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チアーズ

cheers 乾杯

 せっかくの外出だからもう少し歩こうかとの意見の一致を見た。急いで帰ってもチキンが冷めてしまうことに変わりはない。温め直せば問題はないだろう。

 そう考えたのが失敗だった。

 清乃はユリウスの後ろに隠れて盛大に舌打ちした。

「キヨ?」

 しまった。ここらへんは若者が集まる場所だ。知り合いに遭遇する可能性を考慮すべきだった。

「あれえ、杉田ちゃんじゃない?」

 気づかれた。面倒臭い。

「うっそお、彼氏外人?」

「……日本人ではないね」

 四人いる。男ひとり女三人。大学の友人、以下の知り合いだ。

 悪いひとではない。清乃のような地味な人間を、悪気無く下に見る習性があるだけだ。お互いに気が合わないと分かっているから、関わりを持たないようにして過ごしている。

 今もそうすればよかったのに。清乃が男連れなことに気づいて、スルーできなかったのだろう。

「うそお、すごいイケメンじゃん。なんで? どこで知り合ったの?」

「え、ほんとに彼氏? 嘘でしょ」

「ウソって何」

 げんなり、を隠しきれていない清乃をどう思ったのか、ユリウスの手が動いた。

 彼は清乃の肩を抱くと、彼女の友人以下の知人に見せつけるように耳元で囁いた。

「何か言ったほうがいいか?」

 清乃は迷うことなくユリウスの手を叩き落とした。驚く知人とユリウスとを放置して、歩みを再開する。

「あたしもう帰るね。また冬休み明けに。バイバイ」

 ユリウスが慌てて追いかけてくる。清乃はそれに対して反応を返さず無言で歩き続けた。

「キヨ、待ってキヨ。なんで怒った」

「あんたには分かんないよ」

「なんで。余計なことだった? あいつらキヨのこと」

「男でマウント取るようなダッサい真似したら、あたしだって同じになっちゃうでしょうが!」

「……ん?」

 日本語が分からなかったわけではないだろう。ユリウスには意味が分からないのだ。

 清乃は地味だ。自覚している。それが問題だなんて思ったことはない。

 女というのは小学生、なんならもっと早いうちから、同性間での序列をつけて生きている生き物だ。

 女として下に見ていた清乃が、ユリウスのような美少年と歩いていた。彼女たちは序列が入れ替わることをおそれた。

 清乃はそんなものに関わりたくない。男のステータスで自分の価値が上下するような世界とは無縁でいたいのだ。

 でもそんなのは無理だ。

 だってつい今しがた、優越感を持ってしまったばかりだ。

 自分のものでもない、ユリウスの存在だけを根拠にだ。

 その感情は恥ずべきものだ。清乃は恥ずかしいと思った。自分の感情が腹立たしい。

「子どもが余計な気を回すなって言ってんの」

「だって」

「あんなのほっとけばいいの。別に悪いひとじゃないし、助けてくれることもある」

「そうなのか」

「さっきの子、英語が得意なの。レポートが終わらなくて困ってたら手伝ってくれた」

「……じゃあやっぱり、余計なことだったのか」

「そう言ってるでしょ」

 しょぼんとしてしまったユリウスに、罪悪感が湧いてきてしまう。

「……ごめん」

 十七歳の少年に、面倒臭い女の機微まで察しろというほうが無理な話だ。

 彼は王子様らしい方法で、貶められる清乃を助けようとしてくれただけだ。

「怒ってごめんね。帰ろうよ。フェリクスが待ってるんでしょ」



 シチューを作るのは難しいことではない。市販のルーを使うのだから、カレーと同じだ。

 野菜と肉を切って炒めて煮込む。あとは弱火でしばらく放置して、その間に風呂に入ってしまおう。好きなだけ飲み食いした後、そのままベッドに倒れ込めるのが自宅のいいところだ。

 緩いスウェットの上下に眼鏡でクリスマスパーティーに臨んだって問題はないだろう。

 髪を乾かすのは後回しでも構わない。タオルを巻いておけばあらかた乾く。

 シチューの具材が柔らかくなったのを確認してから、ルーを投入、トロミがついたら、次は牛乳だ。

 ピザとチキンも温めて、部屋に声をかける。

「運ぶの手伝ってー」

「OK」

 すぐに現れたのは、ユリウスだけだった。

「あれ、フェリクスは?」

「……酒がないと知って買いに行った」

 清乃の入浴中は絶対に部屋のドアを開けるなと言ってあるのに、彼には守る気がないらしい。

「あの野郎」

「ごめん。シャワーの音してたから、まだ出てこないだろうと思って」

 風呂での行動を推測されるのもなんか嫌だ、と清乃は思った。他人と暮らすというのは、こんなに気苦労の多いものなのか。

 申し訳無さそうにするユリウスだって、フェリクスが来た日の夜、同じように約束を破っているのだ。

 だけど今日は過去をほじくり返して目の前の少年を責め立てるのに相応しい日ではない。

 今夜はクリスマスイブだ。

「……先に食べちゃおうか」

「うん。そうしよう」

 ここ数年でDVDが主流になってきて、ビデオはほとんど見なくなった。

 清乃が引越しの際に買ったテレビはビデオデッキが一体になったもので、まだまだ現役で使っている。今はまだレンタルショップでビデオを借りることができるのだ。

 ユリウスと相談して、三本借りてきた。クリスマス定番のアメリカ映画で、三人で楽しめるようにと字幕のものを選んだ。

 食べる物をセッティング、ビデオを観ながら葡萄ジュースで乾杯しようとしたところで、フェリクスが帰ってきた。

「Champagne!」

 本当に買ってきた。コンビニのものだろうか。セレブの口に合うのか。

 フェリクスはひとりアルコールで乾杯した。

「Do you drink?」

 清乃は要らない、と反射的に言いかけたが、思い直して空にしたグラスをフェリクスに向けて差し出した。

 透明な液体に葡萄色が融ける。いつも麦茶を飲んでいるグラスの中で細かい気泡が生まれる。

「面白い」

「champagneは初めて?」

「うん。あたし成人して二ヶ月しか経ってないし。お酒は素人だよ」

「よくそれでひとを子ども扱いできたな」

「お酒なんか飲めなくても、日本では生まれて二十年経ったら大人になれるんだよ」

『おまえも飲むか?』

 フェリクスがユリウスにシャンパンの瓶を傾ける。清乃が止めるまでもなく、ユリウスが自らの手でグラスに蓋をした。

『やめとく』

『どうした』

「キヨはすぐ酔っ払うだろう。フェリクスが馬鹿なことをしないよう見張らないとだから飲まずにいるよ」

「さすがいい子。ピザ食べる? おねえさんが取ってあげようか」

 三ヶ国語が飛び交う食事風景にもすっかり慣れた。清乃の英語力は上がっていないが、家内でグローバル化が進んでいる。

 清乃とフェリクスは好きなように喋るが、最年少のユリウスはその時々で言語を使い分けている。混乱しないのだろうか。

 シャンパンをひと口飲み込むと、それだけで身体がカッと熱くなった。

「やば。思ったより強かった」

 そして不味い。これを美味しいと思えるようになるまで、どれだけ飲酒経験を積まなければならないのだろう。

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