公爵家の長女ですわ
「黄金を溶かしたような輝く髪にアメジストの瞳。アダリンド、いつにも増して美しい。これならば必ずや殿下もお前にお声がけなさるだろう」
「ありがとうございます、お父様。リンドバーグ公爵家の長女として、名に恥じぬよう努めてまいりますわ」
「頼むぞ、アダリンド。フィリップが殿下のご学友になり損ねてかれこれ10年以上経つ。我が家はもうお前にかけるしかないのだ」
「あれはヴォイドの裏切りですわ。お兄様のせいではございません」
そうでしょう? と隣に座るお兄様に目線を移す。
「アダリンド、そういうことをいってはいけない。ヴォイドは今では殿下の腹心。私が殿下のお目に適わなかっただけだ」
「お兄様ったら。商家あがりで“半分”のヴォイドが選ばれて、公爵家嫡子のお兄様が選ばれないなんて、それこそおかしい話ですわ」
「アダリンド、口を慎め。これでも我が家はヴォイドが元の主家だからと何かと優遇してくれているのだ。家中とはいえ“半分”などといっていることが知れたらその伝手さえ失われてしまう」
そう苦言を呈するお兄様もまた、リンドバーグ家の血を濃く映す、金の髪と紫の瞳を持っている。高位貴族の中においても、際立つ容姿を継ぐ家系で我が家は有名だった。いいえ、それしか褒めるところがないというのが正解ね。
「お兄様は人が良すぎますわ。我が家は帝国にいくつかある公爵家の中では格下の位置づけです。ここで評価を上げなければ、皇太子殿下の治世でも“顔だけ公爵家“のままではありませんか」
「アダリンド、我が家の今後のことは私と父上ががんばるから。いずれ嫁に出るお前は心配しなくていい」
「ですから! 私が殿下の妃となれば、我が家は生家として一段も二段も格があがりましょう。手っ取り早くて簡単ですわ。幸い、公爵家の中で殿下と年齢のつり合いがよい令嬢は私一人。あとは侯爵家や伯爵家になりますもの。我が家が優位なのです」
「身の程知らずはいい加減にして、お前はまずその慎みのない物言いを改めなさい」
「慎みがないのは私の口ではなく、世評です」
「さあ、二人ともそれくらいにしてちょうだい。そろそろ到着よ」
お母さまのとりなしが入って、私たちはお互いに口を閉じた。宮城の馬車回しをめぐり入口に止まる。爵位の低い家は、ここよりも遠くに馬車を止めて歩くことになるのだから、格下扱いされているとはいっても、やはり公爵家でよかったと思う瞬間ね。お父様、お兄様、お母さまに続いて、私も馬車を降りる。勝負はもうここから始まっているのだから、公爵令嬢らしく誇り高くふるまわなければ。お父様が今日のために誂えてくれたドレスが居並ぶ人々によく見えるように、お兄様に手を取られて私はゆっくりと歩を進めた。と、そこにどよめきが沸いて。私たち一家は足を止めて振り返った。金で縁取られた、つやつやと黒光りする重厚な趣の四頭立ての馬車が入ってきたのだ。我が家でも二頭立てだというのに。筆頭公爵家をきどるヘイスティングスかしら? でも馬車に家紋がないわ。その場の誰もが、目が釘付けになっている馬車が止まった。そして開いた扉に手を差し出したのは。二人の近衛を引き連れた我が家の裏切り者、ヴォイドだった。
毛足の長い敷物の敷かれた足置きに、華奢な靴が乗る。そして、白いドレスをまとった令嬢が姿を現した。
「美しい……」誰かの小さなつぶやきと、ささやくような感嘆の声が辺りを満たしている。なによ、デビュタントじゃあるまいし。夜会で白いドレスだなんて子供じみているわ。
それにしても、あのドレス。何かしら、ただのシルクやレースではないわ。白ではなくて、まるで銀のよう。あんなにキラキラと光って。でもシルエットは地味ね。胸の下で切り替えしてストンとラインが落ちている。なんだかやけに細身だわ。コルセットもつけていないみたい。今の流行りは布やレースをたっぷりと使って、細い腰を強調するようにスカートにボリュームを出すラインなのに、あんなのみすぼらしいわ。やっぱり私のドレスが一番ね。そう思っていたら。
「あのドレス、エンパイアラインよ。アダリンド、彼女には気をつけなさい」
「お母さま? どういうことですか?」
「あれは帝国の建国初期の頃に皇家の姫君が好んでお召しになったために、エンパイアラインと呼ばれるようになったドレスよ。何度か流行を繰り返しているけれど、その時々の社交界で最初に着るのは、その名の通りに必ず皇族ゆかりの方。それを多くの貴族が集まる殿下の生誕祝賀会でわざわざ着てくるのだから、わかるでしょう?」
「しかも、ヴォイドが近衛を連れてわざわざ出迎えているのだ。彼女が殿下の……」
お兄様がその先の言葉を濁す。
「そういうことね。でも、どこの家中の方かしら? 初めて見る顔だわ」
お母さまは妙に冷静だ。
「そんな、殿下は今日の夜会で女性を見定めるという話だったじゃない!」
「それは貴族の間で流れた噂に過ぎない。実際はお披露目だったということだろう」
「嘘よ、そんな方が家紋もない馬車に乗ってくるなんておかしいわ」
「トラブルを避けるために家紋のない馬車に乗ることなどいくらもある。あの身のこなしを見なさい。令嬢ではなく、姫君かもしれない」
お兄様が見やる先には、ヴォイドに手を取られて流れるように歩いていく白いドレスの影があった。
「確かに。なにやら際立つ優雅さがある。だが、他国の王族と縁を結ぶとなれば、まずは元老院に話があがるものだ。そんな話はついぞ聞かないし、そもそも大陸の一強たる帝国が、わざわざ姻戚を結んでまで同盟を欲する国も最早ない」
「そうなれば資源か技術か、といったところですが。そういう話も耳にしませんね」
「いずれにしろ、なんとか出自を探り出す必要があるな。殿下の治世でも我が家が無事生き残るためには」
「心得ております、父上」
お父様とお兄様が、難しい話を始めてしまった。なによ、お父様はさっき、私なら殿下にお声がけしてもらえるっていったばかりなのに。
すっかりとしぼんでしまった気分で夜会の会場へ入ると、私たちは高位貴族が集まる、皇族方の椅子が並ぶ壇上に近いエリアへと進んだ。国に二つとないだろう大きな広間も、国中の貴族が集まった今日は少し手狭に感じるほどだ。そして誰もが先ほどの令嬢の話をしている。ドレスがキラキラと輝いていたのは、銀糸を混ぜたシフォンが重ねてあったためらしい。それから、胸元を飾っていたのはダイヤと真珠。虹色に輝く真珠を数十個も惜しげなくひし形に寄せ集め、その周りを小粒のダイヤが鎖のように飾っていたという。
例えば。一粒の大きな真珠であれば、お金を出せば買うことができる。貴族なら、二粒、三粒くらい買うことは容易い。でも、大きくて形の整った真珠を揃えるのはとても難しい。だから、みんな一粒の真珠の周囲を宝石で飾る耳飾りや指輪にすることが多い。つまり、数十粒の色や形の揃った真珠の首飾りを作るということは、何百粒という真珠を手に入れたということなのだ。
これだけでも、彼女の背後には相当な資金力と大量の真珠を手に入れるだけの伝手があるということがわかる。しかし、本人はこげ茶の髪にこげ茶の瞳。高位貴族によくある、色鮮やかな色彩は持ち合わせていないようだ。やはり、ヘイスティングスか、あるいはどこか別の公爵家が、殿下と年の釣り合う庶子や血縁を養女に迎え入れたのかもしれない。
そこまでして殿下に取り入ろうだなんて。それに、ヴォイドもヴォイドよ。お兄様を踏み台にして殿下に乗り換えた裏切り者。伯爵家の三男で“半分”だったくせに。召し抱えてあげた我が家に少しは恩を返そうとは思わないのかしら。殿下の妃候補なら、年齢と家格の釣り合う私をまずは引き合わせるものではなくて?
さっきだって、あの令嬢をエスコートしていたとき、なんだかデレデレしていた気がするわ。主人の妃候補に恋情を見せるなんて、やっぱり裏切り者なんだわ。お兄様もお父様も、殿下がヴォイドをお気に召したおかげで、我が家は他家よりも優位だというけれど。私は、私だけは絶対にヴォイドを許さないんだから。
遅くなりましてすみません。週半ばから体調を崩しておりました。病院で、私の普段行っている薬局では使いたい抗生剤の在庫がないからと、在庫のある薬局を紹介されました。咳止め薬や痛み止めなども一部在庫が薄いそうです。皆様どうぞ、ご自愛ください。




