㉓ 夢みたい
穏やかに季節が巡り、夏になってジークたちとマックスは学園を卒業した。
私とキアーラは長期休暇に入るので、私はまた去年と同じようにまたアルツェークでお世話になることになった。
今回はシストレイン子爵夫妻とカイル兄様も同時に帰郷するので、前回よりも移動する人数が多い。
二台続く馬車の一台には侍女たちが、もう一台にはシストレイン子爵夫妻とキアーラと私が乗っている。
カイル兄様と、それからマックスは騎乗して数人の騎士たちと並走している。
マックスはしばらくアルツェークに滞在し、今年もファーリーン湖遠征に参加してからキルシュに帰るのだそうだ。
マックスと私はアルツェークで大歓迎された。
私は心の中でマックスとのお別れの準備をしつつ、あと少し一緒にいられる間は精一杯楽しく過ごそうと心に決めていた。
マックスの中に楽しい思い出と私がセットで記憶されてほしいから。
私は気を緩めると溢れだしてしまう悲しい気持ちを押し込めて、昨年と同じように毎日を笑って過ごした。
ファーリーン湖遠征に向かう数日前に、王都からの調査隊が到着した。
調査隊のメンバーはエルシーランに向かった時と全く同じだった。
私の侍女も兼ねての参加だったはずのアリシアさんまで来ている。
今回は侍女なんて必要ないのにと言うと、『別命を受けておりますので、お気になさらず』と言われた。
別命ってなんなんだろう?
それから、サリオ師までいる。
サリオ師は、『面白そうだったから着いてきた。美味しい酒もあるらしいからね』とのことだった。
海と湖という点は違うけど、魔獣の浜とあまり変わらないのになにが面白そうなのかよくわからない。
去年は双頭の魔獣に全滅させられかけた印象が強すぎるせいか、今年のファーリーン湖遠征は私には随分とあっさり終わった気がした。
湖から溢れだした魔獣の数も質も、最後に現れた主もカイル兄様によると平年並みとのことだった。
ただ、今年の主を斃したのはマックスだったというのだけは平年並みではない。
ヤシガニみたいな今年の主が湖岸にたどり着くと、マックスは大きな魔力を籠めた火球を叩きつけて八本あった脚のうち三本を吹き飛ばし、動きが鈍くなったところを一撃で頭部を真っ二つにして、瞬く間に勝敗を決してしまった。
ほぼ一瞬で斃された主にアルツェークの遠征隊は唖然としていた。
私も、まさかマックスがここまで腕を上げていたのかということと、魔石を誰にも渡さないという強い気迫が感じられてびっくりした。
ただ、調査隊とキアーラとカイル兄様だけはさもありなんという満足気な顔をしていた。
これは、きっとアレだ。
マックスは、主の魔石をキルシュに持って帰って、婚約者に捧げるつもりなのだ。
だから、確実に魔石を手に入れるために、少々強引にでも主を単独で斃してしまったのだろう。
その後、いくら待っても妙な魔獣が現れることはなく、今年のファーリーン湖遠征は無事に終了した。
研究員の人たちも特に異常は発見できなかったとのことで、それにもほっとした。
ファーリーン湖遠征後の宴の翌早朝、キルシュに向けて発つというマックスを私は一人で見送りに来ていた。
「レオ」
朝霧の中、馬を牽いたマックスが現れ、私の心臓が飛び跳ねた。
これが今生の別れ。
初恋との決別。
青春時代の美しい思い出の最終地点。
「マックス」
私は全身全霊で微笑んだ。
どうか、いつも通りに見えますように。
泣きはらした跡がバレませんように。
動けない私の頬にマックスの掌が優しく触れて、また涙が零れ落ちそうになって私は顔を伏せた。
「レオ。俺と、ジークたちの一番大きな違いはなんだと思う?」
こんな時に問われることとは思えなくて、私は首を傾げた。
「……キルシュ人か、アレグリンド人かっていうこと?」
「それも、まぁ正解ではある。俺だけがキルシュ人だからな。だが、俺が言いたいのはそういうことではない」
「じゃあ、なにが……?」
「わからないか?俺だけが、おまえを妹だと思っていないということだよ」
私だってそうだ。
ジークたちと違って、マックスのことを兄だなんて思っていない。
でも、それがなんだというのだろうか。
「これを受け取ってほしい」
マックスが私の手になにかを握らせた。
「これは……?」
「今年の主の魔石だ」
「え!……でも」
婚約者に持って帰るのではないの?
魔石を握る私の右手がマックスの大きな両手に包み込まれた。
そして、マックスは私の前に跪いた。
「え?マックス?なにを」
「レオ。レオノーラ・エル・アレグリンド……俺はおまえが好きだ」
私の喉からひゅっと息をのむ音がした。
え?嘘でしょ?いや、マックスがこんな嘘つくはずがない。
「俺はアレグリンドで騎士になる。異例なことだが、ジークの側近に取り立ててもらえることになった。フェリクスと同じような扱いになるそうだ。ちゃんと国王陛下の承認も得ている」
そんなことになっていたの!?
なんで教えてくれなかったの!!
「とはいっても、今の俺にあるのはそれだけだ。爵位も後ろ盾も、俺にはなにもない。おまえは国王陛下の姪で、ジークの宝物だ。本当は俺なんかが触れていいような存在ではないことはわかっている。それでも、俺はおまえがほしい。将来、おまえの隣に立つのに相応しい男になれるよう努力する。だから、おまえも俺を望んでくれないだろうか」
望んでるよ!もうずっと前から!
こんなことを言われるなんて夢にも思っていなくて、いや夢見てはいたんだけど現実になるなんて思ってもいなくて、私は上手く言葉が出てこなかった。
「嬉しい……嬉しいよ……でも……」
「でも、なんだ?なにかあるなら教えてほしい」
跪いたまま私を真っすぐに見上げる紫紺の瞳の優しい光。
その中に私に向けられた愛情があるのがはっきりと見て取れた。
「……婚約者が……いるんじゃないの……?」
マックスは怪訝な顔をした。
「婚約者?なんのことだ?俺にはそんなのいたことがないぞ」
「だって、カイル兄様に、言ってたじゃない。婚約者がいるって……」
「カイル殿に?いつの話だ?」
「去年、ファーリーン湖遠征後の宴の時に……」
「……もしかして、あの時か」
マックスは立ち上がり、天を仰いで頭をガシガシと掻いた。
「カイル殿がべろべろに酔っていた時だな?あの時、カイル殿は俺にキアーラと結婚して弟になれってしつこかったんだ。それで面倒になって、婚約者がいるってことにしたら諦めてくれるかと……」
確かにカイル兄様はそんなこと言ってマックスに絡んでたけど……
「じゃあ……婚約者、いないの?」
「いない。いるわけがない。そんなのがいたら、おまえに好きだなんて言うわけないだろ。というか、なんですぐに確かめてくれなかったんだ!」
「だって!その、婚約者のことを話してる時のマックスが、すごく幸せそうで、婚約者のことが本当に好きなんだなって思って……」
「それは!おまえのことを思い浮かべていたからだ!カイル殿に、婚約者がどんな相手なのか訊かれて、とっさに……あれは全部俺から見たおまえのことだよ」
あの時、マックスはなんて言っていただろうか。
確か……笑顔が可愛いとかなんとか言っていたはずだ。
私は急激に顔が赤くなるのを感じた。
マックスが、私のことを可愛いと思ってくれているなんて。
「私、マックスには婚約者がいると思ってて……今日、笑顔でお別れしようと思ってて……いつかマックスが結婚する時は、ジークたちとお祝いを送ってあげなきゃって思ってて……」
抑えきれない涙がぽろぽろと溢れて私の頬を濡らした。
「マックス……本当に、私のことを」
「好きだよ。本当だ。今までも、俺なりに好意を表してきたつもりだったんだが、伝わらなかったか?」
「伝わってた。嬉しかったよ……でも、婚約者がいると思ってたから……」
「いないから。俺が今まで生きてきて、ほしいと思ったのはおまえだけだよ、レオ」
マックスはそっと私の頬にふれ、涙を拭いてくれた。
思えば今まで何度もマックスに頬を撫でられたことがあった。
その度に嬉しくて、マックスの婚約者のことを思うと胸が痛んだ。
でも、もうそんな思いをしなくてもいいのだ。
心の中でマックスの婚約者に詫びる必要もない。
「嬉しい……私も、ずっとマックスがほしかった。もうずっと前から、マックスのことが好きだったの……」
マックスも同じ気持ちでいてくれているなんて、思ってもみなかった。
マックスの顔に、ぱっと特大の笑顔が広がった。
こんなに嬉しそうな顔、初めて見た。
「レオ……!」
私はぎゅっとマックスの胸に抱きしめられた。
広い胸に顔を埋めながら、私もマックスの背中に腕を回してぎゅっと抱きついた。
「マックス……嬉しい……夢みたい……」
「夢にされては困る。やっとおまえを手に入れたのだから」
マックスの手がまた頬に触れ、上を向かされた。
「レオ……口づけて、いいだろうか」
至近距離から紫紺の瞳が優しく欲求を伝えてくる。
こんなの断れるわけがない。
私は言葉の代わりに目を閉じた。
私の唇に、そっとマックスの口づけが降ってきた。
触れるだけの優しいキス。
レオノーラのファーストキスだった。
私は嬉しくて恥ずかしくて、真っ赤になった顔をまたマックスの胸に埋めた。
「早く、帰ってきてね……」
「ああ。父と兄に話をして、ちゃんと筋を通してくる。母の墓前にも報告してくる。なるべく早く帰って来るから待っていてくれ」
「うん……待ってるからね」
マックスはもう一度名残惜し気に口づけをして、それからキルシュへと帰っていった。




