チート4
この先に、この帝国の貴族が勢ぞろいしている。広間につながる大きな扉の前で、ノルド様と並んで立っているというのに。私は今さらになって少し怖気を覚えていた。心を落ち着けようと、深く息を吸い込んでみる。
「ローリ、今日はオレが誕生日にお前とダンスがしたいだけだ。オレの隣で微笑んで、ダンスを踊ってくれればそれでいい」
「ノルド様……」
ノルド様がエスコートする私の手をぎゅっと強く握ってくれる。
「今日はオレの指輪をしてきてくれているのだな」
手袋の下、薬指のあたりをノルド様の指が探る。私は微笑んで頷いた。
「もう一つは? 両の手にひとつずつ指輪をしているであろう?」
先ほど両手を取った時に気づいたのだ、とノルド様が言う。
「ああ、こちらは実家から持ち出したもので、お守りときいています」
いつもしているからすっかり馴染んで忘れてしまった“すばやさの指輪”だった。
「……マルスという男からもらったものか?」
「違います、先祖から受け継がれているものときいています」
本当はマルスのだけど、それを正直にいうほど私も無神経ではない。でも、ノルド様にはバレてしまったかも?
「そうか、オレも何かお守りとなるものを贈ろう」
「では、私も何か準備いたします」
「二人で揃いで誂えてもよいな」
これから大舞台を控えているというのに、ノルド様とそんな話をしているうちに私の心はすっかりと落ち着いてしまった。
「参りましょう」
見計らったようなヴォイドさんの合図で、扉が開かれる。見たこともない大きな広間を埋め尽くす貴族たち。その前をゆっくりとノルド様に手を引かれて歩いていった。それからはノルド様の言葉通り、ただ微笑んで挨拶をし、それからダンスが始まった。動きにくいかと思っていた細身のドレスは、逆に裾の重みに振り回されることがなく軽快に踊ることができた。ドレス姿でこんなに、羽が生えたように身軽に踊れるなんて、と考えて、ふと思い至った。
そうか、“すばやさの指輪”の効果だ。ドレス姿でも、ダンスをしても、他の人の何倍か身軽に動ける。まあ、基準値が脆弱な令嬢ボディからの底上げだから人外というほどではないし、丁度よかったかも。まさか令嬢モードでも役に立つとは。やっぱり“すばやさ”は素晴らしい。緊張感も和らいできた。それに、ノルド様の青紫の瞳を見ていれば、周囲の大勢の貴族のことも気にならなくなって。リードされるまま美しい音楽に乗って、夢見心地でくるりくるりと私は円を描いていた。昔、こんな映画のシーンを見たことがある。色とりどりのドレスが花のように広がって円を描いていたっけ。いつも選ばれなかった私が、私を見下ろす優しい瞳を見つめ返して、輝くシャンデリアの下で王子様と踊っているなんて。夢みたい、と思った時。
ノルド様が一度大きく目を見開いて、それから苦し気に顔をしかめた。ゆっくりと目線が下がって、いつの間にか膝をついていた。その時にようやく、ノルド様の肩に刺さった矢に気が付いた。
「ローリ、離れよ」
小さく、少し苦しそうにそういったノルド様に突き飛ばされた。
「嫌です!」
私は床を蹴ってノルド様に飛びついた。大きなノルド様を精一杯隠すように覆い被さって結界! 結界! と唱える。周囲が白く光り輝くたびに、矢が落ちていく。青紫の瞳の私の王子様。これ以上、誰にも、何にも傷つけさせない。そうしていると、ヴォイドさんとシュヴァルツさんが駆け寄ってきた。
「殿下!」
「オレは大事無い。ローリ、無事か?」
私は言葉にならずに、ノルド様の手を握り締めてただ頷くしかできなかった。
「捕らえました!」
上階から大きな声が降ってきた。よかった、もう大丈夫なんだ。気が抜けて、小さく息をつく。
「ローリ、すまぬ。怖がらせた。またお前を泣かせてしまったな」
ノルド様の指が、私の頬を拭った。私、こんな時に泣いてしまうなんて。しっかりしなければいけないのに。
「矢は浅い。返しまで刺さっておらぬ」
「抜いてしまおう。この位置ならば大して出血もすまい」
ヴォイドさんが矢を抜くと、くんと鼻をきかせた。
「くそ、毒だ」
水を持ってこい! と遠くに叫ぶ。
「縛ろう」
シュヴァルツさんがノルド様の肩口を紐で締めていく。
だめだ、また涙がこぼれてしまう。泣いている場合じゃないのに。
「ローリ、大事無い。オレはいつも鍛錬をしている頑丈な男だ」
ノルド様が私の頬を優しくなでる。矢を受けて傷ついているノルド様に私のほうが慰められている場合じゃない。何かないか。何か私にできること。
私はマルスのスキルを継いでいる。マルスは双剣の戦士。攻撃と防御、生活魔法のスキルは選択できるけれど、属性的に治癒や生産、召喚魔法は取得できない仕様だった。なんで、なんで私、僧侶とか賢者にしておかなかったんだろう。アイテムボックスには回復ポーションも毒消しポーションも入っている。でも、この世界の人間であるノルド様にどんな効果がでるかはわからない。さっきとっさに使った結界がいけたから、魔法系は大丈夫なはずだ。毒の効果を失くす魔法……。
「浄化!」
ノルド様の顔色が悪くなってきて、私は思わず叫んでしまった。ノルド様の体を光が包み込む。効果があった時のゲームのエフェクトだ。やった!
「浄化!」
「浄化!」
ノルド様が光らなくなるまで。ノルド様が光らなくなっても、私は自分を止められなくて。ドレスのあわせから取り出すふりをして、アイテムボックスから“献身の指輪”を出し、ノルド様の指にはめた。これは対象にはめて祈ることで、自分のMPを相手のHPに変換できる効果がある。毒を無効にするだけじゃなくて、体力も回復したほうがいいにきまっている。
「ディボーション!」
「ディボーション!」
戦士属性でMPはあまり高くないけれど、少しでもノルド様が回復してくれたら。呪文を繰り返して、ふいに意識が遠のいた。
「ローリ!」
私を呼ぶノルド様の声はとても力強くて。大丈夫、ノルド様は元気になったみたい……。




