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⑫ 後半マックス視点 月の妖精の祝福

 その日に宿泊する宿の一室で、アルディスさんたちは私の前に膝をついた。


「レオノーラ姫。改めまして、お越しいただきありがとうございます。先ほどは、あのようなことになってしまい、大変申し訳ありませんでした」


「もう大丈夫ですから、気にしないでください」


 馬車の中で休んだおかげで、もう痛みは引いている。

 私は無理をしなくても笑って見せることができた。


「リグホーンは娼館に行っております。明日の朝まで戻ってくることはありません。ご安心ください」


「兄上、あれは何者なんです」


 咎める口調のマックスに、アルディスさんは悔しそうに顔を歪めた。


「あれは……ギースの甥だ。元々はうだつが上がらない、腕の立たないやつだったんだが……今はギースの権力を笠に着て、あのようにやりたい放題してる」


「なるほど……」


 正に、虎の威を借りる狐というやつなわけだ。


「リグホーン以外は協力者です。私たちは皆、人質をとられているのです……レオノーラ姫のご協力に感謝すると共に、我らが命に代えてもお守りします」


 頭を垂れるアルディスさんたちに、マックスは私を守るように肩を抱いたまま厳しい視線を向けた。


「もうあいつをレオに近づけないでください。次にあのようなことがあったら、俺はあいつを殺してしまう。武器がなくても魔法が使えなくても、あれくらいのヤツならどうにでもなる」


 リグホーンは私から見てもあまり強そうじゃなかった。軍人だというのに、鍛えていない体つきをしていた。

 マックスなら素手でもあの首をへし折るくらいのことくらい簡単にできそうだ。


「それは困る……あんなのでも、今殺してしまったら計画がバレる可能性がある。俺だって、あいつの顔を見るたびに切り刻みたくてしかたないのを我慢しているんだ。レオノーラ姫には極力近づけないようにするから、もう少し堪えてくれないか……」


「兄上」


「やめてマックス」


 私はマックスの袖を引いた。


「今、一番大事なのは、計画を成功させることのはずだよ。そのために私たちはここにいるんだから。それ以外のことは、些末なことだよ。そうでしょ?」


 マックスは険しい顔で私を見たけど、私は引くつもりはない。


「私たちは、私たちの役割を果たすことだけを考えないと。これが成功すれば、誰も死ななくて済むんだよ。ジークとキアーラも幸せになれる。もちろん、私たちも」


 そのために、私たちは命を懸けてここにいるのだから。

 あんなヤツのために計画を台無しにするわけにはいかない。


「……わかった。おまえがそう言うのなら」


「マックス、本当にすまない……」


「謝るのなら、俺でなくレオに謝ってください」


「いいから。もう大丈夫だから」


 警戒心も露わなマックスと、そんな弟に悲しそうな顔をするアルディスさん。


 私はアルディスさんが可哀想になってしまった。

 以前にキアーラの家で会ったアルディスさんは、マックスをよろしくとみんなに頭を下げていた。

 きっと、アルディスさんはマックスのことを弟として大切に思っているのだ。


「アルディスさん、この腕輪を外す呪文を教えてください」


「はい……『月の妖精の祝福』です。今は、口になさらないでください」


「わかっています。フィリーネの隙をつく最後の最後に、その呪文を口にすることになるでしょう」




「本当にそのまま眠るのか?」


「念のためにね。なにが起こるかわからないから」


 私たちは湯は使わず洗浄魔法をかけてもらい、着替えて床につくことになった。

 アルディスさんが不寝番というか見張りとして残ってくれるそうで、扉のところの椅子に座っている。

 二つ並んだ簡素な寝台の片方に腰かけたマックスが、気づかわし気に私を見ている。

 私がコルセットをつけたままで寝ようとしているからだ。


「苦しくないか?」


「苦しくないことはないけど、仕方ないでしょ」


「まあ、そうだな……」


 あまり手触りの良くないシーツに潜りこんだ私の頭をマックスが撫でた。

 今夜からは体を繋げることはもちろん、ただ抱き合って眠ることもできない。

 すぐ隣に温かな体温と魔力を感じながら眠るのに慣れてしまった私にはそれが辛い。


「おやすみ、マックス」


「おやすみ、レオ」


 私の額にキスが落とされ、私だけにしか聞こえないくらいの小さな声で愛してる、と囁かれた。


「マックス……少し、話せないか?」


 アルディスさんが遠慮がちに声をかけてきた。

 きっと、兄弟で話したいこともあるのだろう。

 これからどうなるのかわからないのだから、話せる時に話しておいた方がいい。

 私がマックスに頷いて見せると、マックスはアルディスさんのいる方に歩いて行った。





「マックス……すまなかったな、こんなことに巻きこんでしまって」


 レオが横になっている寝台から離れた位置に運んできた椅子で向かい合って座り、兄が暗い顔で最初に口にしたのは謝罪だった。


「謝らないでください。兄上はなにも悪いことはしていないではありませんか」


 以前にも同じような場面があったな。

 あれは、キアーラの家でのことだったか。


「こんな状況で言うのもなんだが……アレグリンドでは元気でやってたみたいだな。安心したよ」


「ジークたちにもよくしてもらっています」


「そうみたいだな。それで……本当に、婚約してるんだな」


 兄はレオがいる寝台の方をちらっと見た。


「そんな嘘つくわけないでしょう。手紙で知らせた通りです」


 俺はレオと正式に婚約した後、そのこととジークの側近になったことを記した手紙を父に送った。


「父上はとても驚いていたよ。とても喜んでもいたけどね」


「そうですか……」


 父からも簡潔におめでとうと記された返信が届いた。

 それを最後に、俺は実家と連絡を取っていなかった。


「おまえがアレグリンドで騎士になると言った時、父上はあまり引き止めなかっただろう?あれは、おまえが留学した時と同じで、おまえを逃がすためだったんだ。あの時、既にキルシュはかなり雲行きが怪しくなっていた。おまえはどうしても目立つから、キルシュにいたらきっと良くないことが起こると思って……」


 兄は一度俯いて言葉をつまらせた。


「本当は、おまえを巻きこむつもりなんかなかったんだ。アレグリンドには援軍を差し向けることだけを頼むつもりだった。ほら、俺は一度王太子殿下にお会いしたことがあるだろう?あの方なら、少なくとも話は聞いてくださるだろうと思って、時が来たら俺が反政府勢力からの使者としてアレグリンドに行くことになっていた。その矢先に、王太子殿下の婚約が発表されて、フィリーネ様が癇癪を起こしてしまってな……それで、こんなことになってしまった」


「だからこのタイミングだったわけですか」


 やっと正式な婚約者となり、ジークとキアーラは幸せそうにしていたというのに。


「最初からおまえをこんな危険に曝すつもりで計画をたてたわけじゃないんだ。こんなはずじゃなかったんだ……」


「もう、こうなったものは仕方がありませんよ」


 項垂れる兄に俺は肩を竦めた。

 今の俺は、父が俺に向ける気持ちで傷つくほど子供でもない。それよりもっと大切なものがあるのだから。


「父上がなにをどう思っていようと同じことです。俺はレオを守らなくては」


「そうか……そうだな」


 兄は少しだけ笑った。


「それにしても、レオノーラ姫は……随分と、なんというか、その……」


「そうですね。おそらく、兄上の想像以上に型破りですよ」


「まさか、レオノーラ姫が王太子殿下の身代りになるなんて言い出すとは思ってなかったよ」


「あれには俺も驚きました……レオらしいといえばレオらしいんですがね」


「二年くらい前に、お前とレオノーラ姫が協力して首が二つある魔獣を討伐したと聞いたが……」


「本当ですよ。レオがいなかったら俺も死んでいました。あの時もレオは、体を張ることを躊躇わなかった」


 あれがきっかけとなり、俺はレオへの気持ちを自覚したのだった。


「らしいな。すごい姫君だよな……姫君にしとくのが勿体ないくらいだ」


「もうすぐ姫君ではなくなります。俺と結婚したら、王族から貴族になるそうですから」


「そ、そうなのか……」


 兄もまた、なんでレオが俺を選んだのか理解できないのだろう。


「兄上。レオは、あれで手練れといっていいくらい強い。俺も、最後に兄上と手合わせした時よりも確実に腕を上げています。俺もレオも、死ぬつもりなんてありません」


 終始暗い顔の兄を元気づけたくて、俺は兄が興味を引きそうな話題を振ることにした。


「アレグリンドの剣聖、聞いたことがあるでしょう?俺は二年前からその剣聖に稽古をつけてもらっていて、今は愛弟子扱いになるほど目を掛けてもらっているんです」


 兄はばっと顔を上げた。


「剣聖!?って、あの剣聖、ロイド・サリオ!?おまえ、そんな大物と関わっているのか!?」


「大物って、俺は王太子殿下の側近ですよ。レオもジークも、剣聖に剣を教わったそうです。今では俺も師匠と呼ばせてもらっています」


「なんだと!?なんて……なんて、羨ましい!」


 師匠はキルシュでも有名なのだ。


「兄上も師匠に会ったではありませんか」


 師匠の外見的特徴を告げると、兄は愕然とした顔になった。


「あれが剣聖!?あの方が、剣聖だったというのか!!そういえば、国王陛下がロイドって呼んでたような……」


「誰だと思っていたんです?」


「誰なんだろうと思っていたけど、訊けなかったんだよ!あんな普通のおじさんが……俺、てっきり父上の二倍くらい厳つくて、鬼みたいな顔してるもんだと思ってたから……」


 父上の二倍なんて、それはもう人間の域を外れているのではないか。


「師匠は独自の伝手でキルシュに潜伏しているはずです。そのうち会えるかもしれませんよ」


 師匠はレオだけでなく俺のことも可愛がってくれている。

 きっと今頃、帝都のどこかで暗躍しているはずだ。


「そうか……それは、楽しみだな」


 やっと兄の顔が少しだけほころんだ。


 それから俺は久しぶりに兄といろんな話をした。

 兄は師匠のことや、アレグリンドでの俺の生活のことを知りたがり、話せる範囲で話すと兄は瞳を細めて聞いてくれた。

 その様子から兄が心から俺を心配してくれていたのが見て取れて、硬くなっていた心が少しだけ解れたのを感じた。


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