キッドナッピング
kidnapping 誘拐
清乃は背中に筒状の物を押し付けられて、咄嗟に銃口だと気づくような育ち方をしていない。
肩甲骨の間、多分ちょうど心臓の真後ろに、ゴリ、と硬い物が当たった。
ぶつかられたかと一歩前に出て振り返ったら、そこには背の高い外国人がいた。
きょとん、としてしまったかもしれない。それ、を見ても何なのか、すぐには分からなかった。
外国人、といってもユリウスやフェリクスのような美形ではない。当然だ。あんな顔がゴロゴロしていてたまるか。若くもない。年寄りでもないが、多分四十代くらいの、ガタイのいいおじさん。日本では滅多にお目にかかれない、見事に割れた顎。
その手にはオモチャ? 屋台で売っていたかもしれない。こんなおじさんがはしゃいで……。
そこまで考えて、清乃はようやくこれから自分の身に起こることを悟った。
本物の拳銃だ。腕にかけたマフラーでおざなりな隠し方をした銃を突きつけられている。
すーっと血の気が引いていくのが自分でも分かった。
「Be quiet. Come here」
日本人にも分かるように、だろうか。カタコトに近い英語で指示された。
黙ってこっちに来い。
嫌だ。
こわい。
(ユリウス。ユリウスはどこ)
時間を稼げ。ユリウスが気づいてくれたら、こんな奴念力で吹っ飛ばしてくれる。
キヨはちいさくてかわいい。かしこいことはかくしておいて。
ユリウスの言葉だ。
清乃だってそのくらい知っている。
実はそこまで小さくもないのに、プラス童顔という特徴のせいでチビだチビだと言われながら二十年育ってきたのだ。小さくて弱く見えるから、周囲から侮られてきた。
今はこれが武器になるのだ。
無力な女、可能ならば子どもの振りをして油断を誘う。
(それで合ってるよね? ユリウス)
ぐいと押されて抵抗するすべはなく、清乃はガタガタと震えながら歩いた。
わナンバーの黒いワンボックスカー。
偉そうなおじさんがよく乗っているセダンタイプではない。幹部ではなく、下っ端の実行犯が乗る車だ。
ワンボックスはファミリーカーにするのが正しい使い方のはずだ。悪事を働くための車のイメージが定着してしまっている。
車の中には運転席にひとり、似たような体格の男が座っていた。清乃は二列目のシートに彼女を攫いに来た男と並んで座らされた。
誘拐の実行犯が、出せ、とかそういう指示を多分出した。英語ではない。ユリウスの母国語とも多分違う。マフィアならイタリア語だろうか。ロシア語のような気もした。
最近周囲が無駄にグローバル化している。もうお腹いっぱいだ。
清乃は何が起こっているのか分からないという顔をして、車の隅で怯え震えていた。
演技ではないから、そうすることは簡単だった。ただ泣くのは振りだけだ。涙で視界がぼやけたら、いざというときに動けない。
ユリウスがきっと助けに来てくれる。それまで清乃は生きていなければならない。
こいつら、マフィア? はユリウスをおびき寄せたいのだろう。他に清乃を狙う理由なんて思いつかない。
フェリクスが跡を尾けられ、見られていた、だけどもう片付いたと言っていた。片付いてなんかなかったのだ。
ユリウスが気づいて、清乃を助けに、
(うん?)
来るとは限らない。
彼は王子様だ。尊い身の上、自分の身を危険に晒していいわけがない。
清乃が攫われたからといって、のこのこ現れる理由なんて、ないのだ。
(うわあ……)
もしユリウスがそのように行動したとしても、清乃に彼を責めることなんてできない。
だって彼はまだ十七歳の少年だ。こんな危ない目に遭わせるわけにはいかない。
せめて警察に通報でもしてくれたら。匿名でいい。女性が攫われた、助けてくれと110番通報してくれたら。
メソメソして必要以上に弱い振りをする。
それだけで清乃が現状を打破することは、できない可能性に気づいてしまった。
連れて行かれたのは山の中の建物だった。ザ別荘なログハウス風。
神社からそう長時間は走っていない。外はまだ真っ暗。多分まだ県内だ。
清乃は薬を嗅がされたり打たれたり、もっと分かりやすく殴られたりだとかいった害は与えられていない。
抵抗することもできず、ただしくしく泣く無力な子どもだと思われているためだ。思われているというか、それが事実だ。
法的には成人していても、学生の清乃はまだ子どもみたいなものだ。腕力で屈強な男に勝てるわけもなし、優秀な頭脳で出し抜くなんてこともできそうにない。
ただ大人しく従って、利用価値がないと分かって放り出されるのを待つのみだ。
促され、抗うことなく建物内に入る。周囲に他の建物は見当たらず、例え男たちが銃を乱射しても通報してもらうことは望めそうになかった。
建物の中は外気と同じくらい寒かった。
誘拐犯のふたりもそれは同じらしく、ひとりがすぐに暖炉に火を点けた。
昔読んだ漫画に火掻き棒で戦うシーンがあったな、と思い出す。服の上からダメージを与えるのは難しいだろうが、直接皮膚に当てることができたら火傷を負わすことができる。
が、仮にそんなことができたとしても、小さな火傷くらいでなんとかなるような武力差ではない。空手くらい習っておけばよかった。それでも銃を持った相手に敵うとは思えないが。
清乃は身振りで指示されたとおり、部屋の隅で小さくなって座っていた。
彼らは清乃にまったく興味を示さない。車内で携帯電話を取り上げられ、それで写真を撮られた。それ以降、放置されている。
写真はユリウスに見せるのだろう。
女を攫った。返して欲しくば言うことを聞け、とやるつもりなのだ。
ユリウスが来たら、否、来なくても清乃は用済みだ。
このままここに放置してくれるのが一番いいのだが。どこかに売り払われるか。それすら手間だと、弾をケチったマフィアに首をひねられ、この山に埋められるか。
怖い想像しか出てこない。
彼らは多分、狙い通り清乃を幼い子どもだと思っている。中学生、十代前半くらいに思われていそうだ。さすがにそれ以下ではないと思いたい。
扱いが微妙に遠慮がちなのだ。泣かれたら厄介、と思っているのが伝わってくる。そのまま勘違いし、油断し続けてくれればいいのだ。
子どもの言うことなど捨て置くと警察が判断するだろうと、考えてくれたら都合がいい。
ユリウスは来るだろうかと考えた時間は短かった。
外から車の音がして、男が三人入って来た。
そのうちのひとりが、黒いロングコートを来た人物を担いでいた。グレーのニット帽は、ユリウスが被っていた物だ。
なぜ彼は自分の足で歩いていない。もっと小柄な清乃でさえ、手間を惜しんで歩かされた。細身とはいえ大人と変わらない身長のユリウスを運ぶのは大変なはずだ。
清乃は一階の隅に捨て置かれている。なのにユリウスは、そのまま二階に運ばれようとしていた。
(あ、今だ)
そう悟った清乃は、息を吸い込んだ。




