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⑭  後宮

 後宮の奥まった場所、今まで見た中で一番装飾の多い扉の前で近衛兵は立ち止まった。

 どうやら、ここが目的の部屋のようだ。


「この中には陛下と、男が数人いる。それから、陛下が常に従えている魔獣もいる。人を喰う恐ろしい魔獣だ。もし陛下に逆らったら……どうなるかわかるだろう。賢く立ち回るように。それから、中に入る前にこれを渡しておく」


 一つずつ手渡されたのは小さな薬瓶に入った液体だった。

 これは、もしかして……


「即効性のある媚薬だ」


 やっぱり。絶対にあると思っていた。


「体にいいものではないが、後宮に足を踏み入れた以上、健康など気にする意味はない。使うか使わないかは自分で判断するといい。陛下はおまえたちを首を長くして待っておられた。準備が整い次第、褥に侍るよう求められることになるだろう。その時に役に立たなかったら、その場で魔獣の餌にされると思え。おまえたちも覚悟を決めて来ているのだろうが、ここはおまえたちの想像より遥かに酷い場所だ。希望は早く捨てろ。全て諦めた方がまだ楽だ」


 近衛兵二人は黒く塗りつぶされたような瞳で私たちを見た。

 希望を奪われ心が折れるより、最初から希望なんてない方がマシだということか。

 これが二人の経験からくる最大限の忠告なのだろう。

 絶望にも恐怖にも染まっていない私たちを哀れんでくれているのだろうけど、私たちはこんなところで死ぬ気などない。


「……ご忠告ありがとうございます」

 

 この人たちも、助けてあげたい。

 そのためには、ここから先は絶対に失敗できない。


「中にはいるぞ。なにを見ても動揺するな」


 私とマックスが頷くのを見届けて、近衛兵はノックもせずに扉を開いた。


 薄暗くて強い香の匂いが漂う室内の中心には大きな寝台が置かれていて、その上にピンク色のドレスを着た女性がいるのが見える。


 その周囲を五人の男性が囲んでいて、外からではよく見えないけどなにやらしているようだ。


 なにをしているかは……あまり考えたくないし、確かめる必要もないので、今のうちに室内を素早く観察した。


 がらんとした室内には特に装飾はなく、寝台だけがぽつんと置かれている。

 それから、壁にいくつかぶら下がっているのは、どうやら鎖がついた枷だ。

 その枷のあたりの壁が他より茶色っぽく汚れている理由をあまり考えたくない。

 室内に焚きしめられた強い香の匂いは、もしかしたら血の匂いを誤魔化すためなのかもしれない。


 それから、寝台の向こうの壁際に伏せているのは、双頭の魔獣だ。

 どうやらファーリーン湖と魔獣の浜に現れた魔獣より一回りくらいは大きそうだ。


「ここに跪け」


 近衛兵に命じられ、私とマックスは入ってきた扉と寝台の中間くらいの地点に跪いて顔を伏せた。



「もういいわ。離れなさい」


 冷たく命じる若い女性の声が聞こえた。

 間違いない。フィリーネの声だ。


 じわりと冷や汗が滲んで、跪いた姿勢のまま緊張で握りしめた拳が震えた。

 斜め後ろに目を向けると、同じ姿勢のマックスの紫紺の瞳とぶつかった。

 

 私は一人じゃない。

 私がマックスを守るのだ。

 二人で生き抜いてアレグリンドに帰らなくては。


 服の上からポケットに入れられた懐中時計を握りしめた。

 思い浮かぶのは、故郷の大切な人たちの顔。

 大丈夫。きっとまた会える。


 コツコツと軽い足取りで近寄ってくる靴の音。


「ごめんなさいね、待たせてしまって」


 その声は、害意も悪意もなにもなく、ただ無邪気に喜んでいるようにしか聞こえない。

 数年前に王都でジークを口説こうとしていた時と同じで、裏表もなにもないようだけど、その声とやっていることの歪さにぞっとした。 


「ジークが来るの、とても楽しみにしていたのよ。すぐにジークと遊べるように、他のお人形で遊んでいたら、つい夢中になってしまって。でも、安心して?今日は、まだどのお人形とも最後までは遊んでないの。今日のお楽しみはジークのためにとっておいてあげたのよ。だって、ジークは私の特別だもの!他のお人形と同じ扱いなんかしないから、なにも心配しなくていいわ。ずっと大事にしてあげるわね!」


 ありがとうございます、と言うべきところなのだろうか。

 男性たちはお人形で、さっきのはお人形遊びという認識なのか。

 流石にちょっとついていけない。 


「ジークが望むなら、他のお人形は全部廃棄してもいいのよ。あなたと私二人だけで暮らすの!とっても素敵だわ!あ、でもそこにいる火竜だけは残してあげてもいいわ。ジークのお気に入りなのでしょう?火竜をペットにして飼うのも楽しそうだもの。いい考えだと思わなくて?」


 マックスをペットにするって?

 怒りと悍ましさがごちゃまぜになって吐き気がするのを私は奥歯を噛みしめて飲みこんだ。


 アルディスさんが言っていた通り、フィリーネは操られて正気ではなくなっている。

 私の知るフィリーネは、我儘なだけの普通の女の子で、こんなに壊れてなどいなかった。

 あの時はジークの側に寄るだけで頬を赤く染めていたというのに、今は見る影もない。

 フィリーネも哀れな犠牲者なのだ。

 こんなの、許せるはずがない。


 私は頭を下げたまま、できるだけ優雅に手を差し出した


「フィリーネ様、お会いしとうございました……どうか、お手をお許しください」


 手の甲にキスをさせてくれ、とお願いしたのだ。

 乙女なら誰もが夢見る、アレグリンドの騎士が愛を捧げるポーズだ。

 夢見がちなフィリーネなら絶対にのってくるはずだ。


「ジーク……!嬉しいわ」


 案の定、フィリーネは私の前に手を差し出してきた。

 私は恭しくその手をとり、指輪を素早く観察した。


 アルディスさんによると、フィリーネは常に複数の魔法具の指輪をしており、そのどれかが強力な結界を張る機能を持っているらしいのだ。

 だから、もしここで結界の魔法具を奪うことができたら、この後の展開がすごく楽になる。


 差し出された左手の中指には、華奢な手にはちょっと大きすぎる指輪。

 これは、キルシュの皇帝の証で、平べったい緑色の魔石に金色でキルシュ皇帝の紋章が浮かび上がっている。

 そして、人差し指と小指にもそれぞれ指輪がはめられている。


 どっちだ?もちろん見ただけではわからない。

 それなら、せめて奪いやすい方に狙いを定めるべきだろう。

 私はそっと手の甲にキスをして、その隙にするりと小指の指輪を抜き取った。


「顔を上げなさい。さあ、もう準備はできているわ。たくさん遊びましょうね」


 初恋のジークに気を取られているからか、フィリーネはどうやら指輪を奪われたことに気がつかなかったらしい。


 ちらりとマックスの方を見ると、紫紺の瞳が視線だけで頷いた。


 私はフィリーネの手を押し頂いたまま、顔を上げてにっこりと笑って見せた。


「お久しぶりですね。私を覚えておいでですか?」


 真正面から見たフィリーネは、青白い顔でやや落ちくぼんだように見える榛色の瞳が爛々と輝いていて、可愛らしい顔は変わっていないはずなのに、どこか老けこんだような印象を受けた。


 一瞬ぽかんとした顔で固まったフィリーネは、次の瞬間憤怒の表情になった。


「おまえは……レオノーラ!」


 そして、私の手はフィリーネが展開した結界によりバシっと弾かれた。

 どうやら、私が奪った指輪ははずれだったようだ。


「謀ったわね!」


「言ったはずだ!おまえはジークに相応しくないと!それでもジークを望むなら、地獄を見せてやると!」


 余裕の表情でニヤリと笑ってやると、さらにフィリーネは怒りで顔を赤くした。


「それはこちらの台詞よ!ここは私の後宮!全てが私の意のままになるの!おまえにこそ地獄を見せてやるわ!おまえたち、この二人を取り押さえなさい!」


 フィリーネは背後に控えていた男たちに命令した。

 それぞれにかなり整った顔をしている。

 元は騎士か軍人だと思われる立派な体躯の男もいるけど、一様に青白い顔で生気がない。

 私たちと同様に魔法が使えなくなる腕輪をつけていて、残念ながら誰も帯剣していない。

 男たちはばらばらと襲い掛かってきて、瞬く間にマックスに叩きのめされて床に転がった。


「な……!衛兵!衛兵!誰かいないの!?」


 フィリーネが叫ぶと、扉を開いて私たちを案内してきてくれた近衛兵二人が室内に駆けこんできた。


 好都合!


 マックスがぼそっとアルディスさんに教えて貰った呪文を呟いたのが聞こえた。

 そして、近衛兵が剣を抜く前に、マックスの風魔法が二人を吹き飛ばして壁に叩きつけた。


「なんで魔法が使えるのよ!おかしいじゃないの!」


 驚愕の表情で金切声を上げるフィリーネの前で私も腕輪を外し、マックスが鞘ごと投げてよこした剣を受け取った。

 私にはちょっと重いけど、使い込まれてよく手入れのされている剣だ。


「なぶり殺しにして楽しもうと思ったけど、もういいわ!二人とも私の可愛い魔獣の餌になりなさい!」


 フィリーネがそう叫ぶと、床に伏していた魔獣がのっそりと立ち上がり、床に転がっていた男たちが悲鳴を上げて這うように部屋から退避した。


 右側に鱗の生えた馬みたいな首と、左側に角が二本生えた熊みたいな首。

 前脚は虎のように鋭い爪の生えたネコ科肉食獣のようで、後脚は馬のような蹄がある。

 そして、鰐みたいな太い尻尾。

 やっぱり水属性らしく、全体的に青くて違和感しかない魔獣だ。


「レオ。いけるか」


「うん。マックスは?」


「俺はいつでもいける。やるぞ」


 私たちは同時に剣を引き抜き、薄く火魔法を刃に纏わせた。


「あははははは!あの魔獣は特別製なのよ!いくら火竜でも勝てるわけがないわ!私を謀った報いを受けなさい!」


 結界に守られて高笑いをしているフィリーネの右手人差し指の指輪の魔石が光っている。

 結界の魔法具はあの指輪だったようだ。


 フィリーネは知らないのだ。

 私たちがまだ学生だった三年前に、ファーリーン湖でこれと似た魔獣を斃したことを。

 あの頃より確実に私たちは腕を上げているし、あの時と違って魔力も体力も万全だ。

 負ける気がしない。




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