第十九話
「ミスリルですよ! 大塚さん!」
「はあ?」
大井山ダンジョンの九十五階層をクリアーした翌日。
今日は予定休暇日なので朝から宿の露天風呂に入っていたところ、そこに突然阿部さんが、裸で腰にタオルを巻いた状態で露天風呂に入って来る。
『なぜ、こんな所に一国の総理大臣が?』という俺の疑問に答えるかのように、阿部さんはただ『ミスリルですよ!』という単語を連呼していた。
ミスリルとは、所謂ファンタジーな物語では良く出て来る金属の事である。
作品によって細かな定義の違いはあったが、銀のように美しく鋼よりも強く。
加えて、とても貴重とされている金属のはずだ。
実は、現在世界中にあるダンジョンでも鉱石を採取可能である。
鉱石とは言っても、含有量90%以上なので質の悪いインゴット扱いであったが。
どのダンジョンでも共通して、九十階層から九十五階層では魔物を倒すと銀の鉱石がドロップする。
更に、その銀の鉱石の中の千個に一個の割合。
率にして0.1%で、銀の替わりにミスリル鉱石がドロップする事があるのだ。
これは、ミスリルが銀の仲間であるかららしい。
銀が長年自然界のマナに曝され、徐々に魔力を帯びていく。
それが、ミスリルの正体なのだと空子が言っていた。
「日本政府では、現在ミスリル鉱石の買い取りキャンペーン中です!」
「そんな、どこかの金属リサイクルショップのような宣伝……。でも、どうしてです?」
少量ではあったが、ミスリルは日本政府も手に入れ、現在何に使えるのか解析しているはずだ。
「新しい発電に使うんですよ」
ヒントは、空子からであった。
魔物がドロップする、魔力の元となるマナの塊である魔石。
これを、昔の銀河正統連合政府がどのような用途で利用していたのか?
そもそも、魔法文明とは何ぞや?
この問いに、あまり専門的な話は無理だし、抽象的な話で良ければと。
以前空子は、阿部さんが派遣した学者に数時間ほど色々と説明していたのだ。
前に俺にも、魔石はすり潰して水に溶くと燃料と同じように使えると話していたのを俺は思い出していた。
「そこで、魔石を原料にした燃料の試作を行いました」
色々と試した結果、なるべく微細に砕いて純水に近い水に混ぜるほど性能の高い燃料が出来るらしい。
「あまりやり過ぎると、車のエンジンが爆発しますけどね」
それはそうであろう。
魔石をエンジンで燃焼させるなど、言ってみれば火系統の魔法をエンジンの内部で発動させたに等しいのだから。
「魔石燃料が燃える時にエンジンやタービンにかかる負担。原子炉の技術でクリアーできると思ったんですけど……」
通常の熱や爆発だけでなく、火系統の攻撃魔法に等しい物なので、どんなに頑丈な物を使っても通常の物では無理であったそうだ。
「それで、ミスリルですか?」
「はい、ミスリルです」
ダンジョンでドロップするミスリルには、空子が言うには魔法などを防ぐ効果があるらしい。
なので、冒険者が使う防具の材料としては最高級品であった。
ただ、それが買える冒険者ともなると、既に愛用している防具が十分に強くなっているという落とし穴もあり、『金持ちボンボンの冒険者なら、最初から使えば良いんじゃない?』程度の扱いであったようだ。
俺達も、今さら愛用している農作業用ツナギと交換するつもりはなかった。
むしろ、ダンジョンになど潜らない金持ちが暗殺者からの魔法攻撃などを防ぐために使ったりしていたらしい。
少なくとも、銀河正統連合政府ではという条件は付いていたが。
稀に、運良くミスリル製の武器や防具をドロップして手に入れる冒険者も居るようであったが、今の時点で九十階層を越えられる冒険者は、100%公務員冒険者だけである。
なので、それらの武器や防具は半ば強制的に日本政府に買い取られてしまうようだ。
「魔石燃料発電は、既存の火力発電所が使えるのです。勿論、そのためにはミスリルが必要ですけど」
その代わりに、ボイラー、タービン、復水器、発電機など。
なるべく多くの周辺機器をミスリルでメッキする必要があるらしい。
「そうしないと、普通の火力発電所ですと一週間も保たないで壊れてしまいますから」
「高出力なんですね」
「はい、物凄く効率の良い発電が可能です。それに、二酸化炭素が出ないんです」
魔石燃料は、燃焼すると熱された水だけが残る仕組みになっているそうだ。
空子によると、魔石を構成するマナが燃えて自然界に戻っていくのだそうだ。
マナが自然界に戻る過程は、どんな検査機器でも探知不能で学者達を不思議がらせたようであったが。
「何にせよ、これで日本はエネルギーの海外依存度を減らせるのです!」
良い事なのであろうが、となるとアレが必要になるわけだ。
「ミスリルが必要なのです! 日本政府は、現在ミスリルの買い取りを強化しております!」
その後、阿部さんは朝風呂を満喫し、公務員組の今泉や池上リーダーが恐縮する中で一緒に朝食を取り、他のメンバー全員にもミスリル買い取り強化キャンペーンについて熱心に話をしてから、一人ヘリで首相官邸へと戻って行った。
そんな阿部さんを見送りながら、俺達は日本の将来について真剣に心配してしまうのであった。
なぜって?
いい加減、一国の総理がわざわざ俺達を訪ねなくても良いようが気がするからなのだが。
「とは言え、そう簡単にドロップしないと思うんですけど」
結局、今日の休みは中止となり、俺達は九十階層で魔物を倒して鉱石を集め続けていた。
別に休んでも良いような気もするのだが、そこは悲しい日本人の性。
一国の総理に直接頼まれてはと、今日もダンジョンに潜っていたのだ。
「大塚、お前は阿部総理と顔見知りだったんだな」
「色々とあってな……」
今泉も、それとなく俺達の事情は知っている。
だが、守秘義務があるので詳しくは聞いて来ない。
いや正確には、この世には知らない方が幸せな事もあると知っているのであろう。
「俺としては、今の情況は非常にありがたい。総理大臣に運良く会えたという事にしておく」
「稼げるからか?」
「そういう事だな」
現在、ダンジョンに潜る公務員には二重の給料制度が適用されている。
さすがに命の危険があるのに、普段の給料体系では可哀想だという意見が噴出したからだ。
結果、多少民間冒険者よりは天引きされるものの、獲得したドロップアイテムに応じた成果給が導入されている。
この制度の結果、一部自衛隊員、警察官、消防隊員などに一流プロスポーツ選手や企業経営者並に稼ぐ人間が続出していた。
そうなると、当然テレビなどでは批判されるわけだが、その代わりに殉職者の数も組織創設以来最大数出ているわけで、今では一部エキセントリックな論調以外では批判はされていない。
『文字通り、国のために自己の判断で命を賭けて稼いでいる彼らに、それをしない者が文句を言う資格など無いのです』
阿部さんは、記者からの質問にそう答えていた。
あと、他の外国では、もう一部を除いてとっくにその制度が適用されている。
当然欧米諸国などでもそうで、そうなると欧米コンプレックスで、何でも欧米を真似れば良いと考えている層は、その手の批判をすぐに引っ込めていた。
その層とは、今日本で管理職にあるような団塊世代の連中であった。
それに、そんな命を賭けて鉱石を獲っている彼らのアガリで、実は国家財政が大幅に改善もしているのだ。
それはそうであろう。
国が立ち上げた資源公社が、彼らが持ち込んだ鉱石やドロップアイテムなどを買い取り、それを民間に競争入札で放出する。
一転して、国が稼ぐ立場になったのだから。
当然、来年度以降の国債発行額も下げる予定であり、税収というか国家収入も上がっているので、国債の償還にも余裕が出ていた。
これが経済にどんな影響を与えるかで、毎日テレビで御用経済学者が持論を展開しているが、まあどうにかなるのであろう。
こっちとしては、破綻しなければそう影響も出ないであろうし。
俺が、経済なんて良く知らないという点がとても大きかったのだが。
それともう一つ、この動きに連動してバカな真似をして国民から白眼視された連中がいる。
それは、民新党と自治労の連中であった。
『財政が良くなったのだから、給料上げろ! そうすれば、経済はもっと上向く!』
少し前まで、国家財政が危機なので公務員の削減や報酬カットなどがテレビで議論されていたのに、それを忘れたかのように騒ぎ始めたのだ。
しかも、それに乗ったのが当時は公務員削減と報酬カットを声高々に主張していた民新党の政治家なのだから性質が悪い。
結局彼らは、支持母体である自治労に配慮してそれが出来なかった。
なのに、今度は支持母体の言い成りで全く別の主張を始める。
これでは、白眼視されない方が異常であろう。
『あの連中は、相変わらずじゃの』
組合活動など、まるで興味が無かった善三さんの言葉は辛辣であった。
「それは良いのですが、この二時間で32パーティーが九十~九十五階層で粘って、ミスリル鉱石が二つだそうです」
最近ではレベルも上がり、一人前の冒険者となりつつある瞳子さんが、タブレット端末で現在のミスリル獲得情報を報告する。
今回のミスリルキャンペーンでは、阿部さんと政府からの要請で多くの高レベルパーティーが参加をしている。
だが、さすがはドロップ率0.1%の鉱石。
そう簡単に出る物ではないようだ。
「なあ、空子」
「ドロップ率を上げる方法はあるぞ」
「あるのか!」
「我にしか使えぬが、そういう魔法があるのじゃ」
『確率変動』という特殊魔法らしい。
何かパチンコのような魔法に聞こえるが、文字通りに指定した事柄の確率を転換する魔法だと空子は説明していた。
「その代わり、我はずっと魔法を使い続けるので戦力にならぬ」
「それは、仕方ないかな」
空子の魔法は重要な戦力ではあったが、居なくても今の戦力なら何とか出来るはずだ。
「それとな、他の確率に影響が出るのじゃ」
死の確率など、そういう危険な物の変動は防げるが、思わぬ事象の確率に変化が出る可能性があるらしい。
「何の確率が変わるのかが、我にもわからんのじゃ」
「そこは、前向きに捕らえるとしようか。例えば、瞳子さんが俺に惚れるとか?」
「おい……」
今泉が妙な事を口走るが、本人は言っていて虚しくならないのであろうか?
この所、レベルも上がり、上級の回復魔法も覚えた彼は、県警機動隊で最も稼ぐ男であり、上からの覚えも目出度い男になっていた。
だが、惚れている瞳子さんへのアタックは未だに効果を挙げていない。
クールビューテーな彼女に、軽く断られてしまうのが常であったのだ。
「それは、無いと思うけどな」
「あの、田井中さん。その心は?」
「さすがに、確率がゼロな物は変動しないと思うんだよね。空子からの話を聞いていると」
「そうじゃの。一兆分の一%でもあれば、その確率は動かせるのじゃが……」
「大塚、お前の嫁さん達が酷い……」
今泉は、さめざめと涙を流し続けていた。
「おおっ! これだけのミスリル鉱石をすいませんね! 早速に、既存の火力発電所の改修工事を始めないと」
その日の夕方、再びヘリで現れた阿部さんは、今日だけで集まった大量のミスリル鉱石の量に一人感動していた。
「これだけあれば、備蓄も充分ですよ」
ギリギリの量ではなく、万が一に備えた備蓄も必要だと語る阿部さんは、冷静に考えれば政治家としては譜第点なのかもしれなかった。
「みなさん、頑張ってくださいましたね。当然、買取額はキャンペーン中につき勉強させていただいて……。あれ?」
阿部さんは、今になってようやく参加していた冒険者達がドンヨリと落ち込んでいるのに気が付く。
ただ一人、空子を除いてだ。
「空子さん、どうかしたのですか?」
「うむ。ミスリル鉱石を得るために使った魔法がな……」
『確率変動』で、ミスリル鉱石がドロップする確率を大幅に上げてこの成果を得る事が出来た。
しかしながら、それをすると当然他の確率に影響が出てしまうのだ。
「死の確率とか、そういう厄介な物の確率変動も抑えてこその『確率変動』でもあるのじゃが……」
当然、手間の関係で全てフォローが出来るはずもなく、中途半端な不幸に見舞われる者が続出していた。
「まずは、全員のパンツの紐が一斉に切れての」
「中途半端に嫌ですね」
別にそれで何か危険があるわけでもないのだが、嫌な事には違いが無かった。
「今泉は、石につまずいた拍子に……」
瞳子さんの胸にタッチしてしまい、彼女から冷静に往復ビンタを受けていた。
転んだ時に怪我はしなかったが、彼の頬には真っ赤な紅葉が付いている。
今泉本人は物凄く嬉しそうな締まらない笑みを浮かべていたが、奴はドMなので不思議は無い。
「瞳子さんはともかく、彼はとても嬉しそうに見えますけど」
阿部さんは、内閣府に居た瞳子さんと知己である。
なので、一見普段通りには見えても、実は不機嫌な瞳子さんに気が付いているようだ。
それと、彼女の胸に触れた今泉は煌々とした笑みを崩していなかった。
どこの中坊だよと思わなくも無いが、同時にドMなので往復ビンタも嬉しかったようだ。
「そういえば、一緒にダンジョンを攻略した機動隊のメンバーは?」
「全員、お昼の弁当が当たっての」
持参していた弁当が当たり、午後からは酷い下痢と戦いながら鉱石を集めていたらしい。
「快癒薬を使わなかったので?」
「おおっ、総理もあの薬で健康になったのだったな」
「そうですよ」
阿部さんは、ダンジョンからドロップした快癒薬を自費で購入してお腹の病気を治していた。
「使って治したのじゃが……」
当然、お腹は空っぽなので新しい他の弁当を食べ、また当たって下痢になったのだ。
「あいつら、体が資本だからと食うのを辞めぬのじゃ。確率のループに巻き込まれている可能性が高いから、何も食わなければ大丈夫だと言ったのに……」
今も、ダンジョンから出て持っていた水筒の中身を飲んだことろ、また下痢に襲われている。
ダンジョンの外に設置されているトイレで、マッチョな機動隊員達が危機迫る表情でトイレを奪い合う光景は、他の冒険者達を恐怖に陥れていた。
というか、恐ろしいほどの不幸とも言えた。
「みんな、大なり小なりのぉ……」
無意味に、転ぶ回数が劇的に増えた者。
買ったばかりの予備の剣を自慢していたら、それがいきなり折れた者。
いきなり、彼女からメールが入って別れを告げられた者など。
なるほど、『確率変動』とは恐ろしい魔法のようであった。
「故にじゃ。総理も気を付けるのじゃぞえ。官邸に戻ったら、朝生副総理にクーデターをかまされて政権を奪われるかもしれないからの」
「いや、それはさすがに無いでしょう……」
多少の不幸はあったものの、集まったミスリル鉱石は無事に買い取られて俺達の懐を潤し、同時に日本政府は既存の火力発電所を改造したり、新規で建造して魔石発電所を稼動させる計画を世間に発表する事に成功するのであった。
俺達の、ささやかな不幸と共に。




