コース
course 方針
保護者に連絡しろ、嫌だ、とやり合いながらも、とりあえず今後の方針が決まった。
ユリウスは最初、清乃のパソコンを使って知人にメールで助けを求める。と提案した。
発信元を特定した怖い人がこの部屋に押し寄せたりしないか、と訊ねた清乃に、ユリウスは無言で笑顔になった。否定できないらしい。それなら電話も同様だ。
清乃はそういう技術的なことは詳しくないし、ユリウスも専門外だと言う。
なので仕方無しにアナログな解決策を採ることにした。
エアメールだ。調べてみたら、ユリウスの国近くまでなら一週間程度で届くらしい。
平成の世にあってそんな悠長な手段を採るのか、と清乃はげんなりしたが、異国のSPが押しかけて来ては困るため仕方無しに承諾したのだ。
マイナー国の郵便事情を考慮し三週間後の日時を指定して、成田空港に迎えに来てくれ、という内容の文章をユリウスが手書きでしたためた。筆跡で本人だと分かってもらえる、と彼は言う。
清乃が便箋を覗き込んでみるも、アルファベットの並びに見知った英単語はなく、解読することは不可能だった。
「あんたの生活費も持ってくるよう書いといてよ。日本円で五万円。口座番号教えるから、ATMで振り込んでから帰って」
「ごまんえん。どのくらいの金なんだ」
大雑把に、清乃ひとりの生活費が月に食費二万円、水道光熱費一万円。ユリウスが食欲旺盛な年頃であることを考えれば、食費は倍増では済まないかもしれない。
三週間もいるなら着替えも必要だろうし、コタツで寝て風邪を引いても困るから寝具も必要になる。他雑費がかかることを思えば、最低でも五万円は必要だという計算になった。
というか、生活費を一時的に立て替えようにも、口座の残高を見れば五万円が限度だ。アルバイト代が振り込まれる通帳に六桁の数字が並ぶことは滅多にない。いざとなれば親に泣きつく、という最終手段を持つ学生だからできる、毎月綱渡りの生活を送っているのだ。
清乃はまだ学生で、クレジットカードなんて持っていない。現金がなければ、食材を買うこともできない。
きっちり返してもらうことができなければ、実家の親に頭を下げて送金してもらわなければならなくなる。
「三週間分の食材費、光熱費、他必要経費の最低額よ。安いホテルでも三週間も泊まったら、十万円くらいにはなるからね。家賃分も負担しろとは言わないから、かかった実費は置いてってよ。貧乏学生には死活問題な額なの」
「ならごまんといわず、ごじゅうまんとかいておこう」
「やめてよ。強請りじゃないんだから。あたしは大人の義務として迷子を保護するだけなの。五万円貸してあげるから、返してもらうってだけよ」
「それでいいのか」
「小市民だからね、自分で稼いだわけでもない大金を持つのは怖いの」
そういうものか。と言って、ユリウスは算用数字で五万、と書いた。
今後の方針が決まった。
三週間。他人を泊めるには長い期間にはなるが、期限が区切られたことで清乃の気持ちはだいぶ楽になった。
「ではまずスギタ」
「せめてさん付けしとこうか」
「スギタさん。多分なんだが、family nameじゃないか」
「そうだよ。ファーストネームは清乃。さんを付けるなら、名前で呼んでもいいけど」
「キヨさん」
急に時代劇っぽくなった。が、まあいい。
歳下に苗字を呼び捨てにされるのはなんか違う、というのは一般的な日本人の感覚だと清乃は思っている。
「はい、ユリちゃん」
「そうじをしてくれ。おれはきたない部屋にすむのはいやだ」
「出てけ」
清乃はユリウスの言葉を切って捨てた。
「なんでだ。おとななんだろう。ちゃんとしろ」
正論だが、居候に言われる筋合いはない。
清乃は片付けが苦手だ。
基本的に面倒臭がりで、帰宅したら手を使うことなく前向きのまま靴を脱ぎ、カバンとコートをそこら辺に落としてコタツに入るのが日常なのだ。カバンもコートも、次の外出まで同じ場所に置きっぱなしだ。
食べた後すぐに食器を片付ける習慣がないから、コタツの上にはまだオムライスの皿が載せられたままで、みかんの皮入れになっている。次に立ち上がるときに持って行って、そのまま生ゴミ入れに捨てればいいじゃない、という考えなのだ。得てしてそれは、次の食事の時間まで放置されがちではあるけれど。
でもそれで困ることはない。
清乃はそんな自分を分かっていたから、最小限の物だけしか持たないと決めている。
靴はスニーカーと夏用サンダル、お堅めのアルバイトで使うパンプスの三足しかないから、脱ぎ散らかすと言っても二足以上玄関に出ていることはない。服も滅多に買うことがないから、見兼ねた友人が誕生日にくれる物くらいしか増えない。
一見散らかし放題に見えても、物が少ないから友人が遊びに来る前に片付けるくらいなら自分でできるのだ。
開き直っている彼女にも、一般的に見てやばい部屋だという自覚はあるし、初対面の少年にそれを指摘されて恥ずかしいと思う気持ちもある。
なら、逆ギレするしか他に仕様がないではないか。
「うるさい。迷子の王子が偉そうにしないで。あたしはあんたの召使いじゃないの。だいたいさっきからなんなのその態度。ご飯作ったげたんだから、お皿は洗うよって自分から言うのが礼儀ってもんでしょう」
まくし立てると、ユリウスは怯んだ顔をした。その表情に、絶対こいつ姉がいるだろう、と清乃は思った。
ここは日本だ。
清乃だって自国の皇室の方を目の前にしたらかしずかんばかりの態度を取るだろうが、他所の国の生意気な王子の命令なんか知ったことではない。
「…………そうか。そういうものか」
案外素直である。
「そういうものよ。あたしも大学行ったりバイト行ったり、やることあるんだからあんたの世話なんかできないよ。ここにいたいなら、自分のことは自分でやって」
「皿はあらったことがない」
お坊ちゃんめ。
「教えたげるから覚えなさい。それともご飯作るほうがいい?」
「りょうりもみけいけんだ。キヨさんにオムライスを作ってほしいから、皿洗いはおれがやる」
可愛いじゃないか。
清乃は料理は嫌いではないが皿洗いは大っ嫌いだから、願ったりだ。
だが皿洗いを教える前に、三角コーナーやら排水口やらのヌメリを取らなければならない。さすがにあれは他国の王子様以前に他人には見せられない。
今日中にどこまで掃除すればいいのだ。
流しと風呂場、トイレは見えるところはある程度掃除をしているが、見えないところは多分ひどいことになっている。
(ああああああ。面倒臭い)
これが嫌だったのだ。
もちろん見知らぬ男を泊めたくない、というのが一番の理由だが、清乃は基本的にプライベート空間に他人が入るのが嫌なのだ。無駄にあれこれ気になって疲れる。
ドラマや漫画でよくある、突然知人が一人暮らしの家に押し掛けてくるアレ。アレはフィクションの世界の話だと思っていた。
普段からきちんとしている友人が「今からウチ来る?」と気軽に誘ってくれることに、大学に入って驚いたのだ。
世の中には、清乃と同年代でもきちんとした私生活を送っている人がいるのだ、と。
「…………あんたまだ疲れた顔してるから、明日からでいいよ。夕飯の時間までだらだらテレビ観て日本語の勉強でもしてな」
「ありがとう。そうする。……あと、これ、」
お偉い生まれのくせに、ちゃんとありがとうごめんなさいが言える。割といい子だ、と思いながら清乃は渋々立ち上がった。
とりあえず食器をキッチンに持って行って、目に付いた洗濯物を拾っていこう。
ユリウスが言葉を続けないから、キッチンに行く前にと仕方なく促してやることにした。
「なに?」
彼が少しだけめくったコタツ布団の中を覗き込むと、少年が言い淀むには充分な理由になるブツがあった。
「……ごめんなさい。気づいてからは見てないしさわってない」
「うるさい謝るな!」
転がっていた下着を引ったくるようにして回収すると、羞恥に頬が紅潮する。
異性に下着を見られたから、というのももちろんだが、ヨレヨレのブラを転がすようなだらしない生活習慣を指摘されたことも問題だ。
「……よし分かった。おれもてつだう。皿洗いとそうじがおれのたんとうだ。学校のりょうのじしつは自分でそうじする決まりなんだ」
「あれこれ触んないでよ。見られたくない物は隠すから、それからにして」
「ひとりでできるのか」
「黙れクソガキ」
「……キヨさんの日本語は正しいものなのか?」
「生粋の日本人に何言ってんの。汚いだけでちゃんとした日本語だよ」
「やっぱりきたない言葉なのか。部屋だけでもキレイにするぞ」
清乃は思った。
人並みに彼氏欲しいと思うこともたまにはある。けど、万一できたとしても同棲は無理だ。
「……うぜえ」
ひとり暮らしが寂しいと思ったのは、最初のひと月だけだ。ひとりの気楽さに慣れてしまって、二年近くが経つ。片付けろと言う親の眼がない生活は快適だ。
ズボラさを指摘され、改善しろと言われれば煩わしい。
汚い日本語で、ウザい、と言いたくもなるというものだ。
片付けろ、は清乃が言われて嫌な言葉のトップスリーに入るのだ。
「どういう意味だそれは」
「ここに居たいなら、あたしに指図するなって意味よ」




