⑥ 今度は私が守る
そんな日々が二週間以上も続き、私たちは疲れきっていた。
特に私は矢面に立って突撃してくるフィリーネ皇女に対応することが多いので、精神的に疲労困憊していた。
見かねた王妃様が助け船を出してくれて、ジークたちは朝まだ暗いうちから郊外の農園に視察に出かけることになった。
私も同行するよう誘われたけど、私は学園に登校することを選んだ。
ジークがいなかったらフィリーネ皇女が私に絡んでくることはない。
久々の解放感だった。
登校してすぐ、女の子たちに囲まれる前に私はキアーラと二人だけで話をした。
「レオ様……どのような調子ですか?」
「ものすごくしつこい。けど、頑張って追い返すから」
私は懐から手紙を取り出し、キアーラに渡した。
「詳しくはそれに書いてあるはず。心配することはなにもないからね」
それはジークからキアーラへの手紙だった。
もっと正確に表現するなら、恋文だ。
二人は『レオ様を可愛くし隊』として意気投合してから幾度も顔を合わせるうちに、いつの間にか恋人同士になっていたのだ。
国王陛下もシストレイン子爵もこのことは知っていて、実はもう婚約している状態なのだけど、キアーラの穏やかな学園生活のためにまだ公表されていない。
もちろん、私もキアーラなら大歓迎だ。
フィリーネ皇女がジークにつきまとっていることは貴族の間ではとっくに噂になっている。
キアーラも不安になっているだろうと思い私はメッセンジャーになることにしたのだ。
キアーラはジークからの手紙を胸に抱きしめるように受け取り、幸せそうに頬を染めた。
私は自分の役割を果たせたことを嬉しく思った。
久しぶりの講義ではクラスメイトだけでなく教師にも大歓迎され、楽しい時間を過ごすことができた。
賑やかにランチを済ませ、午後からの講義に向かう途中で、クラスメイトの一人が駆け寄ってきた。
「レオ様!キルシュのお姫様が見学にいらしているみたいですわ!ご存じでらして?」
フィリーネ皇女が学園に来てるって!?
物凄く嫌な予感がして、教えてもらったところに走った。
そして、悪いことにその予感は的中していた。
「仮面を外して見せろと言っているのよ!わたくしに逆らうつもりなの!?」
派手なドレスを着たフィリーネ皇女の前には、学園の制服を着て跪いた赤い髪の青年。
騒ぎを聞きつけた生徒たちが集まり、遠巻きにして成り行きを見守っている。
痺れを切らしたらしいフィリーネ皇女が白い華奢な手を青年の顔に伸ばしたのが見えて、私は一気に頭に血が上った。
「なにをしている!」
鋭い声をかけると、フィリーネ皇女が驚いた顔で振り向いた。
そして、いつもの着飾った姿ではなく男装の私を見て目を見開いた。
「レオノーラ姫?なんですの、その恰好は」
「質問しているのはこちらです!ここでなにをしているのかと訊いているのです!」
フィリーネ皇女は私の剣幕に鼻白んだ顔をしたが、すぐに嘲るように顎を逸らした。
「あら、この者の仮面の下になにがあるかご存じないの?」
知ってるよ。見たこともある。なんだったら、触ったこともある。
「仮面をつけてまでも見られたくないものだということは私にもわかります」
「不勉強でいらっしゃるのね。キルシュでは有名なのですよ?火竜の紋というのですって。ほら、御覧なさいな」
そう言ってまた伸ばされた手を、わたしは怒りをこめて払いのけた。
「やめなさい!」
「痛っ……なにをなさるの!?」
「彼は貴国から預かっている大事な留学生です。アレグリンド王立学園に在籍している以上、彼の身柄は我が王家の庇護下にあります。いかにキルシュの姫君といえど、横暴な振る舞いは王族として断じて許すわけにはいかない」
「なっ……!」
フィリーネ皇女は怒りの形相になり、私は跪いて俯いたまま動かないマックスに目を向けた。
「立ちなさい、ハインツ君。跪く必要はない」
「なにを言っているの!?その者はキルシュ人で、わたくしはキルシュの皇女なのよ!?」
「ここはアレグリンドの王立学園です。様々な身分の学生が集う学園内では、権力を笠に着て他者になにかを強要することが固く禁じられています。学園内では跪くことも跪かせることも規律違反となります。ここはキルシュの流儀が通用する場ではありません。
ハインツ君。もう行きなさい」
立ち上がったマックスを私は逃がそうとしたけど、それがフィリーネ皇女の怒りを増すこととなった。
「そんなこと知らないわ!その仮面の下を見せるまで、下がることはなりません!これは命令よ!」
私はフィリーネ皇女の真正面に立ち、マックスを背中に庇う形になった。
かつてマックスが私を守ってくれたように、今度は私がマックスを守るのだ。
「大丈夫だから、もう行きなさい」
首だけで振り返って高い位置にあるマックスの顔を見上げ、フィリーネ皇女たちからは見えないように目配せをした。
本当に大丈夫だから私に任せて、という気持ちを籠めたのだけど伝わっただろうか。
「ダメよ!早く仮面を取りなさいよ!」
「いい加減にしろ!行きなさい、ハインツ君。私が許します」
留まれと命令するフィリーネ皇女に対し、立ち去る許可を下す私。
キルシュの皇女と、アレグリンド国王の姪。
数秒迷って、マックスは立ち去ることを選んだ。
足音共に背後からマックスの気配が遠ざかると、フィリーネ皇女の顔は真っ赤に染まった。
「戻りなさい!このわたくしが戻れと言っているのよ!戻りなさいよ!」
しかし、マックスが戻ってくることはなかった。
フィリーネ皇女の榛色の瞳が憎悪に光りながら私を睨みつけた。
「あれはキルシュ人よ!どう扱おうとわたくしの勝手だわ!あなたにどうこう言われる筋合いなどないのよ!なんでここまできてわたくしの邪魔をするの!」
今、マックスのことをあれって言った?物扱いしたの?
私は抑えきれない怒りの感情とともに、魔力が漏れ出すのを感じながらそれを止めなかった。
「フィリーネ皇女。再度お伺いします。ここでなにをしていらっしゃるのです?」
「視察に決まっているでしょう?お忘れになったの?わたくしは見分を広めるために、わざわざこんな所にまで足を運んでおりますのよ」
そんなことを言っていいのかな?私がそっくりそのままジークに伝えるとは思わないのだろうか。
「視察ですか。それは結構なことです。ですが、今日ここに視察にいらっしゃるという話は伺っておりませんが」
「当然ですわ。本当なら、今日はジーク様にキルシュから持参した織物をご覧いただく予定だったのです。それなのに、ジーク様ったら夜まで戻らないらしくって。だから……」
「だからただの思い付きで、なんの前触れもなく学園にいらっしゃったと、そういう訳ですか」
私がいつもジークに突撃してくるフィリーネ皇女を追い返す時は、ただ面倒で疲れると思うだけだった。
でも、今は怒りと侮蔑を隠すことなく前面に出した。
「ここはアレグリンドの王立学園です。在籍している学生は一人一人が将来を期待された大切な人材です。国王陛下もこの学園の卒業生であり、学園の自主性を尊重していらっしゃいます。我が国の最重要施設の一つなのです。他国からお預かりしている留学生も多数在籍しています。彼らになにかあれば、アレグリンド王家が責任を問われることになる。そのことを理解しておられますか?」
そこまでのことはないのだけど、ちょっと大袈裟に言ってみた。
「だって、ジーク様もおっしゃったじゃない!見てみたいところがあるなら見ていいって!」
「ジーク兄様は、場合によっては協力を惜しまないとおっしゃったのです。事前に打診もなく好き勝手していいという意味ではありません」
私は榛色の瞳を真っすぐに見下ろした。
「学園の視察にいらっしゃったというのなら、なぜ彼の仮面を剥がそうとなさったのです?彼の仮面とこの学園とはなんの関係もないことは明らかです。仮面を被ってまで隠しているものを皇族だからと権力を振りかざして衆人環視の元に晒すことが、キルシュでは視察とよばれるのですか?不勉強な私に是非ご教授ください」
痛烈な当てこすりに、フィリーネ皇女はなにか言い返そうとしたようだけど、言葉にならず口をぱくぱくさせている。
「これ以上騒ぎが大きくなる前に、早急にお引き取りください」
「あ、あなたに命令されるいわれはないわ!私は皇女よ!あなたは王族といっても、国王の姪でしかないじゃないの!」
「だからなんだというのです?ここでは身分を振りかざすことは禁じられています。早く出ていきなさい」
「お黙り!わたくしに命令するなと言っているのよ!」
フィリーネ皇女はそう言って右手を振り上げた。
お?そう来るか?
避けることも魔力障壁で遮ることもできたけど、私は敢えて平手打ちを受けることにした。
パチンという音とともに、左頬に衝撃がはしった。
フィリーネ皇女の細腕から繰り出される平手打ちなんて大したことはないのだけど、遠巻きにしている生徒たちの間から小さな悲鳴や息をのむ気配が伝わってきた。
王族である私が顔を叩かれるなんて普通はあり得ない光景なのだ。
「満足なさいましたか?早く出ていきなさい」
全く堪えた様子のない私にフィリーネ皇女は怯んだ顔をしたが、まだ出て行く気にならないらしい。
「ご自分の行いが他者からどう見えるか、考えたことがありますか?周りをよく見てみなさい」
言われて初めてはっとしたように周囲を見まわした。
学園の生徒たちから向けられる視線に含まれるのは、主に侮蔑と嫌悪。それから少しの好奇心と、たまに嘲笑。
やっと自分の置かれている状況を理解したらしく、フィリーネ皇女は青くなったり赤くなったりと忙しい。
「ジーク兄様も学園に在籍しておられます。このことはすぐにジーク兄様の耳に入ることでしょう。これ以上恥を晒したくなければ、さっさと出ていきなさい」
まだ動かないフィリーネ皇女の背後に控えていた護衛と侍女が、私の言葉に従うように促した。
あ、またマックスのお兄さんだと思われる人だ。
この人、弟があんな目にあってたのになにもしなかったのかな。
「姫様、もう戻りましょう。ここにこれ以上留まっても、なにもできることはありません」
「姫様、どうか……」
青い顔で懇願する二人だったけど、残念ながらフィリーネ皇女には届かなかった。
「……嫌。嫌よ!なんでこんな女の言うことをきかないといけないの!?わたくしはキルシュの皇女なのよ!わたくしはなにも悪くないわ!全部この女が悪いんじゃない!この女がジーク様とわたくしの仲を引き裂いたのよ!全部この女のせいなんだわ!」
フィリーネ皇女は再び手を振り上げた。
懲りないなぁ、二回目はどうしようかな、避けてもいいかな、と考えていると、
「おやめください!」
マックスのお兄さんだと思われる人が後ろからその手を掴んで止めた。
「なんで止めるのよ!」
「これ以上は、アレグリンド王家のご不興をかいます」
もうかってるよ。手遅れだよ。
「それがなによ!放しなさい!放せと言っているのよ!」
振りほどこうともがくフィリーネ皇女を侍女と二人で左右から抱えるようにして引きずりながら、目だけで私に礼をして去って行った。




