㉓ 再会と退位
私たちはそれから毎日救護施設に通った。
洗浄魔法をかけるだけでなく、患者とも話をした。
命令に逆らえずに何人もの友人知人を手にかけたと涙を流す軍人の手を握って慰めたり、連日聞かされたいくつもの悲鳴が耳に残って離れないという人の背中を撫でてあげたり、まだ魔獣の気配がする気がすると怯える人にはあの魔獣は私たちが斃したからもう大丈夫だと教えてあげたりした。
これにはマックスはいい顔をしなかったけど、なにも言わずにただ見守ってくれた。
私はとにかく、これからのキルシュのためにもしっかり生きてくれ、と伝えてまわった。
ただし、私は女性患者がいる棟には近づかなかった。
ギースに弄ばれたという女性たちに、かける言葉が思いつかなかったからだ。
それに、今の私はマックスに加え常に二人の静謐の牙から来てくれた護衛を連れている。
体格のいい男性を三人も連れて、そのような被害にあった女性たちのところを訪ねるのはどう考えても得策ではない。
ということで、女性患者がいる棟からは汚れものを集めてもらって、外で洗浄魔法をかけてきれいにして戻してもらった。
基本的には感謝されることが多かったけど、たまにそれ以外のことも起こった。
三人いた息子が全員後宮に入れられて一人も生きて戻らなかったという婦人に、なんでもっと早く助けてくれなかったのかと泣きながら罵られた時は、本当に胸が痛んだ。
夫だと思われる男性が飛んできて平伏して許しを乞うのを、マックスがもういいからと言って二人まとめて追い払った。
「レオ」
「わかってるよ。私は精一杯頑張った。それだけだよ。今の人だって、私を恨むのは筋違いだって本当はわかってるはずだよ」
助けた人数の五倍以上の人数が犠牲になったと聞いている。
この婦人のように思っている人もたくさんいるだろう。
それから、こんなこともあった。
「皇帝陛下!どうか、俺を護衛として雇ってください!俺はあんたに忠誠を誓う!」
と、突然跪かれたのだ。
当然ながらマックスが私を庇うような位置に立ち、護衛の二人が身構えた。
「何者だ」
「俺はあんたに、あんたたちに命を救われた。あんたたちが来なかったら、俺は今頃殺されてた。あんたたちは、俺の命の恩人だ。どうか、この恩を返させてくれ!」
そう訴える男の顔をよく見ると、見覚えがあった。
そうだ、私が後宮で魔法を封じる腕輪を外してあげた、騎士っぽい人だ。
あの後、私がお願いしたようにこの人は魔法具を壊しまくって、そのおかげで後宮は速やかに解体されたと聞いている。
「体は大丈夫なの?」
「俺は後宮に入れられてまだ五日くらいだったから、あのヤバい薬の影響も軽くて済んだ。あの女は、自分が食事をする度に、あの恐ろしい魔獣にも男を一人喰わせていた。俺も次の日くらいには魔獣の餌食になるはずだった。そうならなかったのは、あんたたちのおかげだ。どうか、俺の忠誠を受け入れてほしい。腕っぷしには自信がある。決して後悔はさせない!」
フィリーネはそんなことをしていたのかと胸が悪くなる思いだったけど、マックスは少しも迷わず
「ダメだ」
と男の申し出を却下した。
「なんでダメなんだ!俺は、皇帝陛下のためなら」
「おまえはレオを不埒な目で見ている。おまえをレオに近づけるわけにはいかない」
その後も男は食い下がったけど、マックスは断固として聞き入れなかった。
腕が立つというのは本当だったらしく、その男は結局は静謐の牙の一員になったのだそうだ。
そんな日々を過ごしているうちに、ついに声を低くする薬の効果がきれて声が元に戻った。
ジークたちが帝都に到着したのはその三日後のことだった。
ジークたちは魔獣の襲来に備えてアルツェークに陣を構えていた。
そこにクーデターの成功を伝える早馬を送り、それを受けてキルシュ帝都に向けて進軍してきたのだ。
私はこの日もジークのお下がりを着ていて、やっと片付けと修復が終わたった謁見の間でジークたち迎えることになった。
急ごしらえで準備された玉座に座り、そわそわしながら待っていると、重厚な扉が開かれて戦装束のジークを先頭にアレグリンド軍の一団が入ってきた。
無骨な装いをしていてもジークの麗しさは少しも損なわれず、むしろ殺伐とした空気の中に一条の光を射すようで、キルシュの貴族や軍人たちが息をのんだのがわかった。
「ジーク!」
私が玉座から立ち上がって階を駆け降りると、
「レオ!」
ジークも駆け寄ってきて、互いにしっかりと抱きしめ合った。
ジークと同じプラチナブロンドの私の髪は、私とアレグリンド王家の繋がりをより明確に示した。
「レオ……無事でよかった。本当に、よかった」
「マックスと二人で頑張ったんだよ。二人とも無事だよ」
ジークは私の後ろからついてきたマックスを見てはっと目を見張った。
「マックス、仮面が」
私はもう見慣れてしまったけど、ジークはマックスの素顔を見るのは初めてなのだ。
「あれはもういらなくなった」
「そうか……マックスも、無事でよかったよ。二人とも、本当によく頑張ったな」
ジークも師匠と同じように、マックスが仮面をつけなくなったのを瞬時に納得したようだ。
ジークはマックスのこともぎゅっと抱きしめ、三人で抱きしめ合ったところでフェリクスとエリオットとキアーラも加わっておしくらまんじゅう状態になって、私の髪はぐちゃぐちゃにされてしまった。
「キルシュ皇帝として最後の勅命を下します。アレグリンドの騎士や文官たちと協力しあい、一日も早い復興に尽力するように。私が退位した後は、キルシュの最高意思決定権は我が従兄、ジークフリード・エル・アレグリンドにあるものとします」
私の前に跪いている貴族の数は、先日からさらに減っている。
軍に悪事の証拠を押さえられ、投獄された人が多数いるからだ。
ギースの甥だということで横暴なふるまいをしていたリグホーンも牢に繋がれているそうだ。
牢獄は今は本来の用途で使われるようになっている。
「教皇、お願いします」
私が左手を差し出すと、おじいちゃん教皇がなにやら唱えながら中指に嵌められていた大きな指輪を外した。
これで私は正式に帝位を退いたことになった。
肩の荷が降りて、私はほっと安堵の息をついた。
「レオ。これを返すよ」
ジークが首元から引っ張り出したのは、私が預けた赤い指輪だった。
約束通りきちんと預かっていてくれたのだ。
ジークは私の首に指輪を通した鎖をかけてくれた。
「ありがとう。私は、こっちの指輪の方が好き」
御璽になってる指輪なんて、私には重すぎる。
赤い指輪を掌に乗せて、私はやっと本来の自分を取り戻した気がした。




