オフェンス アンド ディフェンス
offense and defense 攻防
…………ろう!
……じゃない!
(……うるさい。何?)
男女が言い争う声だ。聞き覚えのない声……ではない。
テレビの音だ。有名な俳優の声が聞こえてくる。
清乃は一気に覚醒し、そのために意識を取り戻したことに気づかれないよう、動かずにいることに成功した。
蘇った恐怖心に、心臓が早鐘を打つ。それを必死に抑えつけて、うっすら目を開けた。
(……いた)
あいつだ。
金髪碧眼。場違いに王子様のような風貌をした侵入者。
奴はテレビの前、コタツに下半身を入れて座っている。その手にはリモコン。
テレビドラマを観ている? なぜ。
なぜまだ逃げていないのだ。
清乃が意識を失っている間に、わずかな現金でもキャッシュカードでも、財布ごと持って行けばよかったのに。
目的はお金ではないということか。まさか、こんな異性に不自由したことないような顔で、性犯罪目的?
その割には、ベッドに寝かされている清乃の衣服にも身体にも異常はない。
(サイコパスってヤツだ)
不法侵入した家で、住人が寝ている隣でテレビ鑑賞なんて。見た目からは想像もできないくらいヤバい奴だ。
彼女から男までの距離は一メートルもない。学生向けの一Kだ。近くても仕方がない。
ベッドは部屋の奥側、ここは二階で、靴を履いているならともかく裸足で窓から外に出るのは現実的ではない。玄関に行くには、男の近くを通る必要がある。
清乃は息を殺したまま、男を観察した。
綺麗な横顔の印象は華奢で、身体付きも逞しいものではない。座っているからよく分からないが、多分背は日本人男性の平均くらい。若い、というかまだ少年と言ってもいいくらいの歳に見える。同年代か、もう少し下でもおかしくない風貌だ。
対する清乃二十歳、一五六センチ四十四キロ。華奢な少年にも劣る体格ではあるが、最後に物理的な喧嘩をしたのは、幸いにもほんの五年ほど前のことだ。
弟をぶん殴るのと同じ要領で、ただ急所を狙えばいいだけだと考えればなんとかなる気がしてきた。
視線を感じたのか、少年がテレビに向けた顔を動かした。
日本では見慣れない青い瞳が、開かれた黒い瞳を見つける。
(いける! てかいくしかない!)
清乃は瞬間的に腹を括って勢いよくベッドから飛び降りた。蹴り足で狙うのは、低い位置にある頸だ。
手応えあり、だがトドメを刺す自信はない。
彼女は攻撃の効果を目視する間も惜しんで玄関まで走った。
が、いくらも進まないうちに、身体が動かなくなった。
まただ。また身体の自由が効かなくなった。
これは異常事態だ。何か、常識では測れないことが起きている。
その不可思議な状態は、そう長く続かなかった。
ぷつん、と身体に巻き付いた目に見えない糸が切れたように唐突に、それは終わった。終わるのと同時に、別の力で身体を拘束され、口を塞がれた。
硬い腕に捕まって、叫び声すら禁じられてしまった。
「……さわがないでくれ。がいいはない」
日本人とは違う発言で、だけど確かに少年は日本語を喋った。
「おおごえをださないで。おれのはなしをきいて。やくそくするなら、すぐにてをはなす」
間が空いたのは、清乃の反応を待つためだろう。察して頷くと、拘束する腕がゆるんだ。
その瞬間を逃さず、彼女は腕を振り払って駆け出した。
咄嗟に動けたのには、自分でも驚いた。未知の力に身体の自由を奪われた後だったため、まだ子どものような男の腕から逃げるくらい、大したことないように思えたのだ。
だが哀しいかな、清乃の身体能力は年齢体格相応のものでしかない。若い男の瞬発力には敵わなかった。
すぐそこにある玄関に辿り着く前に右肘を掴まれた。
「やだっはなしてっ」
「…………」
男は床に散らばった本につまずき、舌打ちすると清乃を小脇に抱えて室内に戻った。ベッドにうつ伏せになるよう放り投げると、体格差に物を言わせて自由を奪ってしまった。
清乃は言い知れぬ恐怖に震えた。顔を枕に押し付けられたために、大声で助けを呼ぶこともできない。
こんな見ず知らずの外国人に好き勝手されるなんて、絶対に嫌だ。
いやだ。いやだいやだいやだ。
「いや……」
必死に顔を振って、なんとか懇願するような声だけを絞り出すことができた。
「もういちどいう。なにもしないから、おれのはなしをきけ。たすけてほしいだけだ」
発言が平坦なせいで、一瞬意味を受け止め損ねた。
助けて欲しい?
「何言ってんの……」
助けて欲しいのはこっちだ。
なぜ安全なはずの家の中で暴漢に襲われなければならないのだ。
ここは日本だ。清乃は金髪碧眼にも美形にも興味はない。否、ないわけではないが、こんなふうに暴行されるなんて、どんな相手でも真っ平ごめんだ。
「ごめんなさい。おんなのこにこんなことしたらだめなのはわかってる。だから、おれはいまからてをはなす。キミはしずかにすわる。できる?」
この体勢で言われたら、頷く以外に選択肢はない。
「わ、分かった」
「はしったりさけんだりしたら、またキミをしばらないといけなくなる。しばる、わかるね?」
二度、経験している。不可視の力で押さえつけられたように動けなくなる、アレのことだ。
この男がやったことなのだ。
あれはなんだったのか。混乱しながらも、清乃は必死で頷いた。
抵抗は無駄だ。今は彼の機嫌を損ねないよう、言うことを聞くのが得策だ。
「よし、いいこ。かしこい」
清乃の背中にかけられた体重が少しずつ軽くなる。息を吐いたところで抱え起こされた。
優しい手付きで肩を支えられてベッドの端に座ると、床に膝をついた男がほっとしたように微かな笑顔を見せた。
イケメン、なんて俗な言葉を使うのも憚られるような、まごうことなき美貌だ。顔の造りは無駄に繊細なのに、先ほど清乃を拘束した腕は確かに男のもので、勝てるかも、なんて考えは霧散してしまっていた。
力比べが無理なら、隙を見て逃げるしかない、と考えていたが、綺麗な笑顔を見るとその考えも薄れてしまうような心地がした。




