⑰ ダンスレッスン
私が卒業後どうするかということと、結婚してから住む場所も決まった。
私はもうとっくに卒業に必要な単位を取り終わっているのでもう登校しなくてもいいのだけど、教師になると決めたこともありできるだけ学園に顔を出すようにしている。
まだ単位が必要な生徒の勉強を手伝っている間に、学園になにが足りていないのか、私が教えられることなどを洗い出したいと思っている。
というような気楽な立場の私だけど、実は卒業直後に大きなイベントが待ち構えているのだ。
それは、王家が久しぶりに主催する大規模な夜会。
王立学園を卒業し成人した生徒が多数この夜会で社交界デビューすることになる。
そこでジークの婚約者が発表される、もしくは選ばれるのではと多くの貴族から注目されている。
言うまでもなく発表されるのだけど、浮いた噂一つないジークに既に婚約者がいるなんて思ってもみないらしく、王太子妃の座を狙う令嬢たちはそわそわと落ち着かない。
今までは近寄りもしなかった私に探りを入れてきたりする娘までいる。
「ジークの婚約者?私はなにも聞いていないよ。私も自分の結婚準備で忙しくて、あまりジークに会えていないんだ」
こう言えば、だいたい納得して引き下がってくれる。
こんな場面で私が先に婚約を発表したことが役に立つなんて思わなかった。
ボロがでないように余計なことは言わず、とにかくなにも知らないと言い続けることにした。
キアーラが卒業するまで婚約を秘密にしたのは本当に正解だった。
そうでなければ、キアーラはとても大変な思いをすることになっただろう。
夜会のドレスは既に発注済みで、お針子さんたちが現在頑張ってくれている。
私、王妃様、キアーラは揃って和柄みたいな布地のドレスを着るのだ。
また、人魚姫の贈り物の髪飾りとイヤリングもクラークさんの工房に発注してある。
これにはおば様の分も含めて四人分だ。
デザインは、もちろん丸投げした。
王妃様やキアーラたちに任せておけば安心だ。
ここまではいいのだけど、一つ大きな不安要素があった。
「レオ様、マックス様、いらっしゃいませ!お待ちしてましたわ!」
「よく来たな!さぁ入れ!準備できてるぞ」
私は浮かない顔のマックスと二人でキアーラの家を訪れて、満面の笑みのキアーラとカイル兄様に迎えられ、いつものように応接室に通されるのでなく玄関ホールに留まった。
普段は花瓶が置かれていた台なども片づけられて、広いスペースが確保されている。
「さあ、時間は有限ですわ!早速やりますわよ!」
気合たっぷりのキアーラが合図をすると、壁際で控えていた楽士がヴァイオリンでワルツをゆったりとしたテンポで奏でだした。
夜会というのは舞踏会なわけで、ダンスがあるのだ。
マックスはジークの側近で私の婚約者という立場上、今回の夜会では絶対にダンスをしないといけない。
相手は私とキアーラだけでいいんだけど、それでも会場全ての人から注目されながらダンスすることになる。
ダンスはアレグリンドの貴族なら必須の嗜みだけど、王立学園では習わない。
というわけで、キルシュ出身のマックスは今までダンスを習ったことがないというのだ。
キアーラに相談すると快く練習する場を貸してくれて、今日に至る。
「別に難しくないから。カイル兄様の動きをよく見て。左手はこっち、右手はここ。いけそう?」
「ああ……足を踏んだらすまない」
お手本としてキアーラとカイル兄様がくるくると踊っているのを横に見ながら、私たちもぎこちなく動き出した。
「そうそう、そんな感じだよ。案外ちゃんとできてるじゃない」
成人して夜会に顔を出すようになったジークについてマックスも夜会にいくこともあるけど、私という婚約者がいるということを盾にジークの護衛に徹して、誘われても誰とも踊らないのだそうだ。
フェリクスとエリオットほどではないにしても、実はマックスもそれなりに令嬢から声をかけられるらしい。
「あんなのは好奇心で寄ってくるだけで、俺に好意があるわけじゃない。俺のことは珍しい動物くらいに思ってるんだろう。そういう相手から情報を引き出すみたいな役割はジークも俺に求めていないから大丈夫だ。だいたい、化粧と香水の匂いがキツすぎて、近寄られると頭が痛くなってしまう」
と、身も蓋もないことを言うマックスに呆れていいのやら安心していいのやら迷うところだ。
自分でダンスはしないけど、夜会でジークが踊っているのは常に視界に入れている状態なので、なんとなくどんな動きなのかは記憶しているのだそうだ。
たったそれだけでそれなりにステップを踏めるのは、やはり並外れた運動神経のおかげなのだろう。
しばらくするとマックスも様になってきたので、パートナーを交代することになった。
マックスはキアーラにも足を踏んだらすまないと事前に詫びて、ものすごく遠慮がちにキアーラの手を取って背中に手をまわした。
「マックス様、もっとくっついてくれないと踊りにくいですわ。大丈夫です!私たちはお友達なのですから!」
キアーラに引っ張られてリードされるように、マックスはさっきまで私と練習していたステップを踏みだした。
私もせかっくだからとカイル兄様とくるくると踊った。
「マックスのやつ、なにもキアーラ相手にあんなに緊張しなくていいだろうに」
「仕方ないですよ、ダンスなんて今日が初めてらしいですから」
「ここに住んでる間に習わせてやればよかったな。そこまで気が回らなかったよ」
「まぁ、でも、大丈夫そうですよ。この短時間であれだけ動けるようになってるし。そういえば、私もジークたち以外の男性と踊るのは今日が初めてですよ」
「まだデビュー前なら、そんなもんだろう。みんな同性のダンス教師か身内と練習するからな」
「カイル兄様も私にとっては身内みたいなものですからね」
「実際もうすぐ親戚になるしな」
私とカイル兄様は雑談をする余裕まであったのに、二曲続けて踊ったころにはマックスだけ疲労困憊という顔になってしまっていた。
「もう、仕方がないですわね。休憩にいたしましょう」
「……すまない……」
「カイル兄様、干しルーネのケーキを持ってきましたよ」
「あの酒の風味のやつだな!?やった!」
応接室に移動すると、キアーラは私が去年エルシーランからお土産に買ってきたティーセットでお茶を淹れてくれた。
「ジーク様にお願いして、最初の方はゆっくりしたワルツを演奏するようにしてもらいましょうね」
「……俺は、こういうのは向いてない……戦闘訓練より疲れる」
まだ数曲踊っただけなのに、マックスはぐったりとカウチに座り込んでいる。
なんだか気の毒だけど、避けて通れない道なのだから頑張ってもらうしかない。
「大丈夫だよ。もう少し練習したら、ちゃんとできるようになるよ」
「どうせ相手はレオ様と私だけなのです。もっと力を抜いてくださいませ」
「そうだぞ。ちょっと足踏まれたくらいで泣き出すようなか弱い女じゃないんだから、そんなに緊張することないんだぞ」
私たちはそれぞれにマックスを元気づける言葉をかけた。
カイル兄様のは、励ましになってない気がするけど。
「もうだいたいの形はできてるから、音楽がなくてもなんとかなるよ。離宮の庭でも練習しようね」
「ああ、そうしてくれると助かる……レオとキアーラに恥をかかせるわけにはいかない。頑張るよ」
マックスはその後、キアーラとカイル兄様が踊っているのをじっくりと観察し、それから私の手をとってまたステップを踏み出した。
どう脳内処理したのかわからないけど、それだけで格段に滑らかな動きになったのは驚きだ。
ただ、キアーラと組んで踊るのはどうしても緊張してしまうらしい。
気心の知れたキアーラ相手でそうなのだから、他の令嬢と踊るのなんて無理だろうな……
これまた、安心していいのか迷うところだ。
マックスがもうこれ以上は目が回るとギブアップした後、私はキアーラと組んでくるくると踊った。
私の方が身長が高いので、男性パートは私だ。
きゃあきゃあと笑いながら踊る私たちに、仕事の手が空いた侍女や侍従も混ざって玄関ホールはとても賑やかになった。
そうこうしているうちに、出かけていたおじ様とおば様が帰ってきて、二人も混ざってさらに賑やかになり、私はおじ様とも組んで踊った。
夕刻前には帰る予定だったけど、引き止められて結局夕食まで御馳走になってしまった。
みんなが踊っている時は壁際の椅子でぐったり座り込んでいたマックスだったけど、久しぶりにカイル兄様たちと食事ができて気持ちが解れたようで、タウンハウスを辞する時には顔色が戻っていた。
この家はいつも穏やかで心安らぐような空気に満ちている。
私たちが近い将来住むことになる家も、同じようになるといいな。




