⑲ 静謐の牙
サリオ師は宮廷の下働きのお仕着せだと思われる衣装で、いつも通り飄々とした風情だった。
「このお城の警備はガバガバだね。簡単に忍びこめたよ」
サリオ師の後ろからは、侍従のお仕着せや料理人みたいな衣装の男たちが二十人くらいどやどやと入ってきた。
衣装はバラバラだけど、みんな鍛えられた体をしていて、眼光鋭く、それぞれの得物を手にしている。
「師匠、この人たちは」
「静謐の牙っていう傭兵団だよ。僕の昔馴染みでね、協力をお願いしたんだよ」
傭兵たちは当然の如く私たちより前に出て魔獣を次々と狩っていった。
その動きは流れるようで、全員全く気負った様子はない。
草刈りでもするような顔で魔獣を狩っているいる。
静謐の牙というのは、サリオ師が国王陛下に口説き落とされる前に団長を務めていた傭兵団だ。
魔獣狩りだけでなく要人の護衛やお尋ね者の捕縛など、なんでも器用にこなす一流の傭兵団としてその筋では有名なのだそうだ。
あっけにとられた軍人たちの中で、アルディスさんが一番に反応した。
「剣聖!それに静謐の牙まで!」
こんな時だけどアルディスさんの顔がぱっと輝いた。
憧れのヒーローを前にした男の子みたいだ。
「レオノーラ姫はお掃除魔法を引き続きお願いするよ。マックスはレオノーラ姫の護衛、その他は僕たちと共闘してもらう。いいかな?」
「もちろんです!皆、聞いたな!剣聖と肩を並べる機会などそうはないぞ!」
アルディスさんは物凄くやる気になり、私とマックスは後列へと下った。
サリオ師たちが加勢に来てくれたおかげで、形勢は逆転した。
静謐の牙は、それぞれが一騎当千と言っていいくらい強く、たまに現れる主くらいの魔獣なら簡単に一撃で沈めることができるようだった。
師匠も傭兵たちも、さっきまで厳しい顔をしていたアルディスさんまでもが楽しそうに魔獣を斬り飛ばしている。
私もお掃除魔法だけに集中できるようになり、とても楽になった。
これなら最後までお掃除魔法を維持できそうだ。
対照的に、結界の中のギースは一人顔色が悪い。
まさかこんな変則的な援軍が現れるなんて思っていなかったのだろう。
もう勝敗は明らかだった。
魔獣の波が途切れ、最後に現れたのは首が三つもある魔獣だった。
鰐みたいな首、ザリガニみたいな首、それから狼みたいな首。
首から下はガマガエルみたいで、なんとも気持ち悪い。
「わぁ!なんだあれ!」
「こんなの初めて見たぞ!」
「右の首は俺がもらった!あの角は高く売れそうだ!」
「じゃあ、俺は左側のだ!」
「早い者勝ちだからな!恨むなよ」
傭兵たちは怯むことなく喜々として魔獣を切り刻み始めた。
魔獣もブレスを吐いて応戦しようとするけど、誰にも掠りもしない。
しかも、全員が言葉を交わすまでもなく、ブレスが私がいる方向に飛んでこないように計算して動き回っているようだ。
勝手気ままなように見えて実はしっかり連携しているのだ。
年の功というか経験の差というか、どうやったらこんなことができるのか私には想像がつかない。
絶体絶命になった魔獣は、ただ逃れようとしたのか、それともこの中で一番弱そうな私を狙ったのか、蛙の後ろ足でぴょんと高く私がいる方向へと跳躍した。
私の前でマックスが剣を構え、私はまた慌てず騒がず魔力障壁を展開しようとして……
後方から飛来した大きな火魔法を纏った槍が魔獣を貫き、ちょうど魔石があるあたりに大穴を空けて魔獣を斃してしまった。
魔獣は私がいるところに届くことなく、べしゃっと床に落ちて動かなくなった。
誰が槍を投げたのかと振り返ると、そこにいたのは総将軍だった。
「師匠!」
私はサリオ師に駆け寄って思い切り抱きついた。
こんなことをするのは小さい頃以来のことだ。
「元気そうだね、レオノーラ姫。無事でよかったよ。マックスもね」
サリオ師も私を受け止めて昔のように背中をぽんぽんと宥めるように叩いてくれた。
「師匠、助かりました。まさか、こんなところに来てくださるとは思いませんでした」
「きみたちだけでなんとかなりそうなら、なにもしないで去ろうと思っていたんだけどね。でも、なんだかそうもいかなそうだったからね。来て正解だったね」
「ありがとうございます!命拾いしました!」
アルディスさんがきらきらした瞳でサリオ師を見ている。サリオ師のファンなのだろうか。
「マックス」
「俺の師匠でありアレグリンドの剣聖であるロイド・サリオ師と、傭兵団静謐の牙の方々です」
促されたマックスがサリオ師たちの紹介をすると、総将軍はきっちりとした礼をとった。
「お力添え心から感謝いたします。私はここにいるアルディスとマクスウェルの父、ユリウス・ハインツと申します。キルシュの総将軍としてだけでなく、父としてもお礼を申し上げます」
「マックスのお父上ですね。礼には及びません。マックスもレオノーラ姫も、僕にとっては可愛い弟子ですからね。ただ、彼らには金銭的な礼をお願いしますよ」
サリオ師は魔獣の素材や魔石を巡って賑やかに争っている傭兵たちをちらりと振り返った。
「もちろんです。できるだけのことはするとお約束します。そのお話は後ほど。今は、あれを片づけなければなりません」
視線で示した先には、結界の中で青い顔をしているギースがいた。
切り札だった魔獣があっさり全滅させられたのだから無理もない。
せっかく展開した結界のせいで逆に逃げることができなくなってしまって、さぞかし焦っていることだろう。
「あの結界なら、私が破ります」
フィリーネの結界も私が破ったのだ。
二回目だし、それくらいの魔力はまだ残っている。
私はギースの前に立って、フィリーネの時と同じように慎重に魔法を展開した。
「面白い魔法だね。あんた、何者なの?」
「ただの僭帝だよ」
「魔法だけじゃなくて、あんたも面白そうだね。本当に、ただのアレグリンドの王族なの?」
「さぁね」
結界の中にいるギースに怪我をさせないような角度で私は高圧で細く絞った水を噴きつけた。
もうすぐ結界が壊れるはずだ。
観念したのか、ギースは肩を竦めて溜息をついた。
「あーあ、残念だなぁ。せっかくここまできたのに、ゲームオーバーかぁ」
私は唇を噛んだ。
前世ではたまに聞いた言葉。レオノーラになってからは、一度も聞いたことがない言葉。
間違いない。ギースは私と同じで日本人だった前世の記憶を持っている。
そう確信した次の瞬間、結界が砕け散って即座にギースは捕縛された。
ギースはそれ以上抵抗することなく縄をかけられ引っ立てられて行き、私はそれを呆然と見送った。
「これで、全部終わり……?」
「ああ、そうだ。クーデターは成功だ。そうでしょう、父上」
総将軍は相変わらず厳めしい顔で大きく頷いた。
「その通りです。クーデターは成功しました。貴女のおかげです、レオノーラ姫。本当に、よくやってくれました」
そうか、成功したんだ。私、上手くできたんだ……
そう思うと、今まで張りつめていた気が緩んでくらりと気が遠くなってしまった。
「レオ、大丈夫か。魔力を使いすぎたんじゃないか」
マックスは私の肩を抱き寄せて、心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫。魔力もまだ残ってるよ」
くらっとしたのは一瞬だけでもう大丈夫なんだけど、マックスの過保護スイッチが入ってしまったようだ。
「兄上。どこかレオを休ませられる部屋はありませんか」
「ちゃんと準備してある。案内しよう」
「それから、師匠と静謐の牙の方々。もうしばらく留まっていただけませんか。レオの護衛をお願いしたい。せめて、ジークたちが到着するまで」
ジークがアレグリンド軍を率いてやってくるまでにはまだ数日かかる。
これで全て終わった、と一安心していた私だけど、マックスは全く気を緩めていないようだ。
総将軍やアルディスさん、キルシュの軍の人たちを全く信用していないのだろう。
アルディスさんが悲しそうな顔になってしまった。
「もちろんそのつもりだよ。まだいろいろと落ち着かないだろうからね。レオノーラ姫は僕たちが守るから心配いらないよ」
「ありがとうございます。助かります」
そこまでしなくても、と言いたくてマックスの袖を引いてみたけど、
「今のおまえはとても微妙な立場なんだ。キルシュのためを思うなら、大人しく守られていろ」
そう言われて、私はなにも言えずに引き下がるしかなかった。




