タビーの凱旋
「おい、きいたかよ! 上のお嬢様がお戻りになるってよ」
「蟄居がとけたのかい?」
「それがよ、帝国から帰っていらっしゃるんだと」
「帝国? 帝国って、あの大森林の向こう側のか?」
「そうよ、あの大森林の向こう側の、この大陸で一番の大帝国よ」
庭師どもが噂話をしているのを、俺は厩の掃除をしながらきいていた。
「なんだ眉唾だなあ。大体お前、そんな話どこからきいてきたんだ?」
「帝国にも買い付けにいくっていう商人よ」
「しかし、なんだって帝国なんだ? 領地で御静養されていたんじゃなかったのかい?」
「ああ、ご領地に下がったあと体調を崩されたって話だったよなあ」
「上のお嬢様が療養のために気候のいいところにってんで帝国の近くに転地し
たらな、そこでなんと! お忍びでいらしていた帝国の王子さまと出会ったらしいのよ」
「うちの国の王子様に振られて、別の国の王子様に見初められたっていうのかよ」
「なんだ、お伽噺みてえじゃねえか」
「王子様だのお貴族様だのは、元々お伽話みたいなもんだがなあ」
「それでどうなったのよ?」
「それで帝国の王子さまがな、お嬢様を不憫に思って帝国にお連れになったらしい。帝国の最新の薬で治療してやろうっていってな。それでお嬢様は今ではすっかりお元気らしい」
「お前、さっきかららしいらしいばかりじゃねえか」
「俺だって商人からきいた話だからよ。らしいとしかいえねえよ」
「ケンカするなよ。それで? 元気になったお嬢様が公爵邸に戻ってくるってことかい?」
「この話のすごいのはあ、ここからよ! 聞いて驚け! 帝国の王子さまがお嬢様を嫁にくれって旦那様にいいにくるらしい」
「本当かよ! お嬢様、帝国のお姫様になるのかよ」
「そういうのはお妃さまっていうんだろ」
「なんでもいいだろ、お貴族さまのことなんか知らねえよ」
「そうかあ、よかったなあ。領地に下がったときはどうなることかと思ったけど、よかったなあ、お嬢様」
「なんでお前が泣いてるんだよ、庭師風情が」
「庭師だろうがなんだろうが、お嬢様にめでたいことがあって嬉しいんだからよかろうが」
「そういうお前も少し涙目じゃないか?」
「そんな訳あるか!」
「旦那様、いいっていうよなあ? またいきなり地下牢なんていわないよなあ」
「相手はあの大帝国の王子さまだろ? 反対なんかできるもんかよ」
「そうだよなあ、お嬢様に最新の薬をくれるようなお人なら、きっとお嬢様も幸せになれるなあ」
庭師達は平均年齢が高めなので。幾人かがすすり泣く声が流れてくる。
「それでな、今日の午後に帝国からの行列がお城にくるんだってよ。お嬢様と、帝国の王子様と、すごい騎士とかの行列がくるってよ」
「それは、ちょっとなら見に行ってもいいよなあ」
「構わないんじゃないか、俺たちは特にここの庭師なんだから。むしろお嬢様をお出迎えしないといけないだろう」
「そうだ、俺たちがいかないほうが失礼ってもんだよなあ」
そうして、俺は庭師の集団にくっついて、城から続く目抜き通りの一角に陣取った。両側の路肩はどこで聞きつけたのか、王都の民でいっぱいだった。庭師どもは、例の“帝国に買い付けにいく商人”からきいた話を、『ここだけだ』といってあちらこちらで広めている。それを尻目に、俺は路肩の最前にたった。
あの日、姿を消したお嬢様とタビー。絶対に幸せにやっていると俺は確信していたけれど。でも、やっぱりこの目で確かめたかった。しばらくすると、雨のような音が遠くから聞こえて、そして近づいてきた。段々大きくなる蹄の音。ガラガラと石畳の上を回る馬車の車輪の音も。必死に首を伸ばすと、何人かの騎士の後ろにいた。タビーに乗ったお嬢様だ! 隣には大きな男が黒馬に乗っている。ひときわ立派な馬具に馬飾り。きっとあれが帝国の王子さまだろう。
だがタビーも負けてねえ。立派な立派な。公爵家で一番いい馬飾りをつけてもらっている。鼻革や面がいには金ぴかの飾りがいっぱいくっついてる。手綱だって編み込まれた金糸が光ってキンキラキンだ。
「ほら、みてごらんよ。お姫様の乗ってなさる馬を」
「さすが、帝国のお姫様ともなると馬も違うってもんだねえ」
「あれが白馬かい? あたし初めてみたよ。綺麗なもんだねえ」
「全くだ。羽が生えて飛んでいきそうだよ。お伽噺の天馬みたいだ」
そう。タビーはブチがすっかりと消えて、立派な白馬になっていた。馬の中には成長すると毛色が変わる奴がいると聞いたことはあったが、あそこまで変わったのは俺も初めてみた。公爵家にいたころは荷馬車を引くくらいだったから、正直タビーは運動不足でちょっと太めだった。だけど、どうだ。すっかりと引き締まった馬体になって。真っ白なたてがみを靡かせて。お嬢様を乗せて帰ってきた。
お前、随分と遠くまで走ったなあ。帝国は果ても見えない大森林のその向こうだって聞いてるぜ。たった一頭でお嬢様を守って、そんなに遠くまで頑張ったんだな。そうだな、おかしな奴が現れたって、お前の脚には誰も追いつけないもんなあ。ああ、もう誰もお前を牛みたいだなんていいやしないよ。聞いたか、お前天馬みたいだってよ。お前、公爵家で一番の馬だと思っていたけど、きっと、この国で一番の馬だったんだなあ。ご令嬢を守って単騎で帝国まで駆け抜ける馬なんて、きっと他にはいやしない。あの日、厩でタビーを選んだお嬢様こそが正しかったんだ。どうだ騎士どもめ。ざまあみろってんだ。全く奴らは見る目がない。
「おいおい、厩番の。なんだいい年してそんなに泣いて」
「泣いてねえよ! お前こそみっともねえ顔しやがって」
そんなふうに、俺たち、公爵家の外回り達は。お互いを小突きあいながら、ゆっくりと進む行列を眺めて泣いた。
「お嬢様、お綺麗になったなあ」
「幸せが肌から滲んで光ってるみてえだなあ」
タビーよう。俺はわかっていたよ。お前は必ずやり遂げるって。お嬢様をちゃーんとお連れして、そうして幸せになった姿を見せに戻ってきてくれたんだな。
王子さま一行の訓練された馬たちと、きちんと足並みを合わせてお上品に歩を進めるタビーの晴れ姿に俺は見惚れていたんだよ。そうしたら、それまでピンと伸ばした首できちんと正面を向いていたタビーが急に俺のほうに顔を向けて。
「ムヒヒン」といって歯をむき出した。いつも俺に好物の角砂糖をねだる顔だ。タビーよう、こんなに人がいるのに、お前気づいてくれたのかよ。それにしたって、その顔。せっかくのおめかしが台無しじゃあねえか。立派な白馬さまがよう。
お嬢様も気づいたようで、黒馬の王子様にちょっと声をかけてから、こちらに向かって手を振ってくれた。そこらへんにいる奴らはみんな、拝むようにしてその一行が通り過ぎていくのを見送ったのよ。お城に向かって遠ざかっていく後姿を。タビーはしっぽを高く上げて、ブンブンと振り回していた。ああ、俺も嬉しいよ。タビー、ありがとうな。
【お知らせ】
この度、『公爵家の長女でした』につきまして、書籍化、及びコミカライズ化の運びとなりました。
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時期など、詳細については追ってのお知らせとなりますが、まずはご報告と御礼まで。
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