㉕ 奸計
「父上、ただいま帰りました」
「お帰り、オットー。待っていたよ。遠征はどうだった?話を聞かせておくれ」
約二か月ぶりに戻ってきた離宮では、父が穏やかに迎えてくれた。
父は思ったより顔色がよく、私はほっとした。
今年も父には騎士団と魔獣討伐の遠征に行くと説明してアルツェークを訪れていた。
「今年は師匠も現地で合流して、一緒に魔獣狩りをしました。師匠は剣技だけでなく、本当にいろんなことに経験豊富で、勉強になることばかりでした」
私は一つも嘘はついていない。
師匠は長い間傭兵として各国を巡っていたため、野営や魔獣の解体もお手の物なのだ。
訓練場で手ほどきを受ける以上のことを、遠征ではたくさん教えてくれた。
それにしても、師匠まで私とマックスのことを応援してくれていたなんて。
今にして思えば、だからこそ私とマックスで連携が取れるように戦闘訓練をしてくれていたのだ。
師匠はマックスが卒業後もアレグリンドに残ることを知っていたのだろう。
知らなかったのは、私だけなのかもしれない。
「そうかそうか。頑張ってきたんだね。偉かったね、オットー」
「はい、父上。でも、師匠にはまだまだだと言われるのです。師匠にも褒められるように頑張りますね」
目を細めて私をオットーと呼ぶ父に、私の心は凪いだままだった。
前世の記憶が戻り、キアーラや多くの人たちと親しくなってから私は父との触れ合いに以前ほど重きを置くことがなくなった。
父の前では変わらず従順な息子を演じながらも、他に心の拠り所ができたからだ。
特に今は、レオノーラ初の恋人ができたところだ。
父には言えないけれど、あの優しい紫紺の瞳を思い浮かべる度に心が浮きたってしまう。
緩みそうになる頬を隠すように私はお茶を飲んだ。
ここしばらく薄紅色の薬草茶ばかりを飲んでいたので、普通のお茶は久しぶりだった。
「ところでオットー。おまえに贈り物があるのだ」
「贈り物ですか?」
「ああ、そうだよ。今頃、おまえの部屋に届いているはずだから、行ってみなさい。きっとおまえも気に入るはずだ」
「わかりました。ありがとうございます!」
父からの贈り物なんて、いつ以来だろう。
「なにも心配しなくていい。全て上手くいくからね」
以前も同じようなことを言われたような気がした。
意味が分からず首を傾げながらも、私の部屋に向かった。
私の部屋はアルツェークに発つ前となにも変わっていなかった。
贈り物と父は言っていたけど、それらしいものは見当たらない。
ますます首を傾げる私の後ろで、扉が外から開けられた。
ノックもせずに一体誰が、と驚いて振り返った私はぎょっとした。
「お久しぶりです、レオ様」
そこにいたのは、秀麗な顔にぞっとするような笑みを浮かべたアルフォンス・ゲイリーだった。
「なぜここにいる!?」
「もちろん、あなたのお父上に招かれたからですよ」
鋭く問いただす私に、アルフォンスは余裕たっぷりといった態度で肩を竦めた。
「父が!?なぜ父がきみを招くんだ!」
「なぜって、私がレオ様の婚約者だからに決まっているではありませんか」
私は耳を疑った。
婚約者!?アルフォンスが私の婚約者だと!?
「なんの話だ!私はそんなこと」
「レオ様がアルツェークで遊んでいる間に、私の父とレオ様のお父上が話をまとめたのですよ。レオ様にとっても王家にとっても悪い話ではないはずです。そうは思われませんか?」
思わないよ!
私は心が凍りついたような気持ちになった。
まさか、父がこんなことをするなんて。
父の中にはレオノーラがいないから、私の縁談など受け入れられないと思っていたのに。
「ジークが……国王陛下が、許すはずがない!」
ジークはもちろん、陛下も私とマックスのことを知っているのだ。
そしてジークはさっきあれだけ祝福してくれた。
陛下だって、ジークにすらさせなかったくらいの政略結婚を私に押しつけるはずがない。
「そんなことはありませんよ。国王陛下も王太子殿下も私たちの婚約を認めてくれるでしょう。レオ様、あなた自身がそれを望みさえすれば」
「そんなこと!私が望むわけがないだろう!」
「大丈夫ですよ。これから望むようにしてさしあげますから」
どういう意味だ、と問いかけようとして、私は体の異変に気がついた。
なんだかとても体が重い。
立っていられないくらいに体が重くて仕方がない。
「なっ……!」
私はがくんと床に膝をついてしまった。
「ああ、やっと効いてきましたね」
「……なにをした!?」
アルフォンスは唇の端を上げて笑った。
「ちょっとした薬を、ね」
薬!?いつそんなものを盛られた!?
まさか……
「父上の……お茶に……」
「その通り。お父上も快く協力してくださいましたよ」
父が、私に薬を盛ったの!?
アルフォンスに私を差し出すために!?
「なぜ、父がそんなことを……!」
「それは、後程ご本人に確認してみるといいですよ。今は、もっと大事なことがありますからね」
アルフォンスは悠然と私に歩み寄り、手を伸ばしてきた。
「……やめろ!」
エルシーランの時のように魔力障壁を展開してその手を弾こうとしたけど……
魔力が思い通りにコントロールできない。
体の中の魔力の流れがめちゃくちゃに乱れてしまっているようだ。
「魔法を使おうとしても無駄ですよ。レオ様の魔力障壁は厄介ですからね。手を打たせていただきました」
アルフォンスの右手が私の頬に触れた。
マックスに同じことをされると心が温かくなるのに、アルフォンスの手には嫌悪感しかなかった。
「あのキルシュ人にどこまで許したのですか?この唇は?もっと先まで?この柔らかな肌にも触れさせたのですか?」
アルフォンスの碧の瞳は嗜虐の喜びで昏く輝いていた。
「ローレンスのやつは媚薬なんか使おうとしたそうですけど、私はそんな無粋な真似はしません。この薬は、体と魔力の自由を奪うだけです。意識ははっきりしているでしょう?そうでなくてはつまらない。あなたの体が暴かれる様を、あなた自身の記憶に刻みつけてあげなくては。死ぬほど悦くしてあげますよ。私が満足するまでね。泣いても許しを乞うても無駄です。覚悟してくださいね。エルシーランで私につれなくした罰をたっぷりと受けてもらいますから」
アルフォンスは私の腕を掴んで引きずり起こした。
「いや……触らないで……」
思うようにならない体を必死に捩るけど、男の力には敵わない。
「嫌がる女を快楽に溺れさせることほど愉しいことはありません。明日の朝には、私がいないと生きていけない体に生まれ変わっていますよ」
アルフォンスが私を抱えるようにして向かう先は……続き部屋になっている私の寝室だ。
冗談じゃない!
こんな男に好きなようにされるくらいなら、死んだ方がマシだ!
「いや!……誰か……助けて……」
「無駄ですよ。あなたの父上が人払いをしてくださいましたからね」
父が本当にこんなことの片棒を担いでいるのだと思うと、私の心に絶望と悲しみが広がった。
それと同時に、さっきまで隣にいた恋人の面影が瞼に蘇った。
マックスがキルシュから戻ってきてから、心の距離がぐっと近くなったのを感じていた。
二人だけになった時は、そっと触れるだけのキスをしてくれた。
優しい紫紺の瞳に見つめられるだけで、心が震えるほど嬉しかったのに。
「助けて……マックス!マックス!」
「この……いい加減にしろ!」
必死で抵抗する私に苛立ったアルフォンスは私の頬を容赦ない力で平手打ちし、私は床に倒れこんだ。
「諦めなさい。あなたはこれから私のものになる。他の男の名を呼ぶことなど許さない」
口の中に血の味が広がり、床に体を打ちつけられた痛みで私は冷静さを取り戻した。
このままではいけない。
なんとかしないと、酷いことになってしまう。
私は必死で頭を巡らせた。
そこで思い出したのが、サリオ師がいつか聞かせてくれた話だった。
サリオ師がかつて危機一髪になった時、魔法を無茶苦茶に放って逃げ出した、という話だったはずだ。
今の私は魔力のコントロールができないので、思い通りに魔法を放つことはできない。
でも、私の体内で乱れまくっている魔力を無秩序にまき散らすことならできる。
魔力量の多い私がそんなことをすればきっと周囲に被害が出るだろうけど、元々人が少ない上に人払いがされた離宮でなら、人的被害は最小限に抑えられるはずだ。
乱れに任せてまき散らすとなると、途中で止めることができず限界以上まで魔力が引き出されてしまうかもしれない。
もしそうなって魔力が完全に枯渇したら、最悪の場合は死に至ることも考えられる。
ファーリーン湖遠征で意識を失った時よりも危険な状態になるだろう。
でも、もう他に方法が思いつかない。
「あのキルシュ人のことなど、すぐに忘れさせてあげます。さぁ……」
勝利を確信した笑みを浮かべたアルフォンスの顔が、前世の婚約者に重なった。
許さない。
これ以上好きになどさせない。
「ああああああああああああ!!!」
私は腹の底から絶叫し、同時に体中の魔力を全方向に解き放った。




