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③ 王妃様の配慮

 私はガゼボで王妃様から貰ったばかりの本を読んでいた。

 知っている内容もあれば、知らなかった内容もあり、知っていると思っていたのに実は知らなかったという内容の記述もある。

 読み進める度に、一人で赤くなったり青くなったり、百面相みたいになってしまっている。

 私、大丈夫なんだろうか……


「レオ」


 マックスがガゼボにやってきたのは夕刻前だった。


「ここに来るように言われたんだが……なにがあった?」


「マックス……」


 私はマックスの紫紺の瞳を直視できず、俯いたままもじもじとしてしまった。


「どうした?やはり、キルシュに行くのが怖くなったのか?それなら、俺一人ででも」


「ち、違うよ!マックスを一人でなんて行かせられるわけないでしょ!そうじゃなくてね……あのね……」


 私は、読んでいた本を恐る恐る差し出し、怪訝な顔で受け取ったマックスはその表紙を見てぎょっとした。


「レオ……これは」


「王妃様が、くれたんだよ」


「……」


 絶句するマックス。無理もない。私も貰ったときは絶句したよ。


 だって、それは所謂『女性向けの夜の指南書』なのだから。


「それからね……二か月くらい月の障りがなくなる薬も貰って、さっき飲んだよ。これはつまり……その……」


「避妊薬、ということか」


 私は赤くなって頷いた。


「明日、髪を切るよ。ジークと同じ髪型になる。私の髪で、鬘を作るんだって。その後は、ジークのお下がりの服を着ることになる。だから……」


 今の私は騎士服からエルシーランでアリシアさんが選んでくれたドレスに着替え、髪は結わずに背中に垂らしている。

 腰まで届くジークと同じこのプラチナブロンドは、明日には切り落とされることになっている。

 長い髪もドレスも、しばらくお別れになるのだ。


「だから、もし最悪の事態に陥ったとしても、少しでも後悔が少なくて済むようにって、王妃様が言ってくれたの。それには、その……」


 ジークも言っていたように、もしフィリーネを討つのに失敗したら、私は酷いことになるだろう。

 最悪の事態とはそうなってしまった時のことだ。

 

 アレグリンドでは、結婚した時に処女であるかどうかということはそこまで重要視されない。

 婚約者同士だったら、妊娠さえしなければ咎められるようなことはない。

 だから、既に国王陛下に認められ婚約している私たちは、そういうことをしても別に悪くはないわけで。


 私の意図を理解したらしいマックスは両手で顔を覆い、椅子にどすんと座り込んだ。

 赤い髪から覗く耳も同じくらい真っ赤になっている。

 多分、私も同じようになっているはずだ。


「ついさっきまで……魔獣やら軍やら戦略やら、血生臭い話ばかりしていた。兄上から、詳しい話を聞き出して、それで……それが、今度はこんな話になるとは」


 マックスはガシガシと頭を掻いた。


「正直、頭がついていかない。一度にいろんなことが起こりすぎだ。俺だって混乱する……」


「そ、そうだよね……」


 私はしばらく迷って、それから気持ちマックスから距離をおいた位置にそっと腰かけた。


「……本当に、俺のせいじゃないのか」


「なんの話?」


「前世の記憶が蘇った、というあたりの話だ」


 あの時のことを、マックスはまだ気にしていたらしい。


「正直、よくわからない。なんでこうなったのか……でもね、もしマックスに弾き飛ばされたのが原因なのだとしたら、マックスのせいじゃなくて、マックスのおかげって言わないといけないよ」


 怪訝な顔をするマックスに、私は微笑んで見せた。


「昔の私は、無気力で無表情で……未来になんの希望も持ってなかった。今の私は、やりたいことがたくさんあるし、未来は希望だらけだよ。もし前世の記憶が蘇ることがなかったら、キアーラと友達になれなかった。マックスと婚約することもなかった。私は、昔の私より、今の私の方が好きだよ。マックスだって、昔の私のままだったら、婚約しようなんて思わなかったでしょ?」


 私はマックスの手をぎゅっと握ってやや上目遣いで紫紺の瞳を見上げた。


「昔の私も、今の私も、どっちも同じレオノーラだよ。昔の私も、私の中にいるんだよ。小さいころにジークたちと遊んでた時のことも、学園で初めてマックスに会った時のことも、ちゃんと全部覚えてる。私は、私のままだよ」


「確かに、俺が好きになったのは、前世の記憶を持ったおまえだということは間違いない。もちろん、以前のおまえが嫌いだったわけではないが、婚約しようとまでは思わなかっただろう。だが……なんでもっと早くに教えてくれなかったんだ」


「だって……こんな話、信じてくれるわけないと思ってて……マックスには、結婚したらちゃんと話そうとは思っていたんだよ?」


 マックスは諦めたような顔で溜息をついた。


「ジークも言っていたように、信じるしかない。嘘をつくならもっとマシな嘘をつくだろう。頭の中のことまでは、確かめようがない」


 その声に混じる苦い色に、私は唇を噛んだ。

 だから、ずっと秘密にしていたのに。


「私のこと……嫌になった?気持ち悪いって思う?」


 私が一番恐れていたのは、結局はこういうことだ。

 異質な存在となった私を、私の大切な人たちが受け入れてくれないかもしれないと思うと、どうしても打ち明けられなかったのだ。


 握っていた手を引っこめようとしたら、逆に腕を強く掴まれ引き寄せられた。


「そんなこと思うわけがないだろ!なんでそんなことを言うんだ!」


「だって……」


「おまえが何者でも構わない!おまえがおまえである限り、俺はおまえを愛してる」


「マックス……」


「念のため言っておくが、ジークたちも同じ気持ちだぞ?ジークたちは、お前が前世の記憶を持ってるということより、それを秘密にされたことにショックを受けている。特にジークには……そんなこと絶対に言うんじゃないぞ。ジークは、もう十分に苦しんでいるんだからな。わかるだろ?」


 わかっている。

 優しいジークは、私を身代りとして死地に追いやることに心を痛めているはずだ。

 そして、そうせざるを得ない自分の立場を死ぬほど呪っていることだろう。

 私もジークの胸中を思うと胸が塞がれる気持ちになる。


「私は、私の選択を後悔してない。やっぱりどう考えても、キルシュには私が行くべきだよ。でも、それによってジークが苦しむこともわかってる。だからこそ……私たちは、やり遂げないと。私たちは、生きてアレグリンドに帰ってこないといけない。そうでないと、ジークは一生苦しみ続けることになる」


「その通りだ。俺はお前を絶対に死なせない。俺も死ぬつもりはない」


「私もだよ。私がマックスを守るよ。私たちなら、きっと大丈夫だよね」


「そうだな。俺たち二人なら、きっと大丈夫だ」


 ここでマックスは視線をさまよわせた。

 そして、その視線は最終的にテーブルの上に置かれたままの指南書に行きついた。


「それで……レオは、それでいいのか?その……」


 マックスは再び耳まで真っ赤になっている。私は首筋まで赤くなってることだろう。


「私は……私も、後悔は少ない方がいいと思う、よ?この髪があるのは、今日までだし……マックスも、私の髪、好きだって言ってくれてたでしょ?だから……もちろん、その、マックスが、嫌なら、無理には」


 そう言った次の瞬間、マックスは私の足と腰を支えてその逞しい肩に担ぎ上げ、今まで一度も足を踏み入れたことのない離宮の入口へと速足で向かった。


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