してくれるはずよ」
リーラは彼らの頭をよしよしとなでた。クロードが立ち上がってエバンを送るために馬車の手配し到着するまでのその短い間、兄と妹はふたりだけで絆を深め合うのをリーラは気を遣って遠くから眺めていた。
クロードが隣に寄り添い、リーラは眉をひそめたが、わざわざ避けたりはしなかった。
「それぞれの場所でうまくいくといいわね。たまに様子を見に来ようかしら」
そう言うと、クロードは驚いた様子でまじまじとリーラを見つめた。
「きみは子供が嫌いだと思っていた」
「嫌いなわけないでしょう?」
純真無垢な存在をなぜ嫌うのか。まさか子供嫌いだから、子供がいらないと言ったと思っているのだろうか。
「子供は好きよ。ただ、あなたの子供を産みたくないだけ」
クロードは消沈した。この様子だと伯爵家の後継者問題はまだまだ解決しなさそうだ。
「あの子の新しいご両親が定期的に会わせてあげてくれるといいんだけど」
「それは問題ないだろう。園長が言うにはきちんとしたご両親らしいから」
「それなら、よかった」
稀に見る幸運に恵まれた子だ。きっと大丈夫だろう。
クロードは幼い兄妹を眺めながら、後悔をにじませた声音で問いかけてきた。
「きみも……寂しいか?」
リーラはひとつ浅い息をついた。
「寂しい。だけど、自分がいることで兄さんの足を引っ張ることが、一番嫌。だから、あの子の気持ちは、よくわかる」
慰めのためかクロードが肩に腕を回してきたので払いのけようとしたが、それより先に彼が思いがけないことを口にしたので手が中途半端に止まってしまった。
「来週、きみの兄が来る」
「え?」
「契約書の内容変更のために」
「ほ、本当に? だけどそんな手紙もらってない……」
口元が緩みかけていたリーラは、はっとしてクロードを見た。決まりが悪そうな彼に、リーラはきつく眦を上げる。宙に浮いていたその手で、クロードの胸を思い切りはたいた。
「兄さんからの手紙、隠していたのね!」
なんて男だろう。
「違っ、ちゃんと渡すつもりだった! ちょっと……出し惜しんだだけで」
「出し惜しむ意味がわからない!」
さっきまで子供と真摯に向き合っていた彼に少し、いやかなり感心していたのに、全部台なしだ。
リーラはクロードの腕が届かない距離へと離れた。
とはいえ、兄と会えるのは嬉しい。
自然とほころぶ顔を見せないように、屋敷に帰るまでひたすらクロードからはそっぽを向き続けた。




