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 リーラが部屋に籠城していることを、クロードが咎めることはなかった。


 あの日のようにずかずか入って来ることもなく、しばらく静かな日々が続いていたが。


 空腹との戦いに負けて、とうとう部屋から這い出ると。


 おかしなことに、部屋の前に台車が鎮座していた。驚くことにその上には食事が用意されている。さりげなく、庭に咲いた花まで添えられて。


 今日は世界中の人に親切にしなくてはならない祝日かなにかなのだろうか。


(そんな日はなかったと記憶しているけど……)


 となると、誰かの善意、だろうか。


 すぐにジーンだろうとあたりをつけた。この屋敷の中に親切心を持った人間は、残念ながらほかにいない。ロロもマーティン(ねずみ)も、さすがに台車は運べないだろうし。


 それにしても、いつから置かれていたのだろう。もしかしてリーラが引きこもっている間ずっと置かれていたのだろうか。だったら、とても損した気分だ。


 腐っていてもいい。食べれそうもない花はそのままに、まだほんのりとあたたかいスープとパンだけを部屋へと運んで空腹を満たした。なにひとつ腐ってはいなかった。


 お腹が満たされると、さてこの後どうしようかと迷い、結局セトのところに行くことにした。


 そろそろ顔を出しておかないと、忘れられてしまうかもしれない。


 間違ってもクロードと会ってしまわないように、そそくさと準備をした。


 まだ彼の前で平然と振る舞える自信はない。


 そうしていつものように使用人用の廊下を歩いていたのだが、使用人たちの態度に違和感を覚えて眉をひそめた。


 常時ならば無視をするか、悪口を言ってくる彼らだ。ジーンのいる間は基本無視だった。それなのに、なにを思ったのかリーラに恭しく頭を下げるではないか。


 驚きすぎて、昼に食べようとこっそり隠し持っていた朝食の残りのパンを、ぽとりと床に落としてしまった。慌てて拾って懐に隠したが。


「あなたたち、なにか変なものでも食べたの?」


 彼らは気まずげに作り笑いをすると、そそくさと仕事へと戻って行く。わけがわからない。


 リーラは少し予定を変更してジーンを探した。きっと彼がなにか言ったに違いない。仲間外れはだめだよ、とかなんとか。余計なお世話だ。


 今さら取り繕ったようにへりくだられても反応に困る。びっくりしてパンを落としてしまったではないか。


 しかし探せど探せどジーンはどこにもおらず、ちょうどマーティン(人間)と出くわしたので訊いてみると。


「ジーン様は急ぎの用ができたとかで出かけられました。用事が済み次第また顔を出すと残して行ったそうですが、しばらくはお戻りにはなられないでしょう」


「そうなの?」


 なんだ……と、危うく流しかけたが、人間の方のマーティンが普通に受け答えをしたことに遅まきながら驚き、リーラは彼を二度見、三度見した。おかしい、ねずみではない。人間だ。たぶん。自信はないが。もしかすると人間の言葉を話すヤギかもしれない。


「本当になにがあったの? みんなで毒きのこ鍋でもつついて食べたの?」


「いいえ。すべてクロード様のご命令です。あなたへの態度を改めるようにとのことで」


「……。誰が元凶かわかってよかったわ」


 クロード・ロシェット。


 あの男が毒きのこを食べたのだ。


 きのこ類は知識がなく誤って食べると取り返しのつかないことになる。リーラは空腹と仲違いしていたときに、見つけたきのこを採って食べようとして、山菜採りに来ていた村の人たちに慌てて止められたことがあった。


 そのとき間違ってそのきのこを食べていたら、リーラは今ここにはいないだろう。


 あのとき、死んでいればよかったのだろうか。そうすれば将来、こんな惨めで屈辱的な思いをすると知らなくて済んだのだ。


 ……だけど。


 ヴェルデが悲しむであろうことを想像すると、リーラはどれほどつらいとわかっていても、苦難に満ちた生を選んでしまう。


 それにこの屋敷に来て、すべてがつらいことばかりではなかった。ロロやマーティン一家に出会えたことは、なかったことにしたくない。


 だが言ってしまえばそれだけだ。


 それ以外、忘れたいほどの思い出しかない。使用人のひとりひとり、リーラにどんなことを言いどんなことをしたのか、紙面いっぱいに書き出せるくらいには恨んでいる。


(今さら態度を変えられても、わたしは態度を改めたりしないわよ)


 加害者はなんて傲慢なのだろう。謝れば許されると思っている。被害者は何年経っても、傷つけられたことをそう簡単に忘れられるはずがないのに。


 しかしこの異常事態の原因もわかったことだし、その改心の理由も特に知りたくもないので、リーラはまっすぐセトの元へと向かった。


「なんだい? 変な顔して、毒きのこでも食べたんじゃないのか?」


 どこかで聞いたような台詞だった。


「久しぶりになってしまってすみません。なんか……立て込んでて」


「別にあんたを雇った覚えはないんだがね、まあいいさ。やることはたくさんあるよ。まずはそこの薬草を綺麗に洗って日陰に吊るしておいとくれ」


 リーラは外の井戸水で葉についた土を落として丁寧に水気を拭き取ると、言われたように束ねて風通しのいい場所へと干した。


「あ、リーラちゃん? 久しぶりだね!」


「オットーさん、こんにちは。また腰痛用の湿布ですか?」


 オットーの父親は腰痛持ちなのだ。リーラが何枚か束ねて湿布を渡す。


「そういえば……あれからどうなった?」


「あれからと言いますと?」


「例のクズの旦那だよ」


「ああ……。あれ、ですか」


 前に愚痴を話したことを思い出した。もはや遠い昔のことのようだ。


「進展は? 今は仲良くしてるの?」


「いえ、この間襲われそうになって全力で拒絶したら、それから顔も合わせていません」


 笑顔だったオットーは顔を引きつらせた。


「それはちょっと……予想の斜め上の展開だったな……。きみら、本当に夫婦?」


 それはリーラが常々抱いている疑問でもあった。なので返答は難しい。


 オットーはこういう世間話が好きらしく、カウンターに身を預けて、街で仕入れたばかりの話をあれこれとし、しゃべり尽くして満足すると足取り軽く帰って行った。


 話半分に聞いていたセトに薬花を渡されたので、リーラは淡々と花びらをむしる。がくを外す。茎を束ねる。


「しかし、どうしようもない男だね、あんたの旦那は」


 そう切り出されて、リーラはほんの少し顔を歪めた。さっきは襲われたと大げさに言ったが、実際は肩を露出させられたくらいで、クロードの目にも怒りはあれど、性的なものは一切含まれてはいなかったと後になってから気がついた。


 確認したかったのだろう。リーラの傷を。……過去を。


 悪趣味な男だ。そのくせ変に同情して、使用人たちまで巻き込み、リーラを混乱させる。いい加減にしてほしい。


「……あの人がなにがしたいのか、どう思っているのか、わたしには永遠にわからないと思います」


「あんたを監視してるくらいだから、興味はあるんだろうさ」


 セトが顎で外を示した。


 リーラからは角度的に見えないが、誰かが見張っているのだろう。かなりの老齢なのに、セトの目は超人並みにいいらしい。


「なんだって?」


「いえ……なにも言っていません」


「目が言ってるんだよ」


「……すみません」


「交代であんたを見張ってるね。貴族の考えることあたしら平民にはさっぱりだよ」


 リーラはふと、花びらをむしるのをやめて、セトへと丸い目を向けた。


「知ってらしたんですか?」


「考えりゃわかるだろう。毎回毎回伯爵家の方へ帰って行くんだから」


「あ……」


 言われてみればそうだった。わざと遠回りしたりして家の場所を隠してはいなかった。そういう偽装工作にまでは頭が回らなかった。迂闊すぎる。


「ちなみに、ずっとここに置いてもらうわけには……」


「ばか言いな。こんな狭いあばら家にふたりも住めると思うのかい?」


 言うほど狭くはないが、リーラはすごすご引き下がった。


(誰だって、貴族とはなるべく関わりたくないわよね……)


 こうして昼間だけでも避難させてくれているだけありがたいと思わなくては。


 リーラはひとつため息をこぼすと、また、花びらむしりを再開した。







 夕刻。


 普段ならばリーラひとりで西日を浴びながらとぼとぼ家へと向かう。家と言っていいのかわからないロシェット伯爵邸へ。


 だがしかし今日は違った。リーラとつかず離れずの距離で監視役の男がついてくる。


 ちょっとイレギュラーな動き、たとえば道端の花を摘んだり、地面に落書きしてみたりするが、文句も言わずに終わるのを待っている。


 帰る場所が一緒なので、ついて来るなとも言えない。


 黙って屋敷へと到着すると、監視の男はなにも言わずに持ち場へと戻って行った。


「なんなの?」


 今日は朝から本当に調子が狂う。さっさと部屋にこもろうとしたところで油断し、クロードと鉢合わせてしまった。


 クロードもこのタイミングで顔を合わせるとは思っていなかったらしく、立ち尽くしている。


 お互い無言のまま見つめ合い、先に目をそらしたのはクロードの方だった。後ろめたそうに、だが、なにか言いたいことがあるのだろう、気を引き締めたように頰を強張らせると、もう一度リーラへと視線を戻した。


「その……夕食の後、話ができないか?」


「それは命令ですか?」


 心に高い壁を隔てて、自分でも驚くくらいに冷たい声で問うと、彼はなぜか傷ついたような顔になった。傷ついたのはリーラなのに。無性に腹が立った。


「違う、命令では……なくて」


(いつも人に命令ばかりしていたくせに、なにが違うのよ)


「違うのならもうよろしいですか? お互い顔をつき合わせていると不愉快になるだけでしょうから」


 こうして会話するのさえ、今は嫌でたまらなかった。


 リーラがクロードの脇を通り抜ける。引き止めるように彼の手が腕を掴んできて、一瞬、体が硬直する。


 それを指先から感じ取ったのだろう、クロードは後悔を浮かべてすぐさま手を離した。


「すまない……。だが、話をしたいんだ。今日でなくてもいいが……」


 低姿勢に見えるが、結局はリーラの気持ちなど考慮せず、自分の主張を押し通そうとしているだけ。本当に傲慢な男。


 毎日つきまとわれたら最悪だと思い、リーラは仕方なしに承諾した。


「わかりました。話を聞くだけなら」


 その話とやらを受け入れるかどうかは、また別として。





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― 新着の感想 ―
なんでお前が傷ついた顔するんだよ! その資格もないくせに すんません、一々‥‥クロードへのヘイトが溜まり過ぎて (>人<;)
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