三十話 戦いの幕開け
「ん……」
暗い洞窟の中、リールは目を覚ました。
身体を起こし寝ぼけ眼をこすり辺りを見渡すと、いくつもの見知った顔がこちらを見ている。その中でももっとも見慣れた二人、黒髪大柄の少年と茶髪中背の少年がこちらに向かって口を開く。
「おう、起きたかリール」
「リール、大丈夫か?」
「あー……うん、ブレイバス、クレイ、それにみんなも皆おはよー……」
返事をしながら状況を把握するべく辺りをよく見渡す。
今こちらに向けて話しかけてきた孤児院仲間のクレイとブレイバス。その隣にはクリーム色のアホ毛を生やした自分と背の変わらない少年、ジアンがちょこんと座っている。
更にそのやや後ろには黒を基調としたボディスーツに身をつつんだ青緑髪の美女、ほどよく締まった体付きで戦士の顔つきをした男が何やら支度をしている。
「ジアン、それにミザーさんとエトゥさん、皆無事だったんですね」
「リール、おひさ」
ヒラヒラと手を上げながら挨拶をしてくるジアン。リールはそこで、この森で再開してからジアンと一度もゆっくり話をしていなかった事に気がついた。
「ああ」
「先の戦いでは世話になった」
夜狼人の二人もやや無愛想ではあるが、こちらに対して悪い印象はないようだ。この二人ともあまり会話を交わしていなかったリールはその返事に少しホッとした。
そしてエトゥの『先の戦い』という言葉に、その時の事を思い出しながら整理する。
「ええっと、リガーヴ将軍と戦って、お父さんとジアンが助けに来て、その後……」
「フッ この私が君たちをここまでエスコートしたわけだ フッ」
突如隣から聞こえる声にリールは身を震わせた。そう、先ほどまでの認識であればこの男は敵である。
しかし、先に起きて状況を把握しているだろうリール以外の全員が落ち着いている事、今の『エスコートした』という発言から、事実はまた違うものなのだろうとリールは分析する。
「ヴィ、ヴィルハルト将軍、いつも急に出てくるの止めて貰えません?」
リールは苦笑いをしながら隣に現れた耽美な変態、ヴィルハルトのほうへ目を向けた。
当の相手はリールの発言に対し、「フッ」と言って大振りに髪をかき上げた後、再び「フッ」と口にするだけで明確な返事はもらえない。おそらくコレからも急に出現し続けるつもりなのだろう。
そこで座っていたクレイが腰を上げ、リールに向かって本題を切り出した。
「さて、あまり時間がない。リール、進みながら説明をする。みんな準備は出来ているけど、君は大丈夫かい?」
「え? 一体どうなっているの? 何をするの?」
クレイの発言と共に皆立ち上がったり伸びをしたりと、何かを始める事前行動を開始した。
リールはとりあえず今から行う事を簡潔に把握しようとクレイに問いただす。その問いに、クレイは答えた。
「今外に出ると人間も夜狼人も、躍起になって僕たちを殺しに来る。その首謀者であるエブゼーン将軍を、倒す」
◇◇◇◇◇
クレイ達は洞窟から外に出ると、ラムフェス兵と夜狼人の戦いが最も激しいと思われる場所、族長のエルダーと別れた場所まで走る。
「クレイ、前方から来るぞ!」
その途中、前方からの気配にミザーが叫ぶ。同じく既に感知しているエトゥも戦闘体形に入った。
奥から出てきたのは、ミザーと出会った時と同様虚ろな目をしたラムフェス兵達。そして、同じ目をした夜狼人達だった。
もしもヴィルハルトと出会う前にこの光景に遭遇したのであれば困惑を究めただろう。争っているはずの二種族が、明らかに当人とは別の意思で、操られているかのように結託しこちらに襲いかかってくるのだ。
そこでクレイも叫ぶ。
「話通りだ! 皆! やるぞ!」
そう、この事態はヴィルハルトから聞かされ予測していた。
夜狼人の二人に続きクレイとブレイバスも剣を構える。リールとジアンは己の役割を把握しやや後方に下がった。
こちらを見つけ襲いかかろうと身構えるラムフェス、夜狼人混合軍。
「待て」
しかしその時、混合軍の背後から声がかかった。その声に、混合軍はピタリと動きを止める。
兵士達の後ろから姿を現したのは、金銀の装飾が嫌らしい光を放つ目立った鎧を纏う男。その頭髪は歪な枯れ木のように曲がりくねっており、黄土色を主体に鎧と同じく品のない光を放っている。
「エブゼーン将軍……!」
「ようこそ英雄殿。まさか我々からの攻撃だけではなく、リガーヴの捕捉からも逃れられるとはおもっていませんでしたよ」
もはや自分がクレイ達をハメた事を隠すつもりもないようだ。多数の兵に囲まれながら不敵な笑みでクレイ達を見下ろしている。
クレイは辺りを見渡した。森に入った際自分たちを分断したエブゼーンの髪の色そっくりの黄土色の霧が、ずいぶん薄くはなっているが辺りに散布している。
「……この霧は、貴方の魔法ですね?」
獣神の聖域森林に侵入した際、部隊前方から発生した黄土色の霧。これほど広範囲に効果を及ぼす、夜狼人ですら遭遇したことがない霧。
発生場所を考えても、発生させる実力や動機を考えても、目の前のこの男エブゼーンが起こした物以外には考えられなかった。
「その通り!」
クレイの質問に対して、エブゼーンは大げさに両手を打ち付ける。そしてかつてないほど嫌らしく、それでいて嬉しそうな顔で演説を始めた。
「これが私の魔法【美麗幻想劇】! 魔力を密集させ霧を濃くすれば対象の方向感覚など完全に狂わせる! 更に! 薄く拡散させ長期的に霧を吸わせれば……」
そこでエブゼーンは周りの虚ろな目をしたラムフェス兵と夜狼人を下卑た表情で見渡した。
「ご覧のとおり、精神までも狂わせ私の思いのまま動く人形となる」
自分達とは規模の違う強大な魔法、味方ごと敵全体を強制的に自分の支配下に置いてしまうその残忍さ、ヴィルハルトから聞かされていたとはいえ、それらを目の当たりにしてクレイは歯を食いしばった。
「さて、私としても誤算はあったのだ。この鼻の利く汚い獣人共の森で悪魔の臭いを纏いながら孤立させれば、事前に測ったお前たちの実力を考えても勝手に喰われてくれると思ったのだが、まさかその獣共を手なずけるとは思わなかった。おとなしく死んでいれば『英雄殺しの野蛮獣人共の武力制圧』、これが出来たというのに」
エブゼーンはやや肩を落とし、一転つまらなさそうな顔をして吐き捨てるよう喋り出す。
「追っ手を差し向けても返り討ち。獣人共と結託し反乱した事にしようとしたが、まさか本当に共闘を始めるほどお友達関係になっているなんて、ね」
そこで再び口角を上げ、目元も釣りあげ口調のトーンも戻し、騒ぎだした。
「しかし! 英雄共も中々察しがいいようだね。わざわざ出てきたと言う事は私の包囲網からは逃れられない事は理解しているようだ。さ、そこの青緑の獣人女だけこちらに渡して、大人しく人生をあきらめてくれたまえ」
「いつまでも糞おもしれー顔しながら糞くだらねー事ほざいてんじゃねーよコラ」
その人を物か何かのように扱うエブゼーンの口調と笑顔に、ブレイバスが軽蔑の眼差しを送りながら口を挟む。更にミザーが続いた。
「ふざけるのも大概にしろよ下郎。我々他種族のみならず、同じ人間種族を……クレイも部下も貴様の玩具にするつもりか」
ミザーが胸の内に秘めるは、先ほどヴィルハルトに見せた様なむき出しの怒りではなく、冷静に、それでいて必殺のタイミングを逃さない狩人のような殺意。
最後にクレイが一歩前に進み、口を開いた。
「エブゼーン将軍、僕たちは貴方に殺されに出てきたわけではありません、ここで僕たちが貴方を……」
そこでクレイは長剣の切っ先をエブゼーンに向ける。
「殺します」
その言葉と同時にエブゼーンは笑いながら目を見開き、王冠を被った竜の紋章が象られた左手を、盛大にかざしながら叫んだ。
「やれッ!」
その合図と同時、虚ろな目をしたラムフェス兵と夜狼人連合軍が、嵐のような雄たけびを上げながら一斉に襲いかかってきた。




