~幕間~ ローリとタビー ~スローライフ~【7/25書籍発売記念】
これは、公爵家を逃げ出した一人と一頭が、湖の畔で暮らし始めた頃のお話です。
「どうしよう、やっぱりちゃんと関所を通って街道を行くべきだったかなあ」
「ムヒヒヒン」
弱音をはく私を慰めるように、タビーがちいさくいなないて首を振った。
木漏れ日が揺れる森の中を、枝や盛り上がる木の根などものともせずにぐいぐいとタビーは進んでくれるけれど。私たちはいったい何日こうして森の中にいるのだろう。毎日、夕方には庭師の作業小屋を出せるスペースを見つけてしっかり休めているけれど、足場の悪い森の中を移動し続けるのはタビーにとってかなりの負担になるはずだ。
「タビー、本当にごめんね。ああ、やっぱりあの時関所の方へ」
私の弱音が繰り返されそうになった時、ふいに前方が明るくなった。
「わあ、綺麗な湖!」
「ぶふふん!」
思わずあげた私の歓声に、どうよ! といわんばかりにタビーが鼻息を荒くした。歩速をゆるめてゆっくりと湖に近づき、少し手前で足踏みを何度かすると立ち止まる。
「少し休憩しようか」
タビーの首を軽く叩いて、私は下馬した。
「今、お水を用意するね」
アイテムボックスから桶を出していると、タビーはフヒンといって湖にすたすたと歩み寄り、足をぬらさないように長い首を伸ばして器用に水を飲み始めた。
「あら、準備が遅くて失礼」
小さく肩をすくめた私に、気にするなというように長いしっぽをフルンとさせる。こういうところが、タビーは自立しているというか。馬に言うのはおかしな表現だけど、なんとも人間臭いところがある。
「ふふ、かわいい」
一心に水を飲む様子に思わず口から零れた私の言葉も聞き逃さないように、タビーはピピッと耳を動かした。
なんというか。タビーは人の言葉、人の気持ちがわかるのではないだろうか? と思わせられる。前世では馬と触れあった記憶がないからわからないけれど、馬にはよくあること? それとも、こちらの世界特有のことなのだろうか?
「タビー、ありがとうね」
試しにもう一度声をかけてみると、どこ吹く風といった風情で水を飲みながらも、タビーの耳はピピンと動いていた。
「草もたくさん生えているけど、飼い葉もだすね」
私は改めてアイテムボックスからタビー用の大きな桶を出して飼い葉を盛った。水辺から戻ってきたタビーが、今度は桶に顔を突っ込んでモグモグと食事を始める。
「これ、サービスね」
にんじんを口元に差し出すと、バクっと一口にしてボリボリと咀嚼する音が響いてくる。公爵家にいた時にもタビーににんじんや角砂糖をあげたりしたけど、本格的なお食事風景をじっくり見るようになったのはこの旅に出てからだ。タビーには迷惑かもしれないけれど、大きな口にどんどん消えていく草やニンジンと、それらをかみ砕く顔のかわいさといったら! 正直、ずっと見ていられると思ってしまう。
「こんなにかわいいのに、牛みたいだなんて失礼しちゃうよねえ」
私の言葉に、またタビーが耳をピクリと動かした。やっぱり、わかってる!?
「というか、むしろイケメン? イケ馬?」
白い耳がピクリピクリと動く。それに、こころなしか鼻が膨らんでいるような……。
他の馬に比べて明らかに大きな馬体をしているのに、くりっとした目や愛嬌のある顔立ちのため、タビーは一緒にいても威圧感がない。むしろ頼もしさしかないと思う。
公爵家を逃げ出した夜には、暗闇の中をファイアボールで照らしながらタビーを走らせるという無茶をしたのだけれど。最初にファイアボールを見た時にはさすがに一瞬怯んで後ずさりこそしたタビーは、危険性がないと理解するとむしろファイアボールに首を伸ばしてきたので私の方が驚いてしまった。本当に心強い相棒だ。
「ここで少し休もう。鞍をおろすね」
私は、お食事中のタビーから外した鞍をアイテムボックスにしまった。
汗をぬぐい、背中や首筋に軽くブラシをかけてあげるとタビーは機嫌よさそうに目を細める。
「お疲れ様。さて、私も食事にしようかな」
アイテムボックスから敷布を出し、その上に腰をおろす。パンとチーズをかじるだけの逃亡ランチも、美しい湖を眺めながらだと格別の味だ。
どさりと音がして、振り向くとタビーも草地に寝転んでゴロゴロと体をこすりつけたりしている。白と黒が混じったたてがみを、湖を渡る風がそよがせている。
私は残ったパンとチーズを口に入れて、もぐもぐとしたまま敷布の上にごろりと横になって、ぎゅーっと体を伸ばす。ふっと力を抜いて、大の字になった。
「気持ちいいね」
フヒンとタビーが鼻を鳴らす。視界には湖と空の青、そして森の緑しか見えない。すっかり短くなった私の髪にも、湖畔のひんやりとした風が流れる。私はそのまま、吸い込まれるように眠りに落ちた。
「うん・・・・・・?」
生暖かい感触を頬に感じて、私は目覚めた。
タビーが私の顔を覗き込むようにして、ベロリベロリと頬をなめている。
「ごめんごめん、すっかり寝ちゃってたね」
どれくらい経ったのか、起き上がってあたりを見回すがまだまだ太陽は高い位置にある。
公爵家を出て、追手を気にしながら生国を駆け抜け、関所を避けて森に踏み入ってからもひたすら前へ前へと私たちはすすんできた。
「ここにきてちょっとホッとしたのは確かだけど、気を抜きすぎちゃったかなあ」
私はタビーに乗っていただけのくせに、図々しくも疲れているようだ。そのまま何も考えられずにまた、ぼんやりと湖を眺めてしまう。
「タビー、ごめん、ちょっと痛い」
すっかりと短くなった髪は、寝転んで少しもっさりしている。タビーは甘噛みしてくれるつもりかもしれなけれど、私的には体感、むしられていた。
「こげ茶だからって飼い葉と間違えているの?」
茶化しながら鼻づらを撫でると、タビーが離してくれた。心配そうにのぞき込んでくる濡れた黒い瞳に、私は笑顔を作った。
「大丈夫、こんな綺麗な湖のそばにきたから、ちょっと感傷的になっていただけよ」
そんな言葉に応えるように、タビーがそっと頬を寄せてくれる。
「私、これでも少し落ち込んでいるのよ? なーんて」
国境は超えているはずだけど、海どころか、町も村すら見つからず、未だ途切れぬ森の中にいた。そう、私たちは道に迷っていた。いや、道すらない。森をさ迷っている、か。
「まあ、衣食住に問題はないし、こんなに美しい湖も見られたしね」
タビーの首に両腕を伸ばすと、タビーが更に首をさげてくれる。優しい。
「タビーがいてくれて本当によかった。乗合馬車で逃げることも考えていたんだけど、タビーと一緒で本当によかった。ありがとうね」
自分の都合で連れ出してしまったタビーだけれど、街道を駆け、森を歩き、馬具を外せば草地で寝転ぶ様子を見ると、タビーもこの旅を結構楽しんでくれているのではないかと思えた。
「ねえ、ここで小屋を出して何日か休まない? 私たちずっと逃げてきたでしょう? 少しはお休みも必要だと思うの。ここは森の中でも開けていて明るいし、タビーも走り回る場所があるでしょう?」
私はタビーに捕まるようにして立ち上がる。
「そうだ、お風呂も出しちゃおうかな。公爵家の自室のお風呂も持ってきたの。今までは急いでいたから夜に濡れタオルで体を拭くしかできなかったけど、ここまで逃げれば誰にも見つけられないと思うし。湖の畔で露天風呂なんて贅沢じゃない?」
“スローライフ”という単語が頭に浮かんだ瞬間だった。
「わー、幻想的!」
湖畔には、いつもの庭師の作業小屋、それに予告通りに自室から持ち出したお風呂、それを取り囲むように置かれたテーブルにはいくつものランプが光を灯している。加えて作業小屋の窓から漏れる灯りと、それから空に輝く月明かりでお風呂の周りはぼんやりと照らされていた。
「タビー、そこにいてね。私がお風呂から上がるまでそこで待っていてね」
「ブヒン」
タビーがやれやれとでもいうように、少し尻尾をふった。小屋の横に置いた桶には、山盛りの飼い葉とその上にさらに人参が積まれている。もっしゅもっしゅと食べるタビーの姿に安心して、私はばっとワンピースを脱ぎ捨ててお風呂に飛び込んだ。
ぐぐーっと大きく伸びをして、浴槽に頭を預ける。目に入るのは月と満天の星空。さやさやと夜の湖面を風が撫でていく。
「ふー! やっぱり露天風呂は最高ね」
それから、テーブルに置いておいたグラスをとって、天に掲げた。
「月見お茶で乾杯!」
ぐびっと冷えた紅茶を飲む。
誰の返事もないけれど、それが寂しいとは思わない。
「明日は小屋の周りに花を植えようかな。庭師さんの倉庫にあったやつ」
美しい湖畔で、花に囲まれた小屋に暮らすなんてお伽噺みたいじゃない?
想像するだけでワクワクしてくる。
「ね、タビー?」
振り向いた先、飼い葉桶の前にタビーの姿はなかった。あれだけ盛った人参もない。
「タビー?」
その姿を求めて逆に振り向くと、そこには。グラスの横に置いてあったカットフルーツをモグモグしているタビーがいた。
「それ、露天風呂のおつまみにしようと思ってたのに……」
情けない言葉を漏らす私を、タビーが満足そうな顔で見つめる。
「ま、いっか。もう一回、タビーと乾杯!」
今度はタビーに向けてグラスを掲げると、タビーもブルルとたてがみを揺らしてくれる。自分でも驚くような大きな声で、私は笑った。
「それから、私たちのスローライフに!」
三度グラスを掲げて、冷たい紅茶をゴクリと飲む。
私たちは自由だ。
いつもご高覧ありがとうございます!
お陰様で書籍の1巻が本日7/25発売になりました。
そして! 2巻も年内にはお手元にお届けできる予定です。(レーベル様からアナウンスありました)
ここまで来られましたのも、いつも応援してくださる皆様のおかげです。
どうしても感謝をお伝えしたく、書籍1巻あとがきは、皆様へのお礼を述べさせていただきました。
いつも本当にありがとうございます!!
書籍版ではローリがいる場面ではローリ視点となり、同じ出来事でもWEB版とは少し異なる表現になっております。そのため、WEB版よりもノルド様が少しかわいく見えてしまうかもしれません。
また、WEB版では初めての小説ということもあって、書いてみたいけど今の自分では扱いきれないかと封印したモチーフがありました。
今回、編集様のお力添えをいただき、書籍版では新しい「対照」として投入いたしました! 感想欄でリクエスト等いただいていたローリのお兄ちゃんについて、WEB版では全く触れてこなかったのはこのためなのです。
こちらは2巻で花開く種となりますので、ぜひぜひ、1巻ご確認いただければと思います。
大人の事情でお名前が変わっている方もいたりしますので(ごめんなさい)、WEB版と読み比べて楽しんでいただければ嬉しいです。
じっくり書籍化作業をさせていただいたので、長らくお待たせしてしまっております。その先も、その先も! すすめておりますので、今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします!(長文すみません)




