⑱ 婚約発表の夜会
初夏になり、私は騎士科を学年二位の成績で卒業した。
こんな高成績なのになぜ騎士にならないのか、と騎士団長が嘆いていたとアリシアさんが教えてくれた。
キアーラも王太子妃に相応しい成績を残し、私たちは六年間通った学園を後にした。
私は次は学生でなく教師としてここに通うことになる。
夏の長期休暇の間は一昨年と昨年はキアーラとアルツェークに行っていたけど、今年は残念ながらそれはできない。
キアーラは本格的に王太子妃教育が始まり、私はその補佐と教師として働くための準備があるからだ。
でも、それも全て、例の一大イベントの後なのだけど。
とにかく、夜会が終わらないことには落ち着かないしなにもできはしない。
マックスはあれから離宮を訪ねてくる度に私と庭の芝生の上でダンスの練習をした。
何度かマックスが来るのに合わせてキアーラにも来てもらって、なんとかキアーラともぎくしゃくせずに踊れるくらいになり、本番前になんとかアリシアさんや離宮の侍女たちに及第点を貰うことができた。
あの時のマックスの心底ほっとした顔が忘れられない。
夜会当日、私は朝から侍女たちに髪も体もつやつやぴかぴかになるように磨かれて、キアーラたちと揃えて仕立てた真新しいドレスを着せられ、人魚姫の贈り物で作られた髪飾りとイヤリングをつけられた。
濃い目の化粧をされてやっと準備完了となったころには、もう一仕事終えた気分になっていた。
「とてもおきれいです。殿方の視線を惹きつけすぎて、マックス様が心配なさるのが目に見えるようですわ」
そう言って侍女が褒めてくれた。
私もよく似合ってると思う。
キアーラ達にデザインを丸投げしてよかった。
こんなに着飾るのは、面倒な小姑作戦の時以来だ。
あの時はジークに合わせた色ばかりを身に着けていたけど、今日のドレスは紫色でマックスの色だ。
裾と胸のところに波みたいな模様と淡いパステルカラーの花が描かれている。
布地の珍しさを活かすためにややシンプルなデザインなので、あの時着ていたドレスほど重たくもないのが助かる。
「レオノーラ様、マックス様がいらっしゃいましたよ」
声をかけてくれたアリシアさんも私を見送った後は夜会に参加するとのことで、今日はドレスを着ている。
いつものように玄関の外で待っていてくれたマックスの姿を見て、私は思わず足を止めた。
今日のマックスは、今夜のために仕立てた正装姿だった。
やや明るめの紺色に控え目な銀糸の刺繍。
正装にしては装飾も必要最低限くらいだけど、それが逞しい長身を引き立てるようで、決して地味には見えない。
燃えるような赤い髪も後ろにきれいに撫でつけられ整髪料で整えられている。
いつもならここで私が駆け寄るところだけど、今日の私はそれができずに立ち尽くしてしまった。
ちゃんと正装するということも、どんな服なのかということも聞かされていたけど、実際に目にすると息をのむほど素敵だった。
私がやってきたことに気がついて振り向いたマックスも、なぜか紫紺の瞳を見開いて固まってしまっている。
なんとも不自然な沈黙が数秒続いた後、私の後ろでアリシアさんが吹き出した。
「レオノーラ様もマックス様も。お互いに見惚れるのは後でもできますわよ」
言われて我に返った私は赤い顔でマックスに歩み寄り、同じく赤い顔になったマックスは白い手袋に包まれた手を私に差し出した。
「い、行ってきます」
「行ってらっしゃいませ、レオノーラ様。デビューおめでとうございます。私も会場で見守っておりますからね」
なんだか生暖かい笑顔のアリシアさんと侍女たちに送り出され、私たちはジークたちがいる王太子専用の控室に向かって歩き出した。
「とても、似合っている。さっきは、咄嗟に言葉が出てこなかった」
「ありがとう。マックスも、すごくかっこいいよ」
「指輪は……それでよかったのか?今日の服装に合わないんじゃないか?」
私の指には、マックスのお母様の形見の指輪が赤く輝いている。
「これがいいの。大事な指輪なんだから、大事な時に使わないとね」
今日のマックスをお母様が見たら、きっと喜んでくれたことだろうから。
天国から見守っていてほしいという願いを籠めて、今日はこの指輪を身に着けている。
「……懐中時計は、持ってきているな?」
「うん。下着の中に入ってるから取り出せないけどね」
「持ってるならそれでいい。きっと男どもがわらわらと寄ってくるから、気をつけるんだぞ」
「わかってるよ。今日はもう誰と踊るか決まってるし、心配しないで」
「……それは無理だ。今からもう心配で心配で仕方がない」
「それを言うなら、私だって心配なんですけど!?マックスにもきっといろんな女の人が寄ってくるよ」
「俺は大丈夫だよ。おまえを理由にしてはっきり断るから」
「私だってそうするんだから!知らない人と踊っても楽しくないし」
そんなことを話している間に、控室にたどり着いた。
「レオ様!とてもおきれいですわ!」
キアーラは鮮やかな水色の上に色とりどりの花が散りばめられたドレスを着ている。
キアーラが堂々とジークの色を身に纏うのは、今夜が初めてだ。
「ありがとう。キアーラもきれいだよ。今日は頑張ろうね」
ぎゅっと握ったキアーラの手は冷たくて、ちょっと震えていた。
今夜一番注目を集めるのは、間違いなくキアーラだ。
中には悪意を持ってキアーラを見る人もいるだろう。
様々な視線を一身に受けながら、キアーラは顔を上げて微笑んでいなければいけない。
「大丈夫だよ。側にいるからね。私がキアーラを守るよ」
「レオ様……」
「いやいや、それは僕の役目だから!大事なところを持って行かないでほしいな」
私が握っていたキアーラの手は横からジークに奪われてしまった。
ブラウンの煌びやかな正装を纏ったジークは、いつもの五割増しくらいで麗しい。
「レオのドレスもよく似合ってるね。僕のキアーラには負けるけど」
「もう、ジーク様ったら!」
ジークはやっとキアーラを正式に婚約者として扱うことができるようになるのが嬉しくてしかたない、といった顔だ。
それに赤い顔で可愛く抗議しているキアーラを見て、さっきのアリシアさんの気持ちがわかった気がした。
エリオットとフェリクスもそれぞれ正装なので、室内がキラキラ輝いているかのようだ。
この二人はまだ婚約者がいないので、令嬢たちからの熱い視線を受けまくることだろう。
やがて侍従が私たちを呼びに来た。
私たちが入場する時間になったようだ。
キアーラほどではないけど、私もちょっと緊張している。
ついマックスの腕を握る手に力をこめてしまうと、マックスは右手で私の手をぽんぽんと叩いてくれた。
その顔を見上げると、紫紺の瞳が私を安心させるように優しく細められた。
「それじゃあ、行こうか。みんな、よろしく頼むよ」
気楽に普段通りの口調で言ったジークに私たちは頷いた。
ジークは蕩けるような笑顔をキアーラに向け、それからキアーラをエスコートして会場の大広間へと入っていった。
その瞬間、広間からは控え目などよめきが聞こえたけど、私たちはそれを無視してジークとキアーラに続いて入場した。
ジークが一段高いところに設けられた席に座る国王夫妻に挨拶するのに従い、私たちも礼をとった。
それからジークとキアーラは国王陛下の隣に立ち、側近と私はその後ろに控える位置に立った。
そこから会場を見渡してみると、会場に集まったほとんどの貴族の顔が見えた。
予想通り、キアーラに視線が集中している。
それと同時に、私と王妃様とキアーラのドレスにも多くの視線が向けられているのがわかる。
王妃様は青地に大振りの百合みたいな花が描かれた柄のドレスを纏っている。
それぞれに伴侶の色を取り入れながら、目当たらしいデザインのものだ。
ちらほら見える学園の同級生たちの多くは驚愕の表情だけど、王太子妃の座を争っていた高位貴族の令嬢は悔し気に、もしくは憎悪に顔を歪めている。
娘を王太子妃の座に据えたかったらしいその親族も同じだ。
もちろん、祝福してくれている人も多いのだけど、そういった一部からは悪意がビシバシと感じられて、私は念のためいつでも魔力障壁を展開できるように準備をしておくことにした。
ざわざわした室内は、国王陛下が立ち上がって手を上げると静かになった。
陛下がジークとキアーラが正式に婚約し、半年後に式を挙げることを宣言すると悲鳴混じりのどよめきが会場に満ちた。
ショックを受けたらしく真っ青になって倒れそうになっている令嬢が何人も見える。
無理もない、と私は同情した。
これで諦めてくれるならいいんだけど。
諦めずにキアーラに悪意を向けるなら同情はできないけどね。
悲喜こもごもの会場の雰囲気を無視するように陛下は楽団に合図を送り、王妃様の手を引いて広間の中央に降り立った。ジークとキアーラも後に続く。
今夜一番最初のワルツは、この二組だけのために奏でられるのだ。
軽やかな管弦楽とともに国王夫妻、ジークとキアーラがくるくると動き出し、私は祈るような気持ちでそれを見守った。




