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⑪ 依頼

 フィリーネ皇女がキルシュに帰国した次の週末、私たちはまた王城内の訓練場にいた。

 いつものようにキアーラと作ってきた昼食をみんなで食べた後、今日は私とマックスがサリオ師相手に模擬戦闘を行うことになった。


 以前の私はフェリクスに手厳しく指摘されたことがあるように、なんとなくで訓練をしていたため、誰かと連携をとるということを考えたことがなかった。

 マックスはというと、全力が出せなかったためやはり連携をとるような訓練ができなかったそうだ。


 それではいけないということで、そのあたりをサリオ師に鍛えられることになった。

 私とマックスでは身体能力でも実力でもかなり差があるので、そこを補い合うことを考えながら動くように、というのが課題なのだけど、これがかなり難しい。

 お互いに邪魔になることを恐れたり遠慮してしまったりして、全く上手くいかない。


 また二人ほぼ同時に地面に転がされてしまった。


「レオノーラ姫は、マックスをもっと頼って自由に動いていいんだよ。マックスは、フェリクスと組んでる時より動きが格段に悪いね。まぁ、気持ちはわからないではないけど。こういったことは、信頼関係と慣れが必要だ。二人ともまだまだ訓練が必要だね」


 ファーリーン湖の時は、私は魔力障壁の後ろにいて鳥を飛ばしているだけだったので、マックスと肩を並べて剣を振るっていたわけではない。


 信頼はしてると思うけど……慣れてはいない。

 いつか慣れる日がくるのかどうかすら、ちょっと自信がない。


 慣れるよりマックスが卒業してお別れになる方が早いんじゃないかな。


 一方キアーラの方は、汚れてもいいドレスを着てジークに下賜されたナイフを握っており、フェリクスはキアーラを守るような位置で対戦相手の騎士に剣を振るっている。


 最低限自分の身を守れるように、という王太子妃教育の一環なのだそうだ。

 フェリクスも護衛としての訓練ができて、一石二鳥なわけだ。

 対戦相手をしてくれている騎士は、以前に私とキアーラでお掃除魔法を教えた人で、キアーラにとても丁寧に指導をしてくれている。


 お掃除魔法はとても便利だということで、今や騎士だけでなく王城で働く侍女の間にも広がりつつある。

 

 シストレイン子爵家は由緒ある家柄ではあるけど、子爵なので中位貴族という分類になる。

 そのためキアーラが王太子妃になると、高位貴族からの風当りが強くなることが予想される。

 そんな時に助けになるのが、このお掃除魔法だ。

 現在、キアーラがジークと婚約していることはまだ公表されていないけど、キアーラの名はお掃除魔法とともに王城内に広まっていっている。

 同時に、国王の姪である私とも親しい間柄だということも知られるようになった。

 このことはキアーラが王太子妃になった後、立場を築くのに役立つだろう。


 私が思いつきで創った魔法がこんなことになるなんて予想外なことだけど、たくさんお世話になったキアーラとジークへのささやかな恩返しになったらいいなと思っている。


 それからもまたマックスと二人でサリオ師に挑んではいなされ足払いをされ蹴り飛ばされ、としていたところ、


「お、来たね。ちょっと休憩しようか」


 サリオ師が動きを止め、私たちも剣を下げた。


 誰が来たのだろう?

 そう思ってサリオ師の視線の先を追ってみると、


「へ、陛下!?」


 慌てて跪こうとしたマックスを、陛下の後ろからついてきてたジークが止めた。


 陛下がなんでこんなところに?


「久しいな、ロイド。息災か?」


「はい。おかげさまで」


 気安く声をかける陛下に、サリオ師はにこにこと応えた。

 それから、陛下はマックスに視線を向けた。


「其方がマクスウェル・ハインツか」


「はい」


 陛下はマックスを観察するようにじっと見つめた。


 仮面を取って見せろって言わないよね?


「ロイド。彼はどうだ?」


「まだ未熟ではありますが、鍛えがいがありますね。楽しませてもらっていますよ」


「そうか。それは重畳」


 とりあえず、仮面については陛下は触れないでいてくれているようなので、そこはほっとした。


 去年から陛下に奏上される報告書にはマックスの名前がちらほらと記載されていたはずだ。

 それで本人を見てみたくなったのかな?


「其方に依頼したいことがある」

 

 依頼?マックスに?


 怪訝な顔をするマックスに、陛下は続けた。


「エストルという地域に、ファーリーン湖のように年に一度魔獣が溢れだす場所があるのだ。今度、そこに調査隊を派遣することになった。ファーリーン湖での魔獣討伐を経験している其方とレオノーラにも同行してもらいたい」


 エストルというのは、王都から南西に位置する海辺の地域だ。


「なんでも、海の中から魔獣が溢れてくるそうだ。ファーリーン湖と同じく、水属性の魔物ばかりらしい。まぁ、詳しい話は後でジークから説明させるとして。レオノーラはともかく、其方はアレグリンド人ではない。よって、我は其方に命を下す権限を持っていない。なので、依頼という形になる。受けてくれるだろうか?」


「もちろんです。謹んでお受けいたします」


 国王という地位にありながら、息子と同い年の青年にも威丈高に振る舞うことはないというのは陛下の長所だと思う。

 だからこそ、サリオ師たちを口説き落とすことができたのだろう。


「依頼というからには、報酬を用意しようと思っている。なにか望むものがあれば遠慮なく言ってみなさい」


「いえ、なにもいりません。もう十分に頂いております」


「そうか?本当に望むものはないのか?」


「これ以上は私の身に余ります」


「ふむ、無欲なものだな」


 どこか満足気に陛下は呟き、それから私に視線を向けた。


「レオノーラには下命という形になる。異存はあるか?」


「ございません。頑張ってまいります」


 私はにっこりと笑って承諾の意を伝えた。


 海といえば!魚!貝!イカ!タコ!

 醤油がないから刺身は無理だけど、カルパッチョ!アクアパッツァ!シンプルに炭火で焼いた海鮮バーベキュー!

 昆布みたいな海藻があれば、ダシがとれるかも!?

 あ、もしかしたら魚醤みたいなのがあるかもしれない!

 考えただけで涎が溢れそうになり、私は意識的に口元を引き締めた。

 王都は海から離れているため、新鮮な海産物は手に入らないのだ。


 いつか海に行きたいと思っていたけど、それがこんなに早く叶うなんて!


「エストルといえば、有名な蒸留酒があったはずだ。それから、なんとかっていう貝の燻製のオイル漬けが美味しいんだ……陛下、僕も調査隊についていく許可をいただけますか?」


「ほう、そんなものがあるのか。よし、許す。ただし、王都に帰還した後には、エストルで手に入れた酒と肴を献上することを条件とする」


「御意のままに、陛下」


 サリオ師は慇懃無礼なほどの礼をとり、陛下はそれを苦笑で流した。

 この二人は本当に仲がいいのだ。


「レオノーラ。こちらへ」


「はい、陛下」


 私が呼ばれるままに歩み寄ると、陛下はさっきマックスにしたようにじっと私の顔を見つめ、それから私の頭にそっと手をおいた。


「いい顔になったな。そうしていると、アイリーンによく似ている」


 アイリーンとは、私の母の名だ。


「アイリーンは優れた騎士でな。よくこのあたりで剣を振り回していた。ドレスは動きにくいから嫌いだと、この前の其方と同じようなことをよく言っていたよ」


 私は目を丸くした。

 母が亡くなってから、誰かから母のことを聞かされるのは初めてだった。

 私の記憶にある母はとても優しくて、剣を振り回している姿なんて見たこともなかった。


「最近話題になっているお掃除魔法というのを見せてくれるか?」


 陛下の耳にも入るくらいお掃除魔法は広がっているようだ。

 では、それなら。


「私の友人に披露していただきましょう。キアーラ」


「はい、レオ様」


 陛下にキアーラが有能であることを見ていただくいい機会だ。


 キアーラは私の隣に進み出て、それからお掃除魔法を一瞬で展開させた。

 つむじ風がスイスイと動いて訓練場の隅に落ちていた落ち葉を集め、そこに小さな火球を放り込んで燃やし尽くす。


 騎士たちに教えるためにキアーラも何度もお掃除魔法を使ってきたため、今では私と同じくらいの少ない魔力で展開することができるようになっている。


「ほう、器用なものだ。ファーリーン湖でも役に立ったそうだな」


「はい、小さい魔獣なら集めて燃やすことができますので」


「ふむ。では、火球を鳥の形にする、というのも見せてくれ」


 これは私にしかできない。

 私は手の平を上にしてそこに火球を作り出し、それをファーリーン湖で散々飛ばした鳩の形にした。

 鳩は私のイメージ通りに羽ばたくように動き、訓練場の上を弧を描いて旋回した。


「あの時は一羽だけしか作れなかったのですが、今は二羽まで飛ばせるようになりました」


 もう一羽に先の鳩の逆回転で旋回をさせた。

 ある程度飛ばしたところで、先の鳩をバン!と炸裂させ、後の鳩は空中に溶けるように全体を火花にして散らしてみた。

 どちらもファーリーン湖で魔獣にやったことだった。


「こんなこともできます」


 私はまた火球を一つ作り出し、それを鳥の形にした。

 鳩ではなく、もっと大きく前世で絵で見た鳳凰みたいなイメージだ。

 孔雀みたいな尾羽に頭にも飾り羽をつけ、部分的に火の温度を変えて赤一色ではなく青やオレンジ色にしていく。

 鳳凰に訓練場に火花をキラキラと振りまきながら派手な羽を見せつけるようにくるりと旋回させ、それからもっと上空に飛ばしてそこでドン!と炸裂させた。

 それと同時に色とりどりの火花が飛び散り、空気の中に消えていった。

 言うまでもなく、これは前世で見た花火のイメージだ。


 今は昼だからそうでもないけど、夜に同じことをしたらとても目立つと思う。


「……随分と独創的だな。レオノーラの発想は面白いな」


「父上、今のは式典の演出に使えるのではないでしょうか」


「ふむ、確かにそうだな。目新しくていいかもしれない」


 ジークの提案に、陛下が頷いた。


 実は私もそう思って花火の魔法を創ったのだ。

 ジークとキアーラの結婚式に花を添えられたらいいな、と思っている。


 ジークは私とジークでキアーラを挟むような位置に立ち、その後ろでフェリクスとエリオットとマックスがひかえるように立っている。

 陛下は私たちを見渡して、ジークより私の色に近い青色の瞳を細めた。


「ロイド。若い世代が育つのを見るのも楽しいものだな」


「そうですね」


 サリオ師も目を細めて同意した。


「皆、これからも励むように」


「はい、父上」


 ジークが代表して応え、キアーラは淑女の礼を、残りの私たちは騎士の礼をとった。


 陛下が去った後、私は我慢できずにサリオ師に詰め寄った。


「師匠!エストルに行ったことがあるんですよね!?さっき言ってた貝の燻製以外にも、美味しいものがありますよね!?魚とかいろいろ!」


「ああ、あるよ。僕が最後にエストルに行ったのはもう何年も前のことだけど、王都では食べられないような食べ物があったよ」


 やっぱりそうか!と、私の中の前世の部分が歓喜に震えた。


 アレグリンドの料理はマズいわけではないけど、どうしても前世の味が恋しかったのだ。

 新鮮な魚がある地域なら、きっと美味しいものがたくさんあるはずだ。

 生ものは無理だけど、干物やオイル漬けなど日持ちがする食品を定期的に王都に送ってもらうようにできないだろうか。

 それだけでもかなり私の食生活の幅が広がるだろう。


 私は自動的に緩む頬を両手で押さえながら、期待に胸を膨らませた。


「レオ様、変な顔になっていますわよ?」


「そんなに魚が食べたかったの?アルツェークでも食べたじゃないか」


「淡水魚と海水魚は違うの!」


 アルツェークでも川や湖で獲れた魚を食べた。

 あれはあれで美味しかったけど、やっぱり海水魚とは違う。


「キアーラ!お土産買ってくるからね!ジークたちにも!」


 ニヤニヤが止められない私に、皆が呆れたような顔をした。


「レオノーラ姫は案外食いしん坊なんだね」


「そんなところもお可愛らしいですけど、知らない土地に行くのですから気を緩めないようにしてくださいませ」


「父上からの下命だってことを忘れないようにね」


「美味しそうな食べ物につられて知らない人についていってはいけないよ」


「絶対に一人で行動するな。でないとすぐに頭からバリバリ食べられてしまうぞ」


 私、そんなに信用ないの?というか、バリバリ食べられるってなに?


 むっと頬を膨らませる私に、ジークは溜息をついた。


「マックス。師匠も同行するなら大丈夫だとは思うけど……」


「ああ、わかってる。目を離さないようにするよ」


 マックスまで私を信用してくれていないようだ。

 さっき、師匠に信頼関係が大事だって言われたばかりなのに!


「もう!危ないことはしないから大丈夫だよ!」


 美味しい魚が食べられるのも嬉しいけど、しばらくマックスと一緒に過ごせるのもとても嬉しい。


「マックス!お魚、たくさん食べようね!」


「わかったから、はしゃぎすぎるなよ」


 マックスは苦笑しながらも紫紺の瞳に優しい色を湛えて、私の頬についたままだった砂を手の平で拭ってくれた。



 その日の夕方、私が住んでいる離宮に戻ると、侍女から父に来客があったことを伝えられた。

 父の寝室に向かうと、父はここ最近では珍しく寝台の上ではなくロッキングチェアに座っていた。


「ただいま戻りました、父上」


「お帰り、オットー。今日も頑張ってきたかい?」


「はい。師匠に前より動きが良くなったと褒められました」


 というのは嘘なんだけど、病床の父を喜ばせるためなので許してほしい。


「侍女から来客があったと聞きましたが、どなたがいらしたのですか?」

「ゲイリー伯爵だよ。私の学友なんだ。久しぶりに領地から王都に出てきたというので、見舞いに来てくれたんだよ」

「そうなんですね。それはよかった」


 父はいつになく機嫌が良く、頬にも薄っすらと赤みがさしていた。

 きっとゲイリー伯爵の来訪が嬉しかったのだろう。


 父はそっと私の頭に手を置いた。


「オットー、なにも心配することはないからね」


 なんのことだろう?と内心首を傾げた。

 ゲイリー伯爵が関わっていることがなにかあるのだろうか?


「……はい、父上。頼りにしております」


 なんとなく嫌な予感がしながらも、私は話を合わせることを選んだ。




 このときゲイリー伯爵のことを突き詰めて調べなかったことを、私は後でとても後悔することになる。

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