② 異国の野菜
私が引っ越した離宮には、小さなキッチンがついていた。
食事は城の調理場で作られたものが運ばれてくるのだけど、たまには自分で好きなものを作って食べたいと思っていた私は飛び上がって喜んだ。
このキッチンで私が前世の知識を活用して作るお菓子はなかなかの好評を博している。
「レオ様、おはようございます。いい香りですわね」
「おはよう、キアーラ!ちょうどいいところに!これ、味見してくれない?」
週末で学園が休みのある日、私は早朝からキッチンでお菓子を作っていた。
「美味しいですわ!これはなにがはいっているのですか?」
「レトルの実を砕いたのを混ぜてみたんだよ。意外と合うでしょう?」
この日私が作っていたのは、胡麻みたいな風味のレトルの実をいれたクッキーだった。
「それから、こっちも食べてみて。昨日作ったんだよ」
「……お酒が入っているのですね。これも美味しいですわ!」
もう一つキアーラに味見してもらったのは、ニールさんからもらったレーズンみたいなドライフルーツを香りのいいお酒につけたものを生地に混ぜ込んだパウンドケーキだった。
つまり、前世でいうところのラムレーズン入りパウンドケーキだ。
どちらも自信作だった。
アリシアさんたちにも美味しいと高評価だったので、手土産としては問題ないはずだ。
「レオノーラ様、キアーラ様。王太子殿下がいらっしゃいましたよ」
「はぁい、すぐ行きます!」
私はキアーラに手伝ってもらってクッキーとパウンドケーキをバスケットに詰め込み、応接間に向かった。
「おはようジーク!」
「おはようございます、ジーク様!」
「おはよう、レオ、キアーラ」
私の血縁者であるジークはこの離宮に出入りする唯一の男性だ。
キアーラは私の友人だからいつでも私を訪ねてくることができる。
つまり、まだ婚約が発表されていないジークとキアーラも、ここでなら人目を気にせずゆっくりと会うことができるのだ。
ジークが蕩けるような笑顔でキアーラの手の甲にキスをして、キアーラも嬉しそうに頬を染めた。
同じ室内でお茶の準備をしていた侍女も赤くなった。
私は身内だからまだマシだけど、ジークがキアーラに向ける笑顔は女性には目の毒としか言いようがない。
「外でマックスが待ってるよ」
「わかった。それじゃあね」
私は二人を残してそそくさと応接間を後にした。
外で待っていたマックスも今日は休みなので、いつもの騎士の制服姿ではない。
なんの飾りもないシャツを着ているだけだけど、その逞しい肩のラインがよく見えてドキドキしてしまう。
「マックス!おはよう!」
久しぶりに朝からずっと一緒にいられるのが嬉しくて、私はマックスの胸に飛び込んだ。
「おはよう、レオ。朝から元気だな」
マックスは勢いよく抱きついてきた私をしっかりと受け止めて、紫紺の瞳を細めて額にキスをしてくれた。
「今日は研究所に行くんだよな?」
「うん!野菜が収穫できそうだから見においでってニールさんから連絡があったんだよ」
「あの異国の野菜の種か」
「そうだよ。美味しい野菜だといいなぁ。またなにか作ってあげるからね!」
「ああ、楽しみにしてるよ」
今日の私はお忍び街歩きでも着ていたダークグリーンのドレスに、マックスがエルシーランでくれた簪で髪をハーフアップに纏めてある。
日常的にドレスを着るようになったとはいえ、淑女教育を受けていた時のような豪華で重たいドレスは着ない。
本当はあのようなドレスが身分としては相応しいのだろうけど、誰も何も言わないのでこのスタイルを貫こうと思っている。
マックスは左腕を曲げて、私はその肘のあたりに手を置いて腕を組むようにエスコートされて歩き、その後ろから侍女がバスケットを抱えてついて来ている。
王城の外郭の近くにある研究所への道すがら、すれ違う騎士や侍女たちに目礼される。
こうして出歩くのは、私たちが婚約者として良好な関係を築いていることを周囲にアピールして、変なちょっかいを出されることを防ぐためでもあるのだ。
「お待ちしておりました、レオノーラ様、マックス様」
「お久しぶりです、ニールさん」
ニールさんに出迎えられ、私たちは研究所の中にある試験栽培場に案内された。
そこではニールさんの娘さん、リリーさんが待っていてくれた。
リリーさんは一昨年学園を卒業したばかりで、まだ見習いながら優秀な研究員なのだそうだ。
ニールさんの同僚でリリーさんの師匠にあたる主に薬草の研究をしているという人は、人見知りだそうで王族の前になんて顔を出す勇気がないとまだ会ったことがない。
その代わり、私とリリーさんはとても仲良くなった。
「こちらが、カナナクという野菜です。メモによると、生でも食べられるそうです。そして、そちらのはトヤーザです。こちらも生で食べるのだそうです」
カナナクはトマトみたいな色でキュウリみたいに細長い形をした実だ。
トヤーザの方は、私の拳二つ分くらいの大きさの紫色のカボチャみたいな形をした実が、これもカボチャみたいに地面にいくつも転がっている。
「どちらも毒性試験などは済ませてありますので、そのまま食べて問題ありません。私も食べてみましたけど、体調に変化はありませんでした」
「どんな味だった?」
「ええと、不思議な味だったとしか……不味くはなかったですよ。調理方法次第では美味しくなるのかもしれないですけど、生憎私は料理にはあまり詳しくないもので」
リリーさんは困った顔で頬をポリポリと掻いた。
「今までアレグリンドでは見たことがない野菜であることは間違いありません 。少し召し上がってみませんか?」
「うん!お願い!」
研究所の中にある来客用の部屋に通され、そこで離宮からついてきた侍女がお茶の準備をしている間に、リリーさんがカナナクとトヤーザを一つずつと、ナイフと広いお皿を持ってきてくれた。
私はまず細長いカナナクを手に取った。
ツルツルした表面の皮は柔らかそうなので、皮は剥かなくてよさそうだ。
縦に半分に切って中身を見てみると、中身も赤いキュウリみたいだった。
早速一口食べてみようとしたところ、
「待て」
マックスに止められた。
マックスは皿に乗っていた残りの半分を手に取り、自分の口に運んだ。
「……」
「……美味しい?」
「不味くはない……少しだけ辛い」
どうやら毒見役をしてくれたようだ。
リリーさんが大丈夫だって言ってくれたのに、こんなところでも心配性だ。
でもちょっと嬉しいな、と思いつつ私も一口齧ってみた。
キュウリみたいにシャリっとした食感のトマト、みたいな味だ。
そして、わずかに唐辛子系の辛みがある。
これは……ちゃんと味付けすればサラダにいいんじゃないかな?
もしくは、煮込んでトマトスープとか、トマト系パスタソースみたいにしてもいいと思う。
そして、次は小さいカボチャみたいなトヤーザ。
手に取ってみると、カボチャほど硬くないことがわかった。
とりあえず真っ二つに切ってみたところ、断面は紫色の柿みたいだった。
皮をむいて小さく切ったところをまずマックスが一口食べて、さっきより微妙な顔をした。
「これも不味くはないが……変な食感だ」
私も続いて一口食べて……このねっとりした感じ。これ、アボガドにそっくりだ。
トマトとアボガド。
これはもう、そういうサラダにするしかないんじゃないかな?
「レオ様、どうですか?お料理に使えそうですか?」
「うん、いけると思う!」
「よかったです!では、後でレオ様の離宮にいくつかお届けしますね」
「いいの?」
「思ったより多めに収穫できそうですので、大丈夫ですよ」
「やった!ありがとう!」
野菜の試食が終わると、侍女がお茶と私が作ったお菓子をテーブルの上に並べてくれた。
「レオ様!これ、すごく美味しいです!無限に食べられます!」
「……酒の香りがしますね。これは、私が以前にお贈りした干しルーネですね。こんな食べ方があったなんて、レオノーラ様には驚かされてばかりですな」
ニールさんとリリーさんは、喜んで私のお菓子を食べてくれたので、私も嬉しかった。
「お口にあったみたいでよかったです。たくさん作ってきたので、皆さんで分けてくださいね」
「ありがとうございます!レオ様のお菓子はいつも争奪戦になるくらい人気なんですよ!」
リリーさんによると、今のところ収穫までできたのはカナナクとトヤーザだけで、他はまだ様子を見ている段階らしい。
特に薬草は、詳しく薬効などを調べないといけないので時間がかかるそうだ。
「期待していてくださいね!新しいお薬ができそうなんです!」
野菜の種類もだけど、薬の種類が増えるのはとてもいいことだと思う。
私の食欲を満たすためのお土産だったのだけど、予想以上の結果を生むことになりそうだ。
「マックス、お菓子はどうだった?」
「美味しかったよ。特に、酒が入っている方」
「やっぱり?そう言うかなって思って、マックスのお土産分は離宮に残してあるんだよ。帰りに持って帰ってね」
「ありがとう。ジークに食べられてないといいが……」
「ジークの分は別に分けてあるから、大丈夫だと思うよ。多分……」
キアーラも侍女たちも、ジークに甘い。
請われたらマックスの分のケーキまでジークに食べさせてしまってもおかしくない。
「……その時は、また作ってあげるからね!」
「ああ、そうしてくれると嬉しい。おまえの作るものはどれも美味しいからな」
マックスが私の料理を美味しいと言って食べてくれるのは、私もとても嬉しい。
また頑張って新レシピを開発しよう!と励みになる。
離宮に戻ると、キアーラだけが私たちを待っていた。
ジークは用事があるとのことで、先に戻ってしまったそうだ。
「マックス様、たまには我が家に顔を出してくださいませ。カイル兄様が寂しがって、とっても面倒くさいのです」
マックスは正式にアレグリンドの騎士になった時、またもやキアーラの家族たちから盛大に引き止められながらも、これ以上は甘えるのはよくないと騎士の独身寮に住まいを移した。
カイル兄様……寂しがってる様が目に浮かぶ。
「じゃあ、今度の休みの日は、キアーラの家に行こうか。カイル兄様と一緒にまたお忍び街歩きしてもいいしね」
「レオがそれでいいなら、俺は構わないよ」
「助かりますわ!カイル兄様にもそう伝えておきますね!」
夕暮れ時になる前に、キアーラも私が作ったお菓子を手に帰っていった。
「はい、これ。ジークに食べられなくてよかったね」
「ありがとう……また、な」
「うん……」
そっと触れるだけのキスをして、マックスもパウンドケーキの包を手に寮へと戻った。
その夜、久しぶりに長い時間をマックスと過ごすことができた私は充実した気分で寝台に潜りこみ、新しいレシピのことを考えながら眠りについた。




