09:殺戮
「ちっくしょおォっ!」
雪村が手榴弾の安全ピンを抜いて、銃弾が撃ちかけられてくるほうへ放り投げた。爆風が爆炎とともに廊下に巻いて起こる。黒煙たなびく中へ雪村は銃身を構えて躍り出る。
「カピちゃん! 田中教官をっ!」
雪村は視界不良の黒煙の中にめったやたらに連射する。杏奈が這いつくばっていきつつ、スマートデバイスで呼びかける。
<キャプテン! 田中教官がっ!>
<誰だっ! 田中がどうしたあっ!>
<穂積ですっ! 田中教官が負傷っ!>
雪村が放つ銃弾の下、杏奈は田中中尉のもとまで匍匐していく。血みどろの田中中尉に覆いかぶさるようにしてしがみつき、「教官っ」「教官っ」と、呼びかける。返事はない。血液だけがとめどなく流れ出ている。
<ポニーはどうしたんだっ!>
<こちら有島っ! 建物西側より敵が侵入っ!>
<ポニーっ! 応答しろおっ!>
峠大尉が放り投げたらしき手榴弾の爆発音が、ドンッ、ドンッ、と、2度、建物の外から届いてきた。
「教官っ!」
<そっちに行けないっ!>
<キャプテンっ! 応援を寄越してくださいっ!>
由紀恵の声に続いて、菊田の声だった。
黒煙の向こうの敵は撃破したとした雪村は、リリースボタンで弾倉を外しつつ、
<こちら雪村っ! 俺が行くっ!>
と、新たな弾倉をはめると、杏奈を呼びかける。
「カピちゃんっ! 田中教官を2階に運んでやってくれっ!」
雪村はアタッカーたちのいる反対側へと駆け込んでいった。
「教官っ」と杏奈は田中中尉の上体を起こす。田中中尉の首は据わらず、後ろにぐったりと下がった。彼の体から溢れてくる血液だけが杏奈の腕を胸を温める。
杏奈はスマートデバイスを持ち上げる。
「も、もう、田中教官は――」
杏奈の胸に悲しみが燃えるように沸き立った。小銃を握る手が震え、突き上がってきた悲痛は瞼のうちに涙となって現れるが、杏奈はぐっと唇を噛み締め、こらえる。
バンッ、と、一室のドアが吹っ飛んできた。黒煙がきれぎれになっていく中に、斧を手にした大男が見え隠れした。ファーのついた緑色のジャンパーを着ており、スキンヘッドだった。
杏奈は田中中尉の亡骸を膝にしたまま、すかさず銃口を構える。
ヘルメットの下の、瞳孔を大きく広げ、引き金を引いた。スキンヘッドは身をひるがえしていた。杏奈が放った銃弾は壁だけを打ち込み、スキンヘッドを部屋の中へと逃してしまう。
さらに、銃口から反応がなくなり、弾が尽きる。
杏奈はリリースボタンを押し、弾倉を落とす。新しい弾倉を手に取る。
スキンヘッドが再び現れた。手にしていた斧をすかさず投げ込んできた。杏奈は田中中尉の亡骸を抱えながら身をかがめる。水平に回転してきた斧は杏奈のヘルメットすれすれをかすめていき、コンクリート壁に突き刺さる。
<田中っ! 応答しろっ!>
スキンヘッドが駆け込んでくる。杏奈は小銃を抱えたまま横転する。勢い良く突っ込んできたスキンヘッドの脇へと回りこむ。しかし、横転している最中、弾倉をこぼした。スキンヘッドは突き刺さっていた斧を抜き取り、杏奈に振り返ってくる。
杏奈は小銃を背中にひるがえす。スキンヘッドは斧を振り上げる。
途端、斧を振り上げたままスキンヘッドが顔色を変えた。
「お、女――?」
杏奈は床を蹴り上げ、ヘルメットの頭からスキンヘッドの大きな懐へと入り込んだ。そのままスキンヘッドの丸太のような太ももを抱え込む。持ち上げて、押し倒す。
すかさず馬乗りになった。スキンヘッドは目を丸めている。杏奈の両手がスキンヘッドの首を押さえこんだ。
杏奈は涙のたまった瞼を広げ、口を大きく開け広げて叫んだ。
「わああっ!」
スキンヘッドの首をへし折った。
パンッ、と、銃声が起こり、杏奈の左肩に激痛が走る。目尻をつり上げながら振り返ると、黒煙がすじになってたなびくのを掻き分けるようにして、ジーンズを履いた男が拳銃を構えながら歩み寄ってくる。
「いい加減にしろおっ! SGっ!」
左腕を押さえ、顔をしかめながらも杏奈は横転する。しかし、また撃たれた。腹部に食い込んだ。
両足が激痛から震える。逃れようとしても膝を立てるばかりが精一杯になる。
涙ほくろをたずさえる瞼をしかめながら、向けられてくる銃口を睨むも、彼女は死を悟った。
孤独だった。この広大な世界の中で、杏奈はちっぽけに孤独だった。胸底から涙が溢れでてきそうな狂おしさだった。
そうして、ふと思い出す。切り抜かれた青空に向かって、真っ黒な小径を行く人を思い出す。
彼女はどこに行くのか――。
(さよなら。近田くん――)
杏奈がこらえていた線はぷつりと切れていた。銃口を見つめる瞼からは、頬にかけてのひとすじの涙が流れ出ていた。
銃声が響いた。
「何やってんだ? あ? 何やってんだよ、お前は」
杏奈の目の前には暗闇が広がっていた。いや、顔が迷彩服に埋もれていた。血のつたう体をくるむようにして腕が巻かれていた。
ゆっくりと顔を上げていくと、怒気を放っているのは洋瑛だった。
「近田くん――」
杏奈は喉を震わせながら洋瑛の胸に顔を埋めた。もう、彼が愛しくてたまらなくて、涙が止まらなかった。
「何をやってんだ、この野郎っ! カピちゃんをいたぶりやがってっ! ふざけんじゃねえぞっ!」
「罪のない人をいたぶったのはお前たちだろうがあっ!」
「うるせえっ!」
次の瞬間、杏奈を支えていた胸板がなくなった。杏奈はがくんと頭をのめらせた。はっとして顔を上げると、洋瑛の姿は廊下の突き当たりにあった。左手でジーンズ男の髪を鷲掴みにしていた。
「おらあっ! ふざけんじゃねえっ! この野郎っ!」
右膝を何発もジーンズ男の顔面に入れており、怒りで理性が壊れてしまっているらしく、この死の争いの中だというのに、トランセンデンス能力もさることながら、思考から何からすべてが別世界だった。
「近田くんっ! みんながっ!」
杏奈の声に洋瑛はようやく膝蹴りをやめた。ジーンズ男の髪を鷲掴みにしたまま、凄惨な廊下の様子を見て取っていく。
赤黒い血液が溢れんばかりに広がっており、うつ伏せになって倒れているダウンジャケット、仰向けになって横たわっているスキンヘッド、洋瑛のすぐ脇には蜂の巣状のニット帽子と小銃を握りしめたままの死骸が横たわっており、そして田中中尉は倒れ伏したまま顔をだらりと横にしている。
「教官――」
杏奈が首を振る。
途端、洋瑛の脳裏に田中中尉の在りし日の姿がまざまざと蘇った。が、狂おしいほどの悲しみを振り払う。
「クソ野郎があっ!」
洋瑛は鷲掴みにしていた頭を投げ捨てた。ジーンズ男は呻き声を漏らしながら突っ伏し、洋瑛は転がっていた拳銃を拾う。古めかしい回転式拳銃で、洋瑛は撃鉄を起こす。血走りの目つきでジーンズ男の頭を撃ち抜く。
飛び散った血が洋瑛の頬に斑点を作り、さらに洋瑛はジーンズ男の骸に拳銃を投げつける。
洋瑛ほど情緒の定まらない少年はなかなかいないかもしれない。昨晩は己の弱さを痛烈に感じ入っていたくせに、今朝方は作戦部隊の暴虐非道ぶりに憤りさえ覚えていたくせに、今は目玉の焦点が殺戮一筋に絞られて、好戦的な者の独特の軽やかさ、かつ、力強い足並みでジーンズ男の骸から離れていき、杏奈のもとへ歩み寄っていくと思いきや、打ち捨てられていた斧が視界に入り、無表情で拾い上げる。
ドアが叩き開けられた部屋の一室を何気なしに見やると、ガラスの破られた窓を両膝飛びで乗り越えてくる男がいた。
「カピちゃんは上に行ってろ。笹原教官に手当てしてもらえ」
杏奈は呆気に取られた顔でうなずいた。
男が部屋の中から洋瑛に向かって駆け込んでくる。
パチン、と、脳裏に音を鳴らし、洋瑛は瞳孔を広げた。
たちまち洋瑛の両肩にがつんと何らかの重力が落ちてき、それは滝壺に落ちていくように指先から足元へのすみずみにまで広がっていく。そして、広がっていった重力が浮かび上がる煙のようなものに変わって、指先や足元のすみずみから洋瑛の胸、頭へと昇っていった。
高速化される。
駆け込んできていた男が足を上げたまま、目を剥き出したままに止まっており、洋瑛は男に襲いかかる。悪鬼の形相で斧を振り上げ、振り下ろす。男の肉体を半分にしてしまう。
人命をいとも簡単に屠ってしまった洋瑛は、窓を飛び越えて中庭に降り立つ。
ロケット弾によって炎上した車両の火も形ある静止したものとなっており、2階から放たれている数々の鉛合金の銃弾がゆっくりと動いている。
銃弾を避けるようにして4人の男たちが壁伝いに背中を這わせていた。
洋瑛は彼らに向けて次々と斧を叩き込んでいく。
4人目の頭を割ったところで、ガツン、と、重力が脳髄に響いた。洋瑛はその痛打に耐え切れなくて肩を落とし、地面に膝をつく。
途端、雨弾がすさまじい勢いで地面を叩き始め、土埃が一斉にして立ち、おびただしい量の血飛沫も一挙に噴き上がった。
血の噴水をヘルメットの頭から浴びながら、洋瑛は片膝立ちのまま銃弾の降り注ぐ辺りを見渡す。
塀の向こうに炎が燃え盛る。
どこに潜んでいるのか、敵方はまだだいぶ残っているはずであった。
視線を玄関口のほうへ向けていくと、アタッカーたちの姿があった。菊田が倒れており、それを由紀恵が介抱しており、有島が2人の敵と向かい合っている。
ちょうど、有島が上段蹴りを浴びせていたが、Dは左腕1本で有島の蹴りを受け止めた。
<おいっ、近田っ! 滅多やたらにやるんじゃねえぞ! 考えて高速化するんだ!>
峠大尉の声に洋瑛は舌を打った。
(無能野郎。まったく状況が把握できてねえじゃねえか。カス)
洋瑛の瞳孔が広がった。
銃弾の速度が落ちる。
洋瑛は斧を左手にアタッカーたちのもとへ駆け込んでいき、今まさに有島に拳を放っていた者の首を切り裂いた。さらにもう1人、由紀恵に駆け込んでいく態勢の者の頭上に斧を振り上げる。
(あ――)
しかし、洋瑛は思わず斧を振り上げたまま止めてしまう。
ボブヘアの髪先をなびかせ、目尻をつり上げて右手にナイフを握りしめているのは、20歳前とおぼしき女だった。
わりと好みだった。
斧を持つ手が震える。
(俺は殺るのかよ――?)
「ちくしょおっ!」
洋瑛は目玉を剥きながら斧を叩き落とした。えぐった感触が掌に伝わってくると、瞼をつむって背中を返す。同時に高速化が終わる。襲ってきた重力に体が沈む。
血の雨が降り注いできた。
「え、え、」
と、有島が戸惑う。
「ヒロっ!」
と、由紀恵は喉から声を弾けさせた。
がっくりとうなだれて、洋瑛は血液を浴びる。もはやヘルメットからジャケットにかけて残忍なまでに赤黒くなっていた。
(どうして、こんな真似をしなくちゃ――)
だらりと垂れたジャケットの右袖から、浴びた返り血がぽたぽたとつたい落ちていく。
さらに洋瑛は疲労を覚え始めた。両肩が心なしか固くなってきた。瞼の下が重くなってきた。自然、吐息が口から出るようになってきた。ここにきて高速運動化は4回。昨晩、隊員たちのもとへ向かっている途中に行った回数は13回。おそらく10回近く加速させてしまうと、体が自由に動かなくなってしまう。
(車は10台以上あった。こいつらがぶん詰まってきたとしたら、敵は40人以上もいる)
片膝で体を支えていた洋瑛は、吐息をつきながらゆっくりと体を起こしていく。
「近田くんっ」
有島が洋瑛の肩を抱えてきた。落ち窪み始めた瞼で洋瑛は有島の瞳を見やる。有島は切れ長の瞼に涙を溜めている。鼻先と鼻先が触れ合いそうな距離で、洋瑛は微笑を浮かべる。
「有島――」
しかし、有島は唇を噛み締め、鼻をすすりながら目尻から涙をひとすじこぼし、どこか様子が違った。
「雪村君が」
「え――」
洋瑛は顔を起こした。そして、呆然とした。
中庭から破られたガラス窓一枚を隔てた一室、がらんどうの洋間の中には、迷彩服の少年が片手に小銃を握ったままうつ伏せになっており、それを中心にして血の溜まりが出きていた。




