心の行方
「浮かない顔ですね」
「え?」
街は今日もいいお天気で、私はエディさんと屋台に出ていた。
お店を始めてそろそろひと月半になる。クレープは街でなかなかの人気商品になり、街の住人だけでなく、乗合馬車の乗り換えのために滞在している旅人にも評判になっている。と、馬車駅で働いているお客さんが教えてくれた。最近は出店日には早朝からクレープ作りに追われて大変だけれど、売り上げがあがるのでやりがいを感じている。刺繍小物はそんなにたくさん売れるものではないので、もっとクレープに本腰をいれれば自立できる日も近くなるだろう。
そんな、お仕事的には充実した毎日なのだけれど。
「そんな風に見えますか? 売り子さんなのに、気をつけないとですね」
「売るのは二人でも作るのはローリ一人ですからね、疲れがでても仕方ありません」
そろそろ、誰か人を雇うことも考えてもいいかもしれませんね。とエディさんが検討モードにはいった。
「今の売り上げでは、お給料を払ったら利益が残らなくなってしまうかもしれません」
「人を雇うのであれば、出店を週二回から四回に増やしてもいいと思いますよ」
「なるほど……。でも、クレープは食事ではなくて嗜好品です。倍に増やしたら売れ残りが出てしまいませんか?」
エディさんは少し目を見開くと、満面の笑顔を見せた。売れ残りの話の、何がそんなに嬉しいの?
「ローリはやはり、商売の素養がありますね。昨日の今日で屋台を出したような初心者は、売れ行きが順調であれば、普通は欲をかいてどんどん店に品を並べてしまうものですよ。在庫を抱えて痛い目を見ることもなく、最初から売れ残りと利益率のことを考えられるなんて、ローリはどうやら商人としての適性が高いようだ」
「そうでしょうか」
私は愛想笑いを返した。前世で染みついた倹約精神のお陰でしょうとは口が裂けてもいえない。一応、今生は貴族の頂点を極める公爵家の令嬢だったのですけどね。
「ローリなら、屋台で一通り勉強をしたあとに店舗をもって、何人か人を雇うこともできそうですね。商売を覚えるのはいいことですよ。自分が商人にならなくても、商家に嫁ぐのには大きな利点になりますから」
今度は私が驚いてしまった。
「そんな、私ちょっと屋台をやらせてもらっただけで、お店とか、その、そんなことはまったく! 全然!」
「いずれの話ですよ。会頭はローリのことを本当の孫娘のように思っていますからね。店を持たせるにしろ、嫁に出すにしろ、ローリの望みを叶えるように後押しをしてくれるでしょう」
「私の望み……」
私の望み、私の将来。公爵家から逃げ出してから今日まで、一日一日を過ごすことに必死で、考えたこともなかった。
「ほら、また浮かない顔になっていますよ。今すぐ悩まなくてもいいんです。会頭も私も、ローリの幸せを考えているってことをわかっていてもらいたいだけです」
「エディさん」
おじいさんとかお兄さんとか。今生でそう呼ばれる血のつながりのある人はいたけれど、赤の他人のはずのおじいさまやエディさんのほうが余程家族のように感じられた。
「マクラウド家にはね、独身の男孫が有り余っていますから。ローリがよければ、会頭の本当の孫になることもできますからね」
しんみりしてしまった私を茶化すように、エディさんがウインクしてみせた。
「もう、揶揄わないでください!」
私、ちょっと感動していたんですよ、というとエディさんがふと真顔になる。
「本気にしてくれてもいいですよ?」
急に、“デキる商人”の顔で覗き込んでくるエディさんに、私は腰が引けてしまった。
「エディさんに妹を揶揄う趣味があったなんて知りませんでした!」
「すみません、ローリがかわいかったもので」
やっぱり妹はいいですねえ、とエディさんが笑った。
ハンサムな人は真顔でも笑顔でもなんか迫力があって心臓に悪い。
「それで、かわいい妹は一体何の心配をしていたんですか?」
話の心当たりがなくて、私は首をかしげる。
「さっき随分と浮かない顔、していたでしょう」
ああ、と合点がいった。
「なんでもないんです、ちょっと疲れているのかも」
「そうですか? それならいいんですけど」
何か果実水でも買ってきましょう、といってエディさんが店を出た。
「顔に出ちゃうなんて、気をつけないと」
浮かない理由はわかっている。ひと月前にノルド様にお手紙を書いたのに、未だに梨のつぶてだからだ。ノルド様は高位貴族。いろいろお忙しいだろう。返事なんてこなくて当り前なのはわかっているんだけど。今までがとても優しかったから。ついつい期待して返事を待ってしまっている自分がいる。
「こんな図々しい悩み、誰にもいえないよねえ」
いつとは決まっていないけど、遠乗りに行く約束だってしてくれているのだから。素性の知れない居候風情が、高位貴族に手紙やお菓子を渡すことができるだけでもあり得ないことなのに。わかっているのに。
返事が欲しいことには理由がある。私はもう一度、ノルド様にお手紙を書きたかった。クレープの売り上げがとてもあがったと。街の人だけでなく、旅人にも人気がでてきたのだと。そんな他愛ないことをノルド様に伝えたいと思っている自分が、我ながら不思議ではあったけれど。
「こちらの世界では友達がいないからかなあ」
屋台をやることに賛成してもえなかったけど。優しいノルド様ならお店の成功を報告したら、きっと一緒に喜んでもらえる。一緒に喜んでもらいたいと。お店の売り上げが上がるたびに、そんな気持ちが胸の中で膨らんでいった。
「お手紙の返事がこなくても、遠乗りの時にはお話できるからね」
声に出してつぶやくと心強く感じられた。ノルド様は約束を守ってくれる人だ。何日後になるかわからないけど、絶対に遠乗りに来てくれる。手紙の返事がこなくても、ちゃんと伝えられるチャンスが必ずある。
でも、本人に直接お店の成功を伝えたときに。もし喜んでもらえなかったら。また、険しい顔をされてしまったら。そう思ってしまう弱い私もいる。だから安心したくて、ついつい返信を期待してしまうのだ。
後継ぎのスペアにも、愛娘にも、王太子妃にもなれなかった。前世の“私”と比べても、屋台の売り子なんて吹けば飛ぶような存在かもしれないけれど。『至らない』と責めるのではなく、『おいしいね』『またくるよ』と笑ってくれる人達に出会えた。
週に二日の出店くらいで大げさと人はいうかもしれないけれど。前世の記憶で作ったらくちんお菓子でズルをしているかもしれないけれど。おじいさまとエディさんの助力あってのことだとわかっているけれど。それでも、この世界でようやく、ささやかながら地歩を得ることができた気がして。
まだ小さいけれど、確かな私の拠り所。
『お前は己の足で立ち、前に進もうとする気概のある女だ』
ようやく、あの日の言葉にほんの少し追いつけたかもしれない。ノルド様の一言に、いつも私がどれだけ励まされているか。いつかお話できたらいいな。




