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私と“私”



ふっと目覚めると、ノルド様の美しい青紫の瞳が私を覗き込んでいた。

「ローリ! 目覚めてくれたか」

大きな手が、私の頬を包んでくれる。大きな天蓋のついたベッドに横たわっているようだ。傍らの椅子から、ノルド様が身を乗り出している。

「はい、ご心配をおかけしました」

「お前が無事ならそれでいいのだ。気分はどうだ? どこか痛むところなどはないか?」

「大丈夫です。ちょっと、貧血のようなものみたいで」

「そうか、医者もそのようにいっておったが。どこか不調を感じたらすぐに申し出よ」

「ありがとうございます。あの、ノルド様はいかがですか? 矢の傷とか……」

毒という言葉を濁して、私は口ごもってしまった。

「大事ない。オレは頑丈な男だといったであろう? むしろ前より元気になったような気がするくらいだ。それに、どうやらまたお前に助けられたようだ。礼を言う」

そうだ、私、あんなに大勢の前で魔法を連発してしまった。どうしよう、なんて説明すればいいんだろう。

「ノルド様、私……」

「よい、お前のことを詮索せぬと前からいっていたであろう。森の乙女でも、屋台の売り子でも。お前が何者であっても、健やかに、オレのそばに在ってくれればそれでよいのだ」

私を見下ろすノルド様の指が、頬を撫でる。

「ここは皇太子宮の客間だ。オレの許可のない者は誰も入れぬ。オレは少し席を外すが、護衛の女性を置いていく。安心して、まだもう少し休むとよい」

私が頷くと、ノルド様がそっと頬にキスをしてくれた。席を立ち、背後を振り返る。私もそちらを目で追う。


「奥方、頼んだぞ」

「お任せください」

私は思わず息を呑んだ。シュヴァルツさんの隣で、ノルド様に応えてニコリと笑ったのは。黒い髪をポニーテールにして、双剣を背負った、この世界では小柄といえる女性。“私”だった。


「……あちらの方は?」

「シュヴァルツの奥方でな、ユミ殿だ。あのように小柄ではあるが、騎士団長をしのぐといわれるシュヴァルツが一度も勝てたことのない剛の者であるから安心して休むとよい」

ノルド様が楽しげに言う。シュヴァルツさんは少し気まずそうだ。


「ユミ殿は元々マクラウドの商隊の護衛をしていた評判の剣士でな、今は子がいることもあって、日頃は仕事をしていないのであるが、今日は特別に力を貸してくれた。オレの近衛は信用できる者たちだが、あのように恐ろしい思いをした後でもある。何人も男が護衛に立つ部屋ではローリの気が休まらないだろうと、シュヴァルツが呼んでくれたのだ」

「お気遣い、ありがとうございます。シュヴァルツさんも、奥様も」

「よかったら、ユミって呼んでください。今は伯爵夫人なんてやっていますけど、元は商隊付きの剣士ですから」

「では、私のこともローリと」

「はい、ローリさま」

私たちはお互いに笑顔を交わした。


「では、我らは少し席を外す。後始末がまだ残っているのでな。軽食を運ばせてあるから、よければユミ殿とお茶の時間とすればいい」

ヴォイドばかりを働かせては後がうるさいのだ、とノルド様が肩をすくめた。シュヴァルツさんがユミを見て、ユミはニコリと頷いた。それから、ノルド様とシュヴァルツさんは部屋を出て行った。


二人の背中を見送って、パタンと扉が閉じる。

「喉は乾きませんか?」

と、ユミが気遣ってくれた。

「そうですね、では果実水をお願いします」

部屋の奥に鎮座するワゴンの前で、飲み物の準備をするユミをぼんやりと眺めていた。懐かしい、見慣れた姿。天使様がこの世界で肉体を作り直したといっていたけれど、確かに。日本人の容姿がこの世界では幼げに見えることもあって、今の自分とそう変わらぬ年恰好に見える。


「珍しいですか?」

お盆を手に振り返ったユミと目があうと、そういってニコリと微笑んだ。

「ごめんなさい、そういうつもりじゃなくて。ただ、シュヴァルツさんの奥様にしては随分とお若いのだなと思って。ごめんなさい、これも失礼ね」

「いいんです。なんだか私、すごく若く見えるみたいで。肌もね、白くもなく、褐色でもないし、顔立ちもあまりはっきりしなくって。帝国でもあまりみない人種みたいなんです」


そんな言葉とともに、差し出された果実水で喉を潤した。

「あなたの肌、確かに白くはないけれど、とても綺麗。なめらかでツヤツヤしていて、まるで象牙のよう」

「まあ、ありがとうございます。不思議なんですけどね、夏に日に当たると褐色になるんです。でも冬になるとまたこの色に戻るんです。マクラウド商会の商隊で初めて長期の護衛についたとき、みんなにびっくりされました」

「帝国のあちらこちらに行くマクラウド商会でも、びっくりすることがまだあるのね」


ユミが自分もグラスを手に、ノルド様の座っていた椅子に腰を下ろした。

「私、天涯孤独で。というか、子供の頃の記憶がないんです。道端で倒れているところを商隊に拾われて。この装備と旅支度しか持っていなくて。言葉は話せたんですけど、名前以外、何もわからなくて。これから大きくなるってみんな思ってたけど、それ以上大きくもならず、もしかして結構大人だったかもしれないけど結局、年齢もよくわからなくて。帝国のどこの地域の特色とも違う見た目だし。故郷を探しがてら護衛としてそのまま商隊にいついてあちこち行ってみれば、どこかに私みたいな人がいるんじゃないかって思ってたんですけど、ついぞ見かけませんでした」

ユミは少しだけ物寂し気な顔を見せた。


「そうですか」

「でも旅暮らしはとても楽しかったですよ。そこでしか食べられない料理や果物なんかもあるし。それから、私、体つきも小さくて、若く見えるせいか。商隊が山賊なんかに襲われた時はね、私なら倒せると思うみたいで嬉々として攻撃してくるんです。でもみんな返り討ち! 『命の惜しくない者からかかってきなさい!』ってね、この双剣でバッタバッタと切り伏せて。私、今まで誰にも負けたことないんです」

「すごいわ!」


「こんな小柄な体のどこに、その力があるんだってみんな口を揃えていうんですよ。どうしても試したいっていうから一振だけ試しに持たせてあげた人達が、重たくて持ち上がらないって。確かに見た目は重たそうだけど、すごく扱いやすい剣なのに。みんな鍛錬が足りないんじゃないっていうと、そんなに細い手足で、そんなに素早く、力強く、双剣が振れるなんてありえないって不思議がるんですけど。でも、できるものはできるんだからしょうがないじゃないですかねえ」

茶目っ気らしくユミがいう。

「そうね」

ふふっと、二人で顔を見合わせて笑った。


「それでね、帝都に戻ってきていた時に、私の噂を聞きつけた夫が“手合わせして欲しい”ってマクラウド商会にきたんです。お店のみんなは絶対ダメだって反対したの。夫もね“そんなに大きいのに、こんな小さな女性に手合わせを申し込むなんてどうかしてる!!”ってみんなに責められて」

「お店の人の心配もわかるわ」


「でも、私は“いいわ”って答えたんです。大きな体で、厳つい顔のお貴族様が、私なんかに真剣な顔をして申し込んできたんだもの。やってあげなくちゃって。それに、みんなは心配するけど、私全然負ける気がしなくて。そうしたら副会頭が“勝負の前に契約書を作る”っていいだして。“勝敗に関わらず、ユミに責を問わない”、“ユミが怪我をおったら、責任を持って治療と賠償をおこなう”って、羊皮紙で正式な契約書を作ったんですよ。まあ、心配しなくても、手合わせはもちろん私が勝ったんですけどね」

それから今まで夫にだって負けなしです! とユミが胸を張る。


「すごいわ、本当に強いのね。それに、マクラウド商会は従業員を大切にするのね」

「そうなんです!」

ユミが、果実水を手にしたまま、少し斜め上に視点を遊ばせた。

「私みたいに天涯孤独な人間も、大店で働きたいって自ら売り込みに来た人も、親に売られてきた人も。みんなで山を越えて川を渡って、国の端から端まで何日も何か月も一緒に寝起きをして。雨や雪で大変な日だってあるけど。美味しいものを食べて、綺麗な景色を見て。夜にはみんなで焚火を囲んで歌ったりして。今は結婚して新しい家庭を築いたけど、マクラウド商会が私の実家みたいなものなんです」

そういって、この上なく嬉しそうに笑った。


「よかった」

「え?」

「あなたがずっと幸せみたいで、よかった」

少し目がしらが熱くなったのを必死で我慢して、私は微笑んだ。

「ローリさまは優しいんですね」

そういったユミに何も答えられなくて、私は曖昧に目を伏せた。


「私、少し休みますね」

「ごめんなさい、私おしゃべりで。疲れさせちゃったかもしれません」

こちらに預かりますね、と。私の手から、ユミが果実水のグラスを取った。

「ううん、すごく楽しかった。また聞かせて?」

今度はシュヴァルツさんとの馴れ初めが聞きたいわ、というと。ユミが嬉し恥ずかしそうに頷いた。


枕に頭を預けて目を閉じると、ユミの気配が遠ざかっていく。カチャリカチャリと、ワゴンの上を片付けているのだろう音が遠くに聞こえて。それらは、不思議と安心感を与えてくれた。


『この世界をどう歩き、どこへたどり着くのかは結局あなた次第なのよ。だから、あなたが今幸せならば、それはあなたの成果』

天使様の声が耳元によみがえる。


お化粧の時、歯磨きの時。鏡越しに見ていた“私”は、いつもため息を我慢しているみたいに憂鬱そうな顔をしていた。今にして思えば、小学生くらいの頃までは笑顔の写真もあったけど、いつからか、“私”の笑顔を見ることはなかった。“私”って、こんな風に笑うんだって、この世界でずっと、優しい人に囲まれて幸せに生きてきたんだって、それが嬉しくて涙が出そうなんだって。今は、言えないけれど。


私たち、別々の選択をして、別々の場所から始めたけど。お互いに幸せになって、本当によかった。この世界で生を全うしたら、また天使様の元に帰るらしいから。いつか、あの不思議な部屋で私と“私”が一つに戻った時には、“あの時、あなたが幸せだったってわかって嬉しかったんだよ”って、それから、ユミは優美なんだよって。“私”に必ず伝えようと決めた。



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― 新着の感想 ―
やったじゃんwww記憶はなくてもシュヴァさんの嫁に収まるユミさん、さすがっす!!www
ユミの物語はガッツリ読みたい気がします
[良い点] ぶわぁぁ( ߹꒳߹ ) まさかシュヴァルツさんの言う「嫁には敵わない」が、物理的なものだったなんて!笑
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