① 婚約
明日から学園の新学期が始まるという日、私とマックスは王城の片隅にある墓地を訪れた。
ここにある母と弟のお墓に参るためだ。
「おかあさま、オットー、お久しぶりです。いろいろとありましたけど……私、マックスと婚約しました」
「マクスウェル・ハインツと申します。キルシュからの留学生だったのですが、アレグリンドの騎士として王太子殿下の側近に取り立てていただきました。レオは必ず幸せにします。安心してお眠りください」
私たちは墓前に小さな花束を供え、膝をついて報告をした。
実は、あれから私とマックスは正式に婚約することになったのだ。
ジークは、これは私たちを守るためだと説明してくれた。
父という枷がなくなったことで、今後私には縁談が雨あられと降り注ぐだろう。
中には、ゲイリー伯爵みたいに強引なことをして私を手に入れようとする輩も現れるかもしれない。
そうならないために、国王陛下に認められた婚約者が必要なのだ。
マックスの方はというと、元はキルシュからの留学生なので、ジークの側近になった今でもキルシュ人という印象が強い。
それを払拭し、アレグリンドに根を下ろすということを示すには、アレグリンド人と結婚するのが一番わかりやすい。
そして、ジークが宝物として大切に守っていることで知られている私がその相手なら、マックスがどれだけジークに信頼されているということを表すこともできる。
それに、マックスは爵位はないけどジークの側近な上に剣聖サリオ師の愛弟子という有望株なので、フリーでいたら私と同じように縁談の雨あられになることが考えられるので、それを防ぐためでもあるのだそうだ。
恋人になったばかりだったのに、もう婚約という話になって正直ちょっと動揺したけど、メリットしかないようだし、マックスはもう婚約者のつもりだったなんて言うので、私も受け入れることにした。
冷静に考えたら、多くの人たちに祝福されて私たちは付き合いだしたわけで、もし別れたりしたら皆がっかりしてしまうだろう。
それは申し訳ないというか……もちろん別れるつもりはないんだけど。
なにより、マックス以外の男性を好きになるなんて考えられないので、今はこれで良かったと思っている。
「レオ様!婚約なさったというのは、本当なのですか!?」
「あの、マクスウェル・ハインツ様がお相手だと伺いました!」
「いつの間にそんなことになっていたのですか!?他国の王子様と思い合っていらっしゃったのではなかったのですか!?」
ただ、学園の女生徒には激震が走るくらい衝撃的なことだったようで、長期休暇明けに登校するとすごい勢いで囲まれた。
「他国の王子様というのは、ただの根拠のない噂だったんだよ。都合がよかったから否定しなかっただけで」
「では!本当に、マクスウェル・ハインツ様と?」
私が少し赤くなりつつ頷くと、私を囲む女の子たちから悲鳴が上がった。
「あ!もしかして、その髪飾りはハインツ様から贈られたものですか!?」
いつもはポニーテールでなんの装飾もなかった私の髪は、今は動きやすいように簡単に結われてマックスの瞳に似た紫色の石がついたマジェステでまとめられている。
「ああ、これはマックスがキルシュから買ってきてくれたんだよ」
再び悲鳴があがった。
「レオ様……その、本当に、よろしいのですか?レオ様も納得していらっしゃることなのですか?」
「そうですわ、レオ様。無理やり押しつけられたのではありまんか?」
そう心配されるのは予想済みだ。
「そんなことはないよ。ちゃんと私もマックスも納得してのことだから」
私は首にかけている細い鎖を制服の下から引き出して見せた。
「ほら、これ。マックスのお母様の形見の指輪なんだって」
鎖に通されているのは、マックスの髪の色と同じ赤い石のついた指輪だ。
騎士科の戦闘訓練などもあるので、学園にいる間はこうして身に着けることにしたのだ。
マックスにとって重大な意味を持つ指輪を私が預かり大切に扱っている。
これで私たちがきちんとした関係を築いていることを理解してくれたようだ。
「マックスは、以前からジークたちと仲が良かったから、私もたまに話すくらいのことはしていたよ。それから、去年キルシュからお姫様が来た時に、揉めたことがあったでしょう?あれから、いろいろとあってね」
私が体を張ってフィリーネ皇女からマックスを庇ったのは、皆知っていることだ。
本当はもっと前からお忍び街歩きとかしていたんだけど、皆の印象に強く残っているはずのフィリーネ皇女の襲来を利用することにしたのだ。
あまり詳しくは語らない私にそれ以上問い質すこともできず、女の子たちはそれぞれに顔を赤くしながら妄想を脳内で繰り広げているようだ。
「レオ様が、あのハインツ様と……信じられませんわ……」
「私、レオ様はきっと王太子殿下の側近のどちらかと、と思っておりましたのに……」
「フェリクス・ルナート様がお似合いだと思っておりました。まさかハインツ様とは、予想外すぎましたわ……」
ぶつぶつヒソヒソと呟きが聞こえてくる。
それにしても、私とマックスってそこまで驚くような組み合わせなのかな?
「マックス様が王太子殿下の側近になったのはご存じでしょう?キルシュからの留学生だったのに王太子殿下に選ばれるくらい、マックス様は優秀な方なのですわ。ちょっと近寄りがたい見た目ですけれど、話してみるととてもいい方ですのよ。私、マックス様にならレオ様を安心してお任せできます!マックス様なら、きっとレオ様を幸せにしてくださいますわ!皆さま、私たちでお二人を応援しようではありませんか!」
こういう時、頼りになるのはキアーラだ。
キアーラが上手く誘導してくれたおかげで、女の子たちは私とマックスを応援するという流れになった。
「王太子殿下が卒業なさったので、今年こそはとレオ様に近づこうとなさっている殿方が私が知っているだけでも三人はいらっしゃいます。婚約者がいる女性になにかしようだなんて、その時点でレオ様に相応しくありません!不埒な殿方から、今年も私たちでレオ様を守りますわよ!」
おーーー!という声とともに、キアーラにつられて女の子たちは拳を天に突き上げた。
淑女らしからぬ仕草だけど、その意気込みはありがたい。
こうして私の学園での最終学年は、ひたすら女の子に囲まれることが決定した。
「と、いうことがあったんだよ」
私はガゼボでマックスと薬草茶を飲みつつ、学園での出来事を報告した。
今の私は学園の制服から簡素なドレスに着替えている。
もう父の目を気にする必要がなくなったので、男装するのは基本的に学園の制服だけになった。
制服も女生徒と同じスカートにしてもよかったのだけど、あと一年だけだし動きやすい方が好きなので今まで通りにすることにした。
私が以前に父と住んでいた離宮は破損が激しく、修復不能ということで取り壊された。
そして、私は以前の離宮よりも小さい別の離宮へと移り住んだ。
私が一人で住むのだから城の一室で十分なのだけど、わざわざ離宮に住んでいるのには理由がある。
まず、この離宮はジークの執務室と男性騎士の独身寮の中間地点くらいに位置しているので、マックスが仕事を終えて寮に帰る途中に立ち寄るのにちょうどいいのだ。
「あ、忘れないうちに、これキアーラから」
「ああ。預かっていく。ほら、ジークからのはこれだ」
それから、私たちと違って正式に婚約が発表されていないジークとキアーラの手紙をこっそりと交換するという役目もある。
私が学園でキアーラの手紙を預かり、マックスはジークからの手紙を持ってきて、ここで受け渡すのだ。
私とマックスが会う口実にもなるし、一石二鳥だ。
ただし、マックスは決して離宮の建物の中には入らない。
いつも会うのは離宮の庭にあるガゼボということになっている。
婚約しているとはいえ未婚の男女なので、けじめのためにマックスがそう決めたのだそうだ。
残念な気持ちも僅かながらにあるけど、それよりも大事にされているというのが伝わって嬉しい気持ちの方が大きかった。
「私とマックスが婚約するのって、そんなに意外かな?」
「それは意外だろうな。おまえは王族で、俺はただの留学生だったんだぞ?エリオットかフェリクスあたりならともかく、まさか俺がおまえを横から掻っ攫うなんてだれも思っていなかったんじゃないか?俺たちは学園ではあまり話す機会もなかったしな」
「そんな、横から掻っ攫うだなんて」
「そう思っているやつも少なくないはずだ」
マックスは小さく溜息をついて、私の肩を抱き寄せた。
「キアーラがいてくれてよかった。おまえは危なっかしいから……学園でも一人になるんじゃないぞ。ちゃんと信頼できる友人と行動するんだぞ」
相変わらず私は信用されていないようでむっとしたけど、それ以上にドキドキして顔をマックスの鎖骨の当たりに埋めた。
「大丈夫だよ。私は、自分の身ぐらい自分で守れるんだから」
「……わかってる。ただ、心配なだけだ。もう、俺もジークたちも学園にいないから」
不本意ではあるけど、心配されてもしかたがないと私も思っている。
ローレンスとかアルフォンスとか、いろいろあったからね。
正式に婚約が発表されているのだから、あんなことはもうないと願いたい。
「レオ」
頬に触れたマックスの手に促され、顔を上げるとそっと触れるだけのキスをされた。
心が満たされる瞬間でもあり、もうすぐマックスが帰ってしまうというサインでもあるので寂しさも感じる。
「また、明日来るから」
「……うん。待ってるからね」
去っていくマックスの背中を見送ってテラスから居室に戻ると、侍女とアリシアさんが待っていてくれた。
「マックス様は、寮に戻られましたか?」
「うん。ガゼボの片付けをお願い」
この離宮に移り住んでから、私に仕える侍女も入れ替えられた。
王妃様とアリシアさんにより信頼できる侍女が選ばれ、アリシアさんのように護衛と侍女を兼ねた女性騎士もつけられるようになった。
最初のアリシアさんのように私が姫君らしくないことに皆驚きつつ、すぐに受け入れてくれて私が快適に過ごせるように心を砕いてくれている。
一人で離宮に暮らすようになり生活が様変わりしたけど、私は以前よりずっと心穏やかな日々を送ることができるようになっていた。




