00:きみの胸に温かい火を
※
「ごめん。SGから離れるなんて死んだ奴らに申し訳ないと思う。でも、私もユキも中学のときからなりたかったんだ。謝っても謝っても済まないと思う。許されないと思う。でも、私とユキはSGから離れる。本当にごめん」
天進橋駐屯地の食堂で私とユキが揃って頭を下げたとき、あいつらは全員、目を細めて微笑んでいた。
「誰もチヅちゃんとユキちゃんを許さない人なんていないよ。応援するよ」
圭吾が言うと、みんなが一緒になってうなずいた。
「CD出したら、私が100万枚買ってあげる。特別手当をいっぱい貰っちゃったもんねー。マッチョ。あんたも買うんだよ。私とあんたが買えばダブルミリオンなんだから」
「ワイルドキャットさ、100万枚買えるほど貰ってないじゃん。勘弁してよ」
「はあ? あんたさ、チヅちゃんのこと好きなんでしょ。そんぐらいするのが道理ってもんじゃないの?」
久留美にスネをガツガツと蹴られながらたじたじになっている片岡をほっといて、笹原教官が腰の後ろで手を組みながらうちらに近づいてき、私とユキのケツをそれぞれ軽く叩いてきた。
「あなたたちは勝ち取ったんだから。胸を張っていいのよ。死んだ子たちもきっと喜んでいるはず。私も応援するから。ね。胸を張りなさい」
私が泣いたのは、多分、あの日が最初で最後だ。
ただ、ヒロだけはいなかった。
ヒロだけは、誰よりも早く、さっさとSGを辞めていた。
ブラッディレイ作戦の三ヶ月後、特殊保安群は一旦解体された。特別防衛隊に再編されて陸軍の下になった。
エンジェルワッペンは袖から外されたけど、天進橋駐屯地はそのままだったし、黄羽も牛追坂もそのままで、見た目の何かが変わったわけじゃなかった。
ブラッディレイ作戦部隊のうちらがSGを辞めても良くなったのは、特赦だった。作戦の心理的苦痛とかトラウマとか、そういうのも建前として付け加えられた。国防軍の本当の考えはわからないけど。G地区のことを知るうちらを除外させたかっただけなのかもしれない。辞めたくなるような奴らは、どうせ不満分子になるとかで。
もちろん、天進橋駐屯地を去ってから、この2年間ずっと、私とユキには陸軍の尾行監視がくっついてきている。
……。
教官は今の日々をうちらが勝ち取ったって言っていた。けど、私だけで勝ち取れたわけじゃない。ユキもそれをわかっている。私もユキも何か幸せなことがあるたび、死んでいった仲間たちに感謝する。つまんないことがあるたび、あいつらを思い浮かべて気持ちを奮い立たせる。
私はあと何年生きられるのかわかんない。でも、あいつらの分まで精一杯生きたい。こんなこと言うとバカバカしいかもしれないけど、精一杯生きるぐらいしかあいつらに償えることがないから。
この前、ブラッディレイ作戦の隊員たちがカンパして、お地蔵さんを立てた。
お地蔵さんは玄福放水路のほとりに立てられていて、うちらが放水路を渡るとき、ゴムボートに乗ったところ。
私とユキはバイトの暇を作って、2人で天進橋の近くまで車を走らせた。
とても晴れた日だったけれど、お地蔵さんの場所に着いたときには夕方になっていた。
私とユキは土手に立って、放水路の向こうのG地区を見つめた。
うちらは、思い出したくはないけれど、あそこの果てで目の当たりにした惨劇を思い出さないといけないと思っていた。
でも、そのときはすごく穏やかだった。放水路の川の流れも、オレンジ色に染まった空も、静かで、優しかった。風が吹いて、土手の草がさわさわ鳴いていて。どこまでも、どこまでも、静かなようで……。
ユキが一人で泣いていた。ユキはほっぺたを何度もふいて、ずっと泣いていた。
「みんながいるような気がする」
って、言った。
私もそんな気がした。オレンジ色に染まりながら流れる雲が、見えるはずないんだけど、あいつらの顔に見えるような気がした。
ずっと突っ立っていたら影が濃くなってきたので、線香の束を握って土手を下りていった。
そうしたら、お地蔵さんの家の前に浮浪者がいた。汚ねえジャンパーに汚ねえジーンズ、髪がぼさぼさに伸びきっていて、髭も、口とか顎に生えていた。あぐらを組んで座っていて、お供え物を泥棒する奴かと思った。ぶっ飛ばしてやろうかと思って近づいていったら、そいつが着ているジャンパーの片袖が、洗濯物みたいに風にはためいていた。
ヒロだった。
お地蔵さんの前で眠っていた。
「ヒロ」
って、私は怒りぎみに呼んだ。ヒロはぱちくり目を開けて、髭面の汚え顔をうちらのほうに向けてきた。
ユキがびっくりしたついでにヒロのところに走っていって、ユキもやっぱり怒りぎみに、
「何やってんの!」
と、ヒロの肩を引っぱたいた。それで、ユキはまた泣いた。顔を手で覆ってまた泣いた。
ヒロはのっそり腰を上げた。
「なんだっていいだろ。ほっとけ」
って、言いながら、頭を外した。髭も外した。私がびっくりして口を開けていたら、ヒロが持っているのはカツラと口ひげだった。
ヒロは坊主頭になっていた。
「お前、何やってんだよ。変態か」
「ほっとけ」
ヒロはのそのそと土手を上がっていった。
「お前、今、何やってんだよ!」
「ヒロ!」
私が呼んでもユキが呼んでもヒロは振り向いてくれなくて、オレンジ色の光が燦々と降り注いでいる土手の上を天進橋とは逆の方角へ消えていった。
その夜、久留美がSG先輩たちにボコボコにされた片岡の写メールを送ってきた。くだらない写真送ってくるんじゃねえっていう返信ついでに、ヒロが今何をやっているのか訊いてみた。
知らない。
の4文字しか送ってこなかった。ヒロと久留美の兄妹は本当にどうかしている。
私は22期生の連中にもヒロを知っているか訊いた。誰も知らないみたいだった。
ヒロはSGに残るもんだと思ってた。ヒロならたぶん大尉に昇進できたはずだ。
だって、圭吾も片岡も特別防衛隊再編後、すぐに曹長になっていた。あいつらがあのブルースカーと肩を並べているんだ。圭吾も片岡も作戦前とは比べ物にならないぐらいたくましくなったけど、死んだラットローグだってさ、あいつらが曹長だと知ったら地獄の血の池の中でブチ切れるに違いないよ。
国防軍はそうやって作戦隊員の生き残りを懐柔しようとしたのかもしれないけど。
うちらのエースだった有島なんて大尉だ。7階級も一気に上がっちゃった。だけど、有島の特進よりもっと驚いたのは、久留美が少佐からスタートの国防軍史上前代未聞の特別扱いだったこと。
そりゃ、結局、あいつが東原姉妹を簡単に倒しちゃったわけだし、G地区の連中が報復に出てこなかったけども久留美にビビっちゃったっぽいって話だけど、でも、あからさますぎじゃないかな、そういうのって。
少佐の久留美は天進橋でやりたい放題やっているらしい。なもんで片岡がボコボコにされた写真なんか撮っている。
けど、久留美は私に電話をしてくるとき、急に黙りこんで何も喋らなくなるときがある。
私がどうしたのか訊いても、久留美は、「チヅちゃんの声が聞きたいからこのままでいて」って言うばかり。
久留美がぐずぐず泣いてくるのは小っちゃいころからよくあった。けど、黙り込んだまま何も喋らないのは、ブラッディレイの前にはなかった。
私はあの日。
第五研究所のあの日。
東原の運転手を殺したあと、そいつの車のガソリンで東原の死体を燃やしていたとき。
久留美は情報基盤棟の玄関から1人で出てきた。久留美の顔が久留美の顔じゃなかったのを今でもよく覚えている。久留美はあの猫みたいな目でかなり怒っていて、でも、瞳が死んでもいた。どこか違う世界に行ってしまっているような顔だった。
どこに行っていたんだって笹原教官が訊いたら、久留美は電気制御室を壊してきたって言った。
ただの部屋だったって言ってた。
久留美は炎に包まれた東原の死体をずっと見ていた。あれは久留美の顔じゃなかった。久留美はあんなに悲しそうな顔のできるやつじゃなかったから。
電気制御室で何かあったんだと思う。でも、うちらが確認したら、電気制御室はぐちゃぐちゃになっているだけだった。久留美が誰かを殺した血痕とかもなかった。
天進橋に帰還して以降、久留美は前と変わらない、わがままで手に負えない久留美に戻った、けど、何かあったんだと私は思う。
私とユキは小さいライブハウスのフェスだったけれど、初めて観客の前で歌うことができた。
本当は知られたくなかったのに、久留美が私とユキのライブの日をあちこちにばらまいたので、22期生のやつらの何人かが来た。50人ぐらいの箱だったからすぐにわかった。
前々日ぐらい、圭吾から休暇が取れなくて行けないっていう詫びのメールがユキにあったみたい。
当の近田久留美少佐は、元SGの情報をむやみにばらまいたことで軍の上層部からお叱りを受けたらしく、暴れる寸前だったところを叔父さんの山本中将にどやされて謹慎処分だってさ。
上層部への恨みつらみを私にメールで送ってき、私はまた今度やるからと言ってなだめた。私とユキのステージ衣装を写真で送ってくれと言うので、送ってやったら、可愛くない、だった。
あいつは私とユキがアイドル歌手にでもなったのかと勘違いしている。
ステージ上からは、片岡のでかい図体と背の高い有島が、特に目立って見えた。片岡は相変わらずのウスラバカな顔だったけど、有島はすごく綺麗になっていた。
本当にバカバカしい。ガキの頃から可愛くて、大人になっても綺麗でいられるって、不公平じゃん。
不公平だけど、私はステージ上からあいつらに向けてウインクしてやった。アイドル歌手じゃないけど、ウインクしてやった。私も結構バカかな。
でも、気になったのは、有島が曲の終わりごろには、迷子の人みたいにして周囲をきょろきょろと見渡していたこと。背の高い有島がきょろきょろしているので余計目立った。
あいつはヒロを探していたんだ、きっと。
ヒロと有島がいい感じだったらしいのを、圭吾から聞いて知っている。
だけど、ヒロは天進橋に戻ってきたら、有島の思いなんてお構いなしにさっさとSGを辞めちまった。それどころか行方不明。偶然合っても変態の浮浪者。
ヒロは壊れちゃったんだろうか。
でも、そんなの許されないよ。いくら辛くてきつい思いをしたからって、変態浮浪者の人生を送っておいて、どのツラ下げてさ、みんなのいる地獄か冥土に行くっていうの。
だって、みんな、最後にはヒロを信じていたんだよ。雪村や藤中は当然だったし、カピコウだってヒロに惚れていたっぽいんだ。天敵の菊田だって、真奈だって、ヒロを責め立てたヤナギだって、ラットローグだって、田中教官だって、キャプテンだって。
はっきり言って、ブラッディレイ作戦って、ヒロもうちらも何をやっていたんだかわかりゃしない。全員が全員、足手まといだった気がする。むやみに包丁を振り回して、ただただ殺し合っていて、結局、うちらは何をしたのか……。
ヒロもきっとそんな思いでいるのかもしれない。
でも、うちらはそれでも寄り添っていられたじゃん。作戦のさなかも誰かを責めたり非難したりしてばっかだったけど、みんながみんな、最後には信じ合っていけたじゃん。
それなのに……。
今でもあいつは女を2人も泣かせやがっている。
有島がどんな思いでいるのか簡単にわかるだろうよ。ユキがどんな思いでいるのか簡単にわかるだろうよ。
本当にあいつはクズだ。
また、一人で戦っている気でいやがんのか。
なあ、ヒロ。
※
元国防陸軍少佐の刈谷は、商社マンとして2年ぶりに天進橋駐屯地を訪問していた。
ブラッディレイ作戦の本部指揮を務めていた彼は、当然ながら、鍋島地区壊滅の暴挙を参謀本部に咎められ、懲戒処分を受けた。免職は避けられたものの、エリートコースから外れ、参謀本部にも目を付けられた。ゆえ、刈谷には、国防軍に在籍する意味がなくなった。
もっとも、軍に知己を得ている刈谷を民間商社は必要とした。武器商人として国防軍の情報収集を任せられた彼は、昔の同僚に挨拶をするために天進橋駐屯地にやって来た。
かつての同僚との面会を済ませ、本部棟をあとにしようとしていた彼を、呼び止める者があった。
「刈谷さん――」
笹原京香大尉。作戦前、兵学校の一教官であった彼女も、今では教育部の副長であった。
「これはお久しぶりです、笹原大尉」
と、往時の鋭い眼光はいまだ健在ながら、刈谷は腰を低くし、手を揉むような仕草であった。笹原大尉は辟易するように目許をしかめる。制帽を目深にかぶり直して背広姿の刈谷に歩み寄ってくる。
「忠告です。退役されても、あなたならクロノスとカイロスはご存知でしょう」
「クロノスとカイロス……。さて――」
刈谷は素知らぬ振りで空をあおぐ。
「軍の将校たちが行方不明になっている近頃の件、刈谷さんも身辺には注意したほうがよろしいです。1人で出歩かないよう」
「行方不明ですか……。しかし、そのクロノスとカイロスとはなんのことでしょう」
野卑た笑みを返すと、笹原大尉は背中をひるがえし、革靴を鳴らしながら本部棟内へと消えていく。
クロノスとカイロスの存在は、国防軍の極秘事項である。決して外に漏れ出てはならない。しかし、刈谷は耳にしたことがある。G地区トランセンデンスが放水路を越えてきて、2年前の復讐に働き始めている。
クロノスとカイロスとは、その首謀者のコードネーム。
刈谷は駐車場の車に乗り込むと、精神安定剤を飲んだ。特進で大尉をやっているような小娘に言われなくとも、刈谷には日々恐怖がつきまとっている。
「俺は川島にたぶらかされただけなんだ……」
呻きのような声をもらしたあとは、しばらく、椅子に背中を預けてぐったりと瞼をつむっていた。
当時のG地区方面軍参謀長の行方が知れなくなったと聞いたときには、刈谷は国外逃亡も考えた。しかし、妻に反対された。2人の子供はもう中学生である。それに海外渡航ともなると国防軍も何をしてくるか。
いっそのこと自決してしまおうか、と、車内のまどろみの中で考える。
妻子の顔がよぎった。彼は溜め息をつきながらエンジンをかけ、アクセルを踏んで天進橋駐屯地の正門ゲートをあとにする。
駐屯地沿いのまっすぐな道をひた走る。駐屯地を囲う外壁と鉄条網は、車窓からは消えたものの、ルームミラーには天進橋主塔が日差しを受けて光り輝く。
常に監視されている感覚が刈谷にはある。体重は5kg落ちた。恐怖を忘れるために酒を多く飲むようにもなってしまっている。
赤信号に止まった。刈谷は舌を打つ。気分を紛らわそうと、オーディオデッキに指を伸ばす。
そのとき――。
車内に異物が紛れ込んだ。
「車をすみやかに路肩に寄せてください」
オーディオデッキに伸ばしていた指は、突如として震えた。いつのまにか、いや、ほんのわずかの高速時間の中で、助手席に男が1人、刈谷の脇腹に拳銃を突きつけてきている。
女のもののような大きな瞳と、筋の通った鼻梁には、刈谷にも見覚えがある。
吉沢琥太郎――。すなわちカイロス。
さらに、後部座席にも、青年がもう1人いた。
「さっさと寄せろ。死にてえか」
と、隻腕のクロノスは粗野な口調で苛立ちをあらわにする。
刈谷は唇を震わせる。
「こ、こんなことをして、なんの意味が……」
次の瞬間、軽い痛打を得たとともに、刈谷は後部座席に移ってしまっていた。両手両足には手錠が嵌められてしまっている。そして、クロノスのナイフが首筋に突きつけられてきている。
運転席にはカイロスが座っている。彼の運転で天進橋主塔が離れていく。
刈谷はわめいた。
「わ、私は何もやっていないっ! 川島にっ、川島徹という極悪非道の男に命じられただけなんだっ!」
「黙れ」
クロノスのナイフの、平たいブレードの部分が顎をぐっと持ち上げてくる。
ハンドルを取るカイロスがルームミラーを覗き込みながら言った。
「弁明は玄福の法廷で受け付けます」
「玄福の法廷――」
そのとき、刈谷はようやくわかった。行方の知れなくなった作戦関係者は殺されたのではない。
G地区に拉致されていたのであった。
気がおかしくなっていくようで、思わず笑ってしまう。
「ば、バカな――。玄福の法廷だなんて。弁護士は付けてくれるのかっ? 証人は用意されるのかっ? だいたいこんな真似こそ犯罪じゃないかっ!」
「お前、俺たちに人間をどれだけ殺させたと思ってやがる」
クロノスの殺気におびただしい眼光は、刈谷を黙らせた。
「こっち側でお前を裁く奴がいねえから、あっち側でお前を裁くだけのことだ。テメーが洗いざらい吐くってんなら、命だけは助けるかもしれねえんだ。わかってんのか?」
「ほ、本当ですか……」
「もっとも、お前を殺すのか殺さねえかを決めるのは、俺たちじゃねえ。決めるのは玄福の住人だ。真相を話すのも、泣いて命乞いするのも、そいつらの前でやれ」
日差しを跳ね返しながらひた走る車は、そのルームミラーに天進橋の主塔を映さなくなった。
すべての虚構はそこから始まり、すべての憎悪はそこに蓄積された。
すべてを知ったとき、洋瑛は宿業の螺旋が生み出した怪物となり、悠とともに宿命の続きに身を滅ぼすことを選択したのだった。




