㉖ 父の狂気
私の体から溢れ出した魔力が衝撃波となって荒れ狂い、部屋の中は突然の嵐に見舞われたように一瞬でぐちゃぐちゃになった。
窓は粉々に砕け、カウチは八つ裂きにされて四方八方に飛び散り、砕けたテーブルの破片が壁に突き刺さり、屋根が吹き飛んで空が見えるようになってしまった。
魔力の一部は私の一番得意な水属性魔法に変換されたようで、歪な水球が幾つも生み出されて室内を水浸しにし、壁や天井にボコボコと穴を開けていった。
水属性が得意でよかった。
火属性だったら、確実に火事になっていた。
ものが壊れる音と、私の魔力がたてるバチバチという音が混ざり、絶叫を上げ続ける私の周りで不協和音を奏でた。
「なっ!なんで!ぎゃあああ!」
完全に油断していたアルフォンスがそれに対応しきれるわけもなく、どうやら椅子の切れ端とともにどこかに吹き飛んでしまったようだ。
ほっとするのと同時に、私は今度は必死で魔力をコントロールしようとした。
もうこれ以上魔力を浪費する必要はないのに、魔力がどんどん体の外に溢れだしていく。
早く止めなくてはと焦るけど、暴れまわる魔力を抑えることができない。
このままでは私の命も危ないとわかっているのに、どうしても止められない。
魔力が枯渇する間際、もう無理かもしれないと諦めかけた時、ふと左手薬指の指輪が目に入った。
マックスの髪と同じ色の赤い石が埋め込まれた、マックスのお母さんの形見の指輪。
マックスのお母さんはこの指輪をとても大切にしていたそうだ。
この指輪をつけた私が、マックスを置いて先に逝くわけにはいかない。
マックスが私にしてくれたようにそっと指輪にキスをすると、心が落ち着きを取り戻した。
負の感情に支配されていた心が、愛しさで塗り替えられていく。
私は戻らなくては。
不器用ながらもひたむきな愛情で包んでくれる、優しい恋人の元に。
「マックス……」
その名を呟くと、魔力の流出がやっと止まった。
よかった。死なずに済んだ……また、マックスに助けられた。
ボロボロになった室内で、私はほっと息を吐いた。
このままここで気を失ってしまいたいけど、そうはいかない。
私は震える脚を叱咤し、歯を食いしばって立ち上がった。
魔力のコントロールを僅かに取り戻したからか、体がさっきよりは動くようになったのはせめてもの幸いだった。
床に転がっているいろんなものの残骸を避けながら、私が向かったのは父の部屋だった。
「父上……」
父の部屋は私の部屋から離れていたため、特に被害はなかったようだ。
「オットー、なにがあったのだ、さっきの音は」
「父上、答えてください。なぜアルフォンスに私を差し出したのですか」
私は血を吐く思いで問いかけた。
「なにを言っている?アルフォンスにおまえを差し出すなどと……アルフォンスはレオノーラと婚約したのではないか」
私は驚きで息が止まりそうになった。
父が私の名を口にしたのは、母が亡くなって以来初めてのことだったからだ。
父の中から私はいなくなっていたと思っていたのに、そうではなかったのだろうか。
「どういう意味です?なぜそんなことを」
「全部おまえのためだよ、オットー」
父は優しく微笑んだ。
私や国王陛下に似た父の青い瞳には、静かな狂気の光があった。
なぜ今まで気がつかなかったのだろう。
私は心底寒気がして身震いをした。
「おまえが次期国王になるために、ゲイリー伯爵が力を貸してくれることになったのだ。おまえとゲイリー伯爵家の繋がりを強めるため、姉のレオノーラとアルフォンスの婚姻が必要なのだよ。幸いにも二人は年も同じだ。レオノーラにとっても悪い話ではない」
オットーに王位継承させるため、レオノーラをアルフォンスに差し出したということか。
オットーもレオノーラも、どちらも私なのに!
こんな酷い矛盾にも父は気がついていない。
もうずっと前から父の目には父が見たいと思うものしか映らないのだ。
「なにを言っているのですか!?私が国王になることなどあり得ません!」
「いいや、おまえこそが正当な王太子だ。本来私のものであった王位を、弟が簒奪したのだ。間違いは正されなくては。次代に持ち越してはいけない。そうだろう?オットー」
「父上……」
あまりのことに私は頭がくらくらした。
父が王位に執着していることは知っていた。
オットーである私に、ジークを蹴落として王太子の座についてほしいと願っていることも。
でも、全て病床の父の妄言だと聞き流してしまっていた。
そのツケが今回ってきたのだ。
「私はレオノーラです。オットーではない」
私は父の瞳を真っすぐに見つめ、きっぱりと言い切った。
「なにを言っているのだ、オットー」
「目を覚ましてください!オットーは、私の弟は、生まれてくることができなかったではありませんか!今ここにいるのは、あなたの娘のレオノーラです!オットーは、母と一緒にもうずっとお墓の中で眠っているのです!現実から目を背けるのは、もうやめてください!」
父の顔がさっと青ざめて、目が泳いだ。
母が亡くなった後、何度か同じような父を見たことがあった。
辛い現実を突きつけられて父の細い精神が耐えられず、体調を崩す前兆だ。
以前は父が寝込む度に私は不安でしかたがなかった。
父を失うことは、この世の全てを失うことと同じだと思っていた。
私を愛してくれるのは父だけだと思っていたから。
でも、今は違う。
学園で、アルツェークで、エストルで。
たくさんの人との繋がりを得て、私の世界は大きく広がった。
私はもう、可哀想な子ではない。
「父上!私は、レオノーラです。オットーではありません。本当はわかっているのでしょう?私を、ちゃんと見てください!父上……おとうさま!」
「違う……おまえはオットーだ……正当な王太子だ……おまえを、アレグリンド国王にしてくれると……だから、ゲイリーに……」
真っ青な顔で父はなにやら呟いている。
ゲイリー伯爵に甘い言葉を囁かれて、きっとその気になってしまったのだろう。
病弱じゃなかったとしても、父は王の器ではないと思う。
「いくらゲイリー伯爵の助力を得たとしても……私が王太子になるなんて、ジークが」
ここで私ははっとした。
嫌な予感に背筋が凍った。
「まさか……ジークにも、なにかしたのですか?」
父は以前からジークを嫌っていた。
ジーク個人が嫌いなのではなく、私が王太子になるにはジークの存在がどう考えても邪魔だからだ。
この離宮から出ることもない父にはなにもできないと思っていたけど……
「答えてください!ジークになにをしたのです!」
私は父の襟首を掴んで詰め寄った。
「もう、遅い……」
「父上!ゲイリー伯爵は、なにをしたのですか!」
「……レオノーラと同じだ」
「どういう意味です!?」
「茶に……薬を」
お茶に毒を盛ったということか!
なんということを!
愕然として掴んでいた父の襟を放すと、父はそのまま尻もちをつくように後ろに倒れた。
「オ……オットー……」
父が私を縋るように見上げたところで、半壊となった離宮に騎士がなだれ込んできた。
王城内で派手に魔力を暴走させたから、騎士が駆けつけてきたのだ。
「王兄殿下!レオノーラ様!御無事ですか!」
先頭にいたのは、見覚えのある中年の騎士だった。
確か、来年王立学園に息子が入学するとか言っていた、お掃除魔法を教えたことのある騎士だ。
私にもキアーラにも、とても紳士的に接してくれた。
「レオノーラ様、一体なにがあったのですか!?」
私は崩れ落ちそうになるのを必死で堪えながら、父の襟首を掴んだ時とは真逆の思いでその騎士の服をぎゅっと掴んだ。
「ジークのお茶に毒が……お願い、伝えて……」
それだけ言うと、中年の騎士はさっと顔色を変えて背後にいた年若い騎士に指示を出すし、その騎士は走り去っていった。
「父を、拘束してください。私も……」
ジーク。優しいジーク。ジークがいなかったら、私はどうなっていたかわからない。
「ジークを……助けて……」
私をオットーと呼ぶ父よりも、ずっと近くにいてくれたジーク。
今の私は、父を失うことよりもジークを失うことの方が耐えられない。
「大丈夫ですよ、レオノーラ様。王太子殿下の守りは万全です。滅多なことは起こりません。安心してください」
父よりも、父親らしい声音。
私は騎士のマントにぐるぐる巻きにされて抱え上げられた。
「レオノーラ様を医務室にお連れする。王兄殿下は拘束した後、医務室にお連れするように。他は離宮内の捜索だ。いいな」
「は!」
医務室に運ばれて診察を受け、解毒剤と回復薬を飲まされた後に私は起こったことの全てを正直に話し、ちょうど全てを話し終わったころにジークが駆けつけてきた。
私はジークの無事な姿に涙が溢れ、話をする余裕もなく意識を手放した。




