01:エンドレスブレスレス
市長室は、玄福市役所の3階に位置する。ここには100年以上前からの市長たちの写真が額縁におさめられ、壁に掛け並んでいる。
亡き彼らを背後にして、東原双葉は執務机の椅子に座る。
SG作戦部隊が未明に侵入したとの報告を受けてからというものの、彼女はそこから動かないでいる。切れ細の目尻を鋭く伸ばし、真っ直ぐを見据えたまま、ほとんどの時間、薄い唇を閉ざしている。
市長室からいっさい外に出てこない双葉に気兼ねして、役所の職員が朝食に昼食にと運んできても、彼女は一言、「ありがとう」と声だけを発し、その視線は、鞘におさめられた刃物のようにして動かない。
G地区解放の機密作戦の情報はあらかじめ知り得ていた。放水路の外側に放っている諜報員から、特殊保安群が急遽作戦を中止させた、との無線信号も届けられてきていた。
しかし、双葉は予見していた。
(1週間内には来る)
ウィアードの訓練員たちが、放水路付近の所々に散らばっている。双葉は彼らに対し、プライドコータスを放つよう指示した。SGの作戦隊員を見つけ次第、殺害してしまうようにも。
SG侵入の一報を報せてきたのは、血気盛んに放水路近辺の警戒に当たっていた治安団員である。
自宅で眠りについていた双葉は、叩き起こされる。
高速運動トランセンデンスにやられた――。
双葉は細い眉をしかめた。SGの侵入があれば、プライドコータスに奇襲させるよう、訓練員に伝えていたのだ。機密作戦部隊が旧国道を堂々と歩いてくるはずもない。放水路を越え、玄福の中心部にまで来るには、群生する雑木林の一帯を抜けてこなければならない。
すると、縄張り意識に強く、嗅覚にも優れたプライドコータスは、広範囲にあっても、侵入者をすぐに発見できる。森林の中であれば、高速運動トランセンデンスがあろうとも、ウィアードの王者の素早さには対応できない。
(おそらく、誰かが私怨を働かせた――)
深夜未明のこととあって、治安団員たちは市役所に集まっていなかった。集めることもしなかった。双葉は12年前の記憶から、同じ轍を踏むのを避けた。
赤い爪の作戦などと銘打たれたらしき、過去の忌々しい解放作戦。双葉は多くの犠牲者を出してしまった。赤い爪の作戦部隊に、高速運動トランセンデンスがいると知らなかった。侵入してきたSGに対して治安団員たちを矢継ぎ早に送り込んでしまった。
今回、双葉は慎重に慎重をかさねた。
が。
SG作戦部隊は暴挙に出た。
鍋島地区が壊滅。老若男女、罪のない者たち64名がすべて惨殺された。
(まさか――)
直通電話機の受話器を取って報せを受けたとき、双葉は耳を疑った。
戸惑いながらも、玄福市役所の職員たち10数名を集め、電話連絡網により、玄福市及び矢尻村の全家庭に、避難勧告を告げるよう指示を出した。
その間、市長室にはトランセンデンスの治安団員たちがぞくぞくと詰めかけてき、12年前の悔恨募る彼らの憎悪は、頂点に達していた。今すぐに抹殺すべきだという意見が大勢を占めた。
「罠かもしれません」
と、双葉は冷静でいるよう促したが、治安団員たちは自分たちで勝手に遠視トランセンデンスを偵察に走らせていた。SG部隊を発見し、工業地区に入ったという一報を聞きつけると、
「私が行きます」
双葉は父親ゆずりの長刀を握り取って腰を上げたが、「双葉を万が一にも殺させるわけにはいかない」と、言って、治安団員たちは双葉の制止も聞かずに市役所から出ていってしまう。
「姉さん」
1人、6歳年下の妹の波江だけが最後まで残っていた。双葉に瓜二つの長身狐目で、ひと目で見分けるとなれば、双葉の髪の長さは肩ぐらいまで、波江は背中に流す。
「私が行ってSGを降伏させます」
「降伏?」
治安団員たちが詰めかけていたあいだは一言も声を発さなかった波江が、姉妹きりになるなり絵空事を話し始めたので、双葉は眉をしかめる。
「降伏などするはずがないでしょ。SGは生きるか死ぬかの任務を与えられているのだから」
「悠が言ってました。殺したくはないって」
不惑に至らない妹の瞳を、双葉は睨み据える。
「鍋島の人たちが殺されているというのに、あなたはいったい何を言っているの」
「きっと鍋島を襲撃したのは国防軍の策略です。作戦部隊を投入しても無駄であることは、国防軍は12年前の事件でわかっているはずです。軍は私たちの憎しみを駆り立てて、外側の世界と闘争するようけしかけているんです」
ひた隠しにされている玄福の住人たちの存在、反国家集団である自分たちの存在が外側の世界に知れれば、国防軍は紛争活動に乗り出してくるだろうと波江は言う。
「そうなれば、鍋島の人々だけでは済まなくなってしまいます。玄福の二千の人々が、戦車と爆撃機の砲火を受けてしまいます。であれば、国防軍の所業の証人として、SG部隊を拘束したほうがいいはずです。私たちが外側の世界の人たちにいくら声を上げても、国防軍が情報統制をするはずなんです」
「治安団の人たちがSG部隊を1人とて許すはずないでしょう」
「許すか許さないかは拘束したあとで」
「そう。なら好きにすれば。それより、悠はどうしているの。拘束したいのならあの子も向かわせなさい」
「悠は一昨日から見かけていません」
「そう――」
妹は市長室をあとにし扉を閉めていった。
(まさか、あの子――)
一昨日といえば、国防軍参謀本部の幕僚がヘリコプターでやって来たときである。
治安団員たちが詰めかけていた騒ぎも消え、双葉は閉め切られた漆塗りの扉を見つめる。2人のSGがあの扉を蹴り破って乗り込んできた当時、双葉は若干18歳であった。
あのとき、国の揺さぶりから玄福を守ってきた父が他界して、1年が経っていた。玄福住人が合議した結果、双葉はカリスマ性を誇っていた父の後継に指名され、国に捨てられた地域のことだから、選挙投票などあるわけもなく、彼女は担ぎ上げられるままに市長室の椅子に座ったのだった。
もちろん、この国家は、地図から消し去った地域に市長など置くはずがない。認可されない玄福市長というのは、国家でいうところのG地区首長である。
当初、父のように国家から玄福住民たちを守れるかどうか、双葉は不安であった。人々は盲目的なまでに父を信奉しており、その力強さが娘の双葉にあると信じて疑わなかった。
実際、双葉はトランセンデンスを超越したあらゆる能力を父から受け継いでいる。だが、それだけだ。それ以外はただの18歳だったのだ。
そんな18歳の小娘が地区長となったことに国家はつけ込んだのだろう。突如としてSG部隊を侵略させてきた。
SG部隊によって住人たちは殺され、この市役所も凄惨な現場と化した。
撃滅すると、これはSGの暴走であったと、国防軍参謀本部は素知らぬ顔で和解を求めてきた。これに対し、双葉は玄福市や矢尻村で生産された農作物を買い取るよう和解条件を提示する。
「これに応じなければ、あなたたちの国家を襲撃します」
実際、双葉自らが、5人の決死隊とともに放水路を越え、当時の国防大臣、国防軍参謀本部参謀長、警察省長官、それらの家族ともどもを皆殺しにした。
以降、国家も軍もおとなしくなった。参謀本部の参謀長が交代するそのつど、双葉のもとに挨拶に来るという有り様となった。
しかし、12年の時を経て、外側の世界では再び「G地区解放」などという幻想が唱えられた。
「放っておくべきです」
と、双葉は意に介さないでいたが、憎悪冷めやらない一部の玄福住人たちは、自分たちの恐ろしさを国に植えつけるべきである、SGを掃討すべきと声高に叫んで、双葉に詰め寄ってきた。
SGの卵が養鶏されている兵学校を殲滅すべきだという暴論が出て、双葉は自制を促したものの、止められなかった。玄福住人たちを守る首長の彼女からすれば、復讐を招くような真似は犯したくなかった。
だが、玄福住人たちが切に願うものは、自分たちの存在が国家に証明されることであった。見捨てられた人々の末裔たる彼らの、消滅されたままでいる悲憤は、歳月を重ね、祖父母から親、親から子へと代を重ねるたびに、増していたのであった。
「双葉は弱腰すぎる」
「参謀本部と癒着しているのか」
辛辣な言葉を浴びせられることも多々あった。
そして、つい昼頃、治安団員の1人に言われたのだった。
「鍋島の人たちが殺されたのは――、双葉! お前が甘いからじゃないのか!」
いったい、どうすれば解決されるのか。
双葉は双葉なりに、玄福住人が外側の人々と変わらぬ暮らしを営めるよう尽くしてきたはずであった。しかし、何をしようとも、玄福住人の根幹にひそむ、不遇の念は拭い去れない。
テーブルの上に2台並んでいる電話機のうち、内線電話機が鳴った。
受話器を取る。2階の職員からで、国防軍参謀本部が双葉と話をしたいということだった。
電話を回させる。
<参謀本部作戦部の山本です>
「なんの御用でしょう」
<お気づきでしょうが、特殊保安群の秘密作戦部隊が放水路を越えてそちらに向かっています。これは特殊保安群上層部の暴走です。すぐさま彼らには天進橋に戻るよう伝えます。東原市長、こう言ってはなんだが、彼らを攻撃しないで頂きたい>
「残念ながら、すでに治安団が彼らを殲滅に向かいました」
<今すぐ止めていただきたい>
「止められません。彼らSG部隊は矢尻村の集落を一個潰してしまったのです。人もたくさん。老人から赤ん坊まで」
受話器の向こうで山本少将は無言となった。
「私たちはあなたたちとの約束を守ってきたはずです。どうして、あなたたちはいつも約束を守れないのです」
<おっしゃる気持ちは重々承知の上です。しかしながら、ウィアードの襲撃が引き金となったのも確かで――>
「そう思うならそう思っていただいて結構。私たちはSG部隊を殲滅します」
<これは特殊保安群群長の川島の独善行為なのです。もしもこれに国防軍が噛んでいるとしたら、すべてのインフラを止めているはずだ。そこのところ、あなたもわかっているはずだ。川島もすでに我々が始末しています。我々にも、特殊保安群にも、あなたたちと争う意志はない>
「お門違いも甚だしい。私たちに攻撃をやめろと言う前に、山本少将、あなたがSG部隊に撤退を命令すればいいだけです。それすらもできないのですか、参謀本部は。よくもそれで国防軍などと名乗っていられますね」
「双葉さん――」
双葉は眉根をひそめた。突然、受話器から届いてきた声は、従兄弟の悠だった。
「お願いです。やめてください。これは川島大佐の陰謀なんです。今、みんなを止めないと、手遅れです。冷静にならないと」
「冷静になっていないのは、悠、あなたでしょう。どうしてあなたが国防軍の参謀殿と一緒にいるの」
「山本少将は、俺の友達の叔父さんなんです。山本少将は全面戦争を避けたいんです」
「あなたは何もわかっていない。そこの軍人に踊らされていることも」
「そんなことないっ!」
「もう帰ってこなくてよろしい。生涯、国防軍に飼い慣らされていなさい」
双葉は受話器を叩き置いた。すかさず階下の事務員に内線を回し、金輪際、国防軍からの電話は回さずとも良いと伝えた。
直通電話が鳴り響き、SG部隊の殲滅に失敗したという。報せを受けたのは日暮れ頃だった。
さすがの双葉も動揺した。声の震えは彼女の挟持が押し殺す。受話口に向けて努めて冷静に振る舞う。
「なぜです。波江はどうしたのです」
治安団の男は涙まじりに答えてくる。
「波江ちゃんは多分――。SGには信じられない小娘がいて」
「小娘? それはどんなトランセンデンスなの」
「瞬発だと……」
双葉は絶句してしまう。妹の波江は双葉とほぼ同じトランセンデンスである。たかだか瞬発力トランセンデンス一人に敗れるはずがない。
「わかりました。とにかく役所に戻ってきなさい」
受話器を置く。黒髪をかき分けつつも、頭を抱えた。
(スパイたちの報告だと、私たちを上回るようなトランセンデンスは、SGにいない。それなのに波江は倒された。それはつまり、波江が甘かったから。きっと)
内線電話機の受話器を取った。
「玄関に車を回してください」
受話器を置き、腰を上げる。12年前に官僚要人たちを殺めて以来、眠り続けている父親譲りの刀を手にとった。七分袖の白いシャツの上にトレンチコート一枚だけを羽織り、市長室をあとにした。
屋上への階段を登っていく。
陽も暮れなずみ、薄闇に覆われた役所の屋上には、治安団の男女それぞれ一人ずつが、今朝方からずっとSG部隊の動向を追い続けていた。
ねぎらいの言葉もそこそこに、双葉は遠視トランセンデンスの彼らにたずねた。
「SGの姿は補足できますか」
「ついさっき見えましたが、今は林に隠れてしまって」
「人数は」
「10名です。1名は負傷しているのか、背中におぶられています。行き先は多分、中央工業団地のほうに。現在は宮手地区辺りを歩いています」
双葉は眉根をしかめた。
(五研……。ヒノモトさんを狙っている――)
「わかりました」
双葉はコートの裾を翻しながら、背中を返す。
女性のほうが呼び止めてきた。
「双葉さん……。双葉さんが、行くんですか……」
双葉は立ち止まり、女性に振り返った。彼女は双葉と同じ歳ぐらいで、いたって不安げに眉尻を垂れ下げていた。
彼女の胸にも12年前の悪夢が焼き付いているに違いない。ましてや、双葉自らが出ていくとなると、それ相応の事態に悪化しているのは明白であった。万が一、双葉を失えば、玄福はどうなってしまうかわからない。
双葉は微笑む。
「大丈夫。私は絶対に帰ってきます」
2階の事務方室へ入っていくと、住人たちの避難は完了したかどうか、職員たちに確かめた。
「まだ、全住人の安否は取れていませんが、自主的に避難してきている人たちもいるそうで」
「治安団と連携を取って早く確認しなさい」
厳しく言い放つも、職員たちは双葉が手にしている凶器を気にかけていた。どこに行くのかと、かつてない剣幕で、逆に問い詰めてくる。
「私のことはどうでもいい。あなたたちはあなたたちの職務をまっとうしなさい」
双葉は黒髪を流しながら職員たちに背中を向けた。
ロビーでは治安団の者たちや、近所の住人たち20人ほどが詰めかけてきている。双葉が姿を現すと切迫した顔で群がってくる。老人も、若者も、不安と怒気を瞳にないまぜにさせながら、双葉に問いかけてくる。SG部隊はどうなったのか、家族を避難所に待機させたままで安全なのか、社員寮に向かった仲間は無事なのか。そう口々に詰め寄ってきて、双葉は大丈夫、大丈夫だ、と、答えにもならない答えで群集をかき分けていく。
「どこに行くんだ! 双葉! お前が行くなら俺たちも行くぞ!」
双葉はうなずきながら微笑み返す。
「大丈夫。あなたたちを連れていっては、あなたたちの家族を無駄に悲しませてしまいます。SGはただの兵隊じゃないんですから」
たおやかな微笑を口許に浮かべつつも、狐目の中身が冷たすぎるほど鋭く光っていた。
それに気圧され、住人たちは言葉をなくしてしまう。
双葉に反応して自動扉のガラスが開く。ロビーの熱気とは打って変わって、日暮れの冷気が彼女の頬に刺さってくる。
首の骨が生まれつきない全長3mの友人が、ペットのプライドコータス1匹とともに四つ足で立っていた。友人はだらりと垂れ下がって石畳にうつむいたまま、顔から目線だけを上に持ち上げてくる。
「うう」
言語もままならないというのに、必死で双葉の身を案じてくる。
ベースボールキャップを被る彼の父親が、ロビーから追ってきていた。父親は彼とまったく違う姿形、双葉たちと同じである。
「申し訳ない。双葉ちゃんが心配だからって聞き分けがなくって」
「ううん」
双葉は友人の肩に掌を置く。
「私は大丈夫。待ってて」
こぎつけていたセダン車の後部座席に双葉は乗り込んだ。
「五研に。急いで」
うなずいた運転手は、アクセルを踏んだ。
すでに夕日は沈んでいる。薄闇に飲まれた役所が、窓ガラスの景色となって過ぎ去っていく。
(G地区解放だなんて馬鹿げている)
蘇ってくる憎悪、湧いてくる怒りをおさえるようにして、双葉は刀の鞘を握りしめる。
(どうせ解放されたところで、奇形に生まれてきてしまったあの子たちを処分するに決まっている。何もかもひた隠しにしようとして。なんのための解放なの。誰の、何を、解放すると言うの)
鋭い目は暮れなずむ玄福の田畑を見つめる。
(五研にヒノモトさんがいることはSG程度じゃ知らない。ころころ変わる政権内閣でも知らない。ヒノモトさんを狙っているっていうことは、機密作戦に参謀本部が絡んでいるのは間違いない)
玄福住人の安全のために、過去からの密約に沿って、国防軍と妥協を続けてきた双葉だった。
しかし、国防軍が玄福のすべてを灰燼に帰す構えでいるのならば、
(私も本気でこの国家を叩き潰す)
全面闘争を腹に決めた。




